ネパール評論 2006年9月


2006年9月
2006/09/30 若年寄化する学生
2006/09/27 年3000円で売られる少女,カムラリ
2006/09/26 政情不安と航空事故:ハルカ・グルン博士も死亡
2006/09/23 マオイスト,南アジアを「革命の火の海」に
2006/09/22 ダリットとマオイスト犠牲者の大量逮捕
2006/09/21 インドのお手本ネパール・マオイスト
2006/09/20 タイ軍事クーデターとネパール国王
2006/09/19 マオイストの生徒動員: UWBの怒り
2006/09/18 初代大統領,コイララ氏?
2006/09/17 無政府状態の東西ハイウェイ
2006/09/16 マオイストの急拡大と政治責任
2006/09/15 「人民」のための神話作者:CK. ラル
2006/09/14 米関与でマオイスト分断:ワシントンタイムズ社説
2006/09/13 村落開発の惨状
2006/09/10 即席選挙と民主主義:N・メイラー
2006/09/08 失業対策としてのマオイスト運動
2006/09/07 皇孫誕生,シカトより報道を
2006/09/05 「法の支配」と憲法の改正
2006/09/03 マオイストの水ぶくれ危機
2006/09/02 ロールズの正義と核保有
2006/09/01 タイヤ権力論の登場


2006/09/30

若年寄化する学生

谷川昌幸(C)

ネパール学生は,血気盛んで,スト,デモ,タイヤ焼きなど,いかにも若者らしい。これに比べ,日本の学生は老化著しく,新入生ですら人生を達観しているような若年寄が少なくない。この28−29日,ゼミ合宿にいって,その思いを強くした。

わがゼミの学生はみな優秀である(ということにしておこう)。問題は,全体的な学生の老化現象だ。

合宿したのは,学生・教職員用の研修宿泊施設。広大な敷地に,研修室やスポーツ施設などすべて完備。宿泊費はわずか1泊400円。規制はほとんどない。「国立青少年の家」のように,国粋主義丸出しで,「日の丸」掲揚,「君が代」斉唱を強制されたりはしない。「国立青少年の家」は金をかけ,やたら立派だが,こんな国粋主義施設を喜んで使用する人がいるとは思えない。国立大学施設は,さすがエリート養成を目的とする。そんなくだらぬ国粋主義で前途有為の青年の精神を腐らせたりはしない。天皇の悪口を肴に夜通し酒盛りをして大騒ぎをしても一切お構いなし。付近には,名所,温泉も多い。使い勝手はたいへんよい。

それなのに,この宿泊所は,あまり利用されていない。かつてはゼミ合宿だけでなく,様々な学生グループが盛んに利用していたと思われる。その痕跡が各所に見られた。ネパール学生と同じく,日本学生も,かつては若々しく元気であり,スト,デモ,火炎ビン投げなどに興じ,また合宿してスポーツや議論に熱中していたのだ。いま,そんな学生は少なくなった。

むろん,いまでもボランティア活動など様々な活動に没頭している学生はあちこちにいる。しかし,全体としてみると,日本学生の老化は否定のしようがない。

大学でも不可解な現象が見られる。毎回出席をとれと学生自身が要求する。授業数が少なくて暇だ,もっと授業を多くせよと,訳の分からぬ事を言う(「暇」の意味を考えたこともないらしい)。授業が分からないと,自分ではなく教師を責める。研究テーマを自分で決められない。まともな本を読まず,読めない。・・・・

いつの時代でも,旧世代は新世代に対しこのような繰り言をいっており,私も旧世代になったということがあるかもしれないが,それを認めたとしても,やはり日本学生の生態は変だ。こんな若年寄化(=幼児化)した学生は,世界のどこにもいないのではないか?

若いネパール学生と老いた日本学生。もしこの両国学生を集め,日ネ半々でクラス編成をしたらどうなるか? これは面白いと思う。

日本では,26日,安倍政権が発足し。復古主義がますます強化されそうだ。教育基本法も改悪され,「日本的価値」の強制が始まるだろう。小泉政権は新自由主義とニヒリズムの折衷。安部政権は確信的反動であり,小泉政権以上に危険。国粋主義化が進み,それに比例して国民の精神的老化(=幼児化)も進行,日本は立ち枯れ状態になってしまいかねない。

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2006/09/27

年3000円で売られる少女,カムラリ

谷川昌幸(C)

CNNが,年3000〜5000円で奉公に出される(売られる)少女たち,Kamlariについてレポートしている。

1.カムラリとは
Kamlariとは,「少女債務労働者」のこと。古くからあり,いまも根強く残っている。

2.親に売られる
少女たちを売るのは,家族。生活苦のため,年25〜50ドルで,少女を仲介人を介して奉公に出す。家の外に出せば,少女の養育費も家族は節約できる。

いずれも,わずかな金だが,それすら貧困農民には工面できない。

3.債務奉公から売春へ
奉公に出された少女たちは,雇用主の家で子守り,掃除などの家事雑用をさせられる。学校に通わせるという約束もするらしいが,たいていは反故にされる。

カムラリは奴隷ではないので,10年くらい奉公し,16〜18歳になると,主人の言うことを聞かなくなり,カムラリ奉公を拒否して家に戻るか(家計から見て難しいだろう),それとも夜の商売,そして売春へと流れていく。

4.カムラリ,2万人
カムラリは,タルー族の多いDang, Deukhariが中心であり,2万人位いるという。両地方の総人口はいま分からないが,少女2万人はかなりの比率になるはずだ。

日本にも同じような子供奉公があったが,いまは21世紀,こんなあからさまな人権侵害が許されるはずがない。

5.頑張れ,マオイスト
カムラリのような社会悪を一気に解決できるのは,いまのところマオイストしかいない。というのも,カムラリはネパールの社会構造に組み込まれた根深い問題であり,蛮勇をふるって社会構造を破壊することのできる本物の革命派にしか,解決できそうにないからだ。

和平で早く権力の分け前を手にしたい気持ちは分からぬではないが,革命政党の本分を忘れてもらっては困る。マオイストには,あくまでも被抑圧民族,土地無し農民,女性,下層労働者,下位カースト等の立場に立ち,社会構造の悪に立ち向かってもらいたいものである。

* Seth Doane, "Nepal dad sold girl for $25, paid in installments," CNN, Sep.26,2006.

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2006/09/26

政情不安と航空事故:ハルカ・グルン博士も死亡

谷川昌幸(C)

9月23日,東ネパールのタプレジュン郡でヘリが墜落,24人全員が死亡した。原因は悪天候とされているが,それだけではあるまい。

1.タイ・クーデターとタイ航空機ヒマラヤ墜落事故
思い出すのは,1992年7月のタイ航空機ヒマラヤ激突事故。ちょうどカトマンズ滞在中で,市内は騒然となり,友人・知人はみなパニック状態だった。

この事故前後,タイは政情不安であった。1991年軍事クーデター,1992年5月政変。当時,タイ航空は空軍と関係が深いと噂されていた。事故数週間後,帰国便に乗ると,乗客の多くが不安そうに押し黙り,無事トリブバン空港を離陸すると,一斉に拍手がわき起こった。ウソのような本当の話。

今回も,クーデター,民主革命の混乱のさなかの大事故。山国ネパールに航空事故はつき物だし,直接的な因果関係は証明できないだろうが,政情不安,社会不安が様々な事故の要因になっていることは容易に想像がつく。政情不安時のノリモノは要注意だ。

2.ハルカ・グルン博士も犠牲に
今回の事故では,ハルカ・グルン博士も亡くなられた。グルン博士は快活で,どんな質問にも笑顔で答えてくださった。

民族・文化に関する博士の実証的研究は,外部からの観察者にとって貴重なものであり,大いに利用させていただいている。専門書以外にも,図表を多用した啓蒙書も多数出版されており,ネパールの紹介に最適である。

博士の業績は高く評価しつつも,多文化主義の立場からの民族や文化の特殊性,固有の権利の強調には,一抹の不安も覚えていた。そこで,研究所でお目にかかったとき,この点について1時間ほど議論したことがあった。もちろんすぐ結論が出るような問題ではないが,博士は快く議論に応じてくださった。ずいぶん前のことだが,いまでも感謝している。

