ネパール評論 2007年3月


2007/03/31 国連特需とインド資本の進出
2007/03/30 タルーと人食いコンバイン
2007/03/29 村の中の宿営地
2007/03/29 マオイスト宿営地で旅団長と記念撮影
2007/03/27 マオイストとネパール政治マンダラ
2007/03/25 スズキ車の貢献/朝から夜のお仕事
2007/03/25 信号援助と「法の支配」と宣伝看板消失
2007/03/24 人民SAARC飛び入り参加、生命搾取を批判
2007/03/24 セミナー文化について
2007/03/24 キューできないのにキュー/車が人を食う
2007/03/23 TUのマオイスト/UNとガス欠
2007/03/22 バンダ監視団に襲撃される
2007/03/21 カトマンズ激変
2007/03/20 UNMINに丸裸にされるネパール
2007/03/17 性力派とポルノ:紙一重の差の意味?
2007/03/16 性器と貨幣の目的外使用禁止タブー
2007/03/14 日本ポルノとネパール性タブー
2007/03/12 紅白テロリスト合戦と自衛隊派遣
2007/03/10 ラウテの共産思想:加藤著『「所有権」の誕生』を手掛かりに
2007/03/07 軍の自己増殖と第2次調査団派遣
2007/03/04 マデシ系サイト検閲ブロックか?
2007/03/03 KP・バタライ氏の立憲君主制論
2007/03/02 ネパール史の時代区分



2007/03/31

国連特需とインド資本の進出

谷川昌幸(C)
1.UNMIN特需
国連ネパール支援団(UNMIN)が新聞に大量の求人広告を出している。左の写真は30日付カトマンズ・ポスト。
  国家法務担当官 1名
  開発区児童保護担当官 5名
  国家児童保護担当官 10〜12名
  国家ジェンダー問題担当官 5名 
 (資格)修士以上,経験5〜7年以上
      誠実,専門的能力,多様性尊重
 
むろん自衛隊員6名,支援要員数名の日本支援団雇用への期待も大きい。
 
こうしたUNMIN特需は,人材開発による政治,経済の近代化をねらったものであろう。国連が助走を助け,離陸させる。ODAと同じように。
 
2.インド資本進出
UNMIN,自衛隊などの特需は期間限定であり,いずれ終了。そのときめでたく離陸しているかどうか? (離陸できなければ,半永久的PKO特需の目が出てくる。いくつかのNGOのように,無責任に,はいさようなら,とはいかないのだ。)
 
一方,経済自由化と紛争特需の恩恵を満喫しているのが,インド資本。カトマンズ盆地のいたるところで巨大商業ビルや高級マンションが建設されている。多くがインド資本らしい。
 
現象のみを整理すれば,経済自由化(=民主化)→紛争激化→紛争特需→特需関連産業成長→インド資本進出,という形になっている。
 
インド資本といっても,最近では日本など先進国資本が大量に流れ込んでいる。そのあぶく銭が,ネパールに回り,特権的特需有産階級のためのケバケバしい巨大ビル,巨大マンションや御殿のような個人住宅を乱立させているのだ。
 
UNMINも自衛隊も,いわばインド資本(つまりグローバル資本)の露払いをさせられるわけだ。
 
虚栄のカトマンズ生活と,人民解放軍の惨めな掘っ建て小屋生活。この目もくらむ落差から巨大な利益が生まれる。この構造的暴力の社会構造のなかにUNMINも自衛隊も組み込まれていく。自らの生み出す暴力構造と,その暴力により実現を目指す「法と秩序」。せめて帳尻は合わせて欲しい。
 
(補足)毎度のことながら,以上は一旅行者によるごく限られた見聞にすぎない。命がけの取材に基づくものでも科学的なものでもない。よそ者には,無責任な雑談くらいが分相応だ。
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2007/03/30

タルーと人食いコンバイン

谷川昌幸(C)
 
3月28日、タライ方面に無計画、無責任な観光旅行をした。
 
1.美人ぞろいのタルー
遊びまわったのはタルーの村。セクハラといわれるかもしれないが、訪れた村のタルー女性はみなすらっとしていて大変な美人。家も実に美しい。土壁にはミティラ(マイティリ)と同じく絵が描かれている。こちらは手形や抽象模様が多い。
 
2.のどかな田園風景
田畑では麦が収穫期。広々とした田一面に見事に麦が実っている。その一角は稲の苗代がになっており、苗が10センチくらいに育っている。その隣では、一家総出で田植え中。そのまた隣では、スパイスらしきものを収穫し、舗装道路上に広げ、通過する自動車に踏ませ、脱穀している。
 
