ネパール評論 2007年2月


2007/02/28 人民銭争終結のために
2007/02/27 「ウルルン」と「あるある」の責任
2007/02/26 ウルルン滞在記のネパール蔑視に抗議する
2007/02/25 小倉著「ネパール王制解体」を見て
2007/02/24 ネパールはまだ王国?
2007/02/23 非軍事NGO,自衛隊アフガン派兵を阻止
2007/02/22 国王,8党に助け船?
2007/02/20 官製情報の垂れ流し,TBSとNHK
2007/02/19 武器・兵員登録,はや完了!?
2007/02/18 ネパール派兵,3月閣議決定へ
2007/02/16 派兵はNGOの危機,ネパールとアフガン
2007/02/12 はや,宣伝利用
2007/02/12 停戦監視派遣へ,応援団続々
2007/02/11 軍人派遣業開業で安保理ゲット
2007/02/08 UNMIN:安保理決議と外務報道官談話
2007/02/07 穀潰しの選挙民主主義
2007/02/06 日ネ軍事協力への第一歩
2007/02/05 自衛隊派遣応援のNHK報道番組
2007/02/04 人間交際のすすめ



2007/02/28

人民銭争終結のために

谷川昌幸(C)

マオイスト人民戦争にはいくつかの面があるが,最も基本的なのは「食うための銭争」だ。戦前の疲弊した農村にとっての帝国陸軍,いまの負け組地方にとっての自衛隊と同じく,人民解放軍(PLA)はネパール地方青年にとって食うための就職先にすぎない。武器・兵員管理もこの観点から見るべきだ。

UNMIN発表(2/23)によれば,PLAの登録・収容はほぼ完了した。兵士30852人,武器3428。この数字は,ゲリラ戦なのに「正規兵」のみを収容することの非現実性をよく示している。もともとPLA3万5千人という数字がでたらめなのだ。武器数からも分かるように,PLAハードコア正規兵は5千人前後。あとは,食うための参加者にすぎない(わが郷里出身自衛隊員と同じ)。月給6千〜1万ルピー,将来は国軍移行と宣伝すれば,希望者殺到は当たり前だ。

そこで問題は,収容者3万余を本当に食わせられるかと言うこと。諸経費込みで,たとえば――

10,000ルピー×31,000人=310,000,000ルピー/月
5,000ルピー×31,000人=155,000,000ルピー/月

あるいは,2月25日の政府・マオイスト合意では兵士日給は60ルピーだから――

60ルピー×31,000人×30日=55,800,000ルピー/月

これは給与だけだが,それにしても大金だ。払えるのか? 少々待遇が悪くても5千人前後の真性マオイストは耐えられるであろうが,それ以外はおそらくすぐ銭争に戻る。駐屯地の外に出て,以前と同じく人民政府税(用心棒代)を取り立てるだろう。すでに,数千人が制止を振り切り,駐屯地の外に出て銭争を始め,あわてて給与を払うと言ったら,戻り始めた。

こんなことがいつまでもつのか? 国軍と合わせると10数万もの若者に大金を払い無駄飯を食わせる。仕事(戦争=人殺し)があっても困るが,無くても無為徒食は精神衛生に悪い。これからのネパールはどうなるのだろうか?

人民戦争は要するに「人民銭争」だから,自衛隊なんか送っても,何の役にも立たない。青年たちが食えるようにするための支援こそが求められているのだ。

(補足)人民戦争の「平等のための闘争」の側面を否定するものではない。反体制期には温かく批評し,体制内化したら厳しく批評するのが小生の方針。反体制の頃は罵詈雑言,体制内化したら絶賛,という批評も当然ありうる。

* "Maoists walk out of Nepalese camps," BBC News, Feb.25
"30,852 combatants, 3,428 weapons registered: UNMIN," KOL. Feb.23
"Maoist combatants continue to leave camps: some return," KOL, Feb.22

2007/02/27

「ウルルン」と「あるある」の責任

谷川昌幸(C)

「ウルルン」には「あるある」に通ずるところがある。前者は毎日放送,後者は関西テレビ。ともに大阪が本拠で,大阪文化の「軽さ」「本音まるだし」の悪しき側面が現れた。

大阪文化は権威を「おちょくる」ことで,人情の真実に迫る。浪花節の世界。「あほ」を演じ,賢ぶっている人の矮小さをあぶり出す。権威や建前に本音まるだしで迫り,形式にこだわることの愚劣さを嗤いのめす。これが大阪文化の真骨頂だ。

しかし,その反面,権威や形式をバカにしすぎ,無原則となり,やってはならないことまでやってしまう危険性も大だ。大阪の「おばはん」はおよそ遠慮とは無縁,原色虎柄ファッションくらいなら苦笑して済まされるが,他人の財布をのぞき込み,隣の料理に文句をつけ,あげくは寝室にまで入り込む。(三枝「新婚さん,いらっしゃい」,さんま「恋の空騒ぎ」は大阪おばはんの世界。)

そのノリで番組をつくると,紳助,さんま,三枝になる反面,「あるある」や「ウルルン」が出来る。

関テレの「あるある」は,科学の「権威」や「形式(方法)」をバカにし,「ちょっとくらい,ええやないか」と,「納豆ダイエット」などをねつ造した。面白ければ何でもあり。これが大阪文化の悪ノリ,負の側面だ。

毎日放送の「ウルルン」は,不思議な異文化やその神秘性(一種の権威)を「おちょくる」つもりだったかもしれないが,それが許されるのは相手が強者,優越者の場合だ。弱者への「おちょくり」は「いじめ」に他ならない。ラウテは強者か? ちょっと調べるとすぐ分かるように,ラウテはネパールでも最も弱い立場にある少数民族。そのラウテを「おちょくり」,しかも相手への思いやりや人間的誠実さはほとんど感じられない。異文化への「遠慮」,人権への「配慮」がまるでない。大阪的悪ノリ。「面白ければよい」「せっかく遠い辺境まで来たのだから,何とかものにしなければ帰れない」――そんな下心がミエミエの軽薄な出来損ない番組だった。(取材側の軽薄さ,傲慢さにもかかわらずラウテの人々が示した心優しさに,不覚にも涙してしまった。)

異文化の尊重や少数民族の権利は,いまやグローバル・スタンダード。あるいは,プライバシーの権利や肖像権は,世界中で法的に確立された権利。侵害すれば,道徳的非難ばかりか,民事,刑事事件にすらなりかねない。そんな人権や法的権利を「おちょくる」のだから,それ相当の覚悟があったはずだ。

「科学」をバカにした関テレ社長は責任をとって辞任する。では,「人権」「権利」をバカにした毎日放送はどうするつもりか。まさか,ネパールは未開国だから,人権も権利も関係ないと思っているわけではあるまい。すでにネパールの人々もこの番組を見ている。大阪文化を代表し毎日放送の覚悟を見せて欲しい。「あほ」ではなく「バカ」だったと,率直に認め,謝罪した方がよいのではないか。

2007/02/26

ウルルン滞在記のネパール蔑視に抗議する

谷川昌幸(C)

「ウルルン滞在記・ネパール編」(2/25)を見た。これはヒドイ。悲しみを通り越し,怒りさえ覚えた。

番組は,女優・柳沢ななをラウテ民族のもとに滞在させ,「感動」を絵にすることをねらっていた。そもそも,この発想自体が滅茶苦茶であり,相手のことなどまるで考えない傲慢さ,許されざる文化侵略に他ならない。

ラウテは,狩猟採取で暮らすジャングルの少数民族。独自の豊かな文化をもち,それを守るため文明社会との接触を極力避け,争うことをせず自分たちだけで平和に暮らしている。気高く誇り高く,どこまでも優しい人々。

そこに,ウルルン滞在記のスタッフ(人数不明)がドカドカと勝手に侵入し,撮影し,住居に入り込んだ。仲介者(部外者)に許可を取ってもらったと強弁するだろうが,ラウテの生き方を考えると,彼らがそんな許可を与えるはずがない。

