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2007/05/31 宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(6)
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2007/05/02 国王の政治的利用



2007/05/31

宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(6)

谷川昌幸(C)

[ 「第2章 言語,アイデンティティ,シティズンシップ」について

言語がアイデンティティやシティズンシップの中核にあることはいうまでもない。言語は言霊,つまり魂そのものといってもよいからだ。

1.カタルーニャ
(1)最大の非国家語
本書によれば,カタルーニャ語は,ヨーロッパ最大の非国家語で,話者はEU公用語のデンマーク語よりも多い。カタルーニャは古くから固有文化を持つ独立した地域だったが,その後,次のような経緯をたどって今日に至っている。
 1714年 スペイン領となる
 1932年 自治政府樹立
 1936年 フランコにより自治権剥奪
 1975年 フランコの死により自治回復へ

(2)義務教育
現在,カタルーニャの義務教育は,カタルーニャ語とカスティーリア語の2言語。カタルーニャ語がより重視されている。
(3)地名
カタルーニャ語表記に復帰。2言語表記ではない。
(4)社会生活
公用文,社用文,商用文などの2言語化は実際には難しい。

2.4層のアイデンティティ
こうした状況をふまえて,本書では,アイデンティティやシティズンシップをつぎの4層に分けて考えることが提案されている。

 (a)固有言語共有
   カタルーニャ,バスク,ウェールズなど。
 (b)固有言語の共有は十分ではないが,固有文化アイデンティティは持つ
   バルセローナ市,カーディフ市など。
 (c)国民アイデンティティ
 (d)ヨーロッパ・アイデンティティ

これら4層の相互の関係は,地域や個人により異なるだろうが,ヨーロッパでこれら4層のアイデンティティ,シティズンシップが形成されつつとはいえるであろう。

●(補足)日本の国語化政策の功罪
本書では,日本の国語化政策については触れられていないが,これは大成功であり,したがって同時にそれはまた大きな問題をはらんでいるともいえる。そこで,以下,全くの専門外ながら,私見を追加しておく。

(1)日本語化政策
日本も,言語学的分類は別として,少なくとも日常言語としては,かつては多言語だった。これを明治政府が学校と軍隊を使って標準日本語=国家語に統一した。

この国語化政策は,言語の統一により日本の近代化に大きく寄与した反面,地域言語の弾圧という代償を伴った。それはすさまじいものであり,弾圧対象となった各地の「方言」話者に取り返しのつかない深い傷を残した。

(2)丹後弁
私は京都府の最北端,丹後の出身。丹後弁が広く使われ,私ももちろん丹後弁を母語として育った。

1960年頃まで,小・中・高校では,丹後弁は「汚い」とされ,標準語への矯正(=強制)教育が行われていた。丹後弁を話すと,就職に不利だと脅され,標準語を話す訓練を受けたのだ。

これは屈辱だった。自分の言葉=言霊=魂が劣等であるということ。話すたびに劣等感に駆られ,修学旅行では街の人に聞かれないように用心したものだ。

(3)ズーズー弁
丹後弁は方言といっても,それほど「なまり」は強くなく,標準語話者にもわかる。これに比べ,東北のいわゆる「ズーズー弁」はよそ者にはまるで理解できない。言語学的にはそうではないのかもしれないが,少なくとも素人が聞いている限りでは,ズーズー弁は江戸や京の言葉とは別の言葉であり,まさしく固有言語,固有文化だ。だから,これは徹底的に弾圧された。精神的拷問,虐待とすらいってもよい。

1990年頃,私は山形のある大学に赴任した。直後のある日,新任の同僚数人と会議のため山形県庁に行き,ロビーで時間待ちをしていた。そこに地元の中年女性清掃員が数人きて掃除を始め,そしてよそ者丸出しの私たちに話しかけてきた。その最初の一言は今も忘れない。「ごめんなさい,汚い言葉で」,まずそう断ってから話し始めたのだ。

(4)学校=軍隊=工場=刑務所
山形の母語,山形の固有文化を弾圧し,人々に精神的拷問を加え,一生涯消し去ることのできない深い傷を負わせたのは,学校だ。

近代以前の日本の多言語,多文化は,明治政府の富国強兵の障害だった。多言語だと,「突撃!」と命令してもよく理解されず,いざ戦争となっても戦えないかもしれない。工場や商店で上司が指図しても,指図が正確に伝わらず,従業員をうまく使えないかもしれない。私自身,山形でしょっちゅうレジで金額を聞き損ね,恥ずかしい思いをしたものだ。

だから明治以降,政府は躍起になり,学校を使って方言=劣等=悪と教え込み,国語=国家語を強制してきたのだ。

地域言語抹殺の最大の犠牲者はアイヌ民族であり,そして沖縄の人々であろう。言語弾圧は,民族弾圧,地域弾圧に直結している。

国語化政策は,discipline,つまり魂の「しつけ」であり,これなくして軍隊も工場も効率的には動かない。その極限は,「しつけ直す」ことを目的とする刑務所だ。近代教育のモデルは,刑務所に他ならない。

(5)多言語の難しさ
国語化政策は非文化的,非人間的だと分かってはいても,近現代世界においては少数言語の維持は容易ではない。他の事柄なら,法的・社会的強制により強引に方向付けをすることもできるだろうが,言葉は魂そのものであり,これを強制するわけにはいかないのだ。

それでも以前であれば,国家が少数言語の権利を保障する政策をとれば、ある程度,効果があったであろう。しかし今や少数言語を脅かしているのは,国家というよりはむしろグローバル市場主義と結びついた言語コミュニケーションの拡大そのものだ。人々は,自由意志でもっとも有利な言語を習得しようとする。マスコミも,流通範囲の広い言語を優先する。この流れは,もはや止めようもない。

学術の分野でも,すでに日本語論文は劣等とされ,英語論文にせよと脅されている。お気の毒に,仏語でも独語でもない。フランス人やドイツ人ですら,最近ではフランス語やドイツ語では本が売れないので英語で書いている。非英語圏の著者たちが,多言語・多文化擁護の本を英語で書いている! どうしようもない。

多層シティズンシップが,言語と文化とアイデンティティの多元性、多様性の回復をもたらしてくれるだろうか? そうすべきではあろうが,はたしてそうなるのだろうか? ここが難しいところだ。

2007/05/29

宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(5)

谷川昌幸(C)

Z.「第1章 再生するネーション」について

(1)ネーションとは
ネーションは「国民」であり、natoin stateは「国民国家」である。しかし、国民=国家というのは、近代主権国家の理念ないしイデオロギーであり、日本のようにそれに近い国はむしろまれで、1国家内に多数のネーションが存在するのが普通だ。本書によれば―

「ヨーロッパでの用法では、このネーションとは、国家という枠組みと一致する集団(国民)だけを意味するのではなく、生まれ(natio)を共にし、歴史的にある領域に居住する集団が、『われわれ意識』をもち、自らの共同体をつくろうという意志をもつとき、これをネーションと呼ぶ。」(p.20)

つまり、国民=国家ではないのだ。しかし、近代国家は1国家1国民を理念とし、領域内のさまざまなネーションを一つに統一しようとしてきた。最有力文化への同化、国民文化の形成である。ところが、それがここにきて再び逆転し、領域内ネーションが再生し始めた。過去40年間で自治を得たのは――

スコットランド、ウェールズ、カタルーニャ、バスク、ガリシア(スペイン)、コルシカ、フランデレン、ワロニー(ベルギー)、アルト・アーディジェ、ヴァッレ・ダオスダ、サルデーニャ(イタリア)、ジュラ(スイス)など(p18-19)。