タルーの田園風景は、絵になる。自分には農作業の重労働はできないが、外人向け超豪華ホテルに泊まり、タルーの人々の生活を外から見ているのは、まったく天国そのものだ。
 
3.タルー農民の幸せ
タルーの人々の生活は、先進国基準では貧しく苦しいに違いないが、伝統的生活を守り、家々を美しく飾り、楽しくおしゃべりをして過ごすことができる限りでは、決して不幸とは見えなかった。
 
4.学校のない幸せ
村々には、学校に行っていない子がかなり見受けられた。いいではないか。学校なんか行かなくても。田畑で農作業を手伝っている子、川で泳いでいる子、家の周りで遊んでいる子、いかにも子供らしく、人間らしい。かつて私も友達もまともには小学校などに行かず、遊び暮らしたものだ。
 
近代の牢獄、文明の諸悪の根源、学校を粉砕せよ。子供に、子供の世界を返せ! 子供は大人ではない。勉強は大人の仕事であり、子供は遊んでおればよいのだ。
 
5.人を食うコンバイン
そのタルーの村に悪魔が現れた。なんと巨大コンバインで一面の麦畑の収穫をしているのだ。大型トラクターも恐ろしい勢いで田んぼを耕している。まだ、ほんの数えるほどだが、そんな恐ろしいことが始まりかけている。
 
素人には正確な計算はできないが、大型コンバインはおそらく農民の千人分、いや1万人分の仕事を1台でやってしまうだろう。大型トラクターも千人分の仕事はする。そんなことは一目瞭然だ。
 
つまり、農業の機械化で大量の農民が失業し、そして農作業を基盤に形成されてきたタルー社会もその文化も崩壊してしまうということだ。
 
タルーの美しい田園風景は、せいぜいあと数年の命だ。どこの援助か知らないが、直線的(=近代的=非人間的)なコンクリート用水路もかなり普及していた。
 
コンバインがタルー文化を殺し、コンクリート直線用水路がタライの動植物多様性を破壊する。それもおそらく数年で。
 
6.失業対策としての人民戦争
人食いコンバインは、マオイストよりこわい。先進国は農業近代化による余剰人員を工業や商業に振り向け、生産した商品を途上国に売りつけることにより、成長して来た。植民地への失業者輸出も盛んだった。
 
今のネパールにはそんな未開発市場や植民地はない。余剰人員の引き受け先がないのだ。仕方ないから、人民戦争、反人民戦争で自国民同士を殺し合い、余剰人口を減らしている。人民戦争は失業対策なのだ。
 
7.マオイストよりこわいコンバイン
人民解放軍宿営地に入るときはむろん緊張はしたが、背筋の凍るような恐怖は感じなかった。
 
これに対し、広々とした麦畑のあちこちで一家総出で熟した穂先を刈り取っている天国のように美しいい田園風景の一角に突如現れた巨大コンバインを見たときの驚きは、筆舌に尽くしがたい。
 
色とりどりの衣装の男女農民がおしゃべりをしたり、ふざけあったりして一生懸命に、しかし遠目にはのんびりと刈り取り作業をしているのを尻目に、悪魔の巨大コンバインがあっという間に小麦の収穫を進めていく。
 
それは、某帝国主義国お得意のじゅうたん爆撃、無差別爆撃に匹敵する蛮行だ。人々の収穫努力、神々に通じている収穫の文化をせせら笑うかのように、臭い排ガスを吐き出しながら、小麦を非人間的、非文化的に、まさしく機械的に、生命を持つはずの小麦への畏敬のかけらも見せず一網打尽に切り取り、商品としての小麦を生産していく。何たる蛮行か!
 
8.コンバイン打ち壊し
しかし、ドンキホーテの昔から、人間は機械には勝てない。19世紀の機械打ち壊し運動でも人間は完敗した。
 
美しいタルーの村に現れた巨大コンバイン。タルーの心優しい人々は、そして他の多くの同じく心優しいネパールの農民たちは、この悪魔の機械にどう対応していくのだろうか?
 