グルン博士のご冥福をお祈りします。

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2006/09/23

マオイスト,南アジアを「革命の火の海」に

谷川昌幸(C)

カトマンズ・ポストによれば,この8月,「南アジア・マオイスト諸党・諸組織協力委員会(CCOMPOSA: Coordination Committee of Maoist Parties and Organizations of South Asia)」の第4回大会が開催され,「南アジアをマオイスト革命の火の海にする」という勇ましい大会声明が発表された。

1.CCOMPOSA
CCOMPOSAは,2001年7月設立。ネパール・マオイストは当初から中心的メンバーであった。

設立時は南アジアの13政党が参加していたが,現在はインド,バングラ各3,ネパール,ブータン,スリランカ各1,の9党である。

2.戦術・戦略
CCOMPOSAは「武力による権力奪取を目指す革命を展開する」。暴力革命路線は明確であり,迷いはない。

3.米帝,印拡張主義打倒
CCOMPOSAの正面の敵は,アメリカ帝国主義とインド拡張主義(大国主義)である。

「南アジアの帝国主義(とくに米帝),インドの拡張主義,その他すべての反動を焼滅させる。」

そして,そのモデルはむろんネパールである。

「アメリカはインド拡張主義と手を結びネパール新民主主義革命を殺すため様々な陰謀をたくらんできたが,これらは阻止され,憎むべき王制に対する広範で強力な抵抗の高揚により革命が前進し,新しい勝利を次々と勝ち取っている。」

4.「赤の回廊」
CCOMPOSAは,ネパール革命を南アジアに広めるため,マオイスト諸政党の連帯強化を訴える。

「南アジアの純正(genuine)マオイストの間の連帯を深化,拡大させる。」

そして,ネパール〜インド〜スリランカに,「赤の回廊」を建設する。

Dina Nath Sharma(ネパール・マオイスト中央委員)によれば,ネパール・マオイストはCCOMPOSAを通して「南アジア・ソビエト連邦」の建設を目指しているという。希有壮大な目標だ。

そうなれば,この世界最大人口の大国「南アジア・ソビエト連邦」は,国旗を世界最高峰エベレスト山頂に掲揚し,首都は,当然,カトマンズにおくことになるであろう。ネパール万歳!

* Tilak P. Pokharel, "Maoists vow to make S Asia 'flaming field'," Kathmandu Post, Sep.20.
(注)以上のような革命戦略を,ネパール・マオイストは設立当初から一貫して唱えてきた。新路線ではない。

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2006/09/22

ダリットとマオイスト犠牲者の大量逮捕

谷川昌幸(C)

9月20日,50人以上のダリット(最下層被差別民)が逮捕された。

発端は,9月17日,極西部DipayalにあるShaileswori寺院に,事前に通告し寺と町当局の了解を得て入ろうとしたダリットたちを,上位カースト集団が激しく攻撃し,女性を含む数十人が重軽傷を負わされたこと。

これに抗議するため,9月20日,Joint Dalit Struggle Committee(JDSC)がバルワタルの首相官邸前でデモを行った。そして,5項目要求をコイララ首相に提出しようとしたとき,参加者たちが武装警官隊に逮捕されてしまったのだ。

ダリットたちの要求は,Shaileswori事件の調査,被害者救済,犯人処罰であり,全くもって正当。しかも,デモは平和的(非暴力)だったという。

それなのに,People Powerで成立した7党政府は,武装警察を動員し逮捕してしまった。つまり,「ダリットはPeopleではない」ということ。

JDSCがマオイスト系かどうか分からないが,「人民」も権力を取れば,権力を行使し,都合の悪い人々を「非人民」とし,弾圧する。よく覚えておこう。

一方また,人民の民主政府は,マオイスト犠牲者の被害回復要求運動も弾圧し,大量逮捕を続けている。マオイストに強奪された財産の返還,犠牲者への補償,追い出された故郷への帰還など,これまた全くもって正当な要求だ。

それなのに,人民の政府は彼らの要求を無視し,弾圧している。「マオイスト犠牲者はPeopleではない」ということだ。これも,よく覚えておこう。

ダリット運動にもマオイスト犠牲者運動にも,それぞれ政治的思惑があるだろうが,枝葉を払い,大本を見ると,権力を取れば,7党もマオイストも都合の悪い人々を「人民」外に追い出し,弾圧するということである。権力とは,そういうものだ。

そこで重要なのは,権力が名目的にだれのものか,ということではない。現実に,権力がどのように行使されるかということ,どのような権力のあり方がより安全であり,より権力悪が少ないか,ということだ。

* Rediff India, Sep.18; Kathmandu Post, Sep.20; ekantipur, Sep.20.

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2006/09/21

インドのお手本ネパール・マオイスト

谷川昌幸(C)

朝日新聞(9/21)が「インドで毛派拡大」という大きな記事を載せている。

インド・マオイストの兵力は,8〜9千人,昨年は住民・治安部隊合わせて669人が殺害された。

まだ規模はそれほど大きくはないが,戦略,戦術はネパールと同じ。地方農村の特権階級を襲い,地方から支配地域を拡げていく。

そうした中,ネパール・マオイストがもし権力をとり,プラチャンダ議長がかつて宣言したように「エベレストに赤旗を立てる」ことが出来るなら,ネパール・マオイストは,まずはお隣のインドの,そして次には世界中の途上国共産主義運動の導きの星となるだろう。

印米は,おそらくそれを看過できないだろう。どのような形で介入してくるか? 要注意だ。

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2006/09/20

タイ軍事クーデターとネパール国王

谷川昌幸(C)

9月18日のタイ軍事クーデターは,ネパール政界に衝撃を与えたのではないか? タイ王国軍(Royal Thai Army)は,国王を引き合いに出してクーデターを正当化している。同じ事がネパールでも起こるのでは,という疑念だ。

たしかに,国王,天皇などがいると,その名を借りたクーデターが起こりやすい。二・二六事件などがその典型だ。だから,危険な君主など廃止してしまえ,という意見が出るのももっともだ。

しかし,その反面,明治維新革命は天皇の名で行われたし,ネパール1951年民主革命もトリブバン国王の名で達成された。タイでも,もし国王がいなければ,いまの政治がどうなっているかは冷静に検討してみる価値はある。

そこで問題は,タイ国軍クーデターからネパール政界が何を学ぶかだ。コイララ首相は,さっそく記者会見(9/20)で,こう力説した。

「国王は,行政,立法,その他の憲法的権力をすべて奪われてしまっているから,ネパールではタイのようなクーデターの可能性は全くない。」

しかし,必ずしもそうとは言えない。単なる名前だけでも国王が存在すれば,クーデターの名目にはなりうる。名前だけでも国王は危険な存在なのだ。

だから,ネパール国王はタイ軍事クーデターを決してチャンス到来と見てはならない。そんな気配を少しでも見せたら,王制はおしまいだ。(むろん国王=軍隊クーデター成功の可能性もなくなはいが,長続きはしない。)いまこそネパール国王は,いかなる政治勢力にも利用されないよう,細心の注意を払うべきだろう。

* "PM says Thai coup 'unfortunate,' rules out any such possibility in Nepal," ekantipur, Sep.20.

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2006/09/19

マオイストの生徒動員: UWBの怒り

谷川昌幸(C)

急進民主派のUWBが,マオイストの生徒動員に怒っている。先日のマオイスト学生組合ANNISUのカトマンズ大会に,バス50台あまりで周辺の生徒が動員されたのだ。

UMLなど,他の政党も同じようなことをしているが,とくにマオイストはひどい。

「こんな生徒たちを,こんな活動に利用してもよいのか? 子供を兵役につかせるのと,こうした政治活動に強制参加させるのとの間に違いがあるとは思えない。これはいま始まったことではない。王政下では,生徒たちが帰国する専制君主を歓迎するため並ばされていたものだ。・・・・このような『教育のレイプ』は止めるべきだ。」

急進派UWBがいうように,子供をそんな風に利用しては行けない。国際人権法違反だ。では,大人は? 鉄砲で脅して動員するのであれば,やはりよろしくない。

こんな風にマオイスト批判をするのは,反動であろうか? あるいは,あと一押しというときに,たとえ正しいことであっても敵を利するようなことをいうのは,万死に値する裏切り行為であろうか?