(2)ネーション再生の諸要因
ネーション再生の主要因は、本書によれば次の4つ。
(a)中央―周辺の格差拡大
1950-60年代の高度経済成長の結果、中央―周辺の格差が拡大し、周辺地域がこれに不満を募らせ、地域アイデンティティを喚起した。
(b)分権化
上記(a)への対応として、国家が分権化政策を進めた。
(c)ヨーロッパ統合
EC、EU統合により国家主権が相対化。EUによる地域開発、地域振興。マーストリヒト条約の「地域委員会」(187委員)。
(d)民主化
スペイン権威主義体制の崩壊。民主化により、地域自治復活。

(3)文化中心の自治権
ここで注目すべきは、このネーション再生においては、独立国家を目指す「民族自決ナショナリズム」ではなく、「経済と並んで文化・言語の権利要求が中心となる」(p23)ということである。

(4)言語権
ヨーロッパにおけるネーション再生が文化中心だとすれば、文化の核心は言語だから、当然言語権の要求が中心になってくる。本書によれば、言語的に均質に近いアイスランド、ノルウェー、ポルトガルを除けば、ヨーロッパの多くの国が複数言語だ。そうした国々で、言語権の要求が高まってきたのである。
 ・「世界言語会議」バルセロナ、1996.8
 ・「地域言語、マイノリティ言語欧州憲章」1992
 ・「ヨーロッパ言語年」2001

この言語権の要求は主にアイデンティティの要求であり、この点はネパールのような途上国における言語権の要求とはかなり状況が違い、注意を要する。 著者はこう述べている。

それは「自明とされてきた国民国家、国民文化のなかから、それらに還元・吸収されない地域枠組みや文化をあらためて取り出そうという自覚的な動きである。」(p25)
「近年の西ヨーロッパの言語要求は、国民国家的統合の時期を経たのちの多様性の追求である。」(p26)
つまり、共通語を前提とした上での、固有の言語の権利要求であり、「それは、自分に使えるコミュニケーション言語をめぐる排他的争いというより、むしろ文化・アイデンティティの実現の要求とみるべきであろう。」(p26)

むろん、こうした言語権の主張が政治化し、地域の分離独立、主権要求となる可能性はつねにあるだろうが、数百年の近代を経てきたヨーロッパにおいては、本書のような見方がおそらく妥当であろう。

ここにネパールとの違いがある。近代的主権国家形成も不十分な状況で、言語権の要求を強く打ち出すと、それは政治化され、分離主義化しがちだ。地域が独立し、国家の枠組みなしで存続しうるのなら、それもよいが、ヨーロッパですら国家の枠組みを残すことを当然の前提とした上での言語権の主張である。ネパールのような途上国は、これを見落としてはならないだろう。

(5)言語立法
言語権の要求にこたえるため、ヨーロッパではいくつかの法がつくられている。
(a)「地域言語・文化および民族マイノリティの諸権利に関する共同体憲章に向けての決議」欧州議会、1981
 ・学校(幼稚園〜大学)正規カリキュラムで地域言語・文化の教育。
 ・公的生活、社会生活での固有言語使用を可能とする。
(b)スペイン1978年憲法
 ・諸民族、諸地域の自治権(第2条)
 ・「スペインの言語的多様性は、文化的遺産であり、特別の尊重および保護の対象とする」(第3条)
(c)「バスク語使用正常化基本法」(バスク、1982)、「言語正常化法」(カタルーニャ、1983)、「言語政策に関する1998年1月7日法」(1998)
 ・固有言語使用の定着、拡大のための規則。
 ・公用語化(カタルーニャ語)
 ・初等教育の二言語化
(d)「ウェールズ言語法」(1967)、「1993年ウェールズ言語法」(1993)
 ・ウェールズ語と英語は同等。ウェールズ語使用を学校、社会で広める。二言語が原則。

――このようにみてくると、ヨーロッパにおけるネーション自治や多文化化、多言語化は、やはり近代の遺産の上に進められていることがわかる。

一つは、安定した国家の枠組み。どこかの地方が独自文化を主張しても、かつてのように外国が介入し中央政府と戦争になる、というような恐れはまずない。

もう一つは、ネーション自治をバックアップするEUの存在。各ネーションは、国家だけでなく、EUの枠の中にもある。国家とEUの二重の安全装置、ないし規制によって守られている。ネーションや固有文化は国家により守られる一方、EU(たとえば人権条約)により域内国家からも域外国家からも守られているのだ。

ネパールのような途上国が、安易にEUのまねをし(先進国知識人の実験台にされ)、多文化主義化を進めると、これらの二重の安全装置のいずれもまったく無いか不十分なため、たがが外れ、アナーキーの民族紛争になる恐れがある。ヨーロッパはダテに数百年の近代を過ごしてきたわけではない。

日本にとっても、外国人住民の多い地域では、固有の文化権、言語権など、つまりシティズンシップがすでに現実の問題となっている。教育や行政、司法の多文化化、永住外国人選挙権、あるいは健保・年金の加入権等々。日本でもシティズンシップの拡大はもはや避けては通れない課題となっているのである。

2007/05/28

宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(4)

谷川昌幸(C)

Y.「序章 なぜシティズンシップなのか」について
(1)シティズンシップの定義
プロローグでの問題提起を受け,序章ではまずシティズンシップが定義されている。シティズンシップには――
  (a)国籍
  (b)市民の諸権利
  (c)「個人が共同体に参加し,そこに一体化するある行為の型」(ダニエール・ローシャック)の3つの意味がある。(a)(b)は一般的だが,本書ではむしろ(c)が重視される。人々が地域社会,国家,超国家的政治共同体など様々なレベルの共同体に参加し,そこで市民化し,「シティズンシップを実感する」(p3)。「つまり,主観的,客観的両面をもつ個人と共同体の関係の成立である」(p4)。

この関係,つまりシティズンシップは,多元的,複数的である。
 ・複数集団所属=国家,地域社会,職業集団,政党,教会など
 ・政治共同体所属=超国家共同体,国家,地域,市町村など
ここで,この関係が垂直的・一元的であるかどうか,また,客観的所属と主観的帰属意識(自己のアイデンティフィケーション)との異同が問題になってくる。

(2)シティズンシップの諸要素
本書によると,近代国家のシティズンシップの主な要素は,次の6つである(p4)。
 (a)平等な成員資格
 (b)意思決定への参加権
 (c)社会的保護と福祉
 (d)共同体帰属の公認(国籍など)
 (e)義務の履行(納税,兵役など)
 (f)共同体の正統性観念の共有
かつてシティズンシップからの排除理由は,女性と子供については主に(e),外国人については主に(d)であった。

ところが,本書によると,この数十年でシティズンシップの「契約的性格」が強調されるようになり,(c)(b)(d)(f)の規制がゆるめられてきた。「そしてかつてない要素として,国家を超える共同体,国家の内なる分節化された共同体の双方において,シティズンシップの観念が芽生えている」(p5)。ここで「かつてない」といわれているのは,おそらく近代主権国家の観念の下では,という意味であろう。

(3)米欧のシティズンシップの相違
このシティズンシップについて考えるには,本書も,私が先に指摘したのとほぼ同じ理由で,ヨーロッパの方が適切だと述べている。つまり,アメリカでは――
  様々な移民→メルティングポット→アメリカ市民
という考え方が基調にあり,ここからは外国人選挙権のような多様なシティズンシップの考え方は現れにくい。

これを私流に言い換えるなら,アメリカは「同化」を前提としており,「同化」による市民権は広く認めるが,その裏返しとして,「同化」できない人々の人権保障には冷淡だということである。

ところが,ヨーロッパは,そうはいかないと著者は考える。ヨーロッパには,ナチスやヴィシー政府によるユダヤ人迫害など,民族・文化の違いによる深刻な人権侵害の過去があり,「国家悪」への厳しい認識がある。