そもそもこの仲介者は,定住させ学校に通わせることを目的にラウテと接触してきた人らしく,善意ではあろうが,ラウテからすれば民族文化の破壊者,政府の回し者,いわば敵だ。そんな外部の仲介者をラウテが全面的に信用するはずがない。日本側スタッフは,その仲介者から撮影許可を取ったと調子のよいことを言われたのかもしれないが,たとえそうだとしても,ラウテのことをちょっと調べさえすれば,そんなことを彼らが許可するはずがないことはすぐ分かる。

事実,番組では,何度も「写真を撮らないで!」「「家に入らないで!」と断られている。それなのに,柳沢ななは勝手に家に入り込み,怒られ,連れ出されている。

また,柳沢ななは,ラウテの人たちにトランプ遊びをして見せている。西洋トランプをラウテに日本人が何のために教えるのか? 無邪気だが,だからこそ罪深い文化侵略だ。

明確な同意なき居住地立ち入りや住居侵入。拒否されているのに撮影(一部は隠し撮り)し,勝手に放映。日本で同じことをすれば,住居侵入,肖像権侵害,名誉棄損で訴えられるかもしれない。謝礼がラウテ側に(仲介者ではなく)払われたかどうか知らないが,どう見てもこの番組はラウテを敬意をもって公平に扱ってはいない。柳沢ななに,何度も「裸族?」などとさえいわせている。もしこれがネパールで放送されたら,おそらく番組の根拠なき優越感,ラウテ蔑視が問題にされるだろう。

どうしてこんな乱暴な企画を立て,文化も人権も無視し放送を強行したのか? 徳光和夫氏,番組スタッフ諸氏に抗議する。製作した毎日放送は,国際問題になる前に,ラウテの皆さんに謝罪し,番組を取り消すべきだろう。

2007/02/25

小倉著「ネパール王制解体」を見て

谷川昌幸(C)

小倉清子さんの力作『ネパール王制解体』をようやく入手し(辺地長崎への配本は遅い),パラパラと見た。まだ読んではいない。読んでもいないのに感想は述べられないはずだが,カバーと帯のキャッチコピーが少々気になった。

「中世さながらの絶対王制をめざす国王vs.毛沢東主義武装革命を目指すマオイスト」(帯)「平和に見える小国では21世紀に入っても,中世さながらの絶対王制が営まれてきた。」(カバー)

気になるのは「中世さながらの絶対王制」である。「中世」や「絶対王制」といった人文社会科学的概念を使う場合,それらをどのような意味で使うかが決定的に重要だ。多くの場合,そうした概念は西洋の人文社会科学の中でほぼ確定した意味で使われ,この本でもそうであろう。

もしそうだとすると,ここで二つの問題が生じる。一つは,西洋的概念で非西洋世界の文化現象をどこまで説明できるかということ。あるいは,使うとしたら,どのような形で使うかということ。これはこの本に限らず非西洋世界全体に共通する難題である。

もう一つは,この本のキャッチコピーで使われている「中世」と「絶対王制」の意味。中世社会の特質である「封建制」には対立する2つの意味があるので曖昧さは残るが,一般には,「絶対王制」は「中世さながら」の政体ではない。「絶対王制」は中世の権力多元性を否定して成立するものであり,せいぜい中世から近代への過渡期の政体,むしろ「近代の政体」である。日本の戦前の天皇制も「中世さながら」のものではなく,明らかに「近代の政体」であった。もしそうだとすると,この本の「中世さながらの絶対王制を目指す国王」というのは,必ずしも正確とは言えないことになる。

ネパール現代政治がややこしいのは,単純化すれば,国王が「近代(絶対主権)」を目指すのに対し,マオイストが新しい「中世」を目指しているということ。中国の本家マオイストは近代主権の権化であり,今もそうだ。ところが,ネパールでは,「近代化」を目指す国王に,ポストモダン的「中世化」を目指すマオイストやその同調者が対立している。

むろん,このような理解も西洋的概念を前提としており,ネパールにどこまで妥当するかは議論の余地があるであろう。

以上は,この本を「見て」の大ざっぱな印象にすぎない。この本の真価は,おそらく,丹念な取材に基づく綿密な実証的現代ネパール史記述であろう。特にマオイストへの直接取材には興味をひかれる。これから,じっくり読ませていただきたいと思っている。

2007/02/24

ネパールはまだ王国?

谷川昌幸(C)
ゴルカパトラ(ライジングネパール)HPを見たら,びっくり仰天。ネパールがまた王国になっていた。国家元首はギャネンドラ国王。国歌は国王讃歌。ヒンズー教は国教。

これって,NHKが放送終了前に赤旗バックにインターナショナルを流すようなものでは?

ちょっと前まで,たしかこんなものはなかった。トップのすぐ次だから,更新忘れではない。明らかに意図的。すわ,クーデターか? それともうっかり「昔の名前で出てしまいました」にすぎないのか? さすが,神秘の国。奥が深い。
http://www.gorkhapatra.org.np/page.php?p=nepal

2007/02/23

非軍事NGO,自衛隊アフガン派遣を阻止

谷川昌幸(C)

地獄耳A氏に教えられ,ネット版日経(2/23)をみた。「アフガン支援軍民チーム、自衛隊派遣見送り」。短い記事だが,安倍プッツン内閣の惨敗。痛快!

軍国主義者・安倍首相は,軍民共同活動への自衛隊参加を熱望,後先も考えず参加意欲をNATOで表明(2007.1)したし,日経によれば2月21日チェイニー副大統領にも表明したという。(むろん,実際には,石油利権ネオコン氏に脅され,言わされたのだろう。)それが,何たる無様,政権末期の哀れさえ感じる。

「政府は22日、北大西洋条約機構(NATO)のアフガニスタン復興支援活動との連携について、軍民共同の地方復興チーム(PRT)への自衛隊派遣を見送る方針を固めた。民間の非政府組織(NGO)への資金提供を通じた教育や衛生面の人道支援の協力にとどめる。・・・・アフガンでのNATOとの連携は安倍晋三首相が1月に提唱。首相は21日のチェイニー米副大統領との会談でPRTへの協力を検討していることを表明していた。」(ネット版日経,2007.2.23)

猪突プッツン安倍内閣をして自衛隊派遣を断念せしめた要因は,いくつかあるであろう。一つは,選挙原理主義の破綻で泥沼化したアフガンへの派遣を,おそらくミリタリーが拒否したこと。ゲリラ戦の泥沼に入る勇気は自衛隊にはない。軍事に関しては,歴史的,統計的に見て,シビリアンよりもミリタリーの方が,はるかに合理的に判断する(例外もあるが)。シビリアン・コントロールなど,粉砕せよ!

第二に,血の気の多いイタリアですら,ブロディ首相がアフガン派兵への支持を得られず辞任を表明した(2/21)。そればかりか,ブッシュ大統領の盟友ブレア首相までも,イラクからの撤退(一部残留)を決めてしまった(2/21)。シビリアン安倍首相がいくら自衛隊アフガン派兵を願っても,おそらく自衛隊が拒否したのだろう。シビリアンにミリタリーが服従しなかった。テッポウで撃たれたり地雷で吹っ飛ばされるのは自衛隊員であり,猪武者首相ではないからだ。頑張れ,自衛隊!

そして,第三に,むろんこれが最大の要因だが,中村哲氏に代表されるNGOの活動の伝統。中村氏らは,軍民共同活動の危険性を多くの実例を挙げ倦むことなくこんこんと説き,猪武者以外の聞く耳を持つミリタリーとシビリアンを啓蒙し,そして断念へと持ち込んだのだ。むろん,非軍事NGO活動であっても成功の保証はない。しかし,軍民共同活動に比べるなら,はるかに安全で効果的であることは,明白である。

中村氏らの長年の非軍事的支援活動の実績が,自衛隊のアフガンPRT派遣を阻止した。

ネパールの平和を願う人々にとって,これは大きな朗報であり,勇気づけられる。ネパールでも,中村氏のような活動が展開できるなら,自衛隊派遣は阻止できる。アフガンで出来たことが,ネパールで出来ないはずはない。

2007/02/22

国王,8党に助け船?