人民戦争は、現象の単なる表層に過ぎない。選挙なんかやってみても、コンバイン問題に向き合わない限り、何の問題解決にもならない。ましてや、自衛隊員6名が来てどうなるものでもない。
 
バズーカ砲でも持ち込み、コンバインを木っ端微塵に粉砕するのなら、まぁ、多少は悪魔の鼻を明かすことになるかもしれないが・・・・・・。
2007/03/29

村の中の宿営地

谷川昌幸(C)
 
3月27日に実地調査を行ったマオイスト○○宿営地(cantonment)は、J村の中にある。
 
1.豊かで平和な村
J村は、タライ平野の北端、山裾の谷間にあり、道路はほぼ完備、平均よりかなり豊かそうに見えた。宿営地は村をはさんだ両側の山の傾斜地に数箇所に分散して設営されていた。村の続きといったほうが正確だ。
 
私が訪問した旅団長のいる地区は、村のバス停のすぐそば、民家の向かい隣だ。宿営地の前の立派な道路を村人が行きかい、奥にも村やホテルがあるので、バスも20〜30分おきに通っていた。ネパールのごくありふれた、のどかで平和な村。そこに突如、マオイスト軍の宿営地が建設されたのだ。
 
2.軍民雑居
軍の駐屯地、宿営地というと、日本の自衛隊でもそうだが、非軍事の民間地域とは塀や有刺鉄線で区切られているものだが(軍民峻別の原則)、J村宿営地にはそんな区別はない。PLA兵士は村に出入りし、ゲームをやったり、ぶらぶらしたりしている。軍民雑居に近い状況だ。
 
3.村民との軋轢
PLA宿営地はかなり広いが、この土地が誰のものだったか、そういう微妙な点は尋ねなかったが(調べればすぐわかる)、訪問したときも宿営地内の大木をPLA兵が切り倒しているところであり、誰の所有地であれ、これだけの規模だと問題になる。見た限りでは、村人が宿営地内に入っている様子はなかった。つまり、PLA兵は村に出入りしているが、村人は宿営地内の土地の利用はできなくなっているということだ。
 
4.ビニール小屋の6千人
それにしても、宿営地の環境はひどい。これは決してPLAの名誉を汚すために言うのではなく、見たことをそのまま表現するに過ぎないが、これはcantonmentでも駐屯地でもなく、難民キャンプである。紛争地から命からがら逃げてきた人々が、ほとんど何の施設もないところでビニールの切れ端をかき集め、露営している、そんな感じだ。
 
旅団長は、飲み水さえ満足にないといっていた。付近は谷間の低地であり、水は豊かなところだが、それでもこれだけの規模になると、宿営地の生活用水の確保は難しいのだろう。電気は無論ない。
 
宿舎は、旅団長室を含め、はっきり言って、掘っ立て小屋だ。カトマンズの河川敷スラムよりもひどいかもしれない。ちょっとした風雨にも耐えられそうにない。自衛隊の快適なテントなど、夢のまた夢だ。
 
付近ではすでに蚊が大発生している。私もあちこち咬まれた。薬の利かないマラリヤも報告されている。もしこの新種マラリヤが広まれば、ネパールだけでなく世界的な大問題になる。旅客機で日本にもすぐ入国するから、そんなことになれば日本自身の問題ともなる。
 
制憲議会選挙の6月実施は難しそうだ。雨季をどうやって乗り切るのか? ここだけで、青年男女6千人! 食料、保健、停戦による無為---問題の深刻さに圧倒される思いだ。
 
5.金満飽食帝国主義の大海の中で
宿営地の青年男女6千人---おいしいものを食べ、美しく着飾り、恋もしたい。そのPLA6千人の目の前で、村人たちがコーラを飲み、女の子をからかい、テレビの先進国虚栄番組を楽しんでいる。
 
コーラ帝国主義、CNN帝国主義、スズキ帝国主義、そしてピカピカ新車で聖なる牛を蹴散らし我が物顔で走り回る国連(UN)帝国主義・・・・。こんな状況で、毛沢東思想がPLA青年男女の頭や腹を満たすわけがない。たとえ帝国主義の大海に沈む人々が多数いるとしても、快楽への幻想を与えてくれるのは資本主義以前の毛沢東思想ではなく、隣のテレビ(のなかの先進虚栄文化)であり、スズキ車なのだ。
 
飢えた被抑圧人民の大海ではなく、金満飽食帝国主義の幻想の大海の中で、3万5千もの青年男女は、これから先どうするつもりだろうか。
  

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マオイスト宿営地で旅団長と記念撮影

谷川昌幸(C)
 
3月27日午後、マオイストの某宿営地(cantonment)を訪問し、第○○旅団長と面会、雑談し、記念撮影をしてきた。(軍機のため詳細は割愛。)
 
