2005/12/30
大使館「テロ概要」の読み方

谷川昌幸:

在ネ日本大使館の「テロ概要」は,不思議な情報だ。入り方は:

 日本大使館→海外安全情報→テロ概要

 

1.不思議な情報提供方法
「テロ概要」表示ページの表題(ヘッダー)は「外務省海外安全ホームページ」。外務省HP内にあるから,てっきり外務省の公式見解だと思ったら,ページの末尾に小さな文字で次の「注記」が記載されている。

(注記)
「テロ」については国際的に確立された定義は存在していませんが、一般には、特定の主義主張に基づき、国家等にその受け入れを強要し、又は社会に恐怖を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいうものとされています。本情報は、このようないわゆる「テロ」に該当するか否かにかかわらず、社団法人海外邦人安全協会が、外務省から提供された平成16年12月末現在の情報に基づき、海外に渡航・滞在される邦人の方々の安全確保のための参考資料として編集したものであり、外務省の政策的な立場や認識を反映するものではありません。
(外務省HP,2005.12.30引用)

つまり,この「テロ概要」は,(社)海外邦人安全協会(JOSA)の文責であり,外務省(在ネ大使館)の公式見解ではないというのだ。これは摩訶不思議?

 

2.JOSAとは?
では,文責のあるJOSAとは何か? 
協会HPによると,海外活動のための安全情報の提供が主目的であり,対象は主に企業のようだ。役員構成は:

 会 長=元フィリピン大使
 副会長=日立部長
 理 事=元領事,企業顧問等

HP情報だけでは詳細は分からないが,外務省の外郭団体と見てよいだろう。そのJOSA情報を,日本大使館は外務省情報と紛らわしい形で提供している。なぜ,そんなややこしいことをするのか?

 

3.JOSA利用の理由?
(1)日本外交の二股膏薬?
最大の理由は,日本の対ネパール政策が明確ではないからではないか? マオイストを「テロリスト」とも「rebel」とも,決めかねている。王室=皇室つながりと,対米配慮で「テロリスト」としたいのだが,そこまでは踏み切れない。そこで,外郭団体JOSAを利用して,限りなく公式見解に近い形の「テロ概要」を掲載しているのではないか?

(2)情報の偏り
テロという以上,軍や警察の「国家テロ」も当然問題にしなければならない。たとえば小倉清子氏は次のように報告している:

マオイストのツァパマール(ゲリラ)と数日間行動をともにしたあと、サングラウラはこう言った。

「シャヒ・セナ(王室軍)の銃を見ると、怖いと感じるが、ジャナ・セナ(人民軍)に囲まれながら歩いて、彼らの銃を怖いと思ったことはなかった。むしろ、彼らの銃に守られていると感じた」

 私も同感だった。マオイストの銃が人を殺していることはもちろんわかっているし、そうした彼らの行動を認めるわけではないのだが、銃をかついだ彼らと共に歩きながら、怖いと思ったことは一度もない。怖いと思うのは確かに王室軍の銃である。それは、王室軍が国民のための軍ではなくて、国王のための軍であるからだ。Kathmandu Journal,12/26)

諸外国政府もNGOも,ネパール政府の頻繁な人権侵害(国家テロ)を厳しく非難している。「テロ概要」にその国家テロ情報を出さず,マオイスト・テロだけ掲載するのは,明らかに一定の政治的判断に基づいている。しかし,外務省には自分の判断に十分な自信がないので,JOSAをタマよけにしているのではないか?

(3)情報の不正確さ
歴史的事実の確認は,そう簡単ではない。「テロ概要」は「2004年までに、政府とマオイストの間で4回の停戦が成立、2回の和平対話が行われましたが、いずれもマオイスト側が破棄しています」などと大胆に断定しているが,エリート揃いの外務省官僚は,さすがにこれはヤバイと思い,ここでも万が一のための安全策として,JOSAを利用することにしたのではないか?

 

4.大使館情報の賢い利用方法
外務省・大使館は,百戦錬磨の諸外国を相手に外交の真剣勝負をやっているのであり,真実や正義よりも国益を優先させる。それが外交の仕事だ。情報についても,当然ながら国益,省益,館益の観点から材料を集め,取捨選択し,提供している。

大使館情報は,そうした方法でつくられ提供されていることを十分意識しておれば,われわれにとっても大変有用である。大いに利用すればよい。

ところが,世間には,外務省情報の偏向に気づかない人や,気づいていても知らぬ振りをして政府の旗振りをする人が少なくない。ネパール情報は,外務省・大使館が提供してくれているから,それを大いに宣伝し,またNGOなど民間はそれに沿って活動すればよい,といった主張だ。

これは,極端に言えば,アメリカについてはCIA情報で十分だ,といった議論と同じだ。CIA情報は,確かに重宝だが,それは「CIA提供」の留保がある場合に限られる。CIA情報を「事実」と鵜呑みにして行動することの危険性は,ひょっとすると米大統領が一番よく知っているかもしれない。

 

5.情報源の一つとしての大使館
同じことが,在ネ大使館情報についても言える。大使館は,多くの情報源の内の一つにすぎない。そうした意識をつねにもっていないと,たとえば「テロ概要」のような大使館自身でさえ十分確信の持てない(が,その流通は願っている)ような情報であっても,「事実」そのものと取り違えてしまうことになるだろう。

