Sep 2005

2005/09/30
少女虐殺将校の投獄のがれ

                                  by 谷川昌幸

 「人権監視HRW」のアダムズ氏によれば,15歳の少女を連行,拷問,虐殺した国軍将校3人が,禁固3ヶ月の有罪判決を受けながら,実際には1日も投獄されなかった。 

国軍は,事実上,無処罰特権を持っている。 

国軍は民間人を恣意的に連行し,所在を知らせない。この2年間の軍連行の行方不明者数は,なんと世界最大という。この悲惨な事実に,世界はもっと目を向けるべきだろう。

マオイストもたしかに住民連行,虐殺をしているが,だからといって,国軍がそれのまねをしたら,自らをマオイストと同等のレベルに落とすことになる。法を守るから,国軍であり,少なくとも実定法上の正統性は確保できているのだ。その圧倒的に優位な地位を自ら放棄するのは賢明とは思えない。 

(Human Rights Watch, "Nepal: Army Officers Avoid Jail Time for Torture, Murder," Sep 29, 2005) 


2005/09/29
断崖に立つネパール
               by 谷川昌幸
 
権威ある外交雑誌Foreign Affairs (Sep/Oct 2005)が,マオイスト関係論文を掲載している。Brad Adams, "Nepal at the Precipice," 「断崖に立つネパール」。今にも転落しそうな恐ろしい題の論文だ。著者は「人権監視HRW」のアジア局長。
 
(1)皇太子犯人説の思い込み
マオイスト問題の背景説明は簡明だが,ひとつ気になるのは,欧米の著者にありがちだが,アダムズ氏も王族殺害をディペンドラ皇太子の犯行と決めつけていること。「ディペンドラ皇太子が,3丁の自動小銃を使い,父(国王),母,妹,弟を含むほぼ全家族を殺害し,そして自殺した。」
 
こんな無茶な「事実認定」でネパール現代史を語ってもらいたくない。皇太子犯人説にはあまりにも不合理な点が多く,まともな歴史家ならこんな無警戒,安直な断定はしない。犯人は今のところ分からない。もちろん皇太子の可能性もあるが,「分からない」というのが一番正確だ。「人権監視」のアジア局長ともあろう方が,こんな安易な断定=人権侵害をするのは,問題ではないか?
 
(2)マオイストとクメールルージュの区別
これに対し,マオイスト評価は,バランスがとれている。クメールルージュとの同等視を否定し,著者はこう述べている。
 
「マオイストは,特に開戦初期には,頭を切り落とし,民間人を人間の盾として使ってきたが,彼らの支配地域はポルポトのそれとは違う。彼らは,都市を廃墟にすることも知識人層を虐殺することもなく,ネパール判「ゼロ年」(プノンペン陥落1975年4月17日)に戻ろうとしたりはしない。・・・・
 
むろん,これはマオイストの権力掌握が人権の危機にならない,といっているのではない。ここで言いたいのは,クメールルージュとは違い,ネパール・マオイストは検討に値する一連の要求を提示し,交渉に応じる姿勢を示していることだ。彼らは,長期の和平交渉に応じてきたし,2003年夏には,カトマンズに事務所を開設さえしていた。」
 
(3)インドの国連仲介拒否
では,早期和平が可能かというと,アダムズ氏は,それは難しいという。インドは,国際社会がネパール問題に介入し,これがカシミール等に拡大するのを警戒し,国連仲介を拒否した。インドが,この姿勢を崩さないかぎり,国連仲介は難ししい。また,国軍もマオイスト軍も,相手を軍事的に完全に制圧することは難しい。
 
(4)最善の選択としての人権監視
もしそうだとすると,「残された最善の選択肢は,人権保護を進め,政治状況の改善を図ることだ」。国王政府もマオイストも人権監視活動には反対できず,その活動を認めている。アダムズ氏によれば,和平交渉開始の目途が立たない現状では,国連による人権監視活動こそが信頼醸成,紛争解決への手掛かりとなり得るものだという。
 
