1.バクタプール入場料10ドル
8月29日は牛祭り。バクタプールで見学した。入場料10ドル。安い! ちゃんと保存してくれるなら,これくらいの負担は当然だ。それなのに,密入場したと自慢したり,ごまかし方を伝授したり。品格を疑われるようなことはすべきではない。
2.陽気な葬送
牛祭りはその年なくなった身内を送る行事。これが気に入っているのは,陽気なこと。神仏(守護者)を喜ばせようと,陽気にはやし立てる。
そう,死は決して悲しむべきことではない。いきさつはどうであれ,結局は天寿であったのであり,来世の幸せを祈り,楽しく送り出す。よい習慣だ。
3.マンガル・ドゥーンで華々しく
私の葬儀も,にぎやかに,マンガル・ドゥーンで華々しく挙行してもらおう。バクタプールでも何組か楽隊がマンガル・ドゥーンで葬送していた。なかなか味はあったが,音楽的にはいまいちだった。西洋音楽の教育しか受けていなくても,ネパール音楽の善し悪しは分かる。私の葬儀用に,よいCDを見つけたいと思っている。
4.新国歌はやはりダメ
蛇足ながら,ネパール新国歌について何人かのネパール人に尋ねたところ,「歌詞はよいが曲はダメだ」という意見ばかりだった。やはりネパールでも新国歌に違和感を感じている人が少なくないらしい。
国歌は権力で強制して歌わせる歌だ。親しまれ,自然に歌われるような国民愛唱歌であるべきだろう。
ネパールは経済学の教科書のようだ。人民は経済外的強制から解放され,自由な労働者になりつつあるが,これは餓死への自由であり,これがいまのルピー高を支えている。皮肉なものだ。
カースト制は,ダリットはいうに及ばず,経済の論理以外の理由により人々を拘束している。下位カーストも上位カーストも自由な個人ではなく,カースト規制の続く限り,資本主義の発展はあり得ない。
そのカースト制が急速に弛緩し,人々は移動の自由,職業選択の自由を得つつある。逆に言えば,雇用者側は保護下の人々を自由にクビにし,経済合理性を追求してもよいのだ。こうしてカースト的保護を失った大量の失業者が生まれる。餓死の自由こそ資本主義発展の条件だ。
それでも国内に仕事があればまだよいが,ネパールにはそれがないので,3K覚悟で海外に出稼ぎに出ざるを得ない。新聞には連日海外出稼ぎ広告が出ている。世界的企業は,ネパール人出稼ぎ労働者を安価で使い捨てにすることによりぼろ儲けをしている。
この海外出稼ぎ労働者が大量の外貨をネパールに持ち込む。ネパールルピーはインドルピーと連動しており,インドルピー高が直接の原因とは言え,そうした出稼ぎ送金がなければ,いまのネパールルピー高はあり得ない。
海外から持ち込まれた大量の外貨は,他に投資先がないので,不動産投資に向かう。カトマンズはいま大変な建設ブーム。一見華やかだが,その背後の出稼ぎ労働を思うと心穏やかではいられない。
カースト的保護を奪うのであれば,それに代わるべき国内雇用の拡大は不可欠だ。餓死の自由を与えるだけの解放では,ネパール社会の安定は期待できない。
●海外出稼ぎ:月約4万人(公式2万人,非公式約2万人),昨年比16%増
湾岸諸国,マレーシアなどへ
●貿易収支赤字:739億ルピー(2004),毎年増加中
* The Himalayan Times, 28 Aug.; Kathmandu Post 28 Aug.
カトマンズの清掃事業については全く知識はないが,ゴミ山積を見ると大変な状況らしいということは想像がつく。生活用品が自然素材でつくられていた頃は,使用後,自然に戻るが,プラスチックなど工業製品が増えてくると,ゴミ処理も近代化・合理化せざるをえない。
今日,コーラ(500ml)を買ったら,定価(本体印刷)32ルピー。高い! が,結構売れている。そして,そのプラスチック容器が数分後にはゴミとなって捨てられている。
コーラ帝国主義!