23:39  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | マオイスト
2005/12/28
日本大使館の王室批判禁止警告
谷川昌幸:

在ネ日本大使館HPの「安全対策基礎データ」に,次の警告が記載されている。

「王室は国民から敬愛されているため、王室に関する批判は避けた方が無難です。また、現在の政治情勢から王室、国王及び政府に対する批判は身柄拘束の理由ともなり得ますので注意して下さい。」

(1)2つの疑問
この警告には次の2点で疑問がある。

●事実認識の不適切さ
「王室は国民から敬愛されている」というのは,明らかに不正確。根拠も示されておらず,むしろ限りなく間違いに近い。

●王室・国王・政府批判禁止の不適切さ
この警告は,要するに,王室・国王・政府を批判するなという禁止命令だが,大使館がこのような言論規制をすることには疑問を感じる。大使館は,在ネ日本人に対し,生殺与奪の権限をもつ。他のネパール関係者にとっても,その影響力は絶大だ。その強大な権力を持つ大使館が,禁止警告を出せば,それは事実上命令と受け取られ,言論の自由のような最も基本的な人権ですら,保持が困難になる。権力機関は,権力の限界をわきまえ,権力行使は慎重であるべきだ。

(2)言論への自己責任
今のネパールでは,王室・国王・政府批判が危険であり,拘束される可能性もあることは,紛れもない事実だ。

それは,もしネパール人が日本に来て天皇批判をすれば,某筋からねらわれ,殺されるかもしれないのと同じことだ。(1990年,本島長崎市長は天皇の戦争責任発言のため銃撃された。)権力批判は,どの国でも危険なものなのだ。

だから,もし大使館が王室批判禁止をしなければ,不用意発言で拘束される日本人が現れる可能性は,禁止をした場合より大きくなる危険性はある。しかし,それは,言論の自由という人権中の人権を守るための代償と考えざるをえない。

日本国内ですら,大部分の人は,危険と天秤にかけながら言論の自由を行使している。そんな当たり前のことが,ネパールに行こうとする人々に出来ないはずがない。ヒマラヤ登山が自己責任であるのと同様,ネパール政治批判も自己責任である。

(3)大使館の責任とその限界
大使館の任務は,日本人が国際人権法等で保障されている人権を侵害されたとき,全力でその救済に当たることだ。

在ネ日本大使館の王室批判禁止は,残念ながら,大使館の責任逃れと見られても仕方ない。日本政府が,イラク戦争初期にさんざん利用した権力のための「自己責任論」,つまり,イラクに行くなと警告したのに,無視していったのだから,本人の自己責任だ,というあの権力の責任逃れの論理だ。ネパールでは王室批判はするなと警告したのに,無視して拘束されたのなら,それは本人の自己責任であり,大使館には責任はない,という理屈になる。

しかし,これは明白は誤りである。日本人がネパールで自己責任の下に行動し,それでもトラブルに巻き込まれた場合,全力で救済に当たるのが大使館であるはずだ。日本政府,外務省,大使館は,日本人が権利を守るためにつくった権力機関に他ならない。日本人保護は日本大使館の当然の責務である。

ただし,ここで注意すべきは,大使館に出来ることは限定されていると言うことだ。ネパールは外国であり,内政干渉は出来ないし,大使館員の数もごくわずかだ。救済を求めても,救済できない場合が少なくないのは当然だ。それは,ヒマラヤで遭難しても,大使館に出来ることはごく限られているのと同じことだ。登山の自由を行使したら,それに伴う危険を引き受けざるを得ない。

ただし,繰り返しになるが,それはヒマラヤ遭難者が大使館に救済要請する権利がないということではない。権利はあるが,大使館には要請にこたえるだけの能力がないだけのことだ。大使館には邦人保護義務があるが,外国では義務遂行には限界があるということ,ただそれだけのことだ。こんなことは誰にでも分かる常識であり,大使館には出来ないことまでする責任はない。

(4)責任の限界
ところが,大使館も日本国民も,責任の限界の明確化を回避しようとする傾向がある。これは無限責任論に陥り,かえって危険なことになる。

国民は大使館の「邦人保護」の限界を認めようとせず,何かあると無限責任を追求しがちだ。大使館は,国民のその悪癖を知っているので,予防線を張り,越権の禁止命令のようなものまでも出し,命令違反については自己の本来の保護責任すら棚上げし,国民の自己責任をあげつらうようになる。これは,国民にとっても大使館にとっても,不幸かつ危険な情況である。大使館も日本国民も,責任には限界があることを前提に,行動する必要がある。

(5)禁止命令に迎合した日ネ協会?
日本大使館の王室批判禁止命令に迎合したのではないかと疑われるのが,日本ネパール協会だ。

ネパール関係者の間では周知の事実だが,ネパール協会理事会は,今夏,突然,協会HP(JN−NET)をパージした。理由は不明瞭であり,そのやり方は,ギャネンドラ国王が2005年2月,政党内閣を一方的に解任し,自ら直接統治を始めたのとそっくりだ。

そのころ,外務省は,意地も外聞もかなぐり捨てて,ネパール国王のご機嫌取りに躍起だった。国連常任理事国入りのための賛成票がほしくて,愛知万博を訪れたパラス皇太子を何と天皇・皇后,皇太子夫妻らにまで謁見させ,公式写真さえ撮らせている