谷川昌幸(C)

ギャネンドラ国王は不思議な人だ。神的な名君か愚昧な裸の王様か? 憂国王か暴君か? 人民の下僕か人民の主人か?

2006年4月革命の時も,首都炎上というのにポカラで避寒三昧,首都帰還後もその気になれば「人民運動2」など簡単に制圧できたのに,やらなかった。まったく不思議。

そして,2007年2月19日の国王声明(下記参照)。この時期になぜこんな声明を出したのか?7+1党や学生団体は,さっそく国王クーデターの策謀と糾弾を始めた。

7+1党にとっていま一番困るのが,国王が象徴になってしまうこと,民族,地域,カースト入り乱れ,暫定議会政治は風前の灯火。ネパールは小国連合への分裂寸前だ。

もしギャ国王が憂国王なら,7+1党に最低限の結束を維持させるため自らを犠牲にし,たとえだれからも理解されずとも,祖国ネパールのために自ら十字架につくだろう。2月19日声明の目的はきっとそうにちがいない。偉大なるかな,ギャ国王!

しかし,かりに,そんなことは百万分の一もないはずだが,もしもかりにギャ国王が7+1党の統治無能力につけ込み,2005年2月1日親政開始を正当化し,クーデターをたくらんでいるとするなら,これは国家を私物化するとんでもない暴君,世間を知らぬ蒙昧な裸の王様だ。国王といってもブレーンがついているだろうから,そんなバカな自殺行為はしないだろう。ギャ国王には偉大であってほしい。

それにしても,ネパールではなぜ制度と人を区別するという民主主義のイロハについてだれも発言しないのだろう? 王制(君主制)は立派な制度であり,弊履のごとく捨て去ってよいものではない。(無神論が危険なのは神以外の何かを神にするから。)イギリス名誉革命にならって,もし万が一,ギャ国王が憂国王でないなら,民主国家にふさわしい人物(赤ちゃんでもよい)を国王に迎えるといった大人の知恵がどうして働かないのだろう。もっとも,それはネパールの人々が決めることだが。

----------------------------------

Beloved countrymen

Today, the 57th National Democracy Day, reminds us of the joint struggle launched by the King and the people, culminating in the successful restoration of the peoples’ rights. On this historic day, we pay homage to our august grandfather His late Majesty King Tribhuvan, the architect of democracy in Nepal, and all the brave martyrs who laid down their lives for this cause.

Nepal’s glorious history is guided by the fact that Monarchy has always abided by the aspirations of the Nepalese people, on whom sovereignty is vested. It is clear that the prevailing situation compelled us to take the Feb 1, 2005 step in accordance with the people’s aspiration to reactivate the elected bodies by maintaining law and order following the dissolution of the House of Representatives at the recommendation of the elected Prime Minister of the day, who was unable to conduct general election within the timeframe stipulated by the Constitution. Subsequent governments, too, were not successful in this task. Various obstacles thwarted our resolve to install elected representative bodies. We are also morally responsible for any success or failure during the 15 month effort. As our sold wish is that the people should govern themselves through their own elected representatives, it is well known that we reinstated the House of Representatives on April 24, 2006 with the confidence that the nation would forge ahead on the path of national unity and prosperity, while ensuring permanent peace and safeguarding multiparty democracy.

In order to consolidate multiparty democracy, elected representative bodies must be installed, taking into consideration, in a mature manner, the grievances, aspirations and sentiments of all the Nepalese to the satisfaction of all. Nepal is a kaleidoscope of diverse peoples- be they indigenous, dalits or those living in villages, cities, terai, hills, or the mountainous regions. It will do well to remember that Nepal’s sovereignty and integrity remains safeguarded only because all have accepted and abided by this reality. The Nepalese people alone are the arbitrators of their own destiny and they wish to build a prosperous Nepal through a meaningful exercise in multiparty democracy. The self-respecting Nepalese people have an unshakable belief that one’s unique identity can be upheld only by respecting one’s history.

While upholding the people’s wish as supreme, may this day inspire all to remain dedicated, through multiparty democracy, to the greater welfare of Nepal and her people by ensuring their concurrence and active participation.

May Lord Pashupatinath bless us all! Jaya Nepal!

2007/02/20

官製情報の垂れ流し,TBSニュース

谷川昌幸(C)

TBSニュース(2/20)が,政府配布情報を垂れ流している。

「ネパールへ自衛官派遣、準備指示へ 」「政府は、・・・・国連が実施する予定のUNMIN(アンミン)=ネパール支援団に自衛官を派遣する方針を固め、20日、防衛省に準備指示を出すことにしています。・・・・防衛省の発足に伴い、自衛隊の国際協力活動が本来任務に格上げされてから初めての海外派遣となります。派遣されるのは陸上自衛官5、6人で、・・・・「共産党・毛沢東主義派」が政府との和平合意に基づき武装解除をするため、その監視を行なうものです。」(TBSニュース,2/20)

先述のように,UNMINは2月17日,武器と兵員の登録は完了したと発表している。日本陸軍は何をしに行くのか? 武器はピカピカのインド製コンテナに保管され,鍵をかけ,警報装置もつけ,モニターで監視する。日本くんだりから,わざわざテレビを見に行くのか? 日本お得意のロボットを寄付し,監視させればよいではないか。

TBSにせよNHKにせよ,TV系のニュースは,新聞以上にひどい。ジャーナリズムの自覚がないから,お上配布情報の垂れ流しだ。しかも,動画までついているから,始末が悪い。

この件については,私は,朝雲新聞を高く評価する。自衛隊派遣問題は朝雲新聞に任せ,NHKやTBSは,紀香結婚式やレッドソックスの同時生中継に専念すればよい。

追加) NHKも垂れ流し。しかも,官房長官に暗に過ちを修正される有様。

「塩崎官房長官は20日午後の記者会見で、「PKO・国連平和維持活動協力法に基づいて、非武装の自衛官数人を、武器と兵士の管理の監視に当たる要員として派遣する方向で準備を進めることとした」と述べました。・・・・これを受けて、久間防衛大臣は、自衛隊に対し、参加する隊員の人選や現地の調査など、派遣に向けた準備に入るよう指示しました。」(NHKニュース,2/20,強調は引用者)

これまでマスコミは「武装解除!」などと扇動し,陸上自衛隊(=外国では日本陸軍)派遣を宣伝してきたが,さすが政府,これはまずいと考え,修正したらしい。

人民解放軍は武装解除などしない。自分たちの武器を一時保管所に自主的に保管し,すでにほぼ完了とUNMINは言っている。日本陸軍はそれを見に行くだけだ。官房長官の「武器と兵士の管理の監視に当たる要員」とは,絶妙な表現だ。

いずれNHKは,「日本陸軍がテレビを見にネパールに派遣されました」と報道することになるかもしれない。コンテナの監視映像ばかりでは面白くないので,こっそり切り替え,ネパールでNHKテレビを鑑賞する。これは絵になる。ぜひ生中継して欲しいものだ。

2007/02/19

武器・兵員登録,はや完了!?