コカコーラ社は,ビンでは飽きたらず,プラスチック容器化で軽量化,回収不要化し,儲けを倍加させ,後のゴミ処理は人民負担とする。コーラ帝国主義の神髄だ。(むろん、ここではコーラは消費資本主義の象徴)
「消費は美徳」という悪徳が侵入する以前のカトマンズは,伝統的カースト分業によりゴミは処理されていた。清掃人へのカースト差別がケシカランことはいうまでもないが,彼らは少なくとも職業としては保護されており,ゴミもきちんと処理されていた。カトマンズは美しかった。
ところが,コーラのペットボトルに象徴される近代ゴミは伝統ゴミとは全く異質で,量もけた違いに多い。伝統的カースト分業ではどうにもならない。こうして,ゴミ処理の近代化=合理化=民主化が始まる。
コーラ帝国主義は,ペットボトル化で儲ける一方,ゴミ処理の近代化を強制し,伝統的清掃人を失業させる。清掃人組合が抵抗しているらしいが,コーラ帝国主義には敵わない。カースト差別は悪であり,近代化=民主化は善だからだ。
コーラ丸儲け,ネパール人民丸損。
Tanigawa(C)
8月24日の7王宮国有化実施について,マスコミは王制廃止への一歩前進とはしゃいでいるが,実際には必ずしもそうとは言い切れない。7王宮国有化は,翌25日のマオイストの選挙4月延期表明とセットであり,その心は儀式王制存続という見方も出来る。
このところマオイストの人気はがた落ちで,一方,国王クーデターの噂は絶えない。マオイストは自由選挙を実施すれば大敗は確実で,比例制で十数人当選が関の山だ。選挙は出来ない。
だから,自分たちの決めた暫定憲法を無視し,選挙実施に次々と条件を付け,引き延ばしを図ってきた。そして,いよいよとなって4月延期を表明したが,カッコがつかないので王宮国有化実施を宣言させ,その代わりクーデターを断念すれば儀式王制を残すという裏取引をした。そんなところではないか?
マオイストと国王との怪しい関係は,公然の秘密だ。面白い話しだが,確証が取れないので困る。
1.民族インフレ
ネパールはいま「民族(ethnicities, nationalities)インフレ」。民族自治,民族自決,民族代表等々,「民族」がつけば恐いものなしだ。セミナーなど,「民族」産業も繁盛している。
しかし,周知のように,民族ほど恐いものはない。カースト制も王制も。民族を制度化し,パンドラの箱に押し込める工夫であり,それなりに機能してきた。ケシカラン制度ではあれ,破滅的な民族解放よりはましとはいえる。
それなのに,カースト制や王制のケシカラン側面だけを見て,それらを安易に除去し,パンドラの箱を開け,民族を野に放とうとしている。危ないぞ,これは。
2.近代民主主義と民族
近代革命は人民主権を掲げ,国民国家を形成した。国民主義,つまりナショナリズムであり,民族主義の勝利だ。
ところが,この市民革命で勝利したのは,自己を国民とすることに成功した大民族だけ。中小民族は,大民族への同化を強制され,従わなければ弾圧された。近代民主主義の民族自決は,大民族独裁民主制のことである。
3.共産主義と民族
この近代国家のまやかしを鋭く批判したのが共産主義だが,しかしその共産主義にとっても民族は難物だ。アキレス腱といってもよい。
「プロレタリアートは祖国をもたない」「万国の労働者よ団結せよ」
この『共産党宣言』の階級による民族の否定こそが,共産主義の大原則だ。こういうと,そんな単純なことはない,共産主義者は民族を重視し,民族自治を繰り返し主張してきたと反論されるかもしれない。が,史的唯物論からしても,階級つまりプロレタリアートこそが普遍性をもつのであり,だからこそ万国の労働者は団結し,世界革命に立ち上がれるのだ。共産主義にとって,民族は所詮革命の手段,道具にすぎない。
いやそれどころか,ブルジョアどもが人民主権の美名でブルジョアジーの利益を守り,しかもそのブルジョアジーも実際には自己を「国民」となしえた大民族に他ならなかったのと同じように,普遍的階級としてのプロレタリアートとは,自己を国民となし得る「歴史的民族」のことであり,あるいは世界を支配すべき「世界史的民族」のことであった。これをみても,共産主義が西洋近代の嫡子であることがよく分かる。共産主義は,フランス民主主義(ルソー主義)とドイツ民族主義(ヘーゲル主義)の継承者なのだ。
4.レーニンと民族
そんなことはない,レーニンは民族自決を強力に主張したと反論されるかもしれない。たしかに,多民族を抱えるロシアにおいては,諸民族を味方に引き込まなければ革命は不可能であり,だからこそレーニンも民族問題に積極的に取り組み,民族自決を唱えたのだ。
「民族とは,歴史的に形成された,安定した,人々の共通性である。それは,言語,地域,経済性,および文化の共通性に現れる心理状態の共通性を基盤としている」(スターリン『マルクス主義と民族問題』1913)。
レーニンは「言葉と領域」を強調するものの,民族定義はこれと基本的には同じであり,これがロシア共産党の公式の定義となっていく。
レーニンらはこの民族に自決権を与え,民族の言語や文化を尊重せよとさんざん表明したのに,どうして共産主義はユダヤ人弾圧や少数民族抑圧,さらには他民族国家侵略に逸脱していったのか?