* "School Students Used in Politics: Stop," United We Blog, Sep.18.

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2006/09/18

初代大統領,コイララ氏?

谷川昌幸(C)

コイララ首相とプラチャンダ議長が,9月17日,会談した。和平の落としどころを探っているのだろう。

そうした中,やはり代替国王案が出てきた。NCのNarhari Acharya氏によれば,マオイストはすでにコイララ氏に初代大統領就任を打診しているという。

初代大統領となれば,歴史に名が残り,コイララ氏もまんざらではあるまい。コイララ氏を儀式的大統領に祭り上げ,プラチャンダ議長が首相となり実権を握る。 名案だ! 

* Rising Nepal, Sep.17; nepalnews.com, Sep.15

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2006/09/17

無政府状態の東西ハイウェイ

谷川昌幸(C)

ネパリタイムズが東西ハイウェイ沿いの無政府・無法状態をレポートしている。

Kiran Nepal, "Non-government along the Nation's Lifeline, Lawlessness is the Norm," Nepali Times, #315, Sep.6-21, 2006

1.アナーキー
キラン・ネパールの現地レポートによると,1100Kmに及ぶ幹線道路「東西ハイウェイ」周辺は,マオイスト,「民主主義者」,共和主義者,群盗らが入り乱れ,アナーキー状態らしい。脅迫,強奪,拉致,密売,縄張り抗争・・・・

2.マオイスト支配へ
中央政府の地方行政組織や警察はまともに機能せず,多くの場合,マオイストがそれらに取って代わりつつある。

マオイストは,銃をバックに様々な強制寄付を押しつけ,密輸・密売を見逃し,無許可伐採であちこちにはげ山をつくっている。

3.マオイスト税
マオイスト税は,かなり高額らしい。
  ・バス料金 2倍(45Kmで145ルピー)
  ・トラック料金 3倍(ビルガンジ・ウアラバリ間)
  ・開発予算の50%を要求。

4.強制連行
東西ハイウェイ沿いには人民解放軍キャンプがあり,兵士たちが示威行進し,学生を連行して軍事教練を受けさせ,地域住民にはマオイスト行事への参加を強制している。

5.人民病院の建設
一方,マオイストは,人民病院や道路の建設,犯罪の処罰なども行っている。モラングの人民病院は,政府保険センターのすぐ近く,「石を投げたら届くところ」にあるそうだ。

6.Out-law, Law-less
以上の現地レポートが信頼できるとするなら,ネパールの「生命線」の幹線道路沿いが危機状態に陥っていることになる。

住民は無法状態に近い生活を余儀なくさせられている。

7.伝統的規範の遺産
通常,このような状態になると,社会秩序が崩壊し,救いようのないアナーキーになるものだが,ネパール社会はまだそこまで崩壊してはいない。それは,以前にも指摘したように,実定法以前の伝統的規範意識(いわば伝統的自然法)がまだかろうじて生きているからだ。

たとえば,こんな状態になっても,外国人は攻撃されていない。国家の法律はほとんど崩壊しlawlessになっているのに,まだ伝統的規範が生きており,これが人々を拘束し,外国人の安全を守っているのだ。

今のネパールは過去の遺産で食いつないでいる。社会崩壊となる前に,中央政府を再建し,国法の権威を回復すべきだろう。

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2006/09/16

マオイストの急拡大と政治責任

谷川昌幸(C)

1.人民政府の急拡大
停戦の好機をとらえ,マオイストが急膨張している。Tilak P. Pokharel(UN Resident Representative and Humanitarian Coodinator)によれば,マオイストは組織強化を続け,地方で政府を圧倒,「政府は今や縮小しつつある」。

「地方の事柄を決めているのは,たいていマオイスト幹部たちだ。・・・・この形勢の逆転は困難になりつつある。」

ポカレル氏のこの分析は,正しいであろう。たとえば,ある情報によれば,マオイストはすでに10万を突破している。

  人民解放軍   36,000人
   民 兵      100,000人
   ( "Parallel Governments Of Maoists And Moriarty,"Democracy For Nepal,Sep.16, 2006)

数字の信憑性は定かではないが,マオイスト激増は確かなようだ。(地方住民には他の選択肢はない。)

2.人民政府の政治責任
このような人民政府の地方実効支配が進めば,当然,マオイストには説明責任が生じてくる。以前にも指摘したように,人民政府は予算の使途や政治権力行使について「人民」に説明すべきだろう

3.人権侵害の説明責任
とくに,これから先の和解にとって,絶対に必要なのが,人民戦争10年間のおびただしい人権侵害についての説明だ。INSECによれば,人民戦争犠牲者は次の通り。

   死者数(1996.2.13〜2006.4.24)
 政府による殺害       8,238人
 マオイストによる殺害   4,790人
         計       13,028人

実際にはこれより多いはずだし,多くの行方不明者,負傷者もいる。また,連行使役(特に子供兵),虐待,財産没収など,重大な人権侵害は無数にある。

これらの人権侵害は,政府,マオイスト双方にあり,したがって政府側だけでなくマオイスト側についても,事実関係を調査し,解決が図られなければならない。

4.真実和解委員会の必要性
しかし,これは難しい課題だ。方法としては,2つ考えられる。

一つは,国際法,国内法に照らし,責任者を処罰し,損害賠償させること。しかし,これだけの規模となると,このような司法的解決には限界がある。事実関係の調査は極めて困難であり,双方に対し公平な救済は無理だ。下手をすると,報復合戦になる。

しかし,そうかといって過去の人権侵害を放置したままだと,たとえ政治的和解がなっても,人々の間に深い憎しみ,恨みが残り,平和は持続しないだろう。

この問題を解決するもう一つの方法は,南アフリカなどで実施され大きな効果を上げた真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission)による和解である。刑事責任を問わない代わりに,関係者に対し,人権侵害について真実を述べ,謝罪し,和解することを求める。

10年に及ぶ内戦の深い傷は,このような和解方法を取り入れなければ,おそらく癒されることはないであろう。後ろ向きの報復合戦を避け,平和に向かって前進するために,政府,マオイスト双方が協力し真実和解委員会の可能性を探ってみるべきである。

*谷川昌幸,図書紹介:永原陽子「和解と正義――南アフリカ「真実和解委員会」を越えて」

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2006/09/15

「人民」のための神話作者:CK. ラル

谷川昌幸(C)

C.K.ラル氏の文章は難しいので敬遠気味だったが,久しぶりに読んでみたら,実に面白かった。

C.K. Lal, "We the People, You the Populace," Himal, Vol.19 No.6, Sep.2006

1.マスメディアの「民衆」と「人民」
ラル氏によれば,「マス」メディアが決して問わない根本問題がある。「『人民』という場合の定義は正確には何か?」「われら,人民」とは誰のことか? 何が「民衆」を生み出すのか?

この問題にとって,「神話作者(mythmakers)は重要だが,それと同じくらい決定的なのが,意味の作者(makers of meaning)の役割だ。というのも,彼らこそが公論の用語(条件)を定めてしまうからだ。」

2.意味を問わぬマスメディア
ところが,マスメディアは,出来事に意味を付与する神話作者,意味作者を遠ざけ,政治家やジャーナリストばかりを利用している。

「しかしながら,大半のジャーナリストは,意味を問う忍耐力を持たない。彼らは嬉々として,出来事(events)に自らを語らせようとする――そのまま見せたらよい,講釈するな。問題は,まさにここにある。出来事は決して自ら語りはしない。実際には,必ずそこにはいつも出来事の解釈者がいる。だから,自覚的な意味の創造者を欠く社会は,市場や国家のずる賢い操縦者の手に易々と落ちてしまうのだ。」

3.ヤラセ天国インド
自覚的な意味神話作者の不在は,南アジア,とくにインドでとんでもないヤラセを横行させている。

たとえば,ナワルパラシ郡では,インドのTVレポーターが治安部隊と村人を買収し,カメラの前でマオイスト攻撃をやらせた。この時,兵士の一人が本物と勘違いし,銃を発射,村人を撃ってしまった。プロデューサーはコネを使い,治療費等を払い,もみ消してしまった。