このアダムズ氏の提案は,いささか手前みその感がしないでもないが,現状を見ると,やはりこれしか方法はあるまい。政府・国軍とマオイスト・人民解放軍に最低限の国際人道法上の人権を守らせること。これは,有益な提案だ。
 
(5)軍事顧問派遣への疑問
しかし,その一方,アダムズ氏は,国際人道法を守らせるため,印英米の軍事顧問を送って王国軍を訓練せよ,と提案する。確かに「現実主義」的ではあるが,説得力はあまりない。
 
アフガン,イラクで米軍は軍事目標と非軍事目標との区別,戦闘員と非戦闘員の明確な区別をしたであろうか? 非戦闘地域の民間人を大量虐殺したのではないか? 捕虜虐待や他の人道法違反を,グアンテナモ基地やアブグレイブ刑務所で大々的にやったのではないか? そのことへの反省なくして,印英米の軍事顧問を送り込んでみても,戦争(殺人)技術を教えるだけのことになってしまう。
 
アダムズ氏の論文は現実主義的だが,その分,危ういところも少なくないようだ。
 
(Brad Adams, "Nepal at the Precipice," Foreign Affairs, Sep/Oct 2005, vol.84 Issue 5)

2005/09/28
バブラム博士,茶番のようです
                by 谷川昌幸

マオイストのイデオローグ,バブラム・バタライ博士は,半年前の3月15日,マルクスを引用し,こう述べた−− 

「ヘーゲルはどこかで,すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現れる,と言っている。ただ彼は,一度は悲劇として,二度目は茶番として,とつけくわえるのを忘れた。」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』) 

 このヘーゲル弁証法は,ネパールにも妥当する。マヘンドラ国王(父)は1960年12月16日,1950年に始まる初の議会制民主主義を軍事クーデターで倒し,全権を掌握した。そして今,2005年2月1日,その息子ギャネンドラ国王が,1990年樹立の第2期議会制民主主義を軍事クーデターで倒し,全権を掌握した。 

しかし,よく見ると,2.1クーデターは2001年6月1日の王族殺害事件の継続ないし結末にすぎないことがわかる。このとき,比較的柔軟だったビレンドラ国王とその全家族が惨殺され,ギャネンドラが新王朝を始めたのだ。 

ネパール史の2月1日は,フランス史の「ブリュメール18日」のコピーのように見える。悲劇となるか,茶番となるかは,まだ分からない。 

−−マオイストの知恵袋らしく,よくできたレトリックだ。ただ,半年前なので,バブラム博士は,悲劇になるか茶番になるかはまだ分からないと述べているが,これはどうやら茶番になりそうな気配だ。 

現在は,1960〜90年とはまるで時代状況が異なる。たとえば1980年代末のカトマンズは,まだまだ牧歌的であり,この時代なら国王専制はギリギリ可能だったかもしれない。しかし,1990年以降の15年間でネパールは激変した。もうそれ以前の専制君主制=ネパール型民主主義には戻れない。 

ギリ副首相の憲法否定発言や国王政府の愚かな言論弾圧を見ていると,「王様は裸だ」と思わざるを得ない。老人寡頭制のネパールには,
    「王様,裸ですよ!」
と忠告する忠臣はいないのだろうか? 

(Baburam Bhattarai, "The Royal Regression and the Question of Democratic Republic," Mar.15, 2005)


2005/09/25
国王政府,映画上映禁止
            by 谷川昌幸

国王政府がBalidan(献身)という映画を上映禁止にした。国王専制にとって都合が悪いと言うことらrしい。
 
Balidanは,8年も前のツルシ・ギミレ監督作品。テーマは1990年革命。国王は,40数年も時代を逆戻りさせようとしており,そうだとすれば,たしかに8年前は不都合だ。
 
他にも,ガネッシュマン・シンを描いた作品も上映禁止となるそうだ。
 
私は,王制は嫌いではないが,こんなことをやる国王や皇太子は,いくら日本ネパール協会が応援しても,いやアメリカが応援しても,もうダメだろう。
 
(KOL, Sep25)