詳しくは後述するが,それは要するに,共産主義にとっては階級は民族に優先するからに他ならない。そして,もしネパール・マオイストも共産主義政党なら,彼らの宣伝する民族自治,民族代表は,要注意だ。そもそもマオイストは,階級と民族の関係をどう考えているのだろうか?
*資料なしで書いているので不正確な部分があるかもしれない。誤りがあれば,後で訂正します。
* "HBC FM man goes on hunger strike," Himalayan Times, Aug.13
* "Maoist
workers threaten AP journalist," Himalayan Times, Aug.12
* "Maoists obstruct
printing of THT, AP," eKantiour, Aug.12
谷川昌幸(C)
新国歌が8月4日,正式決定され発表された。音楽(メロディ)は好きずきだが,出来不出来は厳然としてあり,趣味判断は出来る。ズバリ,新国歌はダメだ。歌詞は別として,こんな曲では元気も出ない。「君が代」といい勝負だ。
●新国歌(2007.8.4-)
・作詞 Byakul Maila
・作曲 Amber Gurung
●旧国歌(1899-)
・作詞 Chakrapani Chalise
・作曲 Bakhatbir
Budhapirthi
そもそも国歌を政府が権力的に決定するという発想が時代錯誤だ。国歌は長年歌い継がれてきたものが国民愛唱歌となり,国歌となる。それなのに,お上(政府)が決めて下々に与えるなどという反民主主義的発想に囚われているから,こんなしっくりこない小学校校歌のような曲を国歌にしてしまうのだ。
こんな曲なら,旧国歌の曲に新しい歌詞をつけた方がはるかによい。フランスやドイツですら,都合の悪い歌詞を時代に合わせなんとかやりくりし,古い国歌を使いつづけている。
ネパール旧国歌のメロディは,短いにもかかわらず威厳があり,元気が出て,いかにも有り難い曲だった。100年もの歴史をバカにしていると,文化が廃れてしまう。
"Nepal's national anthem is one of the oldest in world history. Since a monarchy was established by Prithvi Narayan Shah after unifying the petty states into Nepal, the then poet Chakrapani Chalise took upon it, as early as 1899, to pour national tribute through the national anthem. The music was composed by Bhaktabir Budhapirati. Thus, it has been molding the Nepalese nationalistic psyche for one hundred and seven years." (Bijay Kumar Rauniyar, Rising Nepal,2006-9-16)
* Cf. e-Kantipur, 4 Aug.(語句一部訂正,英文記事追加,8/5)
*「稚拙な」を「しっくりこない」に修正,「学芸会」削除(8/9)
▼参考意見(8月12日追加)
Kathmanduspeaksというブログに,次のような意見が出ていた。著者がどのような方か全く存じ上げない。どのような立場の方であれ,国歌を公定するについて,異論はあった方がよい。参考までに,抜粋を掲載する。もともと歌詞の議論だったようだが,意見は曲の方に集まっている。曲に違和感をもつ人が,ネパールにも少なからずいるようだ。
Kathmanduspeaks
I won't sing the song- and, perhaps, it
won't make a difference. But for me- it makes a lot of difference. "Rato Ra
Chandra Surya"- is far more patriotic and historic than this Mahila's
crap.
National Song or National Shame
Do you expect me to sing Byakul's
song? Should I stand when it's played on government programmes and functions? Do
you expect me to show respect to my national anthem? Then, throw the new anthem
into a dustbin. Conduct a referendum- not now, dear leaders, don't worry- to see
if we, Nepali people, accept it as our national song or not. It's not that you
can decide if our country will be Nepal or New-Nepal with a monarch or a
president or we'll be a democracy or a republic- you just do your job- show us
that you can hold CA elections on time. As for the rest- leave them unto
us.
"I was telling my mom how Indian national song is- and how they sing the
national anthem of Netherland with full synergy," my friend said, "But when our
national song was played on the television, I was so sorry. Do we call this a
national song?"
"This song is like one we used to sing in our annual
school-day functions," another said.
"When Rato Ra Chandra Surya' is played,
our blood boils with patriotism. I don't like this song, but now that they have
made it our new anthem- we must accept it. It's not so bad, isn't it," my
another colleague said sarcastically.
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August 4, 2007
6:51 AM
Nepali Akash said...
the way it ends with "jaya jaya nepala"
lacks melody. Sounds like a pop version of a folk song.
August 4, 2007 10:43 AM
Prajwol said...
I agree with Nepali Akash.
Though, it's very hard to replace the anthem that we are used to all our lives,
I believe the composition could have been better.
I have no problem with the
words, it seems quite comprehensive, but I was really hoping for better
compositon . Since this is a national issue, rather than just assigning handfull
composers, government could have asked everyone/anyone to come up with a tune,
and conduct a popularity poll to finalise.
Like I mentioned earlier, since we
were used to previous version, it might take us little long time to getting used
to new one, and ultimatly liking it.