ここから,国家主権を制限し,ヨーロッパ統合を進める一方,国籍に関わりなく人権を保障しようとする動きも出てきた。その先駆的成果が,「ヨーロッパ人権条約」(1950)である。これは国籍,滞在の長短に関わりなく,「すべての人に対して」権利や自由を広く保障している。

(4)三種のアクターの登場
本書によれば,このヨーロッパに(a)地域,民族集団,(b)移民,(c)新たなライフスタイルを求める人々,という3種のアクターが現れ,新しいシティズンシップへの動きを加速させた。

(a)地域・民族集団
「地域ないし文化を焦点とする新しいシティズンシップ要求」(p10)。たとえば,ブルターニュ,ウェールズ,カタルーニャ,バスクのような地域の自治権,言語権の要求がそれで,これまで国家が独占してきたシティズンシップが,一方ではEUへ,他方では各地域に分権分化されつつある。
  ・EUシティズンシップ
  ・国家シティズンシップ
  ・地域シティズンシップ

(b)移民
第2次大戦後,ヨーロッパは「移民大陸」になった。各国には――
  ・旧植民地から
  ・契約労働者として
  ・難民として
大量の移民がやってきた。ヨーロッパ各国は,1980年代からこれらの人々の定住という現実を受け入れ,シティズンシップを拡大していく。
  ・西ドイツ=帰化請求権,地方参政権を含む外国人統合政策提案(1979)
  ・フランス=不正規滞在者の正規化特別立法(1981)
  ・オランダ=外国人参政権(1983)
  ・オランダ・ベルギー=出生地主義国籍法(1985)

(c)新しいライフスタイル
北欧を中心に新しい性や家族のスタイル,たとえば非法律婚や同性カップルなどの権利要求,あるいは立候補者の男女同数を義務づけるパリティなどが,シティズンシップの考え方を変えているという。

たしかにそうであろうが,このジェンダー論は,前述の(a)(b)の2アクターとはやや異質であり,ここでシティズンシップ論との関係で取り上げることには少し違和感を感じる。ジェンダーは第7章で扱われているので,この点についてはあとで検討することにしよう。

2007/05/27

宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(3)

谷川昌幸(C)

W.『ヨーロッパ市民の誕生』について
さて,前置きが長くなったが,以上のような観点からヨーロッパ多文化主義の現状を見るには,どのような文献が便利であろうか? 英独仏は明治以来つねに日本の関心の的であったし,EU(欧州連合)についてもさかんに論じられている。したがって文献は無数といってよいほどあるが,入手が容易でヨーロッパ多文化主義の現状を概観するのに便利なものとしては,たとえば――  
  宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生――開かれたシティズンシップへ―』岩波新書,2004
がある。そこで以下では,本書を手掛かりに,ヨーロッパ多文化主義の現状を見ていくことにする。

著者の宮島氏は,本書の著者紹介によると,立教大学社会学部教授で社会学が専門。『デュルケム理論と現代』(東大1987),『一つのヨーロッパ,いくつものヨーロッパ』(東大1992),『文化と不平等』(有斐閣1999)などの著書がある。ここで紹介する『ヨーロッパ市民の誕生』は新書であり記述は簡潔だが,そのバックにこれらの専門研究の蓄積があることはいうまでもない。以下,記述の順に従って,見ていくことにしよう。

X.「プロローグ」をめぐって
この本の理論的課題は,ヨーロッパを手掛かりとして,国籍とシティズンシップの関係を問うこと,あるいは個人―地域―国家―EU(―世界)の関係を問うことであるといってもよい。これは興味深い課題である。

(1)選択としての国籍
冒頭でヨーロッパに住む3人の事例が,まず紹介されている。

・初老婦人=ドイツからベルギーへ亡命,ドイツ国籍剥奪。無国籍のままベルギー在住。「ヨーロッパ人」になりたい。
・女子学生=父はユダヤ系アメリカ人,母はオランダ人。本人はパリ生まれでフランス人。
・レストラン経営男性=アルジェリアから10歳の時フランスへ。アルジェリア国籍のムスリム。フランス生まれの子供はフランス国籍となる。

以上のような事例がどの程度あるのか分からないが,少なくないことは十分に想像できる。ヨーロッパには,このような人々,あるいは二重国籍,多重国籍の人々が多数住んでいる。彼らにとって,国籍は本人の意思による選択の問題となっているのだ。

(2)地域住民としてのシティズンシップ
こうした居住国の国籍を持たない人々がヨーロッパで普通に生活できるのはなぜか? それは,ヨーロッパがシティズンシップを住民に広く認めているからだ。

「シティズンシップとは共同体と自己とのかかわりを意味する」(p.v)

外国籍の住民にも,地方選挙権や労働者としての権利,社会的諸権利を広く認める。移民にも難民にも外国人労働者にも,一定の条件の下に,地域住民としてのシティズンシップを認め,受け入れているのだ。

(3)自然なものとしての日本国籍
これに対し,日本人にとって国籍は自然に与えられるもので,通常はほとんど意識しない。

「日本人は今生きている社会と自分との関係を考えるとき,意志,選択,契約という観念にはほとんど思いいたらない。」(p.v)

日本人は,国籍を自然なものと感じているから,その裏返しとして,在日外国人の権利については鈍感,冷淡だった。日本人の多くは,外国人から住民としての権利の問題を問いかけられるまで,そのことについて真剣に考えてみようとはしなかった。

ところが,こうした状況は,近年,大きく変わりつつある。たとえば,在日コリアンの訴えに対し,最高裁は1995年2月,地方選挙における永住外国人の選挙権は憲法違反ではないという判断を示した。また一方,日本人の国際結婚や外国移住も増え,日本人自身の問題としても二重国籍や,国籍とは別のシティズンシップの問題に取り組まざるを得ない状況になってきた。つまり――

「ヨーロッパで提起され,論議され,取り組まれてきた問題が,実はもう日本の問題にもなりつつある」(p.viii)。

(4)EU―日本―ネパール
日本は民族的文化的均一性の高い国であり,これまで多文化・多民族の問題には真剣に取り組まず,したがってそうした問題の扱いには慣れていない。だからこそEUのシティズンシップ問題は日本にとって特に示唆的なのである。EUの試みから私たちは多くのものを学ぶことができるであろう。

さらに,このEUとも日本とも異質のネパール,そう,あの一周遅れの多文化先進国ネパールを比較対照に加えると,議論は一層面白くなる。宮島氏は,もちろんネパールには一言も触れていない。これは,私が私の関心からここで追加するにすぎない。多民族,多文化は,先進諸国の問題である以上に途上国の問題だからである。

一方にEU,他方にネパールをおくことにより,私たちの多文化主義の議論は幅と深さを一層増すことができるものと期待している。

2007/05/26

宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(2)

谷川昌幸(C)

V.ヨーロッパ:多文化EUへの歴史的苦闘
(1)新しい中世
これに対し,ヨーロッパはネパールや日本と同じく,長く重い近代以前の伝統を持っている。17〜19世紀の近代主権国家の理念により攻撃され,一時,後景に退いていたが,それは表面的な現象にすぎず,近代の表層の下には豊穣な近代以前の伝統が厚い基層をなして存在している。ヨーロッパは多様にして一つ。ポストモダンのヨーロッパは,この中世世界に戻ろうとしているといってもよい。

むろん,中世ヨーロッパそのものに復帰するわけではない。そんなことができるはずもない。近代国家がその理念たる「一つの主権」「一つの領土」「一つの国民」により不自然に分断し,また抑圧してきた様々なものが,グローバル化による国家の相対化につれ,分断や抑圧を徐々に解かれ,復活,再生していく。それは,古いものそのものに近い復活もあるが,多くは伝統の再構成であり,またときには伝統の読替による新しいものの創造ですらある。ヨーロッパにおいて,近代主権国家を批判する場合,それは伝統の復活・再構成の様相を帯びざるを得ないのである。