2005/09/24
マオイスト解放区の生活
            by 谷川昌幸

Li Onestoさんが,マオイスト解放区の生活について語っている(Revolution, #15)。

解放区では,マオイスト(CPN-UML)が人々の生活を革命的に変えた。腐敗役人や悪徳地主の土地を農民に配分し,集団農業を始めた。土地は女性にも分配され,女性は初めて自分の土地を所有するようになった。抑圧されてきたマイノリティは,自分の言語と文化への権利を認められ,革命政府への平等な参加権を得た。低カースト差別の法や習慣は一掃された。強制結婚,一夫多妻制は廃止され,妻虐待は人民法廷で裁かれる。女性には,離婚権,土地所有権,人民軍参加権が認められた。このように,解放区には,全く新しい文化,新しい考え方が生まれ,育っている。

まるで,夢のようではないか。アメリカがギャネンドラ国王に資金援助,兵器援助(M16,暗視装置,通信機器など),軍事訓練援助をやめ,インド軍,国連軍(国連決議に基づく軍隊),米軍の介入がなければ,すでに国土の80%を支配するマオイスト人民政府は,間違いなく国王,反動諸勢力を打倒し,革命を達成できるという。

リ・オネストさんは,自ら解放区を訪れ,その目で見てこられたのだから,この報告はウソではではないはずだ。天上の国ネパールは,まさしくマオイスト天国に向かっている。素晴らしい。

ちょっと心配なのは,この人民共和国が成立しても,インターネットが使えかということ。リさん自身がが自在に活用されているのだから,まさか人民には見せないというようなことはないでしょうね。ギャネンドラ国王は,立憲君主→委任独裁君主→専制君主と転落し,そしていま全体主義君主になるため情報統制に躍起となっているが,そんな愚かなことを,マオイストしないでしょうね?

(Li Onesto, U.S Intervention in Nepal: Lies, Hypocrisy, and Reality, Revolution, #015, Sep. 25, 2005)

2005/09/23b
カンチプールの抵抗精神
           −−谷川昌幸

このところカンチプールは政府の言論弾圧の標的になっているが,それに対するカンチプールの抵抗は素晴らしい。見上げた抵抗精神,ジャーナリスト魂だ。
 
カンチプールのインターネット版を開くと,国王のラリトプール訪問(9/22)写真が表示される。にこやかな笑顔で花束を受け取っている。



ところが,「次へ」をクリックすると,反政府デモ(9/18)で警官に殴られ顔面血だらけのNC活動家バハドール・シャヒ氏の写真が現れる。緊迫した状況を捉えた見事な写真だ。



笑顔の国王vs血まみれの活動家。あっぱれなジャーナリスト魂,批判精神だ。頑張れ,カンチプール!


2005/09/23a
欽定憲法制定か? ギリ副首相発言の波紋
         −−谷川昌幸

ギリ副首相のビラトナガル発言(9/19)が猛反発を呼んでいる。先述のように,ギリ副首相はビラトナガルで現行憲法否認を明言し,欽定憲法制定を示唆したが,これが国王の意を体していることはまずまちがいない。

デプタプラカシ・シャハ氏(元上院議員,退役国軍准将)=「これはギリ個人の発言ではなく,国王を代弁し語ったのだ」。

ラキシマンプラサド・アリヤル氏(元最高裁判事)=「国王は民主主義回復も憲法遵守も考えていない。ギリ博士は国王の考えを述べたのだ」。

シャンブ・タパ氏(ネパール法律家協会会長)=もしギリ副首相が憲法を否定するつもりなら,ネパールは憲法制定会議選挙を選択すべきだ。また,同協会(NBA)はギリ副首相がNBAの政党偏向を非難したのに対し,これを法廷侮辱罪として最高裁に提訴した。

マダブクマール・ネパール氏(UML書記長)=「ギリは国王の操り人形だ。国王の意のままに踊らされている」。同氏によれば,7党はマオイストと頻繁に和平交渉を続けている。