また,ビハール州では,独立記念日に,TVレポーターがある男に油を付けたタオルとマッチを渡し,焼身供犠をさせた。火が足下まで達したら消す約束だったが,誰も消さず,彼はカメラの前で本当に焼身犠牲となってしまった。

ウソのような本当の話らしい。

4.自称「われら,人民」の正体
政治や市場に任せておけば,マスメディアは世論操作とヤラセの天国になる。

「自称『われら,人民』は,苦しんでいる民衆をダシにして,自らを崇めさせ,安泰とし,利益を得ようとしており,その手先となってきたのがジャーナリストだ。・・・・ジャーナリストには,深い考察をするだけの時間も能力も意欲もない。」

「ジャーナリズムは,あまりにも重要な分野であり,ジャーナリストだけに任せておく訳にはいかない。このことは,ガンディーやネルーがよく知っていたことだ。」

5.神話作者
そこでラル氏が求めるのが,神話作者(mythmakers)である。これはちょっと分かりにくいが,ガンディーやネルーのような本物の政治家,そして「著作家,詩人,思想家,公的関心を持つ知識人」といった人々であろう。こうした人々が,出来事の意味を考え,語に適切な定義を与えることになる。

これを私自身の言葉で言い換えるなら,「人民」は,そのように意味づけられ定義されてはじめて,本物の「人民」となり,ルソーの考えるような市民宗教の神となりうる,ということであろう。

6.ネパールの面白さ
ネパールは,経済的,政治的には多くの問題を抱えているが,文化は一流である。宗教,文学,民俗,音楽,美術など,こんなに面白い伝統文化を持つ国は少ない。

最近は,それらに加え,政治,社会関係の議論も活発となり,水準も高くなってきた。こんな小さな国で,これほど活発に高度な議論を展開している国は,他にはまず無いといってよい。

この文化力が一時的な政治の荒廃で根絶やしにされさえしなければ,ネパールはやがて政治危機を乗り切り,再び個性豊かな文化の国として発展を始めるものと信じている。

補足(2006/09/16)
"We the People, You the Populace"が,「人民」僭称以上の警告を暗示していることは,いうまでもない。

「われら人民」は,「おまえら住民」を区別し,支配することを意味している。マオイストは極めて近代的であり,「国民」主義的だ。その危険性は,「人民」僭称よりも根源的といえる。 この点についてはすでに議論した。下記参照。

民主主義と自由主義:ムフを手掛かりに (2006/08/27) 
 *Loktantra and/or post-modern(再説) (2006/08/17)

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2006/09/14

米関与でマオイスト分断:ワシントンタイムズ社説

谷川昌幸(C)

ワシントンタイムズ社説がネパールへの米関与を説いている。

Paul Moorecraft, "Danger in Nepal," Washington Times, Sep.13.
  * Paul Moorcraft: director of the Center for Foreign Policy Analysis , London

1.マオイスト10月革命
記事によれば,マオイストの勢力は次の通り。

 人民解放軍 15,000人
 民兵        50,000人
 支配地域    国土の70〜80%

現在,状況はやや落ち着いているが,停戦は不安定であり,「マオイスト10月革命」が進行しているという。

2.米関与でマオイスト分断
この共産主義勝利を阻止するため,ワシントンタイムズはアメリカの関与を求める。

「インドは,国軍支持を改めて表明した。・・・・
 ネパール・マオイストは,アメリカを信用していないが,大国が関与すれば,孤立した国軍や,共産党政府を望まない声なき多数派に勇気を与えるだろう。
 ここで選挙をすれば,マオイストの何人かが新議会に参加し,他の強硬派は戦場に戻るだろう。しかし,すでに国軍は再生されており,改めて国際的支持を得ることになるから,今度は正当に『テロリスト』指定された者たちと戦い,勝利することが出来るだろう。
 特にアメリカは,戦いを止めようとしないマオイスト残党を打倒するため,いつでも国軍を支援する準備をしておくべきだろう。叛徒のモデルはペルーの輝ける道だったが,これは打倒された。
 もしそうできなければ,ベルリンの壁崩壊15年後の共産主義者の勝利となり,すでに対テロ戦争の挫折でよろめいているワシントンのプロパガンダにとって,これは大きな打撃となろう。」

3.選挙でカタがつくか?
ワシントンタイムズ社説は晦渋で論旨がつかみにくいが,上述要約通りとすれば,同紙は米印の本格介入を求めていることになる。

しかし,問題は,新自由主義グローバル化の矛盾が米印介入選挙でカタがつくかだ。選挙で反米マオイスト政権が誕生することもあり得る。

一方,アメリカがいま勝利を欲していることは事実だろう。ラテンアメリカ,アフガン,イラク,パレスチナで連戦連敗,ワシントンは意気消沈している。ここで一発,小さくてもよい,派手な対テロ戦争勝利が欲しいところ。

そうなると,ネパールはアメリカの国威発揚の場とされてしまう。

4.やはりパンドラの箱か?
7党の要求もマオイストの要求も,ちょっと考えると実行は難しいものばかり。たとえば,先住民自治。そんなことが,本当に可能か? 

あるいは,マオイスト軍の統合。国軍9万人だから,統合を人民解放軍だけとしても10万5千人,民兵も入れると15万5千人にもなる。こんな大軍を国庫で維持できるはずがない。

やはり,パンドラの箱か? 開けてしまったのだから,もはや閉じられないだろう。難しいことになってきた。

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2006/09/13

村落開発の惨状

谷川昌幸(C)

1古き良き日本の村
夏休みの数日,郷里で過ごした。山陰の寒村。高度成長までは,山間のわずかの田,畑,山林で100戸余りの家族が生活していた。貧しいが美しく平和な村。

2.略奪された若者
高度成長がはじまると,まず中卒,高卒の若者たちが都市の工場に略奪され,いなくなった。

いま村に残っているのは大部分が老人。

3.奪われる生活基盤
若者がいなくなるにつれ,村からは保育園,小学校,役場,郵便局,商店,農協,バス路線などが次々となくなり,わずかに残った青壮年は低賃金目当ての工場でこき使われ疲労困憊,村は生活共同体として自立できなくなった。

4.自然と人心の荒廃
そして,最後に残った自然ですら,再び始まった地方開発で破壊され始めた。林道という名の無目的道路が,森林資源も観光名所もほとんど無い平凡な――しかし私にとってはこの上なく美しい――故郷の山々を無惨に切り崩し建設されている。

目的は道路建設そのもの。ほとんど無価値の山林が買収され(私の山も少し買収されカネをもらった),何年間かは道路建設費の一部が地元業者に落ち,そして完成後は半永久的に道路管理費が入る。

無理な山岳道路なので,毎年何カ所かが崩壊する。雑木,雑草も伸びる。地元には,この無目的道路の維持管理費が援助されることになるのだ。

村の美しい自然を破壊するだけで,何の意味も,意義もないことを知りつつ,ただただ補助金をもらうだけに過ぎない仕事。こんな地方開発こそが,地方の人々の心を荒廃させるのだ。

5.人は本当に豊かになったのか?
高度成長以前,わが村はたしかに貧しかった。農作業はきつく,生活の苦労も少なくなかった。しかし,村はちゃんと自活しており,老人も青壮年も子供も生活を楽しんでいた。時間はたっぷり,使い切れないほどあり,暇つぶしのため皆芸達者となり,多種多様な村落「文化」が生きていた。

わが村だけではない。近隣のどの村もそれぞれ個性を持ち,ちょっとした旅も驚きの連続だった。

高度成長により,それらはすべて失われた。地方は都市文明により開発され,周辺に組み込まれることにより,価値あるものを次々と奪われ,いまでは補助金にすがりつく惨めな依存者になってしまった。

6.懐古趣味だが・・・・
これはロマンチックな懐古趣味かもしれない。また,物質文明を経験してしまった私たちには,戻れといわれても,もはや古き良き過去の時代に戻ることは出来ないだろう。

しかし,現在の生活が決して人間らしいものではないということ,それが唯一可能な生活ではないかもしれないということ――そうしたことを,つい数十年前の日本の村の生活を時々思い起こし,反省してみるのも無意味ではあるまい。

そして,ネパールのことも。ネパールがこれから先,どう近現代化していくか? それは,私たちにとって,たいへん興味深いことだし,ひょっとするとそこから何か私たちが学ぶべきことが見つかるかもしれないからである。

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2006/09/10

即席選挙と民主主義:N・メイラー

谷川昌幸(C)

1.アフガン,イラクの内戦化
アフガン,イラクが大変なことになっている。アフガンでは8日,自爆テロで16人(米兵2人)が死亡,南部から内戦状態が広がりつつある。一方,イラクでは毎日のように数十人単位の死亡が続き,これはもはや内戦そのものといってよい。

最近では,日本の新聞は,アフガン,イラクについては死者数十人でもベタ記事にしかしない。しかし,これは両国人民にとっては悲惨きわまりない状況だし,グローバル化した世界にとっても危険この上ない深刻な事態だ。どうして,このようなことになってしまったのだろうか?

