谷川昌幸(C)
6.公的参加の形と制度(2)
(1)代表(立法への参加)
マイノリティの公的参加としては,国家あるいは地方政府の意思決定である立法への参加が最も重要である。マイノリティが代表を送ることが出来れば,政権参加あるいは野党としての意見反映が可能となる。また,代表選出や選挙の過程で,マイノリティの結集,アイデンティティの強化も可能だ。
選挙制度としては,比例制あるいは割当制(separate representation)がある。後者の一つとして,社会集団代表(communal representation)が注目されている。ボスニア・ヘルツェゴビナ,クロアチア,フィンランド,ハンガリー,ルーマニア,スロベキア,キプロス,フィージー,中国,ニュージーランド,サモアなど。
マイノリティ代表を確実にするなら,比例制ではなく,社会集団代表とせざるを得ない。しかし,これはコミュナリズムへの逆行であり,批判も多い。ガイはスタンリー・スミスの次のような批判を紹介している。
「(コミュナル議席割当は)既存のコミュナル対立を激化させる。社会諸集団は,それぞれアイデンティティの強化を図り,選挙戦はコミュナル偏見に支配される。そして,新しい社会集団が現れ,自分たちにも議席を割り当てよ,と要求するようになる。」
ガイによれば,コミュナル選挙となると,政治統合に必要な国民政党(national party)の存立が困難になる。また,たとえこの方法でマイノリティが議席を得ても,これだけでは国家の重要な職に就くことは困難だ。
コミュナル選挙は,様々な社会集団がもつ共通性を見えなくするし,多数派もコミュナル代表まかせにし,彼らの問題を棚上げにしてしまうおそれがある。
ガイの勧めるのは,一つの統合的選挙制度を維持しつつ,比例代表制候補者リストへのマイノリティ登録や,マイノリティ候補者数の下限設定などを,法的手段あるいは政治的方法で実現していくことである。
この方法は,妥協には違いないが,おそらくそれがより賢明なやり方であろう。コミュナル対立が激しく,そうした妥協が困難な場合もあり得るが,コミュナル選挙が望ましくないことはいうまでもない。マイノリティ原理主義者は怒るであろうが,政治は妥協だから,この点ではガイの提案は妥当である。
(2)権力の分有(power
sharing)
マイノリティの公的参加には立法府への代表選出だけでは不十分であり,政府,行政への参加による権力分有も必要だ。もっともよく知られているのが,consociationalismであり,これについてはレイプハルトの次の説明がわかりやすい。
「多極共存型民主主義(consociational democracy)。宗教的,民族的,人種的,地域的セグメント(部分)に深く分裂している国々に見られる民主主義。多極共存型民主主義には,主要な特徴として,大連立とセグメント自治の二つがある。共通の問題については,すべての主要なセグメントの代表が参加して共同で決定する一方,それ以外のすべての問題については,それぞれのセグメントが自分で,自分のために自主的に決定をする。また,副次的な特徴としては,政治的代表,公務員任用,公金分配における比例配分と,自己の重要問題に対するマイノリティの拒否権の二つがある。割り当てについては,厳密な比例割り当てではなく,マイノリティ優遇割り当てもある。以上の4点で,多極共存型民主主義は,多数派支配型民主主義とは明確に異なっている。・・・・多極共存型民主主義は,民主主義理論に二つの重要な貢献をした。一つは,民主主義を多数派の支配と同一視する狭い民主主義観を批判したこと。もう一つは,民主主義の適用範囲を広げ,伝統的に民主的統治には適さないと見られてきた社会でも民主主義は可能としたことである。」(Arend Lijphart,"consociational democracy," Oxford Companion to Politics, p.188-189)
この多極共存型民主主義によれば,各民族が政治集団として認められ,民族内については自治,国家的なことについては権力分有で政治参加することになる。
権力分有は,憲法に記述されることもあれば,慣習として行われることもある。インドでは,内閣に指定カースト1人を入れる。アメリカでは,最高裁判事の1人はユダヤ人,1人は黒人となっている。