2)中世の「暗黒」をも引き受けて
しかも,いわゆる「暗黒の中世」には,魑魅魍魎,有象無象の類が潜んでいる。ヨーロッパで多文化をいえば,各地に深く根づくそれらのものどもまでが復活し,ときには新たな装いの下に猛威をふるうことになるかもしれない。

近代以前の歴史と伝統を抹殺したアメリカは,星条旗の下で多文化をコントロールできると考え,事実,星条旗の枠外にはみ出す異文化に対してはヒステリックなまでの民主原理主義の暴力を発動することによりこれを弾圧し,多文化を飼い慣らしてきた。アメリカの異文化は,インディアン(先住民)を除けば,すべて移植であり,根が浅く,したがって国家による人為的コントロールが容易である。

ところが,ヨーロッパはそうはいかない。多文化をいえば,それは即,人為的コントロールの難しい自らの根深い多様な歴史的伝統を解放し,それらとの格闘を始めることを意味する。ヨーロッパは,なぜそんな苦難や危険を冒してまで近代国家体制(ウェストファリア体制)から脱却しようとしているのであろうか。

(3)EU統合
理由はいくつか考えられる。(1)一千数百年に及ぶヨーロッパ・キリスト教共同体(Christendom)の伝統があった。(2)第一次,二次世界大戦の未曾有の惨禍により,国民国家体制の維持が困難になった。(3)国家規模の小さいヨーロッパ諸国は各国とも独立した国民経済としては存続できなくなった。(4)グローバル化により,国境管理が事実上できなくなった。

ヨーロッパ諸国が,近代主権国家体制の維持を断念し,EECからECをへてEUへと統合を進めていったのは,おそらくこうした理由からであろう。

(4)EU域内と各国内の多文化主義化
EU統合の進展は,当然,域内各国の国家主権の相対化,弱体化を意味する。文化についていえば,EU全体では各国文化の相互承認の形での多文化主義化となり,これはトルコ加盟が実現すれば,一段と本格化する。また,国境にまたがって存在する文化は,国境線による分断を解かれ,一つの文化として再統合し,独自文化としての発言権を強めて行くであろう。

また,各国内では,国家による「国民文化」の強制が弱くなり,様々な独自文化が自己主張をはじめるようになるだろう。

(5)移民の異文化
さらにEUの場合,忘れてならないのが,移民である。英独仏には特に大量の移民がいて,いまも増加しつつある。植民地・旧植民地からの移住者,労働者として受け入れられた人々,そして紛争から逃れてきた難民などである。彼らは出身地の文化を持って移入し,移民人口の増加とともに,また国家主権の相対化に比例して,固有文化の要求を強化している。また,これらの移民文化の要求の高まりにつれ,これに反対する対抗文化の要求も強くなり,あちこちで紛争を引き起こしている。

(6)苦悩の多文化主義化
グローバル化もEU統合も不可避だとすれば,EUの人々にとって多文化主義化は,いくら難しかろうと,避けては通れないことである。自分自身が多文化の深く重い伝統を持つがゆえに,そして極めて異質な移民文化を引き受けざるを得ないがゆえに,ヨーロッパの多文化主義は苦渋に満ちたものとならざるをえないのである。

(7)EU多文化主義から学ぶ
ネパールや日本が,多くのものを学びうるのは,このヨーロッパの多文化主義からである。アメリカの多文化主義は,あまりにも軽快すぎる。ネパールも日本も,重苦しい伝統を宿命としてもち,これと格闘しつつ,多文化への道を探って行かざるを得ないのである。

2007/05/25

宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』(1)

谷川昌幸(C)

T.多文化主義・分権主義へ
ネパールはいま,多民族,多文化,多言語,多職業,多性(?),多イデオロギー,多法令,多政府・・・・のマルチ商法まがい多文化政治状況だ。時代の最先端を行くといってよい。世界の先頭か,一周遅れの先頭か? たぶん後者だろうが,そうだとすると,その一周遅れの意味は何か? これはなかなか面白い問題だ。

マルチ文化,つまり多文化主義の先頭を行くのは,いうまでもなくアメリカとヨーロッパ。オーストラリアとカナダが有名だが,アングロサクソン植民地系だから,独立した理念型として扱うほどのこともあるまい。

U.アメリカ:民主原理主義と多文化主義
(1)星条旗の下の多様性
アメリカはWASPの観点に立てば,神の下の自由・平等・独立の諸個人が自由意志により社会契約(メイフラワー号契約)を結び,設立した自由と民主主義の国。ピュアな民主国であり,星条旗の前で独立宣言と合衆国憲法への忠誠を誓えば,誰でも市民として平等の取り扱いを受けることになっている。文化は私事であり,建国の精神さえ冒さなければ,その多様性は許容される。

かつてルツボ(melting pot)論が流行し,異文化をルツボに入れ,どろどろに溶かし,WASP文化に均一化しようとしたことがあったが,それは非現実的ということで,いまはどうやらサラダボール論らしい。サラダボール内のトマトやキュウリのように,多民族,多文化がその独自性を維持しつつ,一つの米国という器のなかで星条旗(自由民主主義の建国精神)への忠誠を誓い,平和共存する。

(2)中央集権「合衆」国と分権「合州」国
このアメリカのサラダボール型多文化主義は,たしかに一つのモデルではある。政治制度としても,「合衆」国であると同時に「合州」国であり,近代的中央集権主義と非近代的分権主義を絶妙に組み合わせている。アメリカは近代中央集権国家としての強大さと,ポスト・モダン的分権主義・多文化主義の豊穣多産性を合わせ持っている。アメリカはやはり偉大な国であり,当分アメリカの世界支配は揺るがないであろう。

(3)歴史殺しのトラウマと民主原理主義
アメリカは偉大な畏敬すべき国だが,その一方,WASPは中世以前の歴史を持たないという致命的な弱点を持っている。建国者たちにとってアメリカは「新大陸」である。彼らは,旧大陸の封建的支配のくびきを一切合切投げ捨て,神の前の裸の個人となって新大陸にやってきた。彼らは自らの歴史を否定したのだ。

この建国時の歴史殺しがトラウマとなって,アメリカ国家はしばしばヒステリックな民主主義原理主義となり,自国民だけでなく他国家に対しても民主主義か固有の歴史文化かの二者択一を迫る。米国建国230年など,歴史でも何でもない。日本皇紀2667年,ネパールBS2063年。多少怪しいが,日ネから見ればアメリカなど赤ん坊同然だ。

その引け目から,アメリカはしばしば他国家,他民族に対し,歴史殺し,文化殺しを強要する。開拓者たちが神と民主主義の名の下に野蛮なインディアン(先住民)たちを平然と虐殺していったのと同じ論理で,地球上の異なる文化や伝統,つまり歴史を抹殺しようとするのだ。

アメリカは畏敬すべき国だが,長い歴史と文化を持つネパールや日本にとっては異質すぎて参考にするのは少々ためらわれる。

2007/05/24

高位カースト寡占のマオイスト

谷川昌幸(C)

共産党は理念の党であり,理念はインテリ高位カーストの支配イデオロギーだ。統一共産党は高位カースト寡占であり,マオイストも例外ではない。ネパリタイムズ(18 May)によると――

●マオイスト
 
中央委員35人のうち,バフン/チェットリ25人(71%)
 グルン・マガル自治区の郡長13人のうち,バフン/チェットリ9人(69%)
●UML
 
常任委員15人のうち,バフン13人(69%)
●NC
 中央委員37人のうち,ダリット1人(3%)

ちょっと比較しにくいが,マオイストの高位カースト支配は明白だ。

90年革命のあと,アメリカ政治学がネパールに輸入され,政党の「科学的」調査をやった。その結果によると,バフン(ブラーマン)支配が最も高かったのは統一共産党だった。民主化革命で民衆をたぶらかし,甘い汁を吸ったのは,バフン/チェットリだったわけだ。

2006年民主化運動Uの結果も,歴史に照らせば,同じことになる可能性大だ。少数民族やダリットをおだてて権力をとり,おいしいところは高位カーストがチャッカリ失敬する。

むろん,高位カースト内の権力交替は起きているであろう。伝統的エリートから大衆動員型エリートへの転換である。

ネパールの現状を考えた場合,どちらがよいかは一概にはいえない。「汚職腐敗のデパート」コイララ首相は,もちろん伝統的バフン指導者だ。その伝統的バフンが,革命により一夜にして救国の父に化けた。変ではないか?