2.対ゲリラ戦争と即席選挙
ノーマン・メイラーによれば,その原因はアメリカの対テロ戦争,とくに「即席選挙」だ。

「ブッシュが理解できなかったのは,即席の投票だけでは民主主義は成立しないということだ。全体主義だったイラクのような社会では人々が相互に根強い不信感を持っている。ある日突然,独裁者がいなくなれば殺し合いが起きてしまう。」(朝日新聞,9/9)

3.選挙で出来ることと出来ないこと
今のネパールでも,メイラーの批判する「即席選挙」やそれと同類の「即席憲法」への期待がバブルのように膨らんでいる。それが幻想に過ぎないことは,「即席選挙」や「即席憲法」で石油価格,貧困などネパールの具体的な問題は何一つ解決しないことをちょっと考えてみれば,すぐ分かる。

政治は可能性の技術である。政治家やジャーナリズムは,ネパールの現実を見据えた上で,どのような「選挙」や「憲法」で何を,どのように解決すべきかを具体的に議論すべきだろう。

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2006/09/08

失業対策としてのマオイスト運動

谷川昌幸(C)

マオイスト運動には様々な側面がある。大別すると,一つは専制,差別,搾取に対する闘争。これは人権,民主主義の観点からみると正当であり,私も支持してきたし,いまも支持している。もう一つは,これと関連するが,失業対策の側面。メシが食えない人々を,とにかく食わせるというせっぱ詰まった目的。

1.失業対策としての軍隊
失業対策の中心が人民解放軍(PLA)。戦前の日本でも,帝国陸海軍は困窮農村の失業対策事業だったし,いまも日本国自衛隊は地方青年の有力な就職先の一つとなっている。米軍が就職難の被差別米国青年の就職先になっていることも周知の事実だ。

先進国はまだしも,途上国においては,メシが食えないと紛争になり,紛争が政府軍とゲリラを増大させ,こうして就職先を開発することになる。途上国の紛争は,失業者に人殺しという職を与える一方,人殺しにより人口を減らすという,経済的には極めて「合理的な」活動だ。しかも,その人殺しは「人民解放」「祖国防衛」などの高尚な目的により完璧に正当化されている。だから,メシが食えなくなると,高貴な人殺し産業が繁盛するのだ。

2.人民解放軍
人民解放軍(PLA)も,いうまでもなく失業対策事業だ。食えない地方の青年男女がPLAに入り,とりあえずメシを確保する。特に女性は,差別され,外国に出稼ぎにも行けないので,PLAはよい就職先だ。PLAに女性兵士が多い(40%位)のは当然といえる。

資金は,90年代は地主や高利貸しから奪っていたが,運動が拡大するにつれ足らなくなり,銀行や商店,企業から強奪するようになり,それでも足らなくなると,人民政府税(強制寄付)を取れそうなところから広く取り立てるようになった。

先にも書いたように,「人民解放」という大義名分がなければ,PLAは押し込み強盗と何らかわりはない。

3.最終解決
それはともあれ,マオイストの失業対策事業はうまくいき,勢力が急増し,人民政府税でも足らなくなってきた。そこで,いよいよ国庫を強奪することにした。

つまり,人民解放軍と国軍との統合だ。人民解放軍の勢力は正確には分からないが,もし1〜3万だとすると,それだけの大軍が一気に国軍兵となる。つまり,国家公務員として就職し,国庫から給料をもらうわけだ。

これで失業対策としてのPLAの任務は完了で,めでたしめでたしだが,ここでスッポリ落ちているのは,誰がツケを払うかということだ。

むろん,就職を目指すのはPLA兵士だけではない。マオイスト運動家たちも,当然,公職を要求し,公務員は激増するだろう。こちらのツケも誰が払うのか。

4.会計報告なしの人民政府
国王政府や7党政府は,曲がりなりにでも会計報告をしてきた。これに対し,人民政府の会計報告は見たことがない。(どこかにあるのであれば,お教え願いたい。)つまり,マオイストは説明責任を果たしていないのだ。

「人民解放」を錦の御旗にたて,金品を強奪し,党活動家やPLAを拡大し,そして活動資金がなくなればまた強奪する。この現地調達方式がうまくいくのは,強奪可能なものがある限りである。最後の金庫である国庫を強奪したあと,どうなるか?

国庫は,何人のマオイスト活動家,PLA兵士の雇用余力があるのか? むろん,現職の公務員,国軍兵をクビにすればよいわけだが,クビにすれば,今度は彼らが失業対策としてゲリラ軍を立ち上げるだろう。

5.マオイストの説明責任
マオイストは,「人民解放」という立派な理念をもち,先述のように私もそれは支持する。つい1,2年前まで,私自身「マオイスト・シンパ」だと非難されていたくらいだ。

マオイストは立派な政党であり,しかもいまでは7党政府と拮抗するくらいの人民政府を組織し,国土の7〜8割を支配しているのだから,当然,説明責任を果たさなければならない。

権力行使(たとえば,「人民の敵」の連行処罰)をしたときは,その根拠,手続き,結果をちゃんと説明しなければならない。

人民政府税を徴収したときは,その使途を人民にきちんと報告すべきだ。

そして,PLAの何人の兵士を国軍に統合したいのか,その給与は誰が払うのか,そこのところをはっきりさせるべきだ。

そんなことも出来ないようでは,責任能力なしとして,まともに相手にはされはしないだろう。

*マオイストの無責任行動については,UWBが批判を強めている。以下参照。 United We Blog, Sep.7.

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2006/09/07

皇孫誕生,シカトより報道を

谷川昌幸(C)

皇孫誕生を,共和主義ネパールがシカト(注)している(9月7日9時現在)。「4月革命」以前なら,各紙トップのはずなのに,これは面白い。せっかくのチャンスだ,日本大使館付近で,皇孫誕生へのネパール人の反応をぜひ観察していただきたい。
 (注)子供俗語。集団で無視すること。

1.チョーチン行列のアナクロ天皇制
9月6日の男子皇孫誕生で,日本国内は異様な祝賀ムード。日没後は,例のごとくチョーチン行列。

哲学者バートランド・ラッセルに,アナクロの見本とバカにされた世界に冠たる天皇制そのものだ。なぜこんなにまでしてナショナリズムを鼓舞しなければならないのか?

2.君主不要の国
以前にも書いたように,日本は世界で最も文化的同質性の高い国で,しかも島国。国民統一に不安はなく,君主は不要だ。ネパールの何百倍,何千倍も共和制に適している。

それなのに,なぜこんな不健全な天皇制ナショナリズムを煽るのか?