日ネ協会も,その外務省の意向を受け,皇太子歓迎会を開催し,その模様は日本皇族との会見と共にネパールで広く報道された

そのようなとき,協会HPのナマステボードで,私や他の何人かの方のネパール王政や日本外交への批判的意見が掲載された。ナマステボードは,自由投稿欄であり,文責は100%投稿者自身にある。誰が見ても,投稿が日ネ協会の見解でないことは,一目瞭然だ。しかし,そうした批判的意見は,外務省やその意を受けたと思われる協会理事会の立場とは,もちろん異なっていた。

協会理事会によるHP閉鎖命令は,そのような情況の下で,突如,一方的に通達された。理由は明らかにされていない。

しかし,情況から考え合わせると,在ネ日本大使館の王室批判禁止命令に忠実に従った措置だった可能性が大きい。別の理由かもしれないが,それはHP閉鎖命令の理由が開示されていないので,今のところ分からない。

(6)公権力による言論統制の危険性
日本ネパール協会のような長い伝統をもち,日本政府と程良い距離を保ってきた有力団体ですら,大使館が言論統制を始めたら,抵抗できず,屈服させられてしまう。ましてや,個人は・・・・。

この場合,禁止が警告か命令か,直接伝達されたか否かは,それほど問題ではない。公権力が警告や命令を出せば,その保護を受けざるを得ない(特に外国滞在中には)弱い立場の民間団体や個人は,公権力の意を容れざるを得ないのだ。自己規制こそが,公権力にとって最も好都合な情況だとすると,日ネ協会のこの間の対応は,日本大使館にとって模範的ということになる。

(7)真の日ネ友好のために
日本大使館の禁止命令に,もし日ネ協会ですら迎合したとすれば,その影響は他の諸団体,NGO,個人にも及ばざるを得ない。そうなれば,ネパール政治批判は姿を消し,活動は権力迎合的なものばかりとなるだろう。しかし,それが本当に,日ネ友好のためになるのだろうか?

NGOや個人にとって,大使館の禁止命令に率直に従っていた方が楽だし,安全でもある。しかし,それが真の友好的態度とは,到底思われない。ネパールが鎖国中なら,それでもよいかもしれないが,グローバル化ばく進中の現在,日本外交の都合に合わせ(ネパール庶民のためではなく!)行動していたら,ネパール関係者はネパール国民に取り返しのつかない害悪をなしてしまう恐れがある。そんなことはすべきではないだろう。

大使館もNGOや個人も,相互の責任の範囲を見極めて行動するのは楽ではないかもしれない。特にNGOや個人は,自己責任を問われるから,行動は自ずと慎重にならざるを得ない。

自己責任は,NGOや個人が自由の代償として当然引き受けるべき責任である。楽だからといって,自己責任を放棄し,外務省や大使館に無限責任を要求すれば,そのツケは自己の行動の自由の否定となって跳ね返ってくる。――いま日本ネパール協会がそうなりつつあるように。

16:22  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 民主主義
2005/12/24
非寛容の日本,寛容のネパール: クリスマスに思う
谷川昌幸:

クリスマスを祝い,24日午後,大浦天主堂(文久3年,国宝)を訪れた。

▼キリシタン弾圧
長崎はキリシタン受難の地であり,その凄まじさは筆舌に尽くしがたい。雲仙熱湯責め,簀巻き海中投棄,潮責め(首まで潮がくるように十字架を海中に立て絶命まで放置),穴吊り(耳元に小穴を開け血を垂らしながら逆さに吊し絶命まで放置),そして踏み絵。

文明開化でキリシタン禁止令は解除されたが,それもつかの間,今度はあの恐ろしい国家神道による大弾圧。

そして,敗戦直前には原爆投下によるホロコースト。投下はもちろんアメリカだが,それもこれも天皇=国家神道を守るためであった。長崎投下には偶然もあるにはあるが,大局的には,長崎のキリスト教は国家神道の身代わりになったといってよいだろう。

▼非寛容で国家形成
それほど迫害され,弾圧されても,F・ザビエル(1550年,平戸布教)以来,キリシタンたちは信仰を代々伝えてきた。その信仰の強さに感嘆すると同時に,だからこそ,日本の権力者たちはキリスト教に対し非寛容とならざるを得なかったのではないかと思う。もし,徳川幕府がキリシタン弾圧に成功していなければ,その後の日本の歴史は大きく異なったものになっていたであろう。

日本人は宗教的に非寛容であり,激しい宗教弾圧により,近現代の日本を形成してきたと言わざるを得ない。

▼寛容のカトマンズ
これに対し,ネパールは寛容の国だ。今年はどうか分からないが,数年前のカトマンズのクリスマスは,それはすさまじいものだった。街中がクリスマス・デコレーションで埋め尽くされていた。ヒンズー教を国教としていても,さすがネパールは寛容の国だと感心したものだ。

▼己を省みて
寛容は平和の基礎であり,信教の自由は最も基本的な人権の1つだ。異教にも寛容を与え,信教の自由を保障すべきことはいうまでもない。

しかし,それと同時に,信教の自由を唱える欧米,日本などの先進国が,ほぼ例外なく,激しい宗教弾圧により近代国家を形成してきたことも,忘れてはならない。手が汚れている自分のことを棚上げして,途上国に信教の自由を説教してみても,説得力はない。