もちろん,変に決まっている。只今,コイララ「汚職腐敗デパート」の在庫整理,特売中! 貧乏人どもが特売目当てに殺到しているが,特売在庫がなくなれば,ハイそれでおしまい。

それでも,コイララ首相やそのお仲間が偉いのは,伝統的エリート教育を受け,指導者としての品格をもっているからだ。彼らは支配者として生まれ育ち,支配技術が身に付いている。だから,汚職腐敗まみれになろうが,それでも玉,支配者として様になっている。

これに対し,大衆動員型エリートは,大衆に依存しているので,伝統型のような指導者としての重さ,安定性,品格がない。伝統型は,政治を大衆レベルに引き下げる必要はないが,大衆動員型は大衆迎合政治を続けなければ権力が維持できない。ここに大衆動員型の大きな危険性がある。

マオイストは,高位カースト寡占で非民主的であり,その上,高位カーストも大衆動員型化しつつある。二重に危険だ。高位カーストなのに,高位カーストの品格をもたない者が劣等感にさいなまれ,暗いルサンチマンに駆られ,支配する。Noblesse obligeなしのマオイスト貴族政治! やはり,キセルはよろしくない。   

2007/05/23

現下の4大問題 戦争から銭争へ

谷川昌幸(C)

カトマンズポストのアミート・ダカール氏によれば,いまのネパールの4大問題は以下の通り。
  A 強奪財産の返却
  B PLA給与支払い,宿営地建設
  C 王制
  D MPRF交渉

1.戦争から銭争へ
以前,人民戦争の一つの側面は失業救済,つまり人民銭争だと指摘し,ひんしゅくを買った。が,戦争より銭争の方がましなことは言うまでもない。
  *「人民銭争終結のために

いま人民銭争は,AとBとの取引となっている。マオイスト強奪財産がどれだけあるか分からないが(だから調査が必要),マオイストはその返却と引き替えにPLA給与と宿営地建設を要求している。当初要求は月給6000ルピーだったが,政府は値切って3000ルピーの支払いを約束した。

3000ルピー×31000人=930000000ルピー/月

この他に宿営地建設費もかかる。誰が払うのだ! マオイストはテッポウで脅し国費を分捕る。財産を強奪された高利貸しや地主は,元陛下の軍隊のテッポウに守られ財産の返却を受け損をしない。ツケは誰に回るのか? 言うまでもない,マオイストにもなれなければ高利貸しや地主にもなれない弱者だ。彼らが直接的,間接的に税負担を強いられる。

銭争はやってもよいが,金の出所をはっきりさせ,正々堂々とやるべきだ。

2.共和制の枕詞
王制問題については,マオイストも本気ではないという。枕詞として「共和制!」と叫んでいるが,関心はもっぱら銭争であり,共和制は羽根飾りにすぎない。

そもそも暫定議会で共和制宣言をせよ,というのが無茶な話しだ。憲法制定議会での投票による王制存廃決定を定めた暫定憲法は,マオイスト自身73人もの代表を送り込んだ暫定議会で承認され,施行されたのだ。「自分で決めた憲法」だ。

法治主義は,法で自分を縛ること。ましてや憲法は最高法規。自分で決めて数ヶ月にしかならないのに,もうそれを破る。愚かなことだ。

法治主義は人間社会に不可欠の「予見可能性」を保証する。人は法に従って行動する,と期待できるから,私たちは安心して生活ができる。法,しかも憲法ですら守らないのであれば,危なくて生活できない。憲法を守ろうとしないマオイストなんか信用できない,そう思われて当然だ。

共和制宣言なんかしても,いますでに共和制なのだから,現状は何も変わらない。むしろ,宣言をすれば,持ち駒がなくなる。マオイスト指導者たちは,それが分かっているから,王制廃止問題を本気では主張していないのだろう。

3.マデシ問題の進展
政府とMPRF(マデシ民族権利同盟)との交渉は,かなり進展しているという。しかし,これはマオイストとの勢力争いであり,シタウラ内相とMPRF幹部との手打ちで話がつくかどうか,まだ予断を許さない。

* UWB, "Latest on Nepali Politics: four Key Points," 5 May 2007

2007/05/20

暫定憲法(8) 共和制革命憲法

谷川昌幸(C)

1.共和制革命憲法
暫定憲法は,実質的には,共和制の革命憲法だ。90年憲法による議会が制定したが,90年憲法の改正手続には従っていないし,また改正禁止(改正の限界)と明記されている90年憲法の大原則の一つである立憲君主制を根本から否定し,完全な共和制にしているからだ。ネパールはすでに100%文句なしの共和国である。

90年憲法による議会で暫定憲法を制定し,90年憲法の廃止を決め,自ら解散し,この暫定憲法を暫定議会が承認し施行したのだから,ネパールは共和国だ。何を今さら共和制宣言なのか?

暫定憲法はネパールの最高法規である。この憲法の下では,もはや君主制には戻れない。君主制に戻すには,旧憲法の回復か新憲法の制定しかない。国民投票で国王を残すとしても,国歌や国鳥のような存在,あるいは歴史遺産のようなもの,つまり単なる羽根飾りのようなものであろう。

憲法上,実質的に君主制は終わり,共和制になった。暫定憲法に国王の居所はどこにもない。全くない。影も形もない! ネパールは共和国だ。

2.共和制宣言の功罪
にもかかわらず共和制宣言が問題になるのは,国王や王党派が隠然たる実力を持ち,クーデターの可能性があるからだ。その危険性を根絶せよ,という要求はよく理解できる。宣言をしようが,すまいが,ネパールはすでに共和国であり,宣言はその現状の再確認にすぎないが,宣言は国王派と国民にその現実を思い知らせるという意味はある。

逆に,共和制宣言をしても,何も変わらないと言うこと。共和制宣言でバラ色の未来が開けるといった論調が多々見られるが,宣言をしても,現状は何も変わらない。宣言をしたとたん,共和制の呪文が解け,失望,落胆,今度は王制回復に夢を託すと言ったことになりかねない。共和制宣言を喧伝する人々は,それを覚悟で,宣言すべきだ。

3.象徴国王宣言を
さて,以上のような現状を直視すると,国王にとっての選択肢は,クーデターか純粋象徴化のいずれかしかない。賢明な選択は,もちろん純粋象徴化。自ら「象徴国王宣言」を出し,憲法遵守を約束すれば,シャクナゲやラホホルスと並ぶ国家・国民の象徴として存続する余地はある。

政治には,どんな体制であれ,「権威」は不可欠。共和国でも,象徴的な大統領を持つ国は少なくない。ネパールはすでに共和国だが,象徴として国王を持つことは不可能ではない。ネパールの人々が神々のように完全であり,国民統合の象徴としての「権威」など不要だ,ということであれば,むろんそんな余計なことは考えなくてもよいのだが。