しかし,権力分有には問題も多い。権力参加すると,外からの批判がなくなったり,逆に,決定が出来ず,不効率,不安定になったりする。クォーター制にすると,有能でない者まで公的参加する可能性がある。とくに拒否権を認めると,決定が非常に難しくなる。また,コミュナリズムとなりやすい。
以上のような問題はあるが,ガイによれば,権力分有は民族紛争解決に役立つ場合が多く,そうした社会の民主主義への移行期には有用である。
(3)自治
マイノリティの公的参加を実現する他の方法は,自治(autonomy)であり,これには領域(territorial)自治と集団(group)自治がある。マイノリティが特定地域に集中している場合は,連邦制(カナダ,インド,スイスなど)や地域自治(カシミール,スコットランド,ニューカレドニアなど)をとり,そうでない場合は,集団自治(インドのムスリム,ベルギーの言語集団,イスラエルのアラブ系など)となる。
こうした自治は,民族対立の軽減,解消をもたらす場合が多いが,失敗も少なくない。しかし,民族対立が激しいところでは,何らかの自治は採用せざるを得ないだろう。
ここで問題は,やはり,ある集団に自治を与えると,集団内の少数派の権利が侵害される場合が多いことだ。領域自治であれば,たとえばアイルランドの少数派内少数派の問題。集団自治であれば,ユダヤ教集団やイスラム教集団における女性の権利保護の問題。あるいは,領域自治,集団自治を認めたら,さらに新たな領域や集団があらわれ,自治を要求するという問題もある。ガイは,これを次のようにまとめている。
「南アフリカでは伝統的支配者たちが慣習法の継続を求めたが,アフリカの女性たちは,財産管理や相続において差別されるとして,これに反対した。南アフリカは,慣習法の適用は認めるが,人権規定(Bill of Rights)には従うという方法でこれを解決した。カナダ政府も集団法(band laws)問題で同じような解決を図ろうとしている。」(p.24)
しかし,これは解決策としては少々安易だ。むしろ,問題はここから始まる。この問題には,おそらく一般論は妥当しないだろう。諸民族の交渉の積み重ねにより,その地域,その文化に適した諸民族の共存の仕方を探っていくしか仕方あるまい。
7.結論
この論文全体の結論として,ガイは以下のように述べている。
マイノリティにとって,公的事柄への参加はアイデンティティ問題の中心をしめるものであり, 参加して初めて国家の一員としての感覚も持てる。公的参加は,マイノリティが意見を述べ,決定と実施に参加し,これにより自己の利益を守るためにも不可欠だ。
しかし,公的参加の方法については,意見の一致はない。大きく分けると,一つは,マイノリティの最大限の自治を目標とし,立法,行政等にそれぞれ独立したマイノリティとして参加することを目指すもの,もう一つは,様々な方法での参加を通して,マイノリティの全体への統合を目指すもの,の二つがある。が,一般的に適用できるようなモデルはない。特別扱いを望まないマイノリティもいるし,個人の権利とコミュナル権利との関係も様々でありうる。結局,こういってよいであろう。
「現代の特徴である一時的・流動的なアイデンティティを固定した実体と見誤ってはならない。代表や制度をそれぞれ集団ごとに認めると,民族が他の目的のための操作手段として利用されたり,民族至上主義になったりしがちだ。最近,多くの案が提案されているが,それらはまだ実施されたこともなく,また実施に移されている様々な案であっても,成功か否かの評価はまだ時期尚早だ。それらの多くは主に紛争解決のためのものであり,長期的な目標に向けられたものとはいえない。」(p.25)
このガイの結論は,妥当なものだ。マイノリティ問題は,公的参加なくしては解決は難しい。しかし,連邦制や民族自治にすれば問題解決というわけにはいかない。それらには別の難しい問題があり,それらを見据えながら,漸進的に政治統合を進めていくべきだと考えられるからである。
谷川昌幸(C)
1.大浦天主堂のクリスマス・ミサ
大浦天主堂(国宝)のクリスマス・ミサに参列。敬虔なよいミサだった。日本のキリスト教は禁教令の大弾圧で絶滅したと思われていたが,1865年,居留外国人のために大浦天主堂が建設されると,潜伏キリシタンが密かに礼拝に訪れ,ここに劇的な「信徒発見」となる。この教会こそ,日本カトリックの再生の地である。
2.信仰の自由
この由緒ある教会の敬虔なミサに参列していると,異教徒の私にも,信仰の深い喜びがよく感じ取れる。このような信仰共同体に入れば,孤独も不安もいやされ,永遠の生に浴することが出来るのではないか,と。