▼心ではなく形が大切
そもそも,信仰において大切なのは形であり心(精神)ではない。宗教は本質的に政治宗教,外形宗教,偶像宗教であり,純粋な内面宗教は存在し得ない。だから,実際には寛容は難しく,異教が入ってくると,ほぼ例外なく,その地の宗教や文化と政治的摩擦を引き起こす。

そして,それは結局は,権力の正統性をめぐる争いへと発展する。神道,仏教,儒教,そして国家神道により国家権力を正統化してきた日本は,キリスト教を徹底的に弾圧した。

もしキリスト教が純粋内面宗教なら,徳川幕府も近代天皇制国家もキリスト教を弾圧する必要はなかった。キリスト教は,心だけでなく,外的世界をも変えようとしたからこそ,弾圧されたのだ。

▼形だけの転向は不可能
遠藤周作の『沈黙』(DVD版)は,まさにそれを問題にした。

長崎奉行所は,捕らえたキリシタンを繰り返し説得した。形だけでよい,形だけだから,この「踏み絵」を踏めば,許され,村に戻れる,と。もし信仰が内面的なものなら,外的物質にすぎない「踏み絵」を踏むことに本質的な問題はない。形だけだから,踏めばよいのだ。

しかし,キリシタンたちは踏まず,あの凄惨な拷問を受け,次々に殉教していった。

▼形式が本質を破壊
もし形だけでも踏めば,どうなるか? 『沈黙』では,イエズス会宣教師ロドリゴは,信徒が拷問され殺されていくことに耐えきれず,「形だけ」との説得に応じ,「踏み絵」を踏んだ。

だが,「踏み絵」は形だけでは済まなかった。踏んだとたん,ロドリゴの内面=人格は一気に崩壊していく。形式が本質を破壊したのだ。

▼カトマンズのクリスマスは?
クリスマス・イブのカトマンズは,今年はどうだろうか? 「デコレーションは形だけ」などと,呑気に構えていると,バカにした形式に,手ひどい仕返しを受けることになるだろう。 (12/25追記。規模は不明だが,下記写真のように今年もやっているようだ。Nepalnews.com, 12/25より。)

下の写真は,大浦教会(大浦天主堂下)だ。誰もこんな角度から撮りはしないが,これが,長崎の歴史の現実だ。神道と仏教とキリスト教がここにこう配置されたのはなぜか? この配置の意味は何か? 

よそ者の私には,その歴史的経緯は分からない。が,この3宗教の間に相当の軋轢があったことは,容易に想像できるところである。

22:45  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 宗教
2005/12/23
マオイストの反選挙行動宣言
谷川昌幸:
マオイストの両巨頭,プラチャンダ議長とバタライ政治局員が仲良く連名で,反選挙行動宣言(12/22)を発表した。敵の前では仲違いなどしておれない。

 12月22日−1月13日 反選挙キャンペーン
 1月14日−1月25日  大規模集会,反選挙闘争
 1月26日−2月4日   候補者等への「特別行動(!?)」
 2月5日−2月11日   ゼネスト(投票日は8日)

さすが近代政党,日程も行動計画も合理的だ。「専制打倒の最終決戦」だそうだ。

この左右のガチンコ勝負がどの程度のものになるか,予測はつかない。勇ましいギリ副首相と,これまた勇ましいプラチャンダ議長が角つきあわせているが,いつものように,阿吽の呼吸で正面衝突を回避すれば,小競り合いくらいで済む。

が,闘争の経過と共に,右も左も観念化してきて,まるでチキンゲーム,降りるに降りられなくなりつつある。右であれ左であれ,観念論は困ったものだ。

いずれにせよ,ネパールのウルトラ左右勢力が,年末年始の日本人観光客のことなど一顧だにしていないことは明白だ。

こうしたとき最も頼りになる米大使館旅行警告(12/15)をみると,「ネパール旅行は延期せよ」「(カトマンズの外への)陸路移動は危険であり避けるべきだ」と警告し,2ページにわたって,いかに危険かを具体的に詳しく説明している。非常に有益な情報だが,そのかわり,まともな神経なら,恐ろしくて,とても観光など,行く気分にはならない。

行く,行かないは個人の自由だが,この状況下であり,少なくとも,こうした情報はきちんと理解した上で行くべきだろう。

* "Maoists declare programmes to disrupt municipal polls," KOL, 22 Dec. 2005.

17:00  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 選挙
2005/12/21
宇久とネパール:教育をめぐって
谷川昌幸
1.宇久とネパール
長崎県立宇久高校に招かれ,「人間の安全保障としての教育協力:ネパールの場合」というテーマの授業をしてきた。宇久とネパール――全く関係ないようだが,そうでもないのが現代という時代であり,改めて考えさせられることも少なくなかった。

2.宇久島
このホームページの読者は長崎県以外にもたくさんいらっしゃるし,私自身長崎はまだ5年あまりで,地元の地理に詳しくないので,宇久島とはどんな島か,長崎市からどのようにしていくのか,概略をまず説明しておきたい。

→→続きを読む(写真,地図つき)

20:46  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 教育
2005/12/20
マオイストの新戦略,プラグマチズム
谷川昌幸:
英ガーディアン紙にランディプ・ラメッシュ氏が長文記事を寄稿し,マオイストの新戦略,プラグマチズムについて語っている。新戦略とも思えないが,興味深い情報もある。

新戦略とされるのは,開発推進。たとえば,支配地域内での道路55マイル(88km)建設で,1/3はすでに完成。また,養魚場建設,農業共働隊の組織など。これらについては,すでに報道されている。

プラグマチズムに傾いてきた理由は,(1)反国王の諸政党のマオイストへの接近,(2)3万5千の兵力で守られた首都の攻略が,困難なこと,(3)1940年代の中国とは状況が異なり,国際情勢から見てマオイスト革命完遂は難しいこと。

興味深いのは,カトマンズが国軍の半分,3万5千もの兵力で守られていること。要塞都市といってよい。国民負担で特権都市が守られ,地方は見捨てられる。本来ならゲリラ戦のために破壊するはずの道路を,マオイスト自ら建設出来るのもそのためであろう。

1国2制度確立がマオイストのねらいではないか?

