Oct 2005 2005/10/30 |
マオイスト小学校カリキュラム |
谷川昌幸
インターナショナル・ヘラルド・トリビューンが長文のマオイスト・ルポを載せている(ニューヨークタイムズからの転載らしい)。Somini
Senguputa, Nepal's gun-toting 'political entrepreneurs,' International Herald
Tribune, Oct29, 2005
記事の大半は周知の事柄だが,いくつか面白い報告があった。
●人民政府小学校シラバス
・4年生用=唯物弁証法入門,革命詩学習,自作銃入門 ・5年生用=スパルクス団蜂起学習,爆薬・手榴弾・わな爆弾製作入門 4年生に弁証法はどうかと思うが,鉄砲や爆弾の製作ははるかに易しく,実用的,実践的だろう。(このシラバス部分は記者の又聞き情報)
●人民政府税−−教員の場合
月給の5%とボーナス全額 ●革命殉死者顕彰道路建設
各家族1名,食料等一切を負担し,15日間のローテーションで,道路建設奉仕。 ●プラチャンダ議長の前歴
プ議長は,かつて革命根拠地の中西部で,USAID援助事業に参加していた。 |
2005/10/29 | |||
メディア規制,HRWも厳しく抗議 | |||
谷川昌幸
人権監視HRWは10月29日,メディア規制令とカンチプールFM攻撃を厳しく非難する声明を発表した。
それによると,カンチプールFMは,放送機器を差し押さえられ,最高裁の放送禁止処分停止命令にもかかわらず,事実上,放送できない状況という。
HRWは,この報道規制がニュースばかりか,政党の選挙活動規制にも及ぶことを心配している。選挙民主主義(electoral
democracy)の立場をとるアメリカ政府も,メンツ上,これは許さないだろう。
たしかに,政党の政策宣伝の自由を奪った上での選挙は,茶番だ。
●HRW:Attacks on Media
Freedoms Expand
http://hrw.org/english/docs/2005/10/28/nepal11939.htm |
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2005/10/28 | |||
カンチプール処分,最高裁が停止命令 | |||
谷川昌幸
ネパール最高裁は10月27日,国王政府に対し,カンチプール処分の日曜日(30日)までの執行停止を命令した。これは,執行停止であり,まだどうなるか予断を許さない。
最高裁や法律家協会は,どの国でも保守的であり,ネパールも例外ではない。国王の右の急進主義に対し,彼らは既存の法を守ろうとする(その意味で保守的!)。日本の行政権追従の最高裁より,よほど天職に忠実だ。
ネパール最高裁も法律家協会も政治的思惑で動いていることは言うまでもないが,ここでは彼らの本能的法保守主義を応援したい。
国王も最高裁を使って国際世論の動向を見ているのだろう。先の米元上院議員のように,ここでタイミングよく日本政府や日本ネパール協会が処分反対声明を出せば,大きな効果が期待でき,両者の国際的評価も高まると思うが,いかがであろうか。
(KOL, Oct27)
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2005/10/27 | |||
カンチプール攻撃やめよ,と国王へ直言 | |||
谷川昌幸
ネパール情報省は,26日付通達(16時38分配達)で,24時間以内に放送免許取消処分(未執行)に対する異議申し立て書を提出せよ,とカンチプールに要求した。異議申し立てが認められなければ,免許取消となる。
これに対し,カンチプールは,最高裁へ救済を申し立てたが,もうそろそろ時間切れとなる。どうなっているのだろう。
この国王政府の暴挙に対し,アメリカの元民主党上院議員(院内総務)で,3ヶ月前に訪ネし国王とも会っているトム・ダッシェル氏が,国王とネパール政府に電話し,報道の自由の制限をやめるように要求した。
ダッシェル氏が,どのような政治的立場の方かはよく存じ上げないが,氏に限らずアメリカの政治家は,市民的自由や民主主義に関することだと,敏感に反応し,行動を起こす。これはアメリカ民主主義の健全な側面だ。日本は,とてもこう敏感には行動できない。
言論の自由は,人権の中でも最も基本的なものだ。ネパールの人々のこの権利,自由は,立場を越えて守る努力をしていきたいと思う。
(Kathmandu Post, Oct26; KOL,
Oct27)
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2005/10/26 | |||
CIAと日本外務省−王族殺害事件をめぐって | |||
谷川昌幸
CIAのネパール情報(World
Factbook)をみると,冒頭で,2001年6月1日の王族殺害事件について,次のように説明している。
In 2001, the crown prince massacred
ten members of the royal family, including the king and queen, and then
took his own life.