2007/05/19

暫定憲法(7) 統治の継続性への執念

谷川昌幸(C)

第17編 国家の形態と地方自治

1.国家の形態
新設の編。「進歩的国家再構築」を目指すことを規定。内容は,第4編第33条(d)と同じ。高次委員会(High Level Commission)の勧告に基づき,憲法制定議会が最終決定する。

2.地方自治
90年憲法には,地方自治の明確な規定はなかった。この編では,分権の原理に則った地方自治を規定。暫定地方自治体を7党とマオイストの合意により設立する。

中央政府と地方政府は,責任と資源を分け持ち,地方発展,とくに社会的,経済的に遅れた人々の開発を図る。

――この「国家の形態」は,いわばネパール版「美しい国へ」だ。日本の反動守旧型国家論よりはマシだが,ポストモダンを安易にネパールに持ち込むと,プリモダンに先祖帰りしてしまう。これは要注意。

地方自治の規定は必要だが,この点についても,合理的官僚制の確立が先決。権限と予算の合理的配分と執行の監視は不可欠だ。鉄の檻の中の先進国ポストモダニストにそそのかされ官僚制を問題にする前に,まずもって近代的合理的官僚制の構築が先決だ。

第18編 政党
90年憲法の「政治組織」を「政党」と改めた。政党活動の規制を禁止。ただし,選挙に出るためには政党登録が必要になる。

1.政党登録の要件
・憲法前文の精神に反しないこと
・組織の民主性。役員は包摂的(女性,ダリット,被抑圧階層等)
・宗教,カースト,民族,言語,性などで党員資格を差別しないこと
・宗教的・社会的調和の破壊や国家分裂をもたらす恐れのあるような目標や旗等を持たないこと
・非政党制,一党制を目標としないこと
・党員の「規律」のための制度をもつこと

2.登録
1万人以上の有権者署名を添え申請

――多文化主義の意気込みは分からぬではないが,この政党要件を本気で強制するつもりなら,つまり法的強制力を持たせるとすると,実際には大変だ。努力目標といったところか。

第19編 非常事態権限
非常事態宣言は,90年憲法では国王のもつ最も強大な権限であったが,この憲法では内閣(首相ではない)に移された。

内閣が宣言し,議会が2/3以上の多数で可決すれば,さらに3カ月間延長。否決されれば,そこで終了。

宣言後,内閣は非常事態命令を出すことができ,その間,第3編の基本的諸権利は停止される。

これは強大な権限である。国王がもつのと内閣(事実上,首相)がもつのと,ネパールの場合どちらが安全か? 一概に内閣とはいえない。そこが難しい。

第20編 軍に関する規定
軍については,90年憲法では雑則のなかの1か条で定めているにすぎなかったが,この憲法では独立の編にし,4か条で規定している。

1.内閣の指揮命令
内閣は,ネパール軍の総司令官を任命し,軍を運用する。また,政党の同意を得て,軍の民主化計画をつくり,実行する。兵員数,組織の民主性と包摂性,民主主義と人権のための訓練など。

2.国防会議
 
議長=首相
 委員=国防大臣,内務大臣,首相指名の他の3大臣

国防会議による国軍動員の決定は,1カ月以内に立法議会の特別委員会の承認を得る。

3.マオイスト軍
国防会議は,特別委員会を設置し,マオイスト軍の監督,統合,社会復帰を図る。

4.その他
その他の軍に関する事柄は,「包括的和平協定」(2006.11.21)と「武器・兵員管理監視」合意(2006.12.8)の定めるところにしたがう。

――内閣の軍指揮権が明確に定められ,文民統制が法的に確立した。その一方,ここでも諸政党の同意がなければ,実際上,軍改革はできないようになっている。

マオイスト軍については,国軍への統合と社会復帰のいずれにするか,憲法は決めていない。これも,難しい問題だ。

第21編 憲法改正
90年憲法は,前文の精神(憲法の根本原理)は改正できないと定めていたが,この憲法は議会出席議員の2/3以上の多数で憲法のどの規定も改正できる。

この暫定憲法も,後述のように,復活議会による制定であり,90年憲法の「改正」といえなくもない。国王によって復活された議会が共和制憲法を作る。憲法改正限界説をとると,自己矛盾に陥る。そんなことへの配慮があったのかもしれない。

第22編 雑則
1.憲法会議
憲法設置機関の公務員の任命を勧告する。
 議長=首相
 委員=最高裁長官,立法議会議長,首相指名の3大臣

90年憲法では,野党指導者1名を入れていた。なぜ削除されたのか,不明。

2.大使任命,特赦など
90年憲法では国王権限だったが,いずれも内閣の権限となった。なぜ首相でないのか,不明。首相と書くと,首相が「国王」のように見えるからかもしれない。

第23編 経過規定
1.国王
国王,王室からは,すべての統治権限と,私財以外の全財産が剥奪された。
(1)統治に関する権限
国王の統治に関する権限は,特に定める場合をのぞき,すべて首相が行使する。首相は元首となり,それには当然国王が持っていた権威も伴う。

(2)財産
ビレンドラ国王,アイシュワルヤ王妃およびその家族の財産は,財団を設立し,国民のために政府が管理する。

ギャネンドラ国王の国王としての財産はすべて国有化。各地の王宮,森林,自然公園,歴史遺産など。

2.議会
既存の上院と下院は,この憲法の施行により解散となり,その当日,この憲法による立法議会の第1回会議が開会される。

3.司法
民主主義の観点から,司法の独立,公平,効率化のため,司法改革を進める。

第24編 定義

第25編 略称,施行及び廃止
この暫定憲法は,90年憲法による代議院(下院)が公布し,暫定立法議会が承認する。これにより,90年憲法は廃止される。

補足1 国旗
変更なし。ただし,国歌の規定は削除。国歌規定なし。

補足2 第167条(2)に関して
「包括的和平協定」(2006.11.21)と「兵器・兵員管理監視」合意(2006.12.8)による武器・兵員の管理監視が開始されたのち,この憲法は代議院(下院)が公布し,立法議会が承認(批准)する。

――第25編とこの補足2を見ると分かるように,ネパールの法的伝統は,統治の継続性にこだわるという点では,すごい。歴史を切らない(革命にはしない)という執念は,見上げたものだ。

90年革命のときも,統治の継続性に固執し,90年憲法は実質的には62年憲法の改正憲法であり,法的継続性はかろうじて維持された。

今回も。統治の継続性を断ち切り,革命にすることができたのに,それをしなかった。国王が下院を復活させ,復活議会が暫定憲法を作成・公布し,そして暫定憲法による暫定立法議会がこれを承認するという手続きをとった。屁理屈には違いない。やせ我慢といってもよい。

でも,これはエライ! この法的継続性への執念をもって,今度は創った法の遵守をお願いしたい。そうすれば,ネパールは立派な「法治国家」になるだろう。

(注)これは前文からの流し読みであり,見落としや誤りがあるかもしれません。気づいたところはあとで補足,訂正します。一つの試論としてご覧ください。 

2007/05/18

暫定憲法(6) 首相権限強化と道徳主義

谷川昌幸(C)

第9編 財政手続
財政については,王室と王室会議への支出がすべて削除され,新たに国家人権委員会(National Human Rights Commission)関係の予算が追加された。予算関係法案提出も国王ではなく財務大臣となった。

宗教団体の財産については,私的なもの以外は,法律で規制される。

他の部分に大きな変更はないが,国王と王室会議の予算がなくなり,宗教団体財産の法的規制が強化され,そのかわり国家人権委員会予算が計上されたところに,この憲法の性格がよくあらわれている。

第10編 司法
司法についても,国王は完全に排除され,裁判官には「人民運動と民主主義の精神」に則り職務を遂行することが義務づけられた。最高裁判所長官は,憲法会議の勧告に基づき,首相が任命。辞表も内閣に提出する。