人にとって信仰は大切なものであり,信仰の自由は絶対に保障されなければならない。だから,信仰の自由は,自由権の中でも最も重要な権利の一つとして,たとえば日本国憲法でも「信仰の自由は何人にたいしてもこれを保障する」(第20条)と無条件で保障しているのだ。
3.政治の論理
ところが,一方,信仰が社会現象であることも事実で,教会は政治集団でもある。キリシタン信仰の強靱さ,クリスマス・ミサの敬虔さに深い敬意を表しつつも,もし江戸時代に信仰の自由が認められていたら,日本はどうなっていただろうか,とも思わざるをえない。徳川幕府が恐れたように,おそらくキリスト教は急拡大し,各地で寺社と衝突し,そこに欧米キリスト教国が介入し,日本は他のアジア,アフリカ諸国と同じような運命をたどっていた可能性が高い。信仰の自由の観点からはキリシタン弾圧は許されないが,独立維持の政治的観点からは,それはやむを得ざる選択だったとも言えなくもない。自由と自由,権利と権利が対立するときの選択は難しい。
4.文明の伝道者ド・ロ神父
1859年,長崎が開港され,1873年禁教令が撤廃されると,宣教師がやってきてキリスト教を布教し始めた。潜伏キリシタンにとって,彼らは待ちこがれたローマ教会の神父であり,熱狂的に歓迎されたことは言うまでもない。と同時に,宣教師たちは欧米近代文明の権化でもあった。この頃,彼,我の知力・財力の差は目もくらむばかりであり,宣教師たちは長崎の住民にとって万能の世俗の神のごとき存在だった。
たとえば,遠藤周作の『沈黙』の舞台となった外海には,フランスからド・ロ神父がやってきた。外海は,耕地もない海沿いの僻地。現代的に言えば,最も開発の遅れた極貧の地だった。だからこそ,幕府もキリシタンの潜伏を知りつつ,弾圧のコストと見合わないと考え,見逃してきたのだろう。その外海の潜伏キリシタンや村人にとって,ド・ロ神父は宗教上の神父であると同時に,西洋近代文明の伝道者でもあった。
ド・ロ神父は,1840年フランスに生まれ,1867年パリ外国宣教会入会,1968年長崎へ渡来し,1875年大浦神学校(重文)建設。1879年外海赴任,出津教会司教となる。1882年出津教会建設。1883年救護院創設,授産場,マカロニ工場(重文)建設,パン,マカロニ,ソーメン,織物事業開始。1884年原野開拓開始。1885年鰯網工場,保育所(重文),製粉工場建設,薬局設置。1891年赤痢避病舎設置。1893年大野教会建設。1895年村民救済のための県道工事。1898年共同墓地建設。1901年茶農園建設。1914年長崎市南山手で没。(「ド・ロ神父記念館」パンフレットより)
このように,ド・ロ神父は,外海の人々にとって神のごとき万能の開発の父でもあった。この12月15日,開拓地と牧場跡(写真参照)を見学したが,荒れ地にこれだけの事業をやれるド・ロ神父は,地元民には神の似姿と見えたであろう。神は,長い弾圧の日々を耐えてきた外海のキリシタンのために,ド・ロ神父を使わし,その栄光を現わされた,きっとそう思ったにちがいない。
徳川幕府がキリスト教を恐れたのは,このド・ロ神父のように,それが世俗の知力・財力を伴って日本に上陸したからに違いない。外海のキリシタン遺跡を見ると,幕府がキリシタンに対して抱いた強い警戒心をよく理解できる。世俗の統治者として,それは当然のことといわざるをえない。
5.ネパールのキリスト教布教規制
この徳川幕府と同じような宗教政策を取ってきたのが,実はネパールである。1951年開国後もこの政策は継承され,民主化運動後の1990年憲法,さらには現行2007年暫定憲法にさえも,事実上キリスト教を対象とした布教規制の条文が用心深く残されている。そこで,いま注目すべきは,この布教禁止条項が次の新憲法にも残るか否かである。
信仰の自由は基本的人権だ。そんなことは分かっている。では,ネパールを神々の自由競争市場としてキリスト教にも解放するのか?
共和制も重要だが,私にはむしろ,こちらの方が気になる。ネパールは現在,国連管理下にある。新憲法制定に,国際社会(先進国)が驚くほど広く深く介入している。先進国にとっては,信仰の自由は当たり前のことだ。先進国は,トヨタとGMが自由市場で競争するように,神々も信仰の自由市場で競争すればよいと考え,おそらく布教禁止条項を撤廃しようとするだろう。下部構造としての経済の規制緩和・自由化は,当然,上部構造の宗教の規制緩和・自由化をもたらす。これが,ネパール社会にどのような変化をもたらすか?