あとの方のページの目立たないところに,
King BIRENDRA Bir Bikram Shah Dev died in a bloody shooting at
the royal palace on 1 June 2001 that also claimed the lives of most of the royal
family; King BIRENDRA's son, Crown Price DIPENDRA, is
believed to have been responsible for the shootings before fatally
wounding himself; immediately following the shootings and while still clinging
to life, DIPENDRA was crowned king; he died three days later and was succeeded
by his uncle.
と述べ,用心深く「〜と信じられている」と限定しているが,これは万が一の時の責任逃れにすぎない。
CIAは,皇太子=王族虐殺犯を歴史的事実(fact)として早急に確定しようとしている。これは,CIAの陰謀だろう。その裏に何があるか?怪しい。
CIA説は大いに怪しいが,アメリカの良心的なジャーナリズム,NGO,知識人も,この説を丸飲みにし,議論する場合が少なくない。CIA作戦は大成功である。
この流れを批判し,事実究明に目を向けさせるのは,歴史家の仕事だが,陰謀めいた王宮内事件であり,当面は本格的調査は難しい。われわれとしては,「CIA説の根拠は不十分」と警鐘を鳴らし続けるべきだろう。
その点,日本外務省は,えらい。外務省HPは,こう説明している。
「2001年6月1日に起きた王宮内での銃乱射事件により、ビレンドラ国王王妃両陛下をはじめとする王族が殺害され,故ビレンドラ国王陛下の弟君であるギャネンドラ殿下が第12代国王として即位した。」
外務省は,公式には,「犯人不明説」をとっている。これは,ネパール政府ともCIAとも明確に異なる,誠実な態度だ。
外務省は,立派だ。これはやはり,アメリカとは異なり,CIAのような怪しい機関を本格的にネパールに展開しておらず,ネパール国内の歴史的事件に対し,相対的に自由な立場をとれるからであろうし,また日本国内にはうるさいネパールマニアがたくさんいて,怪しい説に政治的に加担すると袋だたきに合うからであろう。
では,もう一つのネパール関係機関「日本ネパール協会」はどうか? 最近,新しいホームページをつくっているらしいが,ネパール史紹介ページで,王族殺害事件をどう説明するか?
1 CIA説に組みする
2 日本外務省説に組みする 3 言及しない これは「踏み絵」だ。よく見ていよう。
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2005/10/25 | |||
電波鎖国の愚行 | |||
谷川昌幸
メディア規制法が現代の「万里の長城」以下の愚行であることは,ネットをいじる子供にも分かる。電波を国境で阻止しようとしているのだから,馬鹿げている。
しかし,外からの批判と内部からの抵抗では,重さが違う。「ネパールの空の下」(けぇがるね日記10/24)が紹介している「ラジオ・サガルマータ」などの報道活動に,外部からではあるが(少々軽いが),声援を送りたい。
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2005/10/23 | |||
カンチプール攻撃,本格化か? | |||
谷川昌幸 10月21日夜,約30名の武装警官がカンチプールFM局を攻撃,局員を制圧し,放送機器を差し押さえた。FM局は,東部向けニュースの放送中であった。
情報省は,この攻撃が10月9日発令のメディア規制令によるものだと説明した。この規制令によれば,メディアは一切の国王,王族批判を禁止され,ニュースも放送できない。また,1社が出版,ラジオ,TVの3媒体をもつことも禁止された。違反への罰金は,10倍に引き上げられた。
メディアは社会の神経。痛いからといって引き抜いてしまっては,社会は病死する。 (AP, Oct22; Newkerala, Oct22; KOL, Oct22; Nepalnews.com, Oct22)