* Randeep Ramesh, "Mountain kingdom's bitter war," Guardian, 17 Dec.2005.

10:20  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | マオイスト
2005/12/17
ナガルコットで銃乱射,31人死傷

谷川昌幸:

(1)ケンカで切れ無差別銃撃
王国軍兵士が12月14日夜,ナガルコット・カリカ寺院の満月祭に参集していた民衆に無差別発砲,12人死亡,19人負傷の大惨事となった

詳細は国軍と政府が調査中だが,今のところ,直接的な政治的背景はなさそうだ。BBCニュースによると,現場で死亡していた私服の国軍兵が犯人と見られている。彼は酔っぱらって,踊っていた女性をからかい,地元民とケンカになった。その後,銃をもって戻ってきた彼が,地元民に向け無差別に発砲したという。

おそらく,そうだろう。そして,もしそうなら,大惨事ではあるが,事件そのものは単純である。

(2)非政治的事件の政治的利用
しかし,いまのネパールは,ケンカで逆上した1兵士の私的犯行であっても,それでは済まない政治的情況にある。反政府の7政党は,さっそくこの事件を政治的に利用し,反政府活動を過激化しようとしている。怒りの情念の政治的利用は,火に油であり,制御できなくなる恐れがある。

(3)緊張下で切れる兵士
また,事件の背景を考えると,国軍にはこうした逸脱行為を招く要因がいくつかあり,その意味では,これは憂慮すべき重大事件だ。

一つは,国軍兵士は,ゲリラ戦で極度の緊張状態を長期間にわたって強いられており,精神的に追いつめられていること。以前,キルティプールの丘の下で,パトロールから戻ってきた国軍兵の一団に出会ったことがあるが,みな顔は引きつり,一触即発の緊迫感があり,恐ろしさのあまり,その場で凍りついてしまった。それは,そうだ。ゲリラ戦だから,いつ撃たれるか分からない。怪しいと思えば,すぐ撃たねば,自分が撃たれる。そういう情況に,国軍兵は10年近くもさらされている。精神的に異常を来したり,切れたりするのは当然だ。

(4)厳罰回避の国軍
ここから,第二の問題が生じる。国軍は,たとえ兵士が民間人を殺害したり虐待したりしても,厳罰に処すことは出来ない。「怪しいと思ったら撃て」という命令に従い撃ったら民間人だった場合,もし撃った兵士を厳罰に処すなら,「怪しいと思ったら撃て」という命令そのものが成立せず,現代ゲリラ戦は戦えない。

だから,ネパール王国軍に限らず,現代の軍隊は民間人の殺害や虐待を避けられず,また厳罰に処すことも出来ない。中国侵略した日本軍もそうだったし,世界中で戦争をしてきた米軍もそうだ。「やぁやぁ我こそは!」と堂々と名乗って戦った古き良き時代とは,まるで状況が異なる。現代戦には正義はなく,軍隊そのものが悪なのだ。

(5)軍規律を教えられない米軍事顧問
そこで,もし民間人の殺害や虐待の厳罰が無理とすれば,処罰による兵士の逸脱行為に対する抑止力も当然弱くならざるをえない。いくら米軍事顧問がいても,米軍自身が世界中で国際人道法違反を繰り返している(たとえば世界8カ国にCIAが秘密収容所をが設置していたことがつい先日発覚した)のだから,説得力はまるでない。

(6)軍民憎悪の悪循環
こうして,結局,国軍が兵士の犯罪行為を容認し続けるなら,民衆の反政府感情はますます高まり,国軍はますます凶暴化せざるを得ない。まさしく,悪循環である。

(7)平和ボケ日本人再説
これがわれわれにとって恐ろしいのは,日本人(もちろん私も含め)が平和ボケに陥り,ネパールの兵士がこうした異常な緊張状態にあることを,つい忘れてしまうことだ。

このことについては,以前に幾度か書き,その都度,ネパール好きの人々からは叱られたが,状況は変わっていないというよりは,時間がたった分,悪化していると見た方がよいだろう。

今回の事件は,カトマンズ近郊,観光客が頻繁に訪れるナガルコットだ。事件現場の寺院は観光名所そのものではないらしいが,満月祭見物の観光客がいたとしても不思議ではない。あるいは,事件の性質上,これはたとえばカトマンズの寺院で発生しても何ら不思議ではない事件だ。

また叱られるが,今回も,たまたま外人観光客が巻き込まれなかっただけだと言わざるを得ない。

* "Nepalese strike against killing," BBC News, Dec.16, 2005; "RNA probe report to be out in 3 days, An individual act: RNA," Rising Nepal, Dec.15, 2005; "Killings condemned, protestors clash with police," KOL, Dec15, 2005.