最高裁の管轄権は,軍事にも及ぶ。旧憲法では,軍事裁判所に介入できなかったが,その規定がそっくりなくなり,したがって特別の規定がない場合は,軍隊内の事柄にも最高裁は介入できることになった。

司法委員会については,弁護士会も弁護士を委員として推薦できる。

この編の末尾には,憲法制定議会裁判所の規定がおかれている。この裁判所は,選挙関係の問題を審理する。憲法制定議会選挙に関しては,この裁判所に請願を出さない限り,他の裁判所では審理できない。

憲法制定議会選挙は,あまりにも複雑な方法であり,問題多発の可能性がある。しかし,選挙が始まったら,選挙を妨げるような訴訟は全面的に禁止される。問題が未解決のまま残され,選挙そのものの正統性が危うくなる可能性もある。

この編では,全体として,司法に対する首相と弁護士会の影響力が大きくなった。これも暫定憲法の性格をよく示している。

第11編 権力乱用調査委員会
委員長と委員は,国王でなく首相が任命する。資格に,「高い道徳的資質(high moral character)」が追加された。精神規定だが,趣旨は理解できる。

調査対象については,90年憲法は軍隊法に服する公務員を除外していたが,この憲法ではその規定を削除し,調査できるようにしている。

他は,旧憲法と同じ。

第12編 会計検査院長官
憲法会議の勧告に基づき,首相が任命。資格に「高い道徳的資質」追加。年次報告書は首相に提出。他は,ほぼ同じ。

第13編 公職委員会
委員長と委員は,首相が憲法会議の勧告に基づき任命。公務員の採用,処遇等が任務。委員資格は,90年憲法では公務員経験10年以上であったが,この憲法では20年となった。また,「高い道徳的資質」を追加。

対象外の公務員は,軍,武装警察,警察,及び法律で文官職から除外された職。これは旧憲法通りだが,これらについても従うべき人事の一般規則を示すことができるようになった。

また,公営企業(政府持分50%以上)からの求めに応じて人事問題につき助言できる。

第14編 選挙管理委員会
首相が,憲法会議の勧告に基づき,委員長と委員(4名以内)を任命する。委員資格に「高い道徳的資質」追加。

権限については,憲法制定議会選挙での立候補者の資格が争われたとき,最終決定は選挙管理委員会が行うとされた。先の憲法制定議会裁判所との関係がよく分からない。

いずれにせよ,先述のように憲法制定議会選挙の候補者選抜方法はあいまい複雑であり,争いがあれば,泥沼化する。選挙そのものの正統性が疑われかねない。選挙管理委員会は難しい任務を負わされた。

一方,選挙区画確定に関する規定は,すべて削除。法律に委ねるということだろうが,これこそ憲法で原則を示しておかないと,もめるのではないか。なぜ削除したのか,理由は不明。ただし,憲法制定議会選挙の小選挙区制は,現行法によるとされている。

第15編 国家人権委員会
暫定憲法で新たに追加。憲法設置機関となった。
(構成) 
  委員長=最高裁の元長官または元判事,又は人権・社会活動に顕著な貢献をした者
  委員(4人)=人権・社会活動に顕著な貢献をした者
(資格)学士号をもち,「高い道徳的資質」をもつ者。
(任命)首相が,憲法会議の勧告に基づき,任命。任期は6年。
(職務)人権の保護,促進。そのための調査,勧告。人権関係諸法の調査,改正勧告。人権条約への加盟促進と履行監視。「人権侵害者human rights violator」の調査,記録,公表。
(権限)人権問題調査については,裁判所と同じ権限をもつ。人権侵害の疑いのある場合は,事前通告なしに,あらゆる所に立ち入り,捜査できる。人権侵害に対しては,賠償命令を発する。軍隊法の管轄事項については,管轄権はない。ただし,人権侵害救済は,何をもってしても妨害できない。
(年次報告書)首相に提出し,首相が議会に提出する。

――以上のように,国家人権委員会は,人権問題に関する広範な権限をもつ機関である。権限は立法,行政,司法の領域に及ぶ。運用を誤らなければ,人権状況の改善に大きく寄与するだろうが,誤ると,これは危険だ。暫定憲法は「高い道徳的資質」を求めるなど「道徳主義」的傾向が強く,下手をすると国家人権委員会は「道徳取締機関」となりかねない。

やはり,立法は議会,捜査は警察や法務総裁(検察),裁判は裁判所に委せるのが本筋だ。人権委員会まかせだと,最も厳格であるべき司法手続きがおろそかになり,人権委員会が人権の名で人権侵害をすることになりかねない。

第16編 法務総裁
首相が任命。新たに職務として,最高裁判決の執行状況の監視,拘置所での非人道処遇についての調査・救済を追加。他は同じ。

(注)前文からの通し読みであり,見落としや誤りがあるかもしれません。試論としてご覧下さい。

2007/05/17

暫定憲法(5) 政党本位の危うさ

谷川昌幸

第7編 憲法制定議会
暫定憲法の主目的である憲法制定議会(Constituent Assembly)は次のようにして構成され,憲法を制定する。

1.憲法制定議会の構成
・定数:425(選挙選出409,指名16)
・任期:2年。6カ月延長可能。
    議員は,所属政党からの党員資格なしの通告により,失職する。
・選挙方法:
    小選挙区制(現行法による) 205
    全国比例制          204
    暫定内閣の指名        16
・候補者の選抜方法:
  各政党は次の方法で候補者を選抜する。
  (1)小選挙区候補者は,包摂原理に則り選抜
  (2)比例制候補者は,各社会層が比例的に代表されるようにリストに掲載する。女性,ダリット,被抑圧民族,後進諸集団,マデシ等。
  (3)女性候補者は,全体の1/3以上とする。

2.議会の運営
・首相が,選挙後,21日以内に議会を招集。以後,議長が会議を招集。また,総議員の1/4以上の議員の要求で招集される。
・定足数は総議員の1/4.
・議長と副議長は別の政党から選出。総議員の2/3以上の多数により解任される。
・憲法制定議会は,立法議会を引継ぎ,その任務を兼務。新憲法の施行により任務を終了し,新憲法により選挙される新たな立法議会に引き継ぐ。

3.憲法制定手続
憲法案は,前文,各条文につき,投票により採決する。
(1)総議員の2/3以上の出席,満場一致で可決。
(2)(1)で否決の場合は,各党指導者が協議し,15日以内に案を決定し,7日以内に再投票し,満場一致で可決。
(3)(2)でも否決されたときは,総議員の2/3以上の出席で,出席議員の2/3以上の多数で可決される。

――以上のように,憲法制定議会でも,政党は大きな影響力を持つ。問題となりそうなのは,小選挙区の包摂原理による候補者選抜と,比例制の各社会層からの比例的候補者選抜。そんな複雑なことが本当にできるのだろうか。出来るとしても,そんな複雑なことをすれば,党のボス支配がますます強化される。選挙制度は,大先輩のイギリスのように単純明快がよい。

次に,憲法制定手続は,日本の改憲手続よりも,はるかに厳格だ。これも,もめそうだ。425人もの大議会が,満場一致なんて考えられない。満場一致になれば,それこそ全体主義,J.S.ミルなら不健全の極み,と嘆くだろう。人民は一つという,とんでもない危険な誤解に基づく規定だ。が,つくってしまったものは仕方ない。

民主主義に政党は不可欠だが,政党本位は「国民代表」としての議員の独立を侵害し,議会制民主主義を絞め殺してしまう危険性がある。日本でも,小選挙区制+比例制にしたがため,たしかに政党の力は劇的に強化されたが,肝心の議会の議論は低調,国民の政治への関心も低下,民主主義は窒息死しかけている。憲法改定がこんな無風状態で拙速に進められてよいのか。政党本位は,日本では民主主義の空洞化をもたらしている。