3.人権侵害の天皇制
もともと天皇制は原理的に人権とは相容れないが,それにしても皇孫誕生における人権侵害はあまりにも露骨であり,目に余る。これはひどい。

皇族にプライバシーは無いとはいえ,3人目の小作りは,国家権力(湯浅宮内庁長官が代弁)に強制されたものだ。

かつて西欧でも新婚国王(王位継承者)夫妻の第一の仕事は継承者づくりであり,二人が正統な子づくりをするか現場で一部始終をちゃんと見張られていた。

日本国家権力による3人目の子づくり強制は,論理的にはそれと同じであり,むろん人権に真っ向から反する行為だ。

しかも,男子を産むことを強制された。21世紀のこのご時世に,家父長制的男子世襲とは,アナクロもアナクロ,世界中のメディア(ネパールを除く)が好奇の目でいち早く報じたのは当然だ。

さらに,日本は民主国だから,国民自身がこれを皇族に強制し,一部始終をマスコミを通して監視してきたことも忘れてはならない。日本国民全体が,下劣な覗き趣味に染まり,人権侵害にふけってきたのだ。

民主主義とは,こんなくだらない政治なのだ。

4.科学に反する君主制
そもそも君主制は,科学の発達(堕落)により,その重要な根拠の一つを完全に否定されてしまった。

君主制の第一の存在理由は,国家の継続性の保証にある。元首を世襲君主にしておけば,元首の交代は子の誕生という生物学的必然(神の意志)によって行われ,混乱は生じない。これはかつては現実的な政治的英知であった。

ところが,生命科学の発達(堕落)により,生命は神から人間の手に引き渡された。いまでは,冷凍精子を使えば何百年後でも子供を作れるし,男女の生み分けも簡単だ。

生命誕生は神の領域であり人為は及ばないという大前提があったからこそ,君主制は国家継続の保証たり得た。ところが,今では,生命は人為的操作の対象であり,君主制の科学的存在理由もなくなった。

もし君主に男子が必要なら,面倒なことをせず,試験管で王位継承者を科学的に製造すればよい。こうすれば,男子長子相続が永遠に確立される。

前近代的君主制は,こうしてポスト近代的君主制とグロテスクに結合するのである。

(いま生命操作が最も盛んなのは,皮肉なことに,前近代的な宗教的男子相続圧力の強い某々国である。)

5.皇孫誕生ナショナリズムとネパール
日本の皇孫誕生ナショナリズムは,不健全きわまりないものだが,いまのネパールの人々にとっては,シカトせず,しかと観察してみる価値はある。

日本のような先進国が,なぜ人権も科学も無視して天皇制ナショナリズムを国民一丸,火の玉となって鼓舞しているのか? 周辺諸国にとっては身近な脅威だろうし,欧米諸国にとっては理解を超えた不気味な警戒すべき現象であろう。

が,ネパールにとっては,ここには何か参考にすべきものがあるのではないか? ジャーナリズムは,共和主義一丸,火の玉となるのではなく,熱冷ましのため,日本の狂乱ナショナリズムを報道してみてはいかがであろうか。

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2006/09/05

「法の支配」と憲法の改正

谷川昌幸(C)

やっとまともな憲法論に巡り合えた。著者は,残念ながら,ネパール人ではない。

Jenik Radon, "A Constitution - A Living Instrument," eKantipur, Column, Jul.2

1.著者ラドン氏
著者の名前はラドン氏。放射線で焼き殺されそうな恐ろしい名前だが,たぶん本名だろう。コロンビア大学助教授で,インデラガンディー研究所の客員教授も務めた。

専門は国際経営法学らしく,石角完爾氏と共同で「Radon & Ishizumi法律事務所」を運営されている。扱っておられる分野には,いかにもラドン氏らしく,石油・鉱山等の資源関係もあるらしい。
  (参考)千代田国際経営法律事務所 / 石角完爾氏

 そのラドン氏が,どうしてネパールに興味を持たれ,カンチプルに憲法論を寄せられたのか,そこは全く分からない。ここでは,そうしたことはカッコに入れ,論文の内容そのものを紹介することにする。

2.90年憲法の改正
ラドン氏によれば,1990年憲法はたしかに王権規定に問題はあったが,この憲法で初めて人権が認められ,社会的,経済的公正の基礎が確立されたのであり,したがって全面廃棄ではなく,改正こそが望ましい。なぜなら,「継続性,法の支配の遵守」がなければ,ネパールの国際的信用は失墜し,発展は望めないからである。90年憲法は,ネパール民主化のpivot(原点)であり,土台なのである。

3.生きている憲法
「この憲法は生きている制度(a living instrument)であり,したがって時代に合うように変更,調整しなければならない。」 憲法は,ひとつの共有の正義感覚の下に様々な人々を一つにまとめている精神を文書化したものなのである。

4.法の支配
ラドン氏は,その憲法の精神ないし魂を「法の支配」と呼び替え,その起源はRechtstaatにあるという。つまり,「恣意的権力行使ではなく,予見可能で信用できる成文の規則や法律によって統治される国家秩序」である。

「1990年憲法は生きている文書であり生命を持つ制度だから,新憲法はそこから生まれ出るものでなければならない。そして,それは世界中で認められているように,法の支配によって,つまり憲法改正の合法的手続によって行われるものでなければならない。」

5.根本規範としての憲法
憲法は,すべての法の基礎であり,法の支配の中心である。 だから「1990年憲法を安易に廃止してしまえば,ネパール人がこれまで享受してきた大切な人権や他の諸法の正統性も妥当性も否定されてしまうことになる。」

「1990年憲法は,基本的には,その精神において民主的であり,したがって改正による変更を予想し許容している。」だから,憲法の改正手続きに従って改正すれば,国家秩序の生命としての「法の支配」は少しも害されることはない。

6.「法の支配」否定の愚
「憲法改正以外の方法(憲法廃止)は,ネパールを治めている秩序と正義の命の鼓動を止めてしまうことだ。」 ここで「法の支配」を殺してしまうと,習い性となり,また「法の支配」は無視される。

「そうなれば,不安定と予見不能性が生じ,ネパールは政治的にも経済的にも国際社会で評価を落とし,受け入れられなくなり,信用を失うだろう。」

「投資家は,投資の安全を確保するため,安定した予見可能な法の支配の枠組みがなければ,その国には投資しないだろう。」

7.南アフリカに学ぶ
ここでラドン氏が引き合いに出すのが,南アフリカのネルソン・マンデラ氏だ。

南アフリカののアパルトヘイトは国際的非難を浴び,既存憲法の廃止を主張しても,それには十分正当な根拠があるように思われたが,「平等な権利への闘士にしてノーベル平和賞受賞者のネルソン・マンデラとその党は憲法廃止を求めず,その改正を要求した。」

「革命的精神を持っていたにもかかわらず,彼らは,現行統治体制と法の支配の精神との間の重要な区別をすることができた。その結果,彼らは法の支配の枠組み内で,新憲法を起草した。その1996年憲法は世界で最も進歩的な憲法と称えられているにもかかわらず,正式名称は1996年第108法(Act108 of 1996)である。名称は地味だが,はっきり示しているのは,この憲法は無から(ex nihilo)生じたのではなく,南アフリカの法の支配遵守の精神を具現していた前憲法から生まれたということだ。南アフリカがその後享受している平和と繁栄は,その法の支配遵守が正しかったことの証である。」

8.民主化過程の永遠性
ラドン氏は,民主化は「決して終わることのない永遠の発展過程」だという。それは「人類の不断の闘争」であり,終わりはない。民主主義(democracy)は民主化(democratization)としてのみ存在する。

「ネパールはいま難しい選択に直面している。勝利に浮かれ,1990年憲法を無視し抹殺してしまうか,・・・・それとも民主主義的手続により90年憲法を改正するという課題に取り組むか。」

ラドン氏は,ネパール人民が法の支配を遵守し,改正手続により憲法を改正し,こうすることにより「国民の生命の鼓動に新しい力を与える」ことを期待している。

9.革命か改良か?
以上のラドン氏の憲法論は,資本主義(企業・投資家)のための法秩序の安定というイデオロギー性はあるものの,それをとりあえず棚上げにするならば,議論自体は問題の核心をついており,私はほぼ全面的に同意する。

むろん,改良(改正)ではなく,革命が必要な状況はある。ラドン氏も,放射線で焼き殺さねばならないような悪質な,改良の余地のない体制や憲法があることは,おそらく認めているであろう。こうした場合は,革命,つまり旧憲法の全面的破棄もやむを得ない。

しかし,いまのネパールは,どう見ても革命の危険を冒さなければならないような状況にはない。90年憲法の改正手続で改正は十分に可能なのだ。

「法の支配」は,むろん保守的な政治原理だ。ラドン氏は,ドイツのRechtstaatを引き合いに出すが,むしろそれはイギリスの伝統的な「法の支配」と考えた方がより適切だ。