●これが御用新聞Rising Nepal記事。こんなばかげた議論で誰を説得しようとしているのだろうか? 独裁者は,外から見ると,まるで喜劇だ。
Ordinance to make media dignified,
responsible (Rising Nepal, Oct22) |
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2005/10/22 | |||
メディア規制と官製HP情報 | |||
谷川昌幸
メディア監視RSFによれば,ネパールの情報自由度は,世界167カ国中の160位だという。
「政府は国軍を新聞各社に派遣した。9月1〜10日に,約150人のジャーナリストが逮捕された。」
この情報規制と対照的なのが,政府系メディアの急拡大。政府HPは,一見しただけで,相当の金と労力を費やし,戦略的に作成されていることがよく分かる。
便利といえば,便利。ネット化以前だと,法令や統計資料は,東京の日本ネパール協会(ごく限定された資料だが)に出向くか,あるいは,思い切ってネパール本国まで行かねばならなかった。
いまや国王政府の電子化戦略のおかげで,日ネ協会はパスし,王国航空便はキャンセルし,机上のパソコンで直接,ネパール資料が瞬時に,しかも無料で手にはいる。革命的変化だ。
しかし,反面,これは恐ろしい状況だ。非政府メディアには国軍の銃口を突きつけ,検閲済みニュースしか流させないようにしようとする。他方,御用メディアには大金を投入し,官製情報を大量にばらまく。
これは世界相手の情報操作だ。RSF評価最下位(167位)の北朝鮮の,ほほえましいほどのローテク情報規制に比べ,ネパールの情報操作ははるかに高度で,この戦略が継続すれば,ネパールは銃口下の情報統制監視社会になり,外部からはその実態が見えなくる。
救いがあるとすれば,国王政府がやっきになって情報規制しようとしても,反対デモが続発し,カンチプールなどがそれを報道し続けていることだ(写真参照)。ネパール流の「いいかげんさ」,法令,制度は立派でも実践が伴わないネパール流統治が,いまのところ監視社会化を防止している。
しかし,国王政府はどうやら本気らしく,体系だった情報戦略をとっている。いつまでもいい「加減」が続く保障はない。
(Kathmandu Post, Oct20; KOL, Oct20) |
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2005/10/19 | |||
獄中のゴビンダ氏と「支える会」 | |||
谷川昌幸
ゴビンダ・マイナリ氏が,いわゆる「東電OL殺人事件」の犯人として逮捕されたのは,1997年3月。一審無罪判決が2000年,検察控訴が同年12月,そして最高裁で無期懲役刑が確定したのが2003年。逮捕からすでに8年がたった。
無理な逮捕,取り調べ,一審無罪判決後の違憲検察控訴,そして最高裁上告棄却。全体としてみて,これはやはり正義に反する裁判であり,再審無罪とすべきだ。
ゴビンダ氏は,異国で逮捕され,十分理解できないまま取り調べられ,裁かれ,無期懲役刑となって獄中にある。精神的に非常に厳しい状況にあると想像されるが,これを支えているのが「無実のゴビンダさんを支える会」。裁判の不当性を訴える一方,ゴビンダ氏が孤立し絶望してしまわないようはげまし支えている。
この支える会の持続的支援は,ゴビンダ氏だけでなく,ネパールと日本の真の友好にとって,貴重なものであり,称賛に値する。
最近ホームページが更新された。幅広い支援活動を紹介した大変充実した内容である。英語版もあるので,ネパールや他の諸外国でも広く読まれているのではないだろうか。
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2005/10/14 | |||
国王の選挙予告,鬼も笑う選挙信仰 | |||
谷川昌幸 国王が2007年4月中旬までに下院選挙を実施するよう選挙管理委員会に命令した。問題は2つ。
一つは,無答責(無責任)国王が,結果責任を負うべき政治決定をしているという自己矛盾。責任をとらない(とれない)者は,政治決定をすべきではない。これまでは,選挙不実施のつど首相の首を切ってきたが,今度はどうするのだろう。ギリさんの首では済むまい。自分の首をはねるつもりだろうか?