谷川昌幸(C)

カンチプル(2/18)によると,UNMINは2月17日,人民解放軍(PLA)の武器・兵員の登録を7駐屯地でほぼ完了したという。もっともこれは武装解除ではなく,武器一時預け。武器はあくまでもPLAのものであり,いつでも取り戻しぶっ放すことができる。

しかし,たとえそうだとしても,なぜこんなにスンナリ行ったのだろうか? 自称3万5千ものPLAが全員おとなしく兵営に入ったのはなぜか? 一刻も早く暫定政府を立ち上げ,マオイストが政権参加するための単なる戦術にすぎないのではないか? そうだとすると,これは要注意だ。 

しかし,そこまで勘ぐるのはよろしくない。マオイストは人民の党であり,平和を求める人民の声に素直に耳を傾け,自ら武器を一時預かり所に預けたのだ。きっとそうにちがいない。偉大なるプラチャンダ同志,バンザイ! 来年度のノーベル平和賞は,大宰相コイララ氏とプラチャンダ同志のものだ。でも,本当かなぁ? まもなく登録した武器数,兵員数が発表されるそうだから,それをまとう。

でも,本当だとしてもまだ心配だなぁ。3万5千もの若者を食わせるのは大変だし,国軍への統合はもっと大変だ。一部は田舎に返すらしいが,地味な田舎暮らしに戻れるのだろうか?

自衛隊なんかより,就職先の開発援助の方が平和貢献になるのではないか? もっとも,それではアフガン派兵への突破口にも安保理入りへの木戸銭にもならないが。

* eKantipur, Feb.18

2007/02/18

ネパール派兵,3月閣議決定へ

谷川昌幸(C)

アーミテージ元国務副長官らが2月16日「アーミテージ報告」を発表,日本に対し,自衛隊海外派遣を要求した(朝日2007.2.18)。

「美しい国」の首相は宗主国「美国」のこうした恫喝に屈し,ネパール派遣をほぼ決定した。マスコミ応援団長によれば――

「政府は、国連が設立する停戦の監視団に自衛隊員を参加させるかどうかを検討するため、現地に調査団を派遣して、治安情勢などの調査を進めてきました。その結果、政府は、停戦の合意や受け入れ国ネパールの同意など、自衛隊員を派遣するための条件を満たしていることなどが確認できたとして、監視団に自衛隊員を参加させる方針を固め、近く派遣に向けた準備を指示することになりました。・・・・政府は5、6人程度の隊員を参加させ、武装勢力などが使っていた武器の管理にあたる方向で検討しています。政府は、・・・・来月中旬にも自衛隊員の派遣を閣議決定する方向で調整することにしています。」(NHKニュース,2007.2.16)

日本国憲法はすでに半世紀以上の歴史をもつ「古き良き伝統」だ。安倍首相は「我が国と郷土を愛する態度」を忘却し,その「伝統と文化を尊重」せず,日本を対テロ戦争の泥沼に引きずり込もうとしている。

かつて皇軍がアジア各地に派遣され,学校では地図を広げ派遣地に日の丸を立て,世界平和への日本の貢献を祝った。東アジア,東南アジアは言うに及ばす,オーストラリアやインド近辺まで皇軍は派遣され,平和のために血を流したのだ。

「美しい国」の首相は,完膚無きまでに否定されたはずのこの似非伝統を復古させようとしている。これは「保守」ではなく「反動」である。軍隊は「旗」が大好き。すでに,自衛隊関係地図を見ると,派遣先には日の丸が立っている。

あと一月ほどで,ネパールにも日の丸が立つ。日本人にとっては,三角旗や赤旗よりも,日章旗の方が美しいに決まっている。そのうちエベレストやサガルマータに旭日旗がひらめくかもしれない。チョモランマの五星紅旗と覇を競う。

大げさというなかれ。すでにイラクでは現に日本空軍が,美国下院でさえ増派否決(2/16)した対テロ戦争に参戦し,さらに継続方針を固めている。軍というものは,いったん派遣すると,撤退は至難の業だ。

ネパールでは,マオイストもほぼ体制内化しており,今のところ危険性はそれほど大きくはない。逆に言えば,軍人派遣など必要としていないのだ。そんなところに,わざわざ無理して派兵するのは,エベレストに旭日旗を立てたいがために他ならない。エベレスト,サガルマータ,チョモランマ――ここに旭日旗が立てられれば,「美しい国」は世界の覇者だ。もっとも,美国はそれを許さないだろうが。

2007/02/16

派兵はNGOの危機,ネパールとアフガン

谷川昌幸(C)

朝日新聞(2/16)がアフガン軍民一体化への危険性を指摘している。安倍内閣はプッツン政権で,神経が切れていおり,軍民一体化の危険をまるで感じない。猪よりたちが悪い。こと軍事に関しては,シビリアンはミリタリーよりも悪い。「シビリアン・コントロール」への幻想は一掃すべきだ。無免許でスポーツカーをぶっ飛ばすようなもの。

            [1]
わがHPでいち早く警告したように,安倍首相は2007年1月,NATOにおいて,アフガン軍民一体型「地域復興支援団(PRT)」への参加の意欲を表明した。これを聞いた側は,当然,日本首相の国際的政治公約と受け取る。危険きわまりない冒険だ。

アフガンは,アメリカの「選挙民主主義(electoral democracy)」と「民主主義の平和(democratic peace)」により弄ばれ,いまや泥沼状態。死者は増える一方で,NATOは逃げ出す口実探しに躍起だ。そこに,こんな不用意な軽率な発言をし,自衛隊を派遣しようとする。愚劣だ。

PRTへの自衛隊派遣が違憲であることは言うまでもない。首相配下の内閣法制局解釈ですら,武器使用が前提のPRT参加は絶対に認められない。しかも,PRTは有志国参加の軍民一体作戦だ。そんなところに,自衛隊を出したい,と公の場で発言する。猪突猛進のoutlaw。かつて日本をズルズルと日中戦争の泥沼に引き込み,破滅させたのは,このような類の無法行為の追認にほかならない。

            [2]
ネパールUNMINは,もちろんアフガンPRTとは違う。しかし,軍民一体であることは同じだ。安倍政権のねらいは,海外での軍民一体活動(=operation=作戦)に自衛隊をだし,実績をつくり,そして本格派兵への道を切り開くこと。むろん日本を脅し派兵を強要しているのは,アメリカ。しかし,日本はこれに抵抗するどころか,安保理の二流メンバーになりたい一心で,毒入りまんじゅうとも知らず,それに食らいつこうとしている。やせイヌの悲哀。誇りも何もあったものではない。これが「美しい国」の「愛国心」を唱道するか首相のやるべきことか?

            [3]
ネパールUNMINへの自衛隊派兵は,本格的軍民一体作戦参加への突破口。これは,アフガンで実証されつつあるように,在外民間人,とくにNGO活動にとって深刻な脅威となる。軍民一体化が進めば,NGOと軍隊との区別がつかなくなる。おまけに「中央即応集団」でスパイ訓練を受け派遣されるとなれば,NGO活動家もスパイと疑われかねない。ネパールの辺境へのこのこ出かけようものなら,スパイ活動と疑われ,下手をすると射殺されかねない。CIA要員がネパール各地に派遣され,スパイ活動をしているのは周知の事実。告白レポートがいくつか出ている。自衛隊派兵となると,日本も同じことを始めたと見られる。そんなことが,日ネ友好に寄与するはずがない。

            [4]
日ネ友好を願う人々,特に直接的な影響を受ける恐れがあるNGOは,自衛隊ネパール派兵に反対の声を上げるべきだろう

2007/02/13

はや,宣伝利用

谷川昌幸(C)

ネット版朝雲新聞(2/8)が「ネパールに調査団 国連の要員派遣打診で」を掲載している。詳しい,行く気満々の応援記事。しかも,いかにもネパールといったカトマンズ市内の風景写真付。

これを見ただけで,つい陸自隊員さん,頑張れ! と応援したくなってしまう。困ったことに,ネパールはそれほど魅力的なのだ。

これが,ヒマラヤ背景になったらどうか? 単純計算でも,富士山バックのおなじみの写真の3倍は魅力的ということになるから,私など,きっと最敬礼してしまうに違いない。

仏陀の国ネパールをこんな宣伝材料に利用させてよいのだろうか?