<関連過去記事>「031226b 銃と市街戦−−馴れるべきか否か」ほか

13:58  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 平和
2005/12/15
国王,対マオイスト交渉団任命
谷川昌幸:
権力力学的に見ると,国王=マオイスト連合の方が,7党=マオイスト連合よりも可能性大だ。以前から,この可能性は何度も指摘してきたが,「まさか」の反応が大部分だった。

ネパール政治の特徴は,理念よりも政治力学で動くこと。しかも,国家理性に従う(その意味では理念的な)マキャベリズムではなく,むしろ「派閥faction」利害による政治算術である。

その派閥算術に従えば,国王とマオイストの連携は大いにありうる。

タイムズ・オブ・インドによれば,国王は対マオイスト交渉団を任命した。国王代理のビスタ副首相を団長に,カマル・タパ大臣,ナラヤン・シン・プン大臣も含まれている。7党への揺さぶりとの見方もあるが,必ずしもそうとは言い切れない。

来年1,2月の政治の季節を前に,情況はかなり煮詰まってきたようだ。

("Nepal king appoints team for talk with Maoists," The Times of India, Dec14 2005)
13:48  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 平和
2005/12/14
三大勢力の比較と和平プロセス
谷川昌幸:
ネパール政治学界の権威,デブ・ラジ・ダハール氏が,Berghof平和基金の会議で「和平プロセスへの体系的アプローチ」を発表した。内容は―
 
 1.ネパール紛争の構造
 2.平和構築の主要課題
 3.紛争解決への体系的アプローチ
 4.諸勢力の選択肢と合理的解決
 
バランスの取れた分析であり,各勢力が利害対立にもかかわらず合理的選択をするとすれば,何をなすべきかが述べられており,ネパールの平和を願うものにとって,大いに参考になる。
 
詳細は報告論文を見ていただくことにして,ここでは3大勢力の主張が簡潔にまとめられているので,紹介する。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 争点    国王政府     7政党      マオイスト
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
国家      ヒンズー      世俗       世俗
 
政体     一元的      合意なし     連邦制
 
民主主義  有意味な     完全な      新民主主義
 
憲法     現行のまま   憲法制定会議  憲法制定会議
                   マオイストの
                   暴力放棄と和
                   平参加
 
君主制   立憲的かつ    立憲的かつ    人民共和制
        建設的      受動的
 
       現行通り      文民統制    文民統制
 
正統性    伝統的       選挙       革命
 
選挙      小選挙区制    小選挙区制   比例制
 
経済      市場経済      市場経済    社会主義
 
外国投資   自由化       自由化      独占禁止
 
NGO        規制         自由化      選別
 
土地制度   近代化       改革       農民に分配
 
外交      非同盟       非同盟      非同盟
 
グルカ兵    現行通り      現行通り      廃止
 
ネ印国境  現行通り      現行通り     規制
 
外国軍事
顧問     現行通り      現行通り     廃止
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 争点    国王政府     7政党       マオイスト
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                                (Dahal, p.15)
* Dev Raj Dahal, "Nepal: Supporting Peace Processes Through a Systemic Approach," Berghof Foundation for Peace Support, Sep. 2005
*ダハール氏は,日本ネパール協会編『ネパールを知るための60章』(明石書店)の第8章「グルカ兵のその後」を執筆されている。
18:14  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 平和
2005/12/11
デモの産業化と観光化

谷川昌幸: 

警察は12月10日,「国際人権デー」デモに参加していた人権活動家,政党支持者,学生らに放水(その威力については「ネパールの空の下」12/10参照),100人を逮捕した(同日釈放)。連日の政治行動と衝突,よく続くなぁ,と感心する。

 

ネパールでは,不謹慎な表現かもしれないが,政治闘争は職業である。M・ウェーバーの「職業としての政治」のパロディといってよい。

 

派閥闘争,デモ,衝突,拷問,虐殺,戦闘,裁判などは半ば産業化,観光化し,関連業界を潤し,なおも拡大しつつある。

 

これは,日本も同じだ。私の住んでいる長崎でも,人類史上最大の戦争犯罪である原爆投下や想像を絶する悲惨な被爆の産業化,観光化が指摘されている。たとえば,被爆体験や被爆遺跡は,修学旅行生に語ったり見せたりしてもよいが,その「意味」は説明してはいけない,と指導されているそうだ。

 

「なぜ原爆が投下されたのか?」「平和公園の平和祈念像の前の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で小泉首相が平和を誓うことと,目の前の三菱造船所で最新鋭イージス軍艦が建造されていることとの関係は,何か?」といったことは,一切語ってはならない。被爆体験,被爆遺跡は,「観光資源」として,観光産業のためにもっぱら利用されるべきものとされつつある。(「被爆60周年のナガサキ」参照)ネパールの政治産業と同種の構造だ。


これは,政治,つまりは権力闘争を研究対象とし,それでメシを食っている私自身の問題でもある。ネパール政治評論をしていると,腐敗,汚職,デモ,逮捕,拷問,テロ,強制連行,戦闘など,悪いことばかり書いてケシカランと,おしかりを受けることがある。これは,半ば当たっており,「政治によって生きる」(ウェーバー)ことの無いよう,せいぜい自戒したい。

 

が,その反面,僧侶に死について説教するな,とはいえないし,死を忘れた僧侶は,もはや僧侶ではない。政治闘争の議論は,政治学者にとって免れ得ぬ業と言わざるを得ない。

 

(KOL, "Over 100 protesters detained, released later," Dec10)

11:47  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 民主主義
2005/12/09
地雷の拡散
谷川昌幸:
KOLが地雷記事を掲載している。「地雷禁止ネパール(NCBL)」によれば,地雷犠牲者は次の通り:
 1996年−現在  死者1200,負傷者2500,計3700
 2004年      死者389
 2005年(9/3まで)死者206
この数字を多いと見るか否か? 
 