6.神々の自由競争市場
この信仰の自由市場で,ヒンズー教の神々はキリスト教の神と闘い,勝利することが出来るだろうか? どちらが勝とうが,フェアな自由競争だから,勝った方が正しい,というのが先進国の考え方。これに対し,日本やネパールの歴代為政者たちは,開発格差のあるところでの自由競争は公平ではないとして,布教の禁止や制限をしてきた。
難しいのは,先進国もいまでは途上国の強硬な要求に譲歩し,不本意ながらも各民族に固有文化維持の権利を認めていることだ。文化については,表向きは自由競争市場主義をとらないことになっている。もしこの多文化主義原理に依拠するなら,ネパールの固有文化は何と言ってもヒンズー教だから,ヒンズー教保護,キリスト教布教規制は正当と言うことになる。
では,ネパールはどうするか? 先進国は表向きは多文化主義的文化保護・文化規制に譲歩しているが,これは巧妙な二枚舌,本音は生活全般の自由市場化であることはまちがいない。民主化支援,憲法制定支援で,先進国はキリスト教布教規制の撤廃まで突き進むか? それとも,ヒンズー原理主義を中心とした守旧派が固有文化としてのヒンズー教保護規定を残しうるか?
この問題がややこしいのは,ネパールには,仏教やイスラム教,あるいは非アーリア系の諸民族がいて,信仰の自由化はこれらの宗教や固有文化にとっては解放となるからだ。全体としてみると,この問題に関しては,先進国=非アーリア系諸民族連合が結局は勝利し,信教の自由が認められる可能性が高い。それが,非アーリア系諸民族の固有文化の維持発展となるかどうかは疑わしいが。
谷川昌幸(C)
1.真実と和解のための加害調査
国軍(王国軍)がマオイストら49人を殺し埋めたとされるシバプリ国立公園の調査が,いま議論となっている。
国軍や警察が人民戦争中に多くの国際人権法・人道法違反の残虐行為を働いたことは周知の事実であり,国王と,それ以上にNC,UML等の政党政治家の責任は免れない。政党政府指揮下の警察の残虐行為や,国王指揮下の国軍の残虐行為は,徹底的に調査し,真実を明らかにすべきだ。
しかし,それと同時に,マオイスト側も,おびただしい人権侵害,残虐行為を行っている。これも調査し,真実を明らかにすべきだ。ネパール平和構築には,南アフリカにならった「真実和解委員会」方式が採用されているので,国王・諸政党による加害とマオイストによる加害の双方を調査し,真実を明らかにし,その上で和解へと進むべきだろう。
2.残虐の質と量
残虐の質という点では,調査結果が出ないと正確には分からないが,これまでの報道からすると,国王・諸政党側の行為も,マオイスト側の行為も,おぞましい人権侵害であり,弁解の余地はない。
残虐の量については,様々な報告がある。ちょっと古いが,INSEC(2005)によれば,殺害者数は政府側によるもの8,283人,マオイスト側によるもの4,582人。この人数だけからいうと,国王・諸政党側の加害責任の方が大きいことになるが,マオイストも数千人を殺しているのであり,いずれにせよ残虐な大量殺害であることに変わりはない。
それは乱暴だ,とマオイスト・シンパは反論するであろうが,殺害目的が「国王のため」であれ「人民のため」であれ,殺害には変わりはない。しかも悪いことに,一般的にいうと,一人または少数の国王や貴族よりも,多数者の「人民」の方が残虐なものなのだ。
【補注12/26】
統計の取り方により数字はまちまちだ。INSEC, Human Rights Year
Book 2007の表を集計すると,次のようになる。
政府もマオイストも女性や子供を多数殺している。
被殺害者数1996−2006(人)
政府による殺害 マオイストによる殺害 計
総人数 8,393 4,915 13,308
女 性 820 193 1,013
子 供 249 201 450
3.民主主義の残虐性
「人民」は残虐だというと,そんなことはない,ウソだと頭から反発する人も多いが,「民主主義の理念の崇高さ・人民支持の強さは残虐さに比例する」ということは,すでにほぼ立証されている。
先入見,偏見を拭い去り,冷静に事実を見てほしい。まず分かりやすいのが,残虐の量。共和国が殺した人数は,君主国が殺した人数の百倍,千倍,あるいは万倍であろう。あるいは,世界の民主化以前と民主化以後とを比較すると,民主化以後の被虐殺者数はこれまた百倍,千倍,万倍であろう。量的に,民主主義がそれ以外の政治よりもはるかに多くの人々を虐殺していることは,明白な事実である。