人々の歴史的に共有する根元的な規範意識(=法)にすべての人が従うというのが「法の支配」である。それが破壊されてしまえば,どんな憲法を作ろうが,憲法を支える共同体が崩壊してしまっており,守られはしない。「法の支配」の精神が失われたら,社会はアナーキーとなるだろう。

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2006/09/03

マオイストの水ぶくれ危機

谷川昌幸(C)

ほんの数年前,マオイストについて話すと,南アジア専門家にすら,過大評価だと批判された。あんな反体制運動は毎度のことで,大騒ぎすることはない,と。

ところが,最近は評価が逆転,いまやマオイストが天下を取りそうだと大騒ぎだ。NHKBSも9月2日,50分のマオイスト特集を放送した。以前の過小評価は間違いだったが,最近の過大評価も問題だ。

1.ネパール型共産主義
いうまでもないことだが,マオイズムといっても,これはネパール型であり,たいしたことはない。

いまでは日和見軟弱政党と見られている統一共産党(UML)にしても,Communist Party of Nepal-Unified Marxist-Leninist (UML)という立派な名前を持つれっきとした共産党である。この党が政権を取ったとき,どうなるかと心配した人が少なくなかったが,何のことはない,日本とも仲良く交際し,カースト制は率先して保持し,資本主義的搾取の強化にも積極的に協力し,アメリカや日本の政府を喜ばせた。

統一共産党にとって,マルクス,レーニン,スターリン,毛沢東らの写真を掲げ,党章を所かまわず壁に描かせ,赤旗を振ってデモ行進させるのは,要するにexcuse,本気で社会革命をやる気はさらさら無い。

2.「ネパール文化の古層」
かつて丸山真男が,日本文化における「歴史意識の古層」を指摘した。外国のどのような思想であれ,日本に入ってくると,この古層により本質的に変化し,日本化されてしまう,ということである。

これと同じことが,ネパールについてもいえるのではないか? 外国の思想は,ネパールにはいると「ネパール文化の古層」により大きく変質し,別物になってしまう,と。

現在の統一共産党にとって,マルクスも毛沢東も共産主義も,党の政策とはほとんど関係はない。それらは民衆動員のお題目にすぎない。

もしそうだとすると,マオイストも同じ運命をたどる可能性が高い。幹部連中を体制内に取り込んでしまえば,これで一件落着,資本主義万歳となるだろう。本気で社会革命なんかやるはずがない。

だから,マオイストを過大評価し,必要以上に恐れることはない。資本主義ゲームに入れて欲しいといっているのだから,仲間はずれにせず,入れてあげたらよい。

3.移行期の不安
アメリカやインドは,もちろんこんなことはよく知っているはずだ。にもかかわらず抵抗しているのは,移行期の混乱を恐れているからにすぎない。

マオイストが政権参加すれば,頑迷な旧勢力は排除される。たとえマオイストがいなくても,これら王室を中心とする前近代的諸勢力は資本主義化の障害であり,いずれ淘汰される運命にはあるが,あまり急激にやると,権力の空白が生じ,アナーキーになる恐れがある。これを米印は心配しているのだ。マオイストの権力参加はかまわないが,激変は避け,安全に資本主義体制に移行して欲しいというのが本音だろう。

4.人柱または弾よけとしての国王
だから米印にとって国王(王制)は,マオイストを穏当な形で政権参加させるための人柱であり,最後までとことん利用するだろう。

あるいは,国王(王制)は,7政党にとっては絶好の弾よけ。国王(王制)がいるからこそ,マオイストとの交渉が何とかできているのだ。王様がいなければ,ギリジャ政権など,とうの昔に粉砕されてしまっている。

5.マオイストの急拡大
このように,マオイストを政権参加させることができるなら,マオイストは張り子の虎だが,失敗すると,これはやっかいなことになる。過小評価も危険なのだ。

マオイストを成長させたのは,アメリカが押しつけた経済自由化。ラテンアメリカで起きたことが,少し遅れて,いまネパールで起きているのだ。

経済自由化でネパールの旧体制が動揺し,貧富の格差と大量の失業者が生まれ,これがマオイスト勢力の拡大をもたらした。

6.10万マオイストの水ぶくれ危機
マオイストの現在の勢力がどのくらいか,正確には分からないが,昨年11月の7政党=マオイスト合意以降,マオイストへの転向が急増し,現在では人民解放軍3〜4万とも,民兵を入れ10万(The News-PK,Sep.3)ともいわれている。もし10万とすると,国軍とほぼ同じだ。

このマオイスト急増をどう評価するか? 7政党に対しては強力な圧力となることはたしかだが,その反面,これは明らかに水ぶくれである。7政党=マオイスト合意で政権がちらつき始めたので,権力の分け前に与ろうと,どっと参加者が増えたのだ。

しかし,10万人ともなると,統制が難しいし,そもそも食わせるだけでも大変だ。強制寄付,強制寄食等々,いやでも停戦行動綱領違反をせざるを得ない。水ぶくれマオイストは,もはや待てないのだ。

7.停戦監視の難しさ
また,和平交渉が進展して国連による停戦監視に入っても,実効性がどこまであるか疑わしい。

そもそも人民解放軍は一種の「失業対策事業」であり,鉄砲を担ぐ乞食(こつじき)だ。「人民解放」の大義名分がなければ,凶暴な押し込み強盗か単なる物貰いにすぎない。

停戦監視となると,その大量の失業人民解放軍をキャンプに入れ,メシを食わせなければならない。もはや乞食はできない。

しかも国連関与となれば,3万人も4万人もメシ目当てにキャンプに押し寄せてくるかもしれない。どうするつもりか?

さらに,これはいわば「正規軍」だけ。もし民兵10万人とすると,キャンプ外に大量のゲリラが残ることになる。彼らは,ここでまた差別され,あぶれ,メシを食わせてもらえない。そんな彼らが,幹部の命令通りおとなしく武器を捨てるとは思えない。

8.王制廃止では済まない
このように見てくると,7政党もマオイストも難しい局面に来ていることが分かる。単なる王制廃止で決着するほど,ことは簡単ではないのである。

* Suresh Nath Neupane, "Maoists will lead protests if talks fail to reach political consensus: Prachanda," eKantipur,Sep.2.

* "Nepal's Maoists to launch Protests," The News-PK, Sep.3.

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2006/09/02

ロールズの正義と核保有

谷川昌幸(C)

John Rawls(1921-2002)は,現代アメリカの代表的哲学者であり,主著『正義論』(1971)は国家や社会について考える時の必読文献である。また『政治的リベラリズム』(1993)は,異なる価値観のあいだの「公共的理性」による合意の可能性を説いたものであり,いまのネパールの政治状況を考える時の参考にもなる。

そのロールズの3番目の著書『万民の法』(1999)の翻訳が出たので,読んでみた。

ジョン・ロールズ『万民の法』岩波書店,2006
 John Rawls, The Law of Peoples, Harvard UP, 1999

書名が興味をそそったので大いに期待したが,これにはがっかり,こんな議論はダメだ。むしろ,ロールズともあろう人がなぜこんな議論をするようになったか,そちらの方がはるかに知りたいところだ。

1.国家民衆の5分類
ロールズは,国の民衆(people)を次の5つに分類する(p.4)。
 (1)道理をわきまえたリベラルな諸国の民衆(reasonable liberal peoples)
 (2)良識ある諸国の民衆(decent peoples)
 (3)無法国家(outlaw state)
 (4)不利な条件の重荷に苦しむ社会
 (5)仁愛的絶対主義(benevolent absolutism)の社会

これらのうち(1)と(2)は「秩序だった諸国の民衆」とされ,「万民法」はこの2つの国の民衆に妥当する。単純化して言い換えるなら――
 (1)理想的なリベラルな民衆
 (2)リベラルではないが,許容される民衆(後述)
 (3)outlawの許容され得ない国
 (4)困窮下にあり援助されるべき民衆
 (5)いくつかの人権は守られているが,政治参加は認められていない民衆