1.マオイスト定食を食べ雑談
何の予告もせず、ぶらりと訪れたため、外から様子が見られたらよしと考えていたが、さすがネパール、マオイスト軍警備兵が親切に取り次いでくれ、この宿営地の最高責任者・旅団長の宿舎に案内してくれた。旅団長はちょうど昼食中(正確にはナスタ)だったので、一緒に煮豆とお茶をいただき、雑談をした。
 
停戦中とはいえ、相手は軍隊、軍機に属することや政治的なことは最初から聞くつもりはなく、聞いても形式的なことしか答えてくれないのはわかっていた。だから、まじめな話はせず、雑談としたわけだ。
 
2.○○宿営地
旅団長は、この宿営地について次のような話をしてくれた。
(1)概要: 人民解放軍約6千名を収容。男女は半々、出身地も全国に渡る。
(2)日課: 4:30 起床 
      5:00〜7:00 軍事訓練
      7:00〜12:00 朝食、その後、宿営地建設
     12:00〜13:00 休憩
     13:00〜18:00 学習
     19:00 点呼、夕食
     22:00 就寝
(3)雨季の心配: 宿営地の運営は、経費的に極めて厳しく、雨季入りが心配。
(4)UNMIN: UNMINには、マオイスト側も同意しているので、国連決議に従っての活動は歓迎するし、日本の参加もその枠組みに従ったものなら問題ない。
 
と、まぁ、このようなわかりきったくだらぬ雑談をしたわけだ。話のついでに、自衛隊は日本国憲法違反であり、派遣に反対の声もあるが、どう考えるか、という少々危険な質問もしてみた。当然ながら、それには国連決議に従うものなら、マオイスト側としては何も言うことはない、との答えだった。そりゃそうだ。自衛隊派遣は、日本自身の問題だ。
 
3.○○旅団長
旅団長は、40歳くらいの温厚そうな小柄の方で、静かな話し方で、一見長い戦闘歴は感じさせなかったが、時折見せる鋭い視線は、やはりただものではないことをよく物語っていた。この地位にあるのだから、当初から人民戦争に参加されてきたのだろう。
 
4.旅団長室
旅団長のテントには、簡易ベットと、マオイスト系雑誌、ビラ類、マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東の大きな写真とヒマラヤ・バックの軍旗らしきものがあった(写真をとっていないので間違いがあるかもしれない)。
 
5.雑談の無意味の意味
今回のPLA宿営地訪問は、無計画のいい加減。雑談もいい加減、たいした意味はない。○○旅団長には、自衛隊派遣をどう考えるかなどといった、くだらぬ質問に時間を割いていただき申し訳なく思っている。
 
ただ、旅団長には、自衛隊派遣が日本人民の間では大きな問題になっていることは理解していただいたのではないかと思う。これは、日本人自身の問題だが、ネパールと日本が人民のレベルで交流するには、政府以外の意見も、特にマオイスト側にはきちんと伝えておいたほうがよい。その意味では、多少は、人民政府のお役に立ったのではないかと思う。
 
雑談終了後、旅団長室の前で並んで記念撮影をした。停戦中の軍事基地内で記念撮影とは、これまたのんきな話だが、旅団長のこのご好意には、宿営地の実情を日本人民にできるだけ正確に伝えることで多少とも報いたいと思っている。    
2007/03/27

マオイストとネパール政治マンダラ

谷川昌幸(C)
3月25、バサンタプル(旧王宮)広場で開催された某政党系「人民SAARC」全体集会に参加した。内容は米帝粉砕!、アグリ多国籍企業の生命搾取糾弾!と至極もっともだが、上滑り気味で、怒りが十分に内面化されているようには感じられない。
 
これはネパールの政治家、知識人の多くに共通する傾向で、主義主張が自分の生き方になっておらず、たとえば民族言語・文化の死守を唱える人々が自分の子供は英語学校に通わせ、母語はおろかネパール語ですら十分には読み書きできないようにしてしまっていることも少なくない。生活のために仕方ない面もあるが、近代化はこのような精神の二重生活は許さない。近代化は結構つらいことなのだ。
 
その観点から見て興味深かったのが「人民SAARC」会場に出ていた本、パンフレット即売露天。アッパレ! つい先日まで殺しあっていた某政党系大会というのに、プラチャンダ本、プラチャンダ・カレンダー、マオイスト万歳本の大洪水。マオマオ、プラプラで頭がクラクラ。
 
お隣はクマリ館、仏教の生き神様が見ている。地獄に落ちるぞ。向かいは旧王宮。ヒンズーの神々が見ている。ケガラワシイことだ。仏教とヒンズーの神々の前で、罰当たりなことだ。
 
旧王宮からはテッポウを構えた警備兵がにらんでいるし、旧王宮内警察署からは武装警官(兵隊みたいなもの)満載の軍用車が米帝粉砕集会とマオイスト・プラチャンダ万歳即売露天のすぐ側を通って出動していく。これぞネパール政治マンダラ。お見事!
 