次に,質の点では,民主主義は他の政治に勝るとも劣らず残虐だ。最も残虐な殺し方はむろん拷問であり,最も人道的な殺し方は国際人道法が認める殺し方,あるいは日本政府が認める絞首やアメリカ政府が認める薬殺・電気殺であろう。民主主義は,何の罪もない子供,女性,老人を含め何千万人もの人々を人道的に殺す一方,残虐な拷問技術も高度に発展させ,実際に使用してきた。
残虐行為としては,天皇陛下の軍隊による捕虜虐待や生体実験,あるいは民族社会主義ドイツの強制収容所が知られているが,残虐さの点ではキリスト教会の魔女裁判や異端裁判の方が上だ。教会は神の栄光のために拷問を組織的に研究・実験し,最大限の苦痛を与える方法を開発,テキストすら発行し,世界に広めた。日本のキリシタン拷問もひどかったが,キリスト教会の宗教裁判に比べたら,はるかに稚拙だ。神のための敬虔な裁判こそが,残虐の極致といってよい。
民主主義は,その宗教裁判に勝るとも劣らない残虐な拷問を開発し,そして現に使用している。神と同じく,民主主義も正義であり,人々がそれを信じれば信じるほど,拷問は手段として正当化され,残虐となる。
4.NHK「民主主義」の衝撃
これを実写映像で実証したのが,NHKBS「民主主義」。35カ国共同制作で,放送時間は8時間(以上?)に及ぶ。超大作で,質も高い。こんな番組を放送するNHKは偉い。
全部は見ていないが,第1回目の「米国『闇』へ」(ギブニー監督)をみて,大きな衝撃を受けた。近代民主主義の長い歴史を持ち,世界の民主主義の総本山と自他共に許すアメリカが,民主主義の名でおぞましい残虐行為を行っている。
舞台は対テロ戦争の基地,アフガンのバグラム,イラクのアブグレイブ,そしてキューバのグアンタナモだ。そこには,テロリスト容疑で多くの人々が収容され,基本的人権もジュネーブ条約も無視した拷問が組織的に行われてきた。
むろん,アメリカ政府や米軍は,拷問は一部の「腐ったリンゴ」のやったことだと弁解する。しかし,このドキュメンタリは,事実はそうでないことを,実写映像で淡々と描いていく。
アメリカ人民によって民主的に選ばれたブッシュ大統領は,対テロ戦争ではテロリストにはジュネーブ条約は適用されないという趣旨の発言をした。ラムズフェルド国防長官は拷問を許可し,自ら署名もしている。チェイニー副大統領も,情報収集のためには「『闇の力』も必要だ」「成功のためには方策はすべて使う」「目的達成のためにはあらゆる手段を使う」と発言し,拷問を容認した。
パウエル国務長官が国連でイラクとアルカイダとの関係を証言したときの証拠も残虐な拷問でえられたもので,これはのちに拷問による虚偽の自白と判明した。
民主国アメリカの民主的に選ばれた指導者たちは,多くの場合,ストレートな表現は慎重に避けているが,文脈に照らして解釈すれば,拷問容認は明白であり,そのトップリーダーたちの民主的決定に従い,拷問が組織的に各地で行われてきたのだ。
拷問の方法は,宗教裁判のそれによく似ている。水尋問(スペイン宗教裁判で使用されたものと同じ水責め拷問),裸にする,眠らせない,立たせる(最長40時間!),犬をけしかける,天井から鎖・手錠でつるす,殴る,蹴る等々。そして,男性容疑者に対し,女性を使い性的拷問さえ加えている。自由と民主主義のためであれば,こんなことも許されるのだ。
この虐待,拷問が明るみにでたあとも,直接手を下した現場の少数の実行者が処罰されただけで,ブッシュ大統領をはじめ指導者たちは何ら処罰されず,議会も「戦時に国家は何をしてもよい」との趣旨の議決をし,彼らを免責した。
そして,アブグレイブのあのおぞましい虐待拷問写真が報道され世界中に衝撃を与えた後ですら,アメリカ人民の実に35%が拷問を支持しつづけた。民主的人民とはこんなものなのだ。
NHK「民主主義」は,民主主義がいかに残虐となりうるかを実写映像でリアルに描いている。人民も,人民の民主的代表も,国王や貴族以上に,残虐となりうるのだ。
5.それでも民主主義を
現代の難しさは,それでも私たちには民主主義しか選択肢がない,ということだ。これは,貴族であり保守主義者であったA.トックヴィルが「アメリカの民主主義」(1835)で論じたことであり,またやはり貴族で保守主義者のチャーチルが語ったことでもある。
ネパール王国軍や警察は,住民やマオイストを多数虐殺した。しかし,INSEC調査(2005,2007)によれば,マオイストや人民解放軍も女性,子供を含め数千人を殺害した。「人民」のための党,「人民」のための人民解放軍なのに,なぜそんなことになってしまうのか? ネパールが民主化を進めて行くには,そうした人民自身への厳しい問いかけが必要であろう。民主化は宿命だが,それには自らの業への反省が伴わなければならないだろう。
*12月26日,一部修正。