もう一つの問題は,1年半も先の約束など,鬼も笑う。ビクラム暦では来年内(2063年)となるらしいが,この姑息にはヒンズーの神々も泣き笑いだろう。
選挙すれば正統性が得られるというのは,アメリカ流の悪しき選挙本位主義(Electoralism)。選挙で解決できない問題は,ごまんとある。特に,ネパールには! (KOL, Oct12) |
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2005/10/12 | |||
ガンジーと高畠通敏の平和論 | |||
谷川昌幸 市民派政治学者・高畠通敏の平和論が出版された。立教大学での講義を起こしたもので,読みやすく,示唆に富む好著だ。
高畠は行動的な政治学者であった。インドのガンジー塾に1カ月参加し,裸足で歩き,断食し,アウトカーストの家に泊まって蚊責めに遭い(蚊も不殺生),こうして非暴力抵抗の運動を身をもって体得した。
ベトナム戦争が始まると,反戦平和運動を立ち上げ,これを「ベ平連(ベトナムに平和を市民連合)」と名付けた。イデオロギーや組織主導ではない,市民の反戦平和運動である。
高畠は「運動の政治学」において,運動とは「身体を運び動かすことによって相手の心を動かすこと」と定義した。これは厳しいパシフィズムである。権力者,指導者らは,「自分の身体は少しも動かさず,高いところに座って口先だけで人の身体を左右する」。これに身体をもって抵抗するのが,平和運動だという。事実,ガンジーは,自分の身体をもって,イギリスの心を動かした−−
「私(総督)はガンジーを何回も投獄した。しかしガンジーは私の心を征服した。ガンジーが(獄中で)つくったサンダルは私の一家,子々孫々に伝える記念品である。」
高畠の参加したガンジー塾では,学生たちに全員が一斉に戦車の前に飛び出し寝ころぶ訓練をしていたという。バラバラだとひき殺されるが,集団で一斉に寝ころべば,それは出来ない。非暴力抵抗は,観念論のように聞こえるが,殺すよりも殺される方がましだという信念を抵抗運動にまとめることが出来さえすれば,それはガンジーやML・キングが実証したように,巨大な暴力にも打ち勝ちうる大いなる現実主義となる。
しかし,いまの日本では,こうしたパシフィズムは嘲笑の種にしかすぎない。テレビ討論番組は,平和のためには暴力が必要との似非リアリストに占領され,開戦前夜のように威勢がよい。国会は共産党,社民党など,ごく一部を除けば,与野党とも軍隊容認派,軍事的平和貢献論者ばかりになった。9条改悪,本格的海外派兵,参戦は,目前だ。
安全のための軍隊! 平和のための戦争! これは正気か狂気か? 派兵,戦勝でちょうちん行列が始まる前に,今一度,頭を冷やして,よく考えてみるべきだろう。
●高畠通敏『平和研究講義』岩波書店,2005年,¥2,100 |
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2005/10/08 | |||
陰気な国軍,陽気な人民軍 | |||
谷川昌幸 ネパール王国軍のホームページを見た。金満王国軍らしく,立派なホームページで,楽しめる。
掲載写真は,国王賛美,国軍の勇姿,マオイストの残虐など,刺激の強いものが多い。悪趣味に近い。
圧巻は,軍歌。全部聴いたわけではないが,概して陰気だ。短調か。この点,軍国日本の短調軍歌とそっくりだ。国王や天皇の軍隊には短調が似合うようだ。
贅沢三昧の王族や皇族のために,貧困人民を戦場に送り,命を捨てさせるには,相当の工夫がいる。想像の共同体「国家」をでっち上げ,国王や天皇にそれを象徴させ,彼ら=国家のための死と錯覚させ,これをロマンで飾り,悲壮感で鼓舞し,「意味ある」死を受容させなければならない。
このロマンチック・ナショナリズムに一旦魅入られてしまうと,素面であればバカバカしくてお話にもならないような逆説,つまり陰気な軍歌で戦意高揚を図るという逆説が,とんでもない威力を発揮することになる。
陰気軍歌もそうだが,もっとスゴイのがビデオ。最初のBistarai Chayo(Karna Das)とともに流れる映像は,銃弾を受けた兵士の目を背けたくなるような生々しい銃創場面から始まる。けんめいの治療と死,嘆き悲しむ妻と子。キャプションがなければ,まるで反戦映画だ。他の7本のビデオも陰気で,通常の感覚では戦意高揚にはなりそうもない。が,先述のように,これが大いなる逆説。悲壮であればあるほど,王国のための死はロマンチックになり,死への動員力は大きくなるようだ。
ところが,これと対照的なのが,マオイスト人民解放軍。フランス革命歌もそうだが,こちらはやたら元気。明らかに長調。人民が,人民のために戦うのだから,そのかぎりにおいて,目的に疑念の余地はない。陽気に,明るく歌い上げるのはもっともだ。人民のために戦い,命を捧げよう。人民万歳!というわけだ。
恥ずかしながら,私は死を恐れ通俗的な幸せを願う一市民にすぎない。陰気にせよ,陽気にせよ,死を恐れるなと鼓舞するロマン主義は私には向かない。あと何年かすれば,平凡で退屈な死が訪れるだろう。称えられることも,神社に祭られることもない,何の意味もない死だろうが,それを甘受するしか仕方あるまい。 |
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2005/10/06 | |||
国王,国務省,ヘリテージ財団 | |||
谷川昌幸 ドナルド・キャンプ米国務副長官補が9月20日,ヘリテージ財団のネパール情勢検討会で対ネパール政策を説明した−−
マオイストは停戦を発表し,国連仲介を要請したが,「暴力を放棄しない限り,正統な政治勢力」としては認められない。もしマオイストが権力をとれば,ネパールは全体主義国になる。
これを阻止するため,米国は国王に対し,7政党と和解し国政選挙を実施するよう強く働きかけている。また,軍事援助もこの4年間で2千2百万ドル,開発援助は4千3百万ドルも与えてきた。
−−このように,米国はいまのところ国王支持の姿勢を崩さない。不人気国王の強権政治は米国が支えている。むろん,国王専制には,米国は不快感を隠さない。皇太子を大歓迎した無節操大国・日本とは対照的に,米国は国王の国連出席をやめさせたし,代理のパンデ外相にも会おうとはしなかった。それでもなお,民主主義の本家が反民主主義のシンボルたる国王を支え続けるのは,なぜか?