この他,RJPのスルヤバハドル・タパ党首,ラナバート下院議長(下院不在だが議長は存在)らも,ギリ発言を厳しく批判している。

先日指摘したように,ギリ副首相(=国王)の憲法否認は,拙速な,絶対に選択してはならない戦略だ。国王も現政府も,その正統性は憲法が保障している。その憲法を自ら否定してしまったら,国王も副首相もタダの人,国軍はタダの武装集団=暴力団となってしまう。そんな武装集団の親玉をどうして国連や米印や日本が支援できようか? たとえウソでもよいから,小泉首相が「平和憲法遵守」と平然と公言しているのに倣い,現行憲法遵守と言い張るべきだ。そんなことも出来ないようでは,ネパールの王制はもうおしまい。

一方,7政党もマオイストも,国民のことは,ほとんど考えていない。7政党は,ネパールUML書記長発言に見られるように,マオイストを国王との取引材料にし,他方,マオイストはことあるごとに国王を7政党との取引材料に使っている。7政党vs国王vsマオイストの3勢力鼎立だから分からぬではないが,国民に塗炭の苦しみを与えつつ,いつまでこんなことを続けていくのだろうか?

あえて近代化論で言えば,ネパールに本当にナショナリズムはあるのだろうか?

(KOL, Sep21-22)


2005/09/20
ギリ副首相,憲法否認し言論弾圧公言
          −−谷川昌幸
 
トゥルシ・ギリ副首相が,ビラトナガルで9月19日,公然と憲法を否認した。「現行憲法を制定した諸政党がすでに『立憲君主制』を否定し,共和制と人民主権を認めたのだから,政府も憲法を守る必要はない」。これはまた何と短絡的な,自分で自分の足場を掘り崩すような,お粗末な発言だろうか。
 
ギリ副首相を怒らせたのは,どうやらカンチプル新聞社らしい。憲法のせいで,カンチプルの発行許可を取り消せなかった,処罰はせいぜい編集長の2年投獄くらいだ,とひどくご立腹のようだ。
 
この文章の典拠は当のカンチプルのものなのでいくらか割り引くとしても,ネパール王政がますます節度を失い,迷走の度を深めてきたことは否めない。
 
(KOL, Sep19)

2005/09/18
ネパール型民主主義!−−外相国連演説
            −−谷川昌幸

パンデ外相が,国連60周年/ネパール加盟50周年記念演説を9月16日,国連で行った。主旨は,2.1後体制を「ネパール型民主主義」として正当化し,対テロ戦争への支持を求めるものだった。外相はこう訴えた−−
 
ネパールは,世界最悪のテロ被害国家だ。テロリストは,「時代遅れの,世界中で拒絶され失敗してしまった全体主義イデオロギーにより暴力を拡大している。」
 
国王政府は,愛国の立場に立ち,平和と安全,人権と民主主義を回復しようと努力しているが,それらの実現には,テロ根絶がどうしても必要だ。ネパールは,テロと戦いつつ,2006年4月までに都市部選挙を実施し,これをテコに国政選挙への目途をつける予定だ。
 
「われわれは民主主義の普遍的価値・理念を高く評価する。しかし,『1サイズにすべてを合わせる』ような民主主義モデルは,歴史,社会,文化,経済の背景を異とする国々には適合しない。すべての独立した主権国家=国民には,自国の状況や必要に適した統治形態を選ぶ自由がある。」
 
−−堂々たる演説だ。興味深いのは,アメリカ型選挙本位主義(選挙=民主主義)を全面的に認めながら,ネパール型民主主義を強弁している点だ。これは実に面白い。
 
そして,ネパール型といえば,本家,元祖があることも忘れてはならない。1960−90年のパンチャヤト時代において,非政党制パンチャヤト体制こそが「ネパール型民主主義」,真の民主主義であると賞賛されていたのだ。
 
このパンデ外相演説に際し,在米ネパール人200人以上が国連本部に抗議に押しかけた。デモを組織したムラリラジ・シャルマ元国連大使は,「国王は民主主義を唱えつつ独裁を実行する。国王は平和を約束したが,もたらしたのはより以上の暴力だ」と批判し,また,国王はネパールを国内的には「警察国家」,国際的には「下等民(pariah)国家」とした,と非難した。
 