ロールズ自身は,回りくどく否定しているが,これは実際には,西側リベラル民主主義が最高であり,これをお手本にしなさいということに他ならない。

2.カザニスタンは侮蔑では?
たとえば,ロールズは(2)の民衆を説明するのに,カザニスタン(Kasanistan)という架空のイスラム国を設定している。この国は,リベラルには劣るが,「良識のある」国であり,万民法を守ることができ,したがって許容される。

ロールズに悪意はないであろうが,カザニスタンの国名は中央アジア風であり,カザフスタン,アフガニスタン,パキスタンなどを当然連想させる。

ロールズは,このカザニスタンを「良識ある階層社会のイスラム教徒の民衆」と呼んでいる。しかし,ムスリムからすれば,堕落したリベラルごときに「良識ある」などとバカにされたくはないだろう。彼らにとっては,イスラム社会こそが最善であり,二流扱いされるいわれは全くないはずだ。この本がもしイスラム圏で読まれたならば,焚書にされてもおかしくはない。

ロールズのような一流の学者でも,「正義」を掲げると,他の価値観への想像力が失われ,西洋中心主義に傾いてしまうようだ。

3.民主主義の平和
この「正義」論から出てくるのが,民主主義平和論(democratic peace)だ。これは,もう,どうしようもない。ブッシュ氏が大喜びしそうな議論だ。

「戦争の問題にかんする決定的な事実は,立憲民主制社会同士が互いに戦争を始めるようなことはないということである。これは,そうした社会の市民がとりわけ正義を尊重するよき人々だからというわけではなく,ただ単に,彼らにはお互いに戦争をする理由がないということである。諸々の民主的社会と近代初期ヨーロッパの国民国家群とを比較して見よ。イングランド,フランス,スペイン,ハプスブルク朝オーストリア,スウェーデン,その他の国々は,領土や宗教的正統性,権力と名誉,列強間での優越的地位を手に入れるために,王朝間戦争を繰り広げた。これらは君主や王族たちの戦争だったのである。こうした社会は,その内的な制度構造からして,生来,他の国家に対して侵略的で敵対的な形に築かれていた。民主的社会間の平和という決定的な事実は,民主的社会のその内的な構造に理由を持っている。というのも,こうした社会は自衛のためであったり,諸々の人権を守るための不正な社会への介入などの危機的ケースを除けば,あえて自ら進んで戦争を開始したりしないからである。立憲民主制社会はお互いに安全が保障されており,それらのあいだでは,平和があまねく行き渡るのである。」(p.9-10)

これは,明白なウソだ。近代以降についてみると,ほとんどの戦争に民主主義国が関与している。特に第2次大戦以降のおびただしい地域紛争には,たいてい民主主義国が直接または間接的に関与している。これは常識だ。

またロールズは,民主主義国には「戦争をする理由がない」などと,とぼけたことを言っている。先進民主主義国は,周縁諸国からの搾取構造を作り上げ,これにより経済的繁栄と政治的民主主義を享受してきた。民主主義諸国の平和は,途上国にとっては構造的暴力である。もし途上国がこの構造を変えようとすれば,先進諸国は防衛行動を取るのであり,事実,世界各地で戦争をしてきた。先進民主主義国は相互に攻撃はしていなくても,構造的暴力という戦争の渦中にあるのであり,しかもその構造を守るための「戦争をする理由」は山ほどあるのである。

4.正戦論
ロールズ自身,リベラルな国の民衆には「戦争をする理由がない」と言っておきながら,平気で,次のようにいう。

「民主的平和の観念は,次のことをも含意する。リベラルな諸国の民衆が戦争をするとすれば,それは,満足していない社会,つまり(私のことばで言えば)無法国家との戦争以外にはあり得ないということだ。そのような国家の政策がリベラルな諸国の安全や安定を脅かすとき,リベラルな民衆は戦争を行うが,それは,自分たちのリベラルな文化の自由と独立を守り,自分たちを従属させ,支配しようとする国家に真っ向から対抗しなければならないからである。」(p.66-67)

5.無法国家への非寛容
ロールズの正戦論は,自衛戦争の域を超え,無法国家への非寛容,攻撃へと突き進む。

「われわれは,リベラルな諸国や良識ある諸国の民衆のための万民の法を彫琢してきたが,これにしたがえば,それらの諸国の民衆は,断じて,無法国家を寛容に受け入れることはない。このように,無法国家に対する寛容を拒絶することは,リベラリズム,ならびに,良識あるということの当然の帰結である。・・・・リベラルな諸国と良識ある諸国の民衆は,万民の法の下,無法国家に寛容な態度で望まない権利を有しているはずである。リベラルな諸国と良識ある諸国の民衆には,このような姿勢を示すことにかんし,極めて正当な理由がある。無法国家は好戦的で,危険な存在である。このような国家群がそうしたやり方を改めれば――ないしは,無理矢理にでも改めさせられれば――あらゆる国の民衆はますます安全に,かつ安心して暮らせるようになるだろう。」(p.117)

自由は,自由を否定する自由は認めない,という周知の議論であるが,ロールズのこの部分の主張は,そうした本来は防衛的な議論がいかにたやすく自衛の範囲を超え,積極的な正義実現のための正戦論に転化するかを如実に物語っている。

6.都市爆撃,核保有の容認
ロールズにおいては,無法国家が相手となると,都市爆撃も核兵器保有も認められてしまう。

「第二次世界大戦中,イギリスは適切にも,民間人の厳格な地位を一時停止とし,そして,これにより,ハンブルクやベルリンに爆撃を加えることができた。・・・・それは,こうした爆撃により何かとても大きな成果が得られる場合に限っての話しである。・・・・イギリスが孤立した状態にあり,ドイツの圧倒的な力をうち負かすためにそれ以外の手立てが見当たらなかったような段階なら,ドイツ諸都市への爆撃も,おそらくは正当化可能であったと言えるだろう。」(p.144)

「無法国家が存在する限り,無法国家を寄せつけず,無法国家が核兵器を手に入れて,リベラルな民衆の諸国や良識ある民衆の諸国を相手にすることがないよう,ある程度の核兵器は保持する必要がある。」(p.12)

正戦論を認めたら,結局は,核保有を認め,核保有を認めたら,核使用を認めることになる(使用を前提としない核保有は形容矛盾だから)。現代最大のアメリカ哲学者ロールズも,原理的にはネオコンのブッシュ氏と何ら変わらなくなってしまった。

むろん,ここで公平のために,ロールズが都市爆撃や原爆使用に厳格な制限を付していたことは,明記しておかなければならない。戦争の帰趨がほぼ決まった後のドレスデン爆撃や対日焼夷弾爆撃は許されないし,広島・長崎への原爆投下もむろん許されない。

しかし,無法国家に対する正戦を認めてしまえば,都市爆撃にも原爆使用にも歯止めはかからなくなる。ドイツ軍が圧倒的に攻勢だった頃,もしアメリカかイギリスが原爆を完成させていたなら,ロールズの理論からすれば,原爆は使用されてもよいことになる。しかし,本当にそれでよいのだろうか? このギリギリの選択に迫られたとき,最も観念的と思われていたガンジーの非暴力的抵抗が実際には非常に現実的な選択肢として浮かび上がってくるのである。

7.正戦論の危うさ
ロールズの正義論は,神はむろんのこと,人民の意思などを引証して絶対的正義を唱えるような類の正義論ではない。もともとそれは,社会契約論の伝統に立ち,個々人の権利を公平に調整するための権利調整原理に他ならなかった。

しかし,そのリベラルなロールズでさえも,「正義」「公共的理性」などを口にすると,民衆を「良識ある民衆」とそうでない民衆に分け,正戦論をとり,ついには都市爆撃や核保有まで認めることになってしまう。学者らしく周到な限定が随所に付されているが,それらを外し議論の大筋を追うと,現代アメリカの対テロ戦争のイデオロギーに近いものになってしまう。

いまネパールでは,「人民」「人民権力」「民主主義」などの抽象的政治観念が政治の場でさかんに唱えられている。そうした観念は,民衆動員力が大きいく,使いたくはなるだろうが,本質的に危険であり,取り扱い要注意である。幹部たちが「人民」といったら,「それは誰」とつねに問いただすくらいの気構えが必要であろう。