●中国の脅威
●全体主義よりましな国王専制
●ヘリテージ財団
米国の対ネパール政策は,こんな反共シンクタンクと連携してつくられていることも忘れてはならない。共産主義全体主義は警戒すべきだが,それと同じく反共モラリズムも警戒すべきだろう。 |
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2005/10/02 | |||
「ネパールの空の下」の味とこく | |||
谷川昌幸
ネパール情報で,いま面白いのは「ネパールの空の下」。英語も含めて,これほど味の濃いネパール情報はないのではないか?
ネパール文化は,淡泊な日本文化の正反対,スパイスぴりぴり,オイルぎとぎとの超濃厚味文化だ。ネパール語情報にはそれが満載なのだろうが,悲しいかな,私はナマステ以外はちんぷんかんぷん,まるで分からない。幸い「空の下」が,この濃厚味文化を多少日本人向きに調理したうえで,提供してくれている。ありがたい。
ネパール情報そのものは,インターネット上に無数にある。ありすぎるくらいだ。しかし,英語情報は「こく」が濾過され,サッカリン(人口調味料)風になっている。便利だが,旨味がない。「空の下」はそうした無機質情報に味付けするのに最適だ。
それにしても,インターネットは便利だ。gooなどで,「ネパール」「nepal」などの検索語を入れておくと,自動的に関連情報を収集し,要約を表示してくれる。ネパールに関する「公論の場」「公共空間」がそこには成立し始めている。権威や権力は無関係。そして,そこでは,単なる「見てきました」情報や宣伝の類は見捨てられ,結局は本物だけが残ることになる。
もちろんネットはバーチャル空間だから,そこで展開される公論の「本物らしさ」を担保するのは,現地の「生の生活」である。しかし,「生」を生のまま(不可能だが可能と錯覚して)記述しても,「本物らしく」はならない。「生」を「本生らしく」見せるには,技術がいる。これは,結構大変なことであり,結局は,表現技術を持ち現地をよく知る人々の好意に依存せざるを得ない。
「ネパールの空の下」は,そうした多くのネパール愛好者の期待によく応えてくれている。「空の下」で味付けしつつ,新聞報道や大使館情報を読むと,ネパールの出来事をより「本物らしく」再構成し,追体験できる。「空の下」が,今後も定期的に更新され,継続されていくことを,一読者として願っている。 |
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2005/10/01 |
Praja-, Lok- & Gana-tantra |
谷川昌幸 Kanak Mani Dixit氏が「ネパールの戦乱」(『ヒマール』9-10/2005)において,国王専制を厳しく批判している。
2・1クーデターにより,国王は国際的「嫌われ者」になり,国連にも出席できなかった。なぜか? それは,世界の指導者たちが国王と会いたくない,ましてや一緒に写真を撮られたくない,と思ったからだという。(嬉々として,写真に撮られたのが日本の名士諸氏。「天皇との会見」等参照)
国内的にも,国王は孤立を深め,マオイストの停戦発表に応ずる余力さえない有様だ。著者によると,新聞雑誌でも,このところ国王への敬意が激減し,巡幸先への住民動員もままならないという。
結局,現在は,次の3原理の鼎立状態という。
(1)Prajatantra (2)Loktantra (3)Ganatantra
このように,Dixit氏は王制の行き詰まりを強調するが,この認識はどこまで正確であろうか? 巨大な既得権益のバックアップがある限り,王制はあとしばらく命脈を保つような気もする。
(Kanak Mani Dixit, "Nepali Vortex," Himal, Sep-Oct 2005) |