シャルマ氏が批判するように,パンデ外相が「ネパールは人権の保護,推進に全力をあげている」といくら力説しても,ネパールの実情を知る人々には,それは虚ろな美辞麗句にしかすぎない。それは,ちょうどわが国が,9条をもちながらイラクに派兵し,平和貢献を誇るようなものである。
 
(Address by the Honourable Mr. Ramesh Nath Pandey at the High-level Plenary Meeting of the General Assembly, UN, 16 Sep. 2005; KOL, Sep.17)

2005/09/14
国王,ネット規制強化

          −−谷川昌幸 

国王政府が,またウェッブサイトを閉鎖した。http://WWW.gorkhanews.com. 日本からは読めるので,国内だけか,あるいは一時的ブロックかもしれない。

いずれにせよ,国王政府はアナクロ批判にもめげず,ネット検閲を強化し,他にもブロックされたサイトは少なくない。 

愚かなことだ。世界が束になってもポルノ規制,「テロリストサイト」規制すら出来ないのに,どうして一国政府に軍事独裁批判が規制できようか。

日本ネパール協会も,これをもって他山の石とすべきではないか。 

(noticias.info, Sep.14)


2005/09/13
ネ協会理事会,「編集の自由」否定

             −−−谷川昌幸

「日本ネパール協会HP」運営担当のJN-NET委員の皆様には,ご多忙のところ,HP閉鎖といった後ろ向きの作業に大変な労力を使っていただき,委員の一人として,心より感謝申し上げます。当面は緊急措置に限定し,あとは少しずつやっていただければと思います。 

なにぶん急なことで混乱はあるでしょうが,ネット委員会としては,つねに原則に立ち戻り,対応することが必要でしょう。なかには「理事会決定ならばすぐに削除するべき」との意見もありますが,これはちょっと違うような気がします。ネット委員会は,『ネパール協会・会報』編集委員会と同じく,「編集」に関しては独立性の高い委員会です。 

  理事会(所有・経営)−ネット委員会(編集)−著者・読者 

現在の「協会HP」は,小さいとはいえ,ネパールに特化したジャーナリズムであり「社会の公器」です。当然,「編集権の独立」が大前提であり,理事会の意見は参考にしても,そのまま従う必要はありません。たとえば,もし朝日新聞編集長が,村山家や大株主の記事改変要求にそのまま従っていたら,それこそ大問題,朝日は信用を失墜し破綻です。 

学校も同じことで,所有・経営と教育は分離されており,もし教員が国家・地方自治体や理事会の命令通り教育をやれば,教育は崩壊です。だから,長い歴史的経験の上に,教育の自由は認められているのです。 

ネット委員会は,小さいとはいえ「社会の公器」としての「協会HP」の運営に当たってきたはずで,これは十分に誇れることです。 

ただ,所有者は理事会ですから,ジャーナリズムはいらない,「公器」でなくてもよい,と決定したのであれば,これは現在のHPの原則的否定ですから,ネット委員会としてはこれまでのHPは閉鎖せざるを得ない。 

理事会のこうした方針は,おそらくもう一つの協会言論媒体「会報」にも及び,「会報」編集委員会も編集の自由を奪われ,会報は協会の単なる宣伝冊子になるでしょう。 

  外務省→協会理事会→会報・HP 

という下請け構造です。理事会がそれを選択するのであれば,賢明とはいえないが,それはそれで仕方ないでしょう。


20050910 
協会HP閉鎖の時代錯誤

ネパール協会理事会が,協会ホームページのナマステボード他を閉鎖した。理由は,協会批判が記載されることもあり宣伝にならないということだそうだ。権威ある協会のこと,ネパール国王がネットについて何を試み,赤恥をかいたか,まさか知らぬはずがあるまい。

ネパール国王は2005年2月1日政変により独裁的権限を握ると,まずマスコミ規制に着手し,目障りなサイトを閉鎖させた。旧時代のチャンピオンだけに,国王の発想も時代離れしている。国内のサイトを閉鎖すれば,国王批判を押さえられると思っていたらしい。そして,御用HPをいくつか立ち上げた。