2007/02/12

停戦監視派遣へ,応援団続々

谷川昌幸(C)

産経(2/8)によれば,UNMINへの自衛官8人派遣はほぼ確定らしい。花形の停戦監視であり,格好良い。

自衛隊海外派兵は,すでに5千人以上,日常化しているが,任務のほとんどは物資輸送,燃料補給,施設建設などで,戦争専門家の自衛隊としては不本意,惨めな気分だったに違いない。

そこに好機到来。常任理入りは世論操作のおかげで国民の支持が高くなり,そのためには軍事大国化が不可欠なことも理解され始め,防衛省への昇格が実現した。このチャンスを逃す手はない。産経はこう伝えている。

「防衛省は7日、停戦監視員や司令部要員といった個人派遣型PKO(国連平和維持活動)を拡大する方針を決め、専門要員の教育体制整備に着手した。「日本が国連安保理常任理事国入りを目指すには、PKOで頭脳の役目を果たせる人材を派遣しなければいけない」(防衛省幹部)との狙いからで、3月に発足する部隊「中央即応集団」で人材育成を始める。」(産経2/8)

この「中央即応集団」で要請されるのは,もはや上官の命令に機械的に服従する兵隊ではなく,どんな状況にも「即応」できる人材だ。

「中央即応集団の国際活動教育隊では、「停戦監視員に求められる豊富な語学力や不穏な動きを察知する洞察力」(陸自幹部)を養うという。」(産経2/8)

つまり,伝統的な用語で言えば,高級スパイの本格的養成だ。自衛隊が日本「自衛」を任務とするのであれば,こんなスパイ養成機関は不要だ。「集団」などとごまかしているが,「中央即応集団」は「スパイ部隊」であり,海外本格派兵の尖兵である。

その中央即応集団の3月発足を祝うのが,3月のUNMINへの自衛隊派兵だ。停戦監視はUNTAC(カンボジア)以来,2回目。勇み立つはずだ。そしてネパールが,このスパイ養成機関の初の練習場となろうとしている。その方面の知恵者であろう,ネパールから強力な応援団を招き,産経新聞のインタビューに応じさせている。

「後方支援だけではどれだけ日本がPKOに協力しているかがみえない。将官、士官クラスを送り、リーダーシップをとるべきだ」(シャルマUNDO前司令官)。

*ネット版『産経新聞』2007.2.8

2007/02/11

軍人派遣開業で安保理ゲット

谷川昌幸(C)

こんな勇ましいプロパガンダを見つけた。外務省はいつ防衛省傘下に入ったのかな? 大島国連大使発言。公人だから,著作権はないだろう。たぶん。あっても,このプロパガンダを批判の俎上にのせる公益がはるかに勝る。

それにしても,なぜそんなにまでして,安保理の2等理事国になりたいのだろうか? また,もともと組織で動く軍人を「個人派遣」するというのは,まるで公営派遣業。2等理事国以外にも下心があるとすると,それは何だろう? いずれにせよ,ネパールは軍人派遣業新規開業国家日本の格好の訓練地であり,「国民の支持喚起」のコマーシャル制作地にすぎない。

大島国連大使
「安倍新政権の下、安保理常任理事国入りをめざすことが所信表明で力強く明言された。 ・・・・国連PKO要員の派遣面でも日本は相当程度の努力が求められる。現状(2006年9月末現在、派遣国総数110カ国中第81位)は、どう見ても見劣りが免れない。せめて現在の常任理事国並みの30位以内をめざすことが最低限の目標であってよい。軍事監視員や司令部スタッフにも個人派遣の自衛官をどんどん送り込み、また先進国の比較優位たる運輸、通信、情報など後方支援型の協力を強化する余地がある。需要の多い文民警察官、司法関係者なども同じだ。世界の平和と安全のため各国から派遣されてくる要員と、国連の旗の下で一緒に汗をかく用意がもっとあっていいし、そのための国民の支持喚起をすべきである。」(外務省HP,http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/iken/06/0612.html,文中ゴシックは引用者)

2007/02/09

シビリアンかミリタリーか? ネパール・UN・日

谷川昌幸

うろ覚えで多少あやふやなところもありますが,経過はおおよそ次のようだったと思います。

2006.8.9 コイララ首相とプラチャンダ議長の国連事務総長あて書簡
武器・兵員監視のための「シビリアン専門家(qualified civilian personnel)」派遣要請

2006.11.28 「武器・兵員管理監視協定」成立
「国連シビリアン監視員(qualified UN civilian personnel to monitor)」派遣要請

2006.11.28頃より
国連,自衛隊派遣要請,日本政府検討へ,との報道始まる。外務省,政府関係者これを認める。

2007.1.10 
パン国連事務総長,「非武装の軍人監視員(unarmed military inspectors)」,選挙専門家,行政官からなる小チーム」派遣を提案。

2007.1.24 UNMIN成立
安保理「小規模な選挙監視団派遣」決議

2007.1.18
マーチンUNMIN代表,すでに軍事監視員40人が任務に就き,武器・兵員管理監視は順調に進行中,要員は186人に増員する予定,と発言。

――以上が大まかな経過。国連が正式に軍人派遣を要請したのかどうか,単なる総長提案にすぎないのか,そこのところがよく分からない。

少なくとも正式文書では,ネパールは軍人派遣要請はしていない。この点,見落としがあれば,お教え下さい。

2007/02/08

UNMIN:安保理決議と外務報道官談話

 谷川昌幸
 
23 January 2007
 Security Council
SC/8942 
-------------------------------------------------------------------------
Department of Public Information ? News and Media Division ? New York
Security Council
5622nd Meeting (PM)
Security Council establishes United Nations political mission in nepal,
Unanimously adopting resolution 1740 (2007)
 
Recognizing the strong desire of the people of Nepal for peace and the restoration of democracy and noting the request of the Nepalese Government and the Communist Party of Nepal (Maoist) for United Nations assistance in implementing the 2006 Comprehensive Peace Agreement, the Security Council today established a United Nations Political Mission in Nepal (UNMIN) for one year, with a mandate to monitor the ceasefire and assist in the election of a Constituent Assembly.
Through the unanimous adoption of resolution 1740 (2007), the Council also tasked the new Mission with monitoring the management of arms and armed personnel of both sides through a Joint Monitoring Coordinating Committee.
The new Political Mission would provide technical support for the planning, preparation and conduct of the election and provide a small team of electoral monitors to review all technical aspects of the electoral process and report on the conduct of the election.
The Council also expressed its intention to terminate or further extend UNMIN’s mandate upon the request of the Nepalese Government, taking into consideration the Secretary-General’s expectation that the Mission would be a focused mission of limited duration.
In a related provision, the Council requested the parties in Nepal to take the necessary steps to promote the safety, security and freedom of UNMIN and associated personnel in executing the tasks defined in the mandate.
The meeting began at 12:16 p.m. and adjourned at 12:20 p.m.