マオイスト・プラチャンダ満載露天のスゴさは、その品揃え。なんと、ヒトラー、スターリンからマルクス、レーニン、毛沢東、そしてなぜかビレンドラ国王まである。アッパレ、アッパレ!
 
つまり、プラチャンダ議長がいま一番人気で、クマリやヒンズーの神々を圧倒しているが、それは要するにヒトラーや故国王などと並べて売ってもよいもの、ということなのだ。しかも、敵対関係にある某共産党系集会(ひな壇中央には党首鎮座)だ。もし私がクマリかヒンズーの神々の召使なら、あるいは某共産党の党員なら、こんな罰当たりなマオマオ・プラプラ露天をたたき出し、マオ本、プラ本、ヒトラー本等々をかき集め、焚書にしてしまうにちがいない。
 
しかし、ネパール政治マンダラの世界ではそうはならない。プラチャンダ議長は、人民政府軍を率いて悪魔軍と戦い、勝利し、いまやビシュヌ神の化身といってもよい存在となり、クマリとヒンズーの神々の前で人々の賞賛を一身に浴びている。殺し合いをしてきた某共産党の党首でさえ、自分の威光を示すはずの集会でプラチャンダ神がブロマイドとなりカレンダーとなって集会参加者に売られているのを容認しているのだ(私ももちろん買った)。
 
これがネパール政治マンダラの世界だ。欧米人や日本人の理解をはるかに超えている。神秘といわざるを得ない。


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2007/03/25

スズキ車の貢献/朝から夜のお仕事

谷川昌幸(C)
 
いまカトマンズは快適な季節だ。暑くなく寒くなく。花々が咲き乱れ、さわやかな春風が心地よい。
 
市内の空気は、スズキ車普及により、最悪期よりはかなりよくなった。車そのものはケシカランが、煙モクモクの隣国製よりはましだ。スズキは酷使に耐える安価な車造りで完全に現地化している。エライ! 
 
これに反し、悪化一途がタメル。23日朝7時過ぎ、いつものように新聞を買いに出たら、路上で「かわいい女の子がいますよ」と声をかけられた。朝っぱらから、いったい何を考えているのだ。
 
20年以上前からタメルに宿泊してきたが、こんなことは初めてだ。グローバル化時代には、たしかに夜も昼もない。朝7時過ぎの夜のお仕事は、まさしくグローバル化の申し子だ。
 
以前にも書いたように、売春は古来からある。しかし、タメルに登場し始めたのは、現代型売春だ。個別事例からの一般化は慎重であるべきだが、他の変化とあわせて考えると、ネパール性規範の現代化は少なくとも政治の近代化よりは先行しているようだ。(公平のため、この点での日本の先進性も指摘しておく。)

信号援助と「法の支配」と宣伝看板消失

谷川昌幸(C)
 
たしか4,5年前、日本援助の近代的信号システムが王宮-文部省-SAARC-アメリカンクラブのど真ん中、カンチパト交差点に設置された。私は日本国民の一人として大変誇らしく、この交差点を通るたびに、日本人であることの幸せに涙したものだ。
 
第一に、この信号機は、わが日本国がネパールとSAARC(印パ等)とアメリカの間に立ち、整然と交通整理をしていることを象徴していた。進め、止まれと、ネパールや米印パに指示している。日本国の偉大さに感動し、祖国のため生徒・学生を引率し、ここに立たせ「愛国心」教育をさせたいと思ったものだ。
 
第二に、この日本援助信号機は、「青は進め」「赤は止まれ」であり、このルールにはカースト、男女、民族の差を越えて従うべきだ、という近代法治主義の実地教育そのものだった。
 
当初、信号機に従わせるため、多くの警官が出て指導し、交差点付近には図解の啓蒙ビラが無数に貼られていた。それでも人々は信号を無視して通行し、交通渋滞を引き起こしていた。
 
それが、どうだ! いまでは赤でちゃんと車は止まる。奇跡だ!
 