NCBL=ICBL(国際地雷禁止キャンペーン)によれば,2004年に政府が地域の「村自警団」や「対マオイスト自警団」を公認し,武器を与えはじめてから,情況は一層悪化した。たとえば,ナワルパラシ郡パクリハワ村の自警団は2005年5月,外周各区に170個,計1700個の地雷を敷設した。

地雷は,1999年は4郡だったが,いまでは75郡すべてに拡大している。ネパールは,対人地雷撤廃条約に参加せず,政府もマオイストも対人地雷を使用している。ネパールは対人地雷使用が増加している例外的な国だ。

以前にも何回か指摘したが,地雷,特に対人地雷は最も卑劣で残忍な兵器だ。どちらかが手を出すと,悪循環を免れなくなり,悲惨な結果になる。もしどこかでトレッカーが手足を吹っ飛ばされたら,地雷の性格上,安全確認には時間と費用がかり,観光客は来なくなる。観光業は致命的な打撃を受けだろう。

(Deepesh Das Shrestha, "De-Mining Mines," KOL, Dec7)
14:52  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 平和
2005/12/07
72政党登録,選管
谷川昌幸
選挙管理委員会が12月6日,72政党を公認し,都市部選挙(2月8日)実施体制に入った。
 
72政党も公認したのだから数は十分だし,また,パンチャヤト民主党やらシバ・セナ・ネパール党など面白そうな政党もあり,選択肢も少なくない。
 
2月は政治の季節。選挙か,はたまた革命か?
 
選管は,バブラム先生の統一人民戦線に公認を与えず,結果的にマオイストを生み出した張本人。もしマオイストが政党公認申請したら,今度はどうするのだろう?
 
憲法の政党要件に合致しそうにない政党が多数公認されているし,前回選挙で8票(8議席ではない!)しか獲得していない政党も,公認登録された。世界に冠たる前衛党マオイストの公認が拒否される理由はない。
 
そもそも憲法で曖昧な「政党要件」を定め,権力に都合よく政党の認否を決める,その政党制度が間違っている。そんな制度と同じ政党制度を,わが日本も憲法改正案の中に盛り込みたいそうだ。権力者の考えることは,どこでもよく似ている。ネパールの失敗から学ぶべきではないか?
 
(Bishnu Budhathoki, "72 parties in Poll fray," KOL, Dec7, 2005)
19:53  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 民主主義
2005/12/06
国境閉鎖カード

谷川昌幸

インドは12月3日,2006年1月5日期限切れの通過条約更新交渉で,国境閉鎖のカードをちらつかせた(12/1,12/3記事参照)。内陸国をland-lockする作戦だ。

 

もう一つ,インド側は「要注意商品(goods sensitive in nature)」の国境通過規制を持ち出した。「要注意商品」が何かはよく分からないが,報道によると,9月中旬の肥料密輸事件のようなことを想定しているらしい。

 

たしかに,これはひどい事件だった。インド政府は国庫助成により肥料価格をネパールの約1/3に抑えている。そのインド肥料を,あろう事か,ネパールは政府ぐるみで密輸しようとした。農業大臣,財務大臣,内務大臣が関与しているから,どう見ても政府ぐるみだ。ぼろ儲けした金をどう分配するつもりだったか分からないが,インドとしては,こんなことは許せない。

 

だから,インドの言い分はもっともなのだが,そこは政治,表向きはそういうことであっても,要するに物資の国境通過を規制しようということだ。ネパール側はたちまちネをあげる。

 

インド側が国境を閉ざしたとき,中国側がどれだけ開けてくれるか? 北がオープンボーダーになれば,ネパールは乗り切れるだろうか?

 

(Prem Khanal, "Fertilizer mafia's smuggling plan jolted Three cabinet ministers involved," KOL, Sep14; Ameet Dhakal, "India proposes review of transit points," KOL, Dec6)

23:42  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 外交
2005/12/05
議会政党の街頭政治

谷川昌幸

議会政治は,権力闘争は最終的には議会で解決するとうい大前提に皆が同意してはじめてなりたつ。ところが,ネパールではこの大原則を,議会政党自身が否定してきた。諸政党が自ら煽った街頭政治のツケをいま支払わされている。


12月2日のUML集会の参加者らしき人々がパラス皇太子の車列に投石した。これに怒った皇太子は,翌3日,自ら警察本部に出かけ,カトマンズ郡警察署長ら幹部3人が停職処分にされてしまった。(受動態のため,誰が,どのような手続きで処分したか不明。)直接行動,直接的権力行使の見本だ。


3日には,投石に怒った国王派が多数結集し,UML本部を報復攻撃する動きが見られたので,UML本部には150人の治安部隊が派遣され,警備した。これも直接行動。


そしてまたまた,本部攻撃の動きに怒ったUML派学生組合ANNFSの学生たちが,警官隊に投石した。これも直接行動。


どうして,このような直接行動主義,暴力文化がネパールにはびこってしまったのか?