Resolution

The complete text of resolution 1740 (2007) reads as follows:

“The Security Council,
“Welcoming the signing on 21 November by the Government of Nepal and the Communist Party of Nepal (Maoist) of a Comprehensive Peace Agreement, and the stated commitment of both parties to transforming the existing ceasefire into a permanent and sustainable peace and commending the steps taken to date to implement the Agreement,
“Taking note of the request of the parties for United Nations assistance in implementing key aspects of the Agreement, in particular monitoring of arrangements relating to the management of arms and armed personnel of both sides and election monitoring,
“Recalling the letter of the Secretary-General of 22 November 2006 (S/2006/920) and the statement of its President of 1 December (S/PRST/2006/49), and welcoming progress made in dispatching an advance deployment of monitors and electoral personnel to Nepal,
“Recognizing the strong desire of the Nepalese people for peace and the restoration of democracy and the importance in this respect of the implementation of the Comprehensive Peace Agreement, and encouraging the parties to maintain that momentum,
“Recognizing the need to pay special attention to the needs of women, children and traditionally marginalized groups in the peace process, as mentioned in the Comprehensive Peace Agreement,
“Welcoming the Secretary-General’s report of 9 January 2007 (S/2007/7) and having considered its recommendations, which are based on the request of the signatories of the Comprehensive Peace Agreement and the findings of the technical assessment mission,
“Expressing its readiness to support the peace process in Nepal in the timely and effective implementation of the Comprehensive Peace Agreement,
“Reaffirming the sovereignty, territorial integrity and political independence of Nepal and its ownership of the implementation of the Comprehensive Peace Agreement,
“Expressing appreciation for the efforts of the Secretary-General and his Personal Representative, the United Nations Country Team including the Office of the High Commissioner for Human Rights and other United Nations representatives in Nepal,
 
“1.   Decides to establish a United Nations political mission in Nepal (UNMIN) under the leadership of a Special Representative of the Secretary-General and with the following mandate based on the recommendations of the Secretary-General in his report:
(a)   To monitor the management of arms and armed personnel of both sides, in line with the provisions of the Comprehensive Peace Agreement;
(b)   To assist the parties through a Joint Monitoring Coordinating Committee in implementing their agreement on the management of arms and armed personnel of both sides, as provided for in that agreement;
(c)   To assist in the monitoring of the ceasefire arrangements;
(d)   To provide technical support for the planning, preparation and conduct of the election of a Constituent Assembly in a free and fair atmosphere, in consultation with the parties;
(e)   To provide a small team of electoral monitors to review all technical aspects of the electoral process, and report on the conduct of the election;
 
“2.   Decides that the mandate of UNMIN, in view of the particular circumstances, will be for a period of 12 months from the date of this resolution, and expresses its intention to terminate or further extend that mandate upon request of the Government of Nepal, taking into consideration the Secretary-General’s expectation that UNMIN will be a focussed mission of limited duration;
 
“3.   Welcomes the Secretary-General’s proposal that his Special Representative will coordinate the United Nations effort in Nepal in support of the peace process, in close consultation with the relevant parties in Nepal and in close cooperation with other international actors;
 
“4.   Requests the Secretary-General to keep the Council regularly informed of progress in implementing this resolution;
 
“5.   Requests the parties in Nepal to take the necessary steps to promote the safety, security and freedom of movement of UNMIN and associated personnel in executing the tasks defined in the mandate;
 
“6.   Decides to remain seized of the matter.”
 
Background
 
Meeting to consider the situation in Nepal this afternoon, the Security Council had before it the report of the Secretary-General (document S/2007/7) pursuant to its presidential statement of 1 December 2006 (document S/PRST/2006/49).  In the statement, the Council had welcomed the signing on 21 November 2006 of a Comprehensive Peace Agreement in Nepal and had expressed support for the dispatch of a technical assessment mission to Nepal, with a view to a proposal by the Secretary-General of a fully developed concept of operations, including a United Nations political mission to deliver the assistance requested by the Nepalese parties to the peace process, and the dispatch of essential personnel of up to 35 monitors and 25 electoral personnel.  The Council had also expressed its readiness to consider his formal proposals as soon as the technical assessment mission was complete.  The present report contains such proposals, including the outline for the mandate and focus of a United Nations mission of limited duration.
Providing background on the situation, the report explains that, since 1990, Nepal has undergone considerable turbulence in its attempt to embrace more open political and economic systems.  Despite achieving democratic rule in April 1990 in the wake of a “people’s Movement”, the country soon faced internal armed conflict after the Communist Party of Nepal (Maoist) launched an insurgency in 1996.  The estimates of those who disappeared during the decade of armed conflict that followed broadly range from 1,000 to 5,000 people.  Tens of thousands were displaced as a result of war, and sexual violence was common.  The conflict was also characterized by consistent patterns of impunity for serious human rights abuses.  Numerous minors, including girls, were involved in the conflict as Maoist army combatants, while the armies of both sides utilized minors as messengers, sentinels, informers, cooks and in other support functions, including paramilitary activities.  The conflict also increased women’s visibility.  Many women and girls joined the Maoist army, making up an estimated 40 per cent of combatants.
Nepal faced a deepening crisis of governance after the collapse of the first ceasefire and peace talks between the Government and the Communist Party of Nepal (Maoist) in 2001 and the suspension of Parliament in 2002, the report says.  In October 2002, King Gyanendra, who had acceded to the throne following the death of his brother, King Birendra, in the June 2001 palace massacre, dismissed the Prime Minister and ruled until February 2005 through a series of appointed Prime Ministers.  A second ceasefire and peace talks between the Government and the Communist Party of Nepal (Maoist) collapsed in August 2003 in an atmosphere of mutual mistrust.  The casualty rates from the war rapidly soared.  On 1 February 2005, King Gyanendra dismissed his appointed Prime Minister and ministers and assumed executive powers while directing a harsh crackdown on mainstream democratic parties, the media and civil society.  The King’s assumption of sweeping and direct authority threatened to prolong and escalate the conflict while creating a risk of State collapse.  At the same time, the King’s policies and their failure to bring about peace united disparate political and social forces against royal rule and towards a common basis for the restoration of democracy and long-term peace.
In November 2005, the Seven-Party Alliance of parliamentary parties and the Communist Party of Nepal (Maoist) signed a 12-point understanding vowing to “establish absolute democracy by ending autocratic monarchy”, the report further states.  The groundbreaking understanding, coupled with the Nepalese people’s strong desire for peace and restoration of democracy, helped establish the foundation for the emergence of broad-based people’s movement.  In April 2006, mass demonstrations across the country, with strong participation by women and marginalized groups, brought an end to the King’s direct rule, led to the restoration of Parliament and a mutual ceasefire, and opened the way for further negotiations between the Alliance and the Communist Party of Nepal (Maoist).  On 21 November 2006, the parties signed the Comprehensive Peace Agreement, consolidating earlier agreements and understandings, and declared an end to the war.  This historic achievement was the culmination of a year-long process of negotiation between the signatories and an expression of the widespread desire of the people of Nepal to end a conflict that had claimed more than 13,000 lives.  All parties have agreed to the election of a Constituent Assembly as the foundation for a more inclusive democratic system able to address the country’s persistent problems of social exclusion.  However, marginalized groups, including women, have expressed concerns that the planned mixed electoral system will not ensure their adequate representation.
The report recalls that, in a letter dated 22 November to the Security Council President (document S/2006/920), the former Secretary-General sought the Council’s agreement to the dispatch of an assessment mission and the deployment of an advance group of up to 35 monitors and 25 electoral personnel to Nepal.  He also informed the Council that once consultations with the parties had progressed sufficiently and the logistical support and security requirements for a fully fledged mission had been assessed, he would propose to the Council a concept of operations for carrying out the required tasks.  The Council, in its presidential statement of 1 December 2006, welcomed this proposed course.  On 28 November, following negotiations, the parties reached agreement on modalities for the monitoring of arms and armies, which extensively detailed the arrangements for United Nations monitoring.  The Secretary-General’s Personal Representative signed the agreement as a witness on 8 December 2006.
While Nepal has made remarkable progress towards peace, the magnitude of the tasks ahead and the potential threats to the peace process must not be underestimated, the report notes further.  During the conflict, normal government functions ceased across wide swathes of Nepal.  If the Government fails to restore local government, there will be a clear lack of equal democratic space for all political forces in advance of the election.  Rising crime rates linked to the prevailing security vacuum are also a serious concern, and if Nepal fails to facilitate the integration of Communist Party of Nepal (Maoist) combatants and others operating in paramilitary structures, many of whom are young people and children, unrest could mar the election and post-election climate.
The report finds that all parties have committed themselves to moving forward rapidly with the Constituent Assembly election, and the operational challenges in adhering to this timetable are considerable.  Given the lack of Government presence in the countryside, conducting a credible election by mid-June of this year will challenge the capacity of all involved.  Similarly, a failure to provide basic public services to conflict-affected communities could result in “dangerously unfulfilled expectations”.  The debate over the country’s future could also swiftly exacerbate ethnic, regional, linguistic and other tensions.  “If Nepal fails to meaningfully include traditionally marginalized groups in the peace process and in the election, and in the deliberations of the Constituent Assembly, the country will lose a crucial opportunity to harness the strength and vision of its own people and leave some of the key underlying causes of the conflict unaddressed.”  In addition, the exclusion of women from participation in public life and from the peace process so far has been “almost total”.
The report details a proposed United Nations mission in Nepal as having the following tasks, among others:  supporting the peace process; monitoring the management of arms and armies of the Communist Party of Nepal (Maoist); assisting in the monitoring of the ceasefire arrangements; providing electoral support for a Constituent Assembly; and paying special attention to the needs of marginalized groups.  The Secretary-General recommends that the mission be established for 12 months, until after the implementation of the results of the 2007 Constituent Assembly election, during which regular progress reports would be submitted to the Council.  The United Nations mission in Nepal is expected to be a focused mission of limited duration.  Despite that, the mission will coordinate closely with the United Nations development and humanitarian agencies, funds and programmes in Nepal.  Consistent with the principle of an integrated approach, it will establish a coordination unit, whose main function will be to ensure strategic coherence and operational cooperation within the United Nations family and donors in Nepal.
 