「赤は止まれ」には、人間の意志以外に何の根拠もない。「赤で進め」でもよいわけだ。それなのに、人が決めた規則に、ネパールの人々はカースト、性、民族を超えて自ら服従している。どうして彼らは規則に従うようになったのか?
 
それは、従わなければ、自分が痛い目にあい、下手をすると死ぬからだ。Sanction(制裁)が利いている。信号無視の困った王族が約1名いたが、数回の交通規則無視の結果、王制そのものを代価として支払うことになりそうな雰囲気だ。交通規則には万人が従うべきだ(法の支配)という規範意識が出来ていなければ、王族約1名の交通違反があれほどの反王室世論の高まりをもたらしはしなかっただろう。
 
信号機設置、とくに象徴的な王宮前交差点への設置は、どの人権運動、どの反カースト差別運動、どの性差別運動よりも、はるかに効果的であり、また、近代合理主義の権化たる信号機こそが前近代非合理の権化たる王制破壊の真の起因なのだ。王制は、マオイストよりもむしろ、日本製信号機により基盤を掘り崩され、崩壊へと向かっている。
 
日本製信号機が教えているのは、近代化には、強力なsanctionが必要だということだ。信号機は守らなければ、即決裁判、死をもって処罰する。前近代的な「人の支配」ではない。人のつくった単なる規則が、死のsanctionがあるからこそ一切の差別なく万人を支配する。これこそが近代的「法の支配」だ。
 
この種の「法の支配」は確実にネパールでも拡大している。たとえばATM。銀行窓口だとまだ人為が介入し、上位カーストが優遇されたりする。ところが、ATMは一切の差別をしない。国王だろうが労働者だろうが、いやサルだって、カードさえ持っておれば差別しない。そして、規則どおりATMを使用しないと、経済的損失のsanctionが例外なく下される。信号と同じく、これも近代的「法の支配」だ。
 
ネパール近代化は、テクノロジー(信号機)と経済(ATM)から確実に進行している。これに反し、政治が近代化しないのは、多くの人々が民主化=近代化が政治権力(sanction)強化だという、単純明快な真理から目をそむけているからだ。
 
近代化=民主化は、政治における死のsanctionを確立することだ。政治権力を極大化すること。信号と同じく、規則を破れば、国王から一労働者にいたるまで死の処罰をまぬかれないこと--その原則を確立することなのだ。人々が安全に交通できるのは、信号機が違反者を即死刑に処するからだ。この明快な近代化のイロハが、People's Powerの面々には全くわかっていないようだ。
 
しかし、日本国の設置したこの信号機のおかげで、彼らもいずれは、政治にも絶対的権力を持つ信号機に相当するものが必要なことを理解するであろう。伝統的な「人の支配」の温かさは捨てがたいが、ネパールの人々自身が近代化=民主化を望んでいるのだ。冷血無慈悲な合理性の「法の支配」がいずれ政治でも始まるであろう。
 
そのネパール近代化=民主化への日本国の真の貢献をたたえるため、カンチパト交差点のSAARC側歩道にかなり大きな看板が設置されていた。信号設置の経緯を述べた立派な看板で、仮設置ではなく恒久的なものと思われた。その前を通るたびに、日本国の偉大さに感動し、愛国心を大いに鼓舞されたものだ。それは、前回訪ネの3年前には、たしかにそこに堂々と屹立していた。それは間違いない。
 
ところが、それが忽然と姿を消してしまっている。わが目を信じられず、アメリカンクラブ警備兵に撃たれるのを覚悟でカンチパト交差点を2回もまわり確認した。どこにも、日本援助の表示はない。日本は完全に抹消されてしまっている。いったい、どうしたのだ! なぜ、消されたのだ!
 
一旅行者には、調べようもなく、理由は推測するのみだ。
(1)日本が交通整理することを不愉快に感じた米印パやネパールが撤去させた。ありうることだ。ルール制定権者が結局は優位者だからだ(MSのように)。
(2)信号機設置で「法の支配」の実地教育をし、定着したのを確認した日本が、奥ゆかしくも宣伝看板をはずした。これもありうる。
(3)誰かが、なんとなく外し、そのうちどこかに行ってしまった。これも大いにありうる。
 
面白いのは、(1)→(3)の順。可能性は(3)→(1)。さて、実際にはどれだろうか? ネパールは、信号機ひとつでこれほどまでに議論が出来る。こんな国はめったにない。まったくもって面白い国だ。