* http://kathmanduspeaks.blogspot.com/2007/08/nepals-new-anthem.html
1.ネパール側,防衛副大臣に開発期待
カンチプル(31Jul)が木村隆秀防衛副大臣の訪問を大きく報道している。興味深いのはまたもや報道内容。カンチプルは,木村副大臣が制憲議会選挙と平和構築への期待を述べたと紹介したあと,
・観光
・水力発電
・インフラ整備
についてサハナ・プラダン外務大臣と意見交換したと報道している。日本は水力発電所建設と観光振興への援助を確約したとも念押ししている。陸自隊員の軍事監視活動視察の記事は付け足しだ。
2.日本側,防衛副大臣の訪ネ目的は軍事監視視察
では,日本大使館の公式訪問発表文(30Jul)はどうなっているのか?
訪問目的: UNMINの日本軍事監視員の活動視察
あれあれ! 軍事監視活動の視察だけ。 防衛省情報によると思われる時事通信(7/27)記事では,「国連の軍事監視要員としてネパールに派遣されている陸上自衛官を激励するほか、同国のコイララ首相を表敬訪問」。日本側はもっぱら軍事なのに,ネパール側は経済協力ばかり。
ネパールでは,防衛副大臣が訪問しているのに,軍事的なことではなく,開発援助に関心が集まる。木村副大臣としては不本意であろうが,私はこれこそ日ネ友好の偉大な遺産だと思う。日本の平和国家のイメージがネパールではまだ強烈に残っているのだ。
3.日ネ報道比較
日本側の続報はまだだが,大胆に予測すれば,開発援助なんか後回しで,勇ましい軍事監視活動視察記事となりそうだ。
こうして,日ネ両国民の間に誤解が拡大再生産され,日ネ友好の過去の遺産が食いつぶされていく。
4.帝国主義的搾取者,日本
非軍事的日ネ友好の遺産はかけがえのないものであり,在ネ日本人の安全はこの遺産により保障されているといってもよい。
そもそも日本人がネパールでは誰からも好意的に見られているというのは,根拠のない幻想だ。日本人は,共産主義諸勢力にとって,印米に並ぶ帝国主義的搾取者に他ならない。たとえば,いま手元にあるH.ヤミ=B.バッタライ共著「ネパールの民族問題」(2007)では,こう批判されている。
「・・・・ネパールは,1950,60年代以降,日本,ドイツ,アメリカ等の強国との新植民地主義的関係を強化してきた。」
「ネパールを支配している他の(アメリカ以外の)強国は,主として日本とドイツであり,その支配形態は貿易と金融によるものだ。」
光栄なことに,マオイストにとって,日本は印米並の搾取者,ときにはその筆頭にあげられている。日本人はネパールのお友達と思っているかもしれないが,マオイストや共産主義諸派はそうは思っていない。日本はネパール人民の敵なのだ。
5.陸自派遣の危険性
そこに日本が軍隊を派遣した。「個人派遣」などといっているが,それならなぜ防衛副大臣が「激励」(前線視察)に行くのか? ネパール側からすれば,派兵と何らかわりはない。
いまは防衛副大臣が前線視察に出向いても,話しは開発援助ばかりのようだが,いずれ日本側の報道も伝わり,陸自派遣は軍事目的だということがネパール側にもはっきり分かるようになるだろう。
そうなったとき,非軍事的日ネ友好の長年の努力は水泡に帰し,そして,マオイストらの帝国主義的・新植民地主義的支配者=日本人という見方が一気に広がるだろう。
アフガンやイラクを見れば,派兵がその地に居住する同胞にとっていかに危険なことかは明白である。マオイストにとって,日本(人)は打倒すべき搾取者だ。いまはスローガンかもしれないが,派兵によりそれがスローガンにとどまらない恐れが出てきた。
ネパール在住日本人の安全のためにも,陸自は速やかに撤兵すべきだ。
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The Official Visit of Mr. Takahide KIMURA
Senior Vice-Minister for Defense of Japan to Nepal
Purpose of the visit
Inspection of the activities of Japanese Arms
Monitors of UNMIN.
Courtesy Call on Rt. Honorable Prime Minister and Minister for Defense Mr. G. P. Koirala and Honorable Minister for Foreign Affairs Ms. Sahana Pradhan.
Schedule
31 Jul., 2007 Arrival at Kathmandu
Courtesy Call on Honorable
Minister for Foreign Affairs Ms. Sahana Pradhan (3 p.m.)
1 Aug., 2007 Inspection of the activities of Japanese Arms Monitors of UNMIN
2 Aug., 2007 Courtesy Call on Rt. Honorable Prime Minister and Minister for Defense Mr. G. P. Koirala (8.30 a.m.)
Departure from Nepal
(在ネ日本大使館HP http://www.np.emb-japan.go.jp/ann/300707.html)