-----------------------------------

外務報道官談話
 
国連ネパール政治ミッションの設立について
平成19年1月24日
 
我が国は、1月24日(水曜日)(ニューヨーク時間23日)、国際連合安全保障理事会において、国連ネパール政治ミッション(UNMIN:United Nations political mission in Nepal)を設立する国連安保理決議第1740号が全会一致で採択されたことを歓迎する。
また、同ミッションが、ネパール政府とマオイストとの間の包括和平合意に基づく武器管理、制憲議会選挙の実施等を効果的に支援していくことを期待する。
我が国としても、ネパールの包括和平合意の実施を引き続き支援ししていく。
 
【参考1】最近のネパール情勢
(1)1996年以降、マオイストが国王からの政権奪取を目的とした武装闘争を開始し、武力紛争が発生。
(2)2006年4月、マオイストは、国王の政治介入に反対し、民主化を要求する国内の他の政党と連携し、同年2月に実施された国王の一方的な処置による地方選挙の実施に対する全国規模での抗議集会等を開催。これに対し、ネパール政府が関係者の逮捕等取締りを強化したところ、国内の更なる反発を招いたこともあり、マオイストへの対応方針を見直し、マオイストとの対話の再開、停戦の表明、制憲議会選挙の実施等を下院議会にて採択。
(3)同年5月、コイララ新首相の下、新政権が誕生。同政権はマオイストのテロ指定を解除するとともに、無期限停戦を発表。これに対し、マオイストは停戦歓迎の声明を発表。ネパール政府、マオイスト双方の代表団により和平交渉が行われた結果、両者の間で国連に対し国軍及びマオイストの武器管理の監視を行うよう要請すること等の8項目の合意が成立(6月16日)。同年11月8日、政府とマオイストは「恒久平和の実現に向けた合意文書」に署名、本年6月半ばまでの制憲議会選挙の実施、このために国連が国軍及びマオイストの武器管理の監視を行う枠組み等に合意し、11月21日、両者は紛争終結を含む包括的和平協定に署名。
(4)1月15日に暫定憲法の公布、同日、マオイストを含む暫定議会が発足するなど和平プロセスが具体的に進展。
 
【参考2】UNMIN設立の経緯
(1)2006年12月1日、ネパール政府からの要請を受け、国連安保理は、ネパールへの技術評価ミッションの派遣についての事務総長の提案を歓迎する旨の安保理議長声明を発出。
(2)2007年1月10日、上記技術評価ミッションの訪問結果を踏まえた事務総長報告が発出され、国連政治ミッションの設立が提案された。
(3)1月24日(NY時間23日)、右事務総長報告の提案を踏まえ、国連安保理は、12ヶ月間、以下を主任務とするUNMINの設立を決定する安保理決議第1740号を採択。
(イ)包括和平合意(CPA)の規定に従った武器及び兵士の管理の監視
(ロ)共同監視調整委員会(JMCC)を通じた武器及び兵士の管理に関する合意の履行に関する支援
(ハ)停戦合意の監視に関する支援
(ニ)制憲議会選挙の計画、準備及び実施のための技術的支援の提供
(ホ)選挙過程の全ての技術的観点をレビューするとともに選挙行為について報告するための小規模な選挙監視チームの提供
(4)なお、上記事務総長報告では、最大186名の現役及び元軍人を監視要員として配備することが提案されている。
 
【参考3】最近の我が国対ネパール支援
(1)政治面では、2006年7月、塩崎外務副大臣(当時)を派遣、ネパール政府の取組みに対する我が国の強い支持とコミットメントを表明。
(2)経済協力面では、以下を実施。
(イ)ラジオ放送局整備のための無償資金の供与(9.37億円)
 ラジオ放送はネパールにおける最大の情報伝達手段であり、選挙実施に不可欠。民主化支援の中核との位置づけ。
(ロ)ノン・プロジェクト無償資金の供与(11億円)
 貧困対策、民主化・平和構築分野も含めて活用。
(ハ)2007年6月の制憲議会選挙実現に向けた支援
 投票箱(必要とされる6万個全て)及び選挙用小規模機材(CP、プリンタ等)の供与、JICA選挙支援専門員派遣、選管スタッフ数名を対象とする本邦での短期研修の実施等を決定。さらに、現在、プロジェクト形成調査団を派遣、同年6月の制憲議会選挙実施に向けた民主化・平和構築支援の案件形成を実施中。
 

2007/02/07

穀潰しの選挙民主主義

谷川昌幸(C)

また選挙批判と叱られそうだが,これは繰り返しいっておかねばならない。選挙は,成立条件が整ったところでは有益だが,そうでないところでは,よくて無駄金浪費,悪くすると過去の遺産の食いつぶし,穀潰し,最悪の場合は紛争の引き金となる(バングラディッシュ選挙を見よ)。

7+1党の選挙原理主義は,典型的な過去の遺産の食いつぶし,穀潰しだ。しかも,これはアメリカが国家戦略として展開している選挙民主主義に乗せられているだけなのに,そのことにちっとも気づいていない。選挙民主主義→伝統的社会諸制度の解体→市場社会への移行→アメリカ企業進出。

近代化は合理化であり,合理化は分析。すべてをとことん分析,分解すること。自由選挙は,本質的に,既存諸社会を徹底的に個人に分解し,1人1票で社会を再構成すること。これは大変なことだ。そんなことが出来る社会はごく限定されている。

民主化論のなかではこれは常識であり,現在,アジア,アフリカについては,むしろ伝統的な合意形成システムを再生し民主化のなかに組み込むべきだという考え方が有力になりつつある。伝統的諸制度には到底容認できないものがある反面,選挙民主主義をしのぐ合意形成システムも少なくない。たとえば,わが村にかつてあった水利や入会地利用制度,村道維持管理制度,相互扶助制度などはよくできており,選挙民主主義よりはるかに効率的で公平であった。

ネパールの村には行ったことがないので実態は知らないが,たとえば伝統的な村落パンチャヤット制などは,改善していけば,民主社会の堅固な土台になるのではないか。アメリカ民主主義が機能してきたのは,貴族のトクヴィルが見抜いたように,タウンミーティング(要するに村人集会,アメリカ版パンチャヤト)があったからだ。1人1票の選挙だけでアメリカ社会の統合をやってきたわけではない。

冷静に考えて欲しい。比例代表や連邦制にして,いったい何が解決されるのか? 議会や行政府が階層や地域ごとに分割され,権益の分捕り合戦となり,国家社会は解体する。

民主主義の元祖アテナイは,同質社会ポリスが当然の前提となっていた。民主主義の本家イギリスには,議員は利益代表,地域代表ではなく「国民代表」だという見事なウソを信じた振りをする政治的成熟があった。いまのネパールには,ポリス的同質性もイギリス的国民代表文化もない。全くない! そうしたところで選挙して,どうなるのだ。