その主要因の一つが,政党の街頭政治だ。90年憲法でせっかく議会が開かれているのに,政党は,どの政党も,議会で問題解決をしようとせず,不利になれば,街頭での直接行動に訴えた。


議会を信じない議会政党!


この直接行動主義,暴力文化を改めない限り,議会が復活しても,まともな議会政治,政党政治は望めないだろう。

 

(KOL, Dec2-5, 2005)

19:20  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 民主主義
2005/12/03
停戦延長・通過条約・仏陀化身

谷川昌幸

プラチャンダ議長は12月2日,停戦1月延長を一方的に発表した。これは,マオイストがインドからの国境封鎖圧力を計算に入れた上で,7政党との共闘で優位に立ち,憲法制定会議を有利に進めたいと考えたからであろう。停戦,和平は皆の望むところだし,一刻も早く実現して欲しいが,一方,ことはそう簡単ではないことも事実だ。マオイストが体制内化すれば,生活苦の庶民は別の救済者を求めるだろう。

 

また,2日のUML集会に集まった膨大な庶民も,UMLがNC以上に特権階級寡頭制であることはよく知っている。UML=NC=M連立政権が出来ても,庶民や少数民族はおそらく救済されない。パンチャヤット時代もそうだったが,むしろ国王の方が,彼らにはよく配慮するものだ。ちょっと自制し,立憲君主でさえあれば,庶民は政党よりも国王を支持するはずなのに,残念!

 

そこで,結局は,別の救済者,そう,あの仏陀化身のような救済者が求められることになる。(ネオ・マオイスト出現も間違いないが,これは別に論じる。)

 

BBCによれば,仏陀化身のラム少年(15歳)は,かなり本気だ。ルンビニから戻ると,瞑想に入り,2回ヘビに咬まれたが,ヘビよけ幕を張ってもらって,瞑想を続けた。ラム少年は,本物の仏陀化身になる,いや正確には,仏陀化身に祭り上げられることになるかもしれない。

 

ラム少年の家族の暮らし向きは分からないが,母はマヤ・デビ・タマンさんだ。タマン民族は,歴史的に差別されてきたし,いまでもそれは残っていると思う。数年前,カトマンズ近郊のタマンの村に行ったが,不満は鬱積し,人心はひどく荒れていた。仏陀化身になる素地は十分にある。

 

マオイストが体制内化し政党政治が復活しても,政治腐敗の復活は予測できても,庶民生活の早急な改善は絶望的だ。

 

私は,もともと保守主義者なので,共和制よりも,90年憲法体制への復帰を強く望んでいる。ギャネンドラ国王には,まだ,チャンスは残されている。いま,立憲君主へ復帰すれば,ビレンドラ国王がそうだったように,専制君主から人民に愛される名君への大変身は可能だ。

 

専制君主は,武器を手放せず,人民から恨まれ,ますます武器に頼るようになる。立憲君主になれば,腐敗特権の巣窟たる諸政党などよりも,国王の方に人民の支持が集まることは,絶対に間違いない。人民に支持されれば,国王は武器を用いずとも,人民のための政治に影響力を行使できるようになり,そうすると,ますます国王への人望は厚くなる。

 

ギャネンドラ国王が,なぜそうなさらないのか,不思議でならない。国王にも諸政党にも,そしてマオイストにも期待できなくなったとき,庶民は仏陀化身に救済を求めることになるだろう。

 

(Navin Singh Khadka, Scientists to check Nepal Duddha boy," BBC News, Nov30; KOL, "Maoists extend ceasefire for one month," Dec2, 2005)

9:58  |  固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | この記事を引用 | 平和
2005/12/01
国境閉鎖の圧力,インド
谷川昌幸
印ネ通過条約交渉団が11月30日,もし中国の軍事援助をまた受けるなら,条約を見直す,つまり国境を閉鎖するぞ,とネパール政府に圧力をかけた。

インディアン・エキスプレスによると,先週,中国がネパールに引き渡したのは,――
  7.62mmライフル弾  420万発
  高性能手榴弾      8万発
  AKライフル       1.4万丁

国王政府は,non-lethalと説明していたが,この報道が事実とすると,戦車でも援助しないと,non-lethalにはならないのではないか?

ともあれ,通過条約見直しの脅しは,1990年革命のときと同じだ。バブラム博士がマルクスに倣っていうように,たしかに歴史は2度繰り返す。

しかし,1990年とは,情況がかなり違う。インドが国境封鎖しても,大国となった中国が本気なら,国王の恐怖政治による軍事独裁が全く不可能なわけではない。

しかし,もちろん中国は小国ネパールのために,そんな危険なソロバンに合わないことはしないだろう。国王をパワーゲームの駒として利用し,いざとなれば,ぽいと捨てるはずだ。

これに対し,インドは,よほどひどいことをしないかぎり米欧の暗黙の支持が得られるので,このままでは,おそらく15の通過ポイントのいくつかを閉鎖することになるだろう。

愛国主義者マオイストの対応は読みづらいが,まさか国王支持に大転換することもあるまい(何でもありのネパールだから,ありえないことでもないが)。
 
国境閉鎖になれば,90年の時と同じように,国王専制は倒れる――まさしく,茶番として!

(Kathmandu Post, "Arms from China may affect transit treaty," Dec1)