しかし,HPなど,世界中のどこのサーバーでも開設できる。ボーダーレス・インターネットをボーダーで規制しようとするアナクロ。結局,何の効果もなく,数ヶ月で元の木阿弥となってしまった。そして,王政宣伝用HPは,独裁国の国営放送と同じく,およそ面白味に欠け,おそらく見る人はあまりいないだろう。

ネパール協会は,2.1政変(事実上,クーデター)後の国王専政を積極的に支持した。人権,平和,民主主義への無感覚,国際情勢の見誤りといわざるを得ない(2005年5−7月頃の記事参照)。

そして,HP政策についても,国王の政策をそっくりそのまま真似た。まともな言論を権力的に規制しようとすることはネパールでも十分にアナクロだが,ましてや先進国の日本では惨めなまでにアナクロだ。

ネパール協会は,ネパールの誰と連帯すべきか,その原点を見失ってしまった。反動化,専制化した国王と結託し,ネパール王族を利用して,あわよくば日本の皇族,政府高官に接近しようとする下心が透けて見える。

これは,日ネ友好に反する行為だ。日本とネパールの国民益に反する。協会が両国庶民の連帯,真の友好促進の本来の姿に立ち戻られることを切に希望する。


▼補足(2005.9.21)

日本ネパール協会が日ネ両国王族・高官への取り持ち役を期待され,その役割を果たしていることは,事実だ。たとえば,ヤフー検索上位に次のHP案内が出てくる。
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2005 ネパール皇太子ご夫妻 *花束 *貴賓席。 お帰りです。 ここには橋本元総理夫妻も ... 美しい人。 今回ネパールデイに私が参加できたのはこの日本ネパール協会のおかげなのです。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/hiroto/myweb/topics/nepal%20day.htm- 10k - 2005年7月13日[www.hi-net.zaq.ne.jpから検索]
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そしてこのHP本文には,次の記述がある。
 
「今回ネパールデイに私が参加できたのはこの日本ネパール協会のおかげなのです。招待券がないと入れないセレモニーでしたが、ネパール大使館からの招待券を私にも分けていただきました。そもそものきっかけは、義兄から、その知人である日本ネパール協会副会長○○様ご夫妻に「ここにもネパール大好き人間がいる」ということが届いたことからでした。」
 
ネパール大使館が友好促進のため活動をし,日本ネパール協会がその援助をすることは当然だ。しかし,現在のようにネパール国内の政治対立が激化し,大使館活動が正統性の不確かな1党派の政治宣伝になりかねないときには,協会は注意深く行動しなければならない。

また,協会の特権で入手した招待券(王族,皇族,高官への接近権)の配布には,公平性を疑われないような配慮が必要であろう。たとえ,そうした特権配分がネパール文化の特質であるとしても・・・・。

20050903
停戦発表

プラチャンダ議長が,土曜日(9/3)から3か月間の一方的停戦を発表した。声明によれば,これは戦闘継続が困難になったからではなく,ひとえに,平和と民主主義を求める人民のためだという。ちょっと恩着せがましいが,戦況不利が理由ではないだろう。
プ議長によると,この一方的停戦は,もし政府側が応じなければ,いつでも撤回し,攻撃には停戦前以上の規模の反撃で報復するという。

プ議長は,UMLの憲法制定会議開催要求とNCの立憲君主制否定への動きを高く評価しており,停戦はこの動きに呼応し後押ししようとするものである。

当然,マオイストは議会復活には反対しており,特権回復を求める前議員たちとは利害が対立する。政党とくにNCが議会復活要求を取り下げ,憲法制定会議開催で一致すれば,マオイストとの「共闘」も可能だろう。

国王政府にとって,これは最悪のシナリオであり,もし事態がその方向に展開しそうであれば,おそらく政府は停戦には応じないだろう。問題は,この停戦声明に米印英がどう対応するかだ。停戦に応じさせるか,対テロ戦争の継続を応援するか? マオイストのイニシアチブだけに,支援国の側も判断に悩むところだ。

(Nepalnews.com & KOL, Sep3)


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