アメリカは,国連を洗脳し,選挙民主主義を世界中に強制し,世界を自由競争選挙社会=自由競争市場社会にしようとしている。こんな企みにやすやすと乗せられてはならない。

大きなウソほど,人は騙されやすい。

2007/02/06

日ネ軍事協力への第一歩

谷川昌幸(C)

グーグル・アラートで朝雲新聞(2/1)が配信された。それによれば,ネパールのバラ・ナンダ・シャルマ陸軍中将(UNDOF前司令官)が1月29日,遠路わざわざ久間防衛大臣を訪問,ゴラン高原で「自衛隊はいちばん信頼できた」と絶賛した。

これは,状況から見て,隠されてはいるが自衛隊派遣要請が目的と考えてよい。日ネ軍事協力への一歩前進だ。

しかし,ことこの問題ついては,本気で要請しているのはおそらくネパール側ではない。「海外活動をためらわない」「軍民共同活動に協力」を旗印とする安倍軍国化政権がごり押ししていると見るのが自然だ。

これまでネパールは日本から一方的に援助を受ける側だったが,こと軍事に関しては,まったく逆。ネパールには,グルカ兵として英軍,インド軍,国連PKOの下で活動してきた長い経験がある。日本を軍事力では守れないことを誰よりもよく知っている政治家や軍人は,自衛隊の活躍の場を海外に求めている。むろん,世界展開する企業の強い要請もある。経験不足の自衛隊にとって,ネパールは――
  ▼海外作戦の練習のために
  ▼ネパール軍から海外作戦の実技指導を受けるために
  ▼ヒマラヤをバックにした自衛隊の勇姿を宣伝するために
最適の国なのだ。日本が軍事援助される立場に立って,はじめて日ネ協力は双方向的となる。皮肉なことだ。

むろん,新しい金づる探しに躍起のエリートたち,特に日本の援助は米印中英などとは決定的に違い非軍事的であったため軍事援助寄生特権を享受できなかった軍事エリートたちは,自衛隊派遣を大歓迎するだろう。

しかし,庶民はどうか? 外国軍人を招き入れるのは,常識では売国的行為。きっとネパールにも自衛隊派遣反対の庶民は多いはず。カトマンズで反対デモでも始まれば,自衛隊派遣は中止となるだろう。朝雲新聞によれば,防衛省の守屋事務次官は「派遣は歓迎されるものでなければならない」と述べている。政策は,自衛隊派遣を誰が歓迎するかを考え,判断していただきたい

2007/02/05

自衛隊派遣応援のNHK報道番組

谷川昌幸(C)

NHK「ネパール国づくり,自衛隊も派遣検討」(2月4日)を見た。15分番組だったが,これまでの報道に比べ,はるかによくまとまっていた。しかし,いくつかの問題と,決定的な間違いがある。

冒頭,トリブバン空港から日本調査団員5.6名がダークスーツ,ネクタイ姿で出てきた。庶民から見ると,ちょっと異様な雰囲気だった。むろん着替えはされるのだろうが,市ヶ谷や霞ヶ関をそのまま持ち込んだような浮いた感じで,これでネパール治安情勢という「妖怪」の調査がどこまで出来るのかなぁ,と不安に感じた。これはNHKの責任ではない。

内容についてみると,まず気になったのが,「共産党毛沢東主義派」が冒頭で一度出ただけで,あとはもっぱら「武装勢力」。これはあまりにも不自然。1,2年前までは,マオイストについて語ると,まるでテロリスト同調者扱いされた。これはその正反対。「マオイスト」と呼ぶと,悪の枢軸みたいで自衛隊派遣に具合が悪いので,価値中立的にみえる「武装勢力」を用いる。「武装勢力」とはいったい何だ! 国軍だって立派な武装勢力ではないか。これは意図的ごまかし。

「ネパールの国づくり」の説明では,「王政存続の是非」と説明されたが,これは間違い。「王政」と「王制」は同じではない。「王政」は昨年4月,国王自身が否定し,議会宣言でも暫定憲法でも完全に否定されている。これは周知の事実。日本は天皇制だが,天皇政ではない。天皇が政治をしているわけではないからだ。制憲議会の主要課題の一つは,正しくは「王制存続の是非」である。

イアン・マーチン国連ネパール監視団代表への道傳さんのインタビューについても,明白な世論誘導がある。

マーチン代表は,公式論で当たり障り無く答えていた。むろん「選挙戦」が一種の「戦争」であることなど(アフガン,イラクを見よ),おくびにも出さない。さすが老練だ。

これに対し,道傳インタビューの字幕は,「派遣が検討されている自衛隊に何を期待する?」だった。「検討されている」がついているが,文脈上は既定方針であるかのようなインタビューであり,明らかに日本国内の世論誘導が目的だ。

この番組は,自衛隊派遣の問題点については,一切触れていない。調査団は,それを調べるために派遣されたのであり,まさにそれこそがこの番組のテーマであったはずなのに,まるで自衛隊派遣を既定方針であるかのように報道している。ましてや,自衛隊海外派遣の違憲性についての議論などひとかけらもない。巧妙な論点のすり替え,悪質な世論誘導だ。

NHK報道の危険性は,朝日記事と同じく,一見公平中立と見せかけながら,実は「自衛隊を派遣せよ」という政治的主張をしていること。産経や読売がこの主張をするのなら,そのつもりで読むから,それほど問題はない。ジャーナリズムとしては,後者の方が立派だ。警戒すべきはNHKや朝日。公平,中立を装った報道や記事が世論をどちらに誘導しようとしているのか,全体の文脈をよく見て見極め,批判すべきはきちんと批判すべきだろう。

2007/02/04

人間交際のすすめ

谷川昌幸(C)

勤務先のゼミ論集に,このような表題の文章を書いた。ここでの議論は,かなりの程度,ネパールにも当てはまるような気がする。 「人間」が「交際」する。この思想は,残念ながら,まだネパールにはほとんどない。近代化であり,悩ましいところだが,少なくとも法的,政治的にはそのような文化が必要ではないだろうか。参考までに,掲載しておきたい。

    人間交際のすすめ

このゼミ論集には,2006年度卒業の3氏の卒業論文をそのまま掲載した。4年間の大学生活の集大成がどう評価されるか,読者諸賢のご判断を仰ぎたい。(表題の「人間交際」は福沢諭吉によるsocietyの翻訳語。「社会」よりも正確で,かつ原語以上に含意豊かな名訳。以下では,固定した「社会」ではなく人々の自由な交わり,集い,実践的自由共同体の意味で用いる。)

 この論集もそうだが,何事かに取り組み,その成果を公表することには,相当の努力と覚悟がいる。この小さな論集も,友人・知人や先生方に読んでいただき,また政治学ゼミHP(ホームページ)にも掲載し広く公論に付すことを目的に,ゼミの皆さんと協力して作成した。

 もし幸いにしてこの論集をめぐって身近な方々と議論することができるなら,それはいくら小規模なものでも直接的な知的人間交際であり,本来はこのようなものこそが生きた議論であり,公論への端緒であろう。しかし,そうした本来の議論が出来ない場合であっても,現在および未来の読者を想定し,語りかけることは,多かれ少なかれ人間交際の場における公論に参加し,自らを世界に向けて現わすこと,流行語で言えば,自らを発信することである。H.アレントによれば,人間の自由は,このような公論への参加による世界への「現われ」にこそある。人は,自由を実践し自己実現を願うなら,いくらささやかでも,人間交際の場の公論に参加し,自らを世界に現わさざるを得ない。未熟なものであるにもかかわらず,この論集を公表したのも,そうした「やむにやまれぬ」公論参加への願いゆえである。

→→全文表示