議員は,「国民代表」として独立して行動する。その余地を残さないような選挙制度や議会運営は反民主的であり,危険だ。

第8編 立法手続
国王と上院が削除されたので,立法手続は劇的に合理化され簡素になった。

1.法案
議員が議会に法案を提出する。ただし,財政法案と,軍・武装警察・警察等の治安関係法案は,政府提出法案とする。旧憲法では,これらの法案提出には国王の承認が必要であった。

2.採決
法案は,議会の単純多数決で可決。国王も上院も介在しないので,スッキリした。

3.認証
旧憲法では,法律成立には国王の裁可が必要であり,これがしばしば問題を引き起こした。暫定憲法では,可決された法案は議長の認証だけで法律となる。

4.政令
政令(Ordinance)は,旧憲法では国王が発布したが,この憲法では政府が発布する。法律と同等の効力を持つが,あとで議会の承認を得なければならない。承認が得られないと,60日で失効。

――一院制になり,国王も上院も立法手続に介在しないので,たしかにスッキリした。立法手続の近代化,合理化であり,ネパールの状況を考えると,これは望ましい。複雑すぎて誰が何をどこで決めているのか分からない,あるいは決められないような状況よりは,危険もあるが,ともかく中央政府が速やかに合理的な意志決定を出来るようにすることが先決である。

暫定憲法(4) ひも付き行政と議会

谷川昌幸(C)

第5編 行政
90年憲法では「行政」の前に「陛下(国王)」と「王室会議」が置かれていたが,暫定憲法では,それらは完全に削除され,共和制の規定となっている。

1.行政権
行政権は旧憲法では「国王と内閣」にあったが,この暫定憲法では「内閣(大臣会議)」にあり,「ネパール政府」の名で執行される。

国王の処遇は未定だが,暫定憲法は共和制原理により制定されているので,この編にも国王に関する規定は一切ない。旧憲法の国王特権,国王に対する内閣の助言と承認,国王による認証は,すべて削除された。

2.内閣
首相と諸大臣は,7党=マオイスト「政治合意」(2006.11.8)に基づき,選任される。この合意が得られないときは,首相は立法議会議員の2/3の多数により選任される。また,首相は,議員からの大臣選任に当たっては,関係政党の推薦を求める。副大臣,大臣等は,議員以外の者も任命できる。

辞任については,首相は,自ら辞任するか,議員でなくなるか,死亡するかのいずれかの理由以外では解任されない。大臣は,自ら辞任するか,首相が解任するか,関係政党との協議により首相が解任するとき,職を解任される。閣外大臣,副大臣についても同じ。

宣誓は,首相は議会で,他の諸大臣は首相の前で行う。

――以上のように,「第5編 行政」は,暫定憲法らしく,基本的に暫定的なものになっている。当然とはいえ,政党主導であり,7+1党合意がなければ,何もできない。

首相は,議会不信任決議による解任が規定されていないので,強力なように見えるが。実際にはそうではなく,諸政党に完全に依存するようになっている。7+1党合意が動揺すれば,たちまち政府は崩壊する。

移行期だから仕方ないとはいえ,不安定な危険きわまりない暫定政府である。

第6編 立法議会
立法議会(Legislature-Parliament)は,2006年4月革命の結果,設立された革命議会であり,当然,非民主的なものである。

立法議会は,4月28日,国王が復活させた旧議会に起源をもつから,形式的には合法性を持つといえなくもないが,それは屁理屈であり,実質的には完全な革命議会であり,したがって非民主的である。非民主的だが正統だ,と言えるかどうかは,今後の議会の行動にかかっている。

また,共和制原理によっているので,ここでも国王に関する規定は一切ない。90年憲法では,議会(立法権)は「国王と両議院」から構成されていたが,この憲法では立法権は一院制の立法議会にある。

1.立法議会の構成
(1)一院制,定数330人
  旧上下院の選挙選出議員   209人
  CPN−マオイスト        73人
  統一左翼戦線,他の団体等   48人

(2)議員資格: 25歳以上のネパール市民で,人民運動の支持者。人民運動敵対者は資格なし。

(3)任期は,憲法制定議会開会まで。欠員になったときは,前任者の所属政党,団体等からの指名により補充。また,選出政党・団体等からのメンバー資格喪失等の申し出により,議員は解任される。

(4)宣誓は立法議会で行う。

2.議長と副議長
議長と副議長は,同一政党からは選出しない。議員総数の2/3の多数で解任される。

3.招集
招集は,初回は首相,以後,議会自身が招集。定足数は,全議員の1/4。

――以上のように,立法議会は極めて非民主的であり,議員選出,解任について,政党や選出母胎の諸団体に決定的な権限が認められている。

むろん,90年憲法には,国王が関与する非民主的な規定がたくさんあった。もともと立法権そのものが国王と議会(king in Parliament)にあった。上院には国王指名議員が10人いたし,議会招集・閉会も国王権限だった。国王は,議会に出席し,演説し,また教書を送ることができた。

これらの国王権限は,国王そのものの規定がなくなったことにより,すべて削除された。その限りでは,議会は民主化されたが,その代わり,議会は議会外の政党等に従属することとなった。これは,先述のように,革命という例外状態における暫定措置である。

例外状態は,民主主義を許容できない。だから,暫定憲法の立法議会が非民主的なものであることは理解できるが,これはあくまでも短期間の例外状態においてだけである。例外状態が長引き,「例外」でなくなると,立法議会の非民主性の欠陥がたちまち顕在化し,ネパールは危機に陥るだろう。

これは杞憂ではない。すでに6月選挙は実施できなくなり,例外常態が恒常化しつつある。議会がこの構成であれば,時間とともに,議会は特権とコネと個別利益の巣窟となり,今度こそ軍事クーデターか本物の社会革命になるであろう。

2007/05/16

暫定憲法(3) 「法の支配」逆行の指導原理

谷川昌幸(C)

第4編 国家の責任,指導原理及び政策
編のタイトルに「責任」が追加され,さらに無責任となった。ありとあらゆるきれい事が花々しく列挙された,単なる作文。

しかも,90年憲法では冒頭で,この編の諸規定は裁判規範でなく,法的強制力がないこと,つまり国家の努力目標にすぎないことをあらかじめ明記していたのに,この憲法では,さすがに恥ずかしかったのか,編の末尾に回している。こんな姑息なことをせず,せめて冒頭に堂々と書くべきだ。立法者の誠意を疑う。

国家の指導原理の類は,インド憲法をまねたものだろうが,こんな裁判規範にもならないものは憲法にだらだらと書き連ねるべきではない。百害あって一利なし。こんなものが憲法のなかにあるから,政府も政治家も国民も,憲法なんか所詮きれい事,守らなくてもかまわない,という法軽視の風潮が蔓延するのだ。

日本国憲法など他の憲法にも,生存権など,法律で具体的内容を規定しないと強制しにくい規定があることはあるが,ネパール憲法のように,最初から守られる見込みも,守るつもりもまるでないような規定をだらだら書き連ねると,最高法規としての憲法の権威が小学生の落書き程度にがた落ちする。

イエーリング『法=権利のための闘争』を見よ。いかに些細な損害であっても,法=権利を守らせるために全精力,全財産を費やす覚悟のイギリス人の紳士らしさ。法は守られるべきものだ。

それなのに,最初から守るつもりもない法や実現する気もない権利を書き連ねる。法の愚弄だ。法は守られるべし。もし政府が守らなければ,責任者をもれなく断固処罰し,法を回復する。それが「法の支配」だ。

途上国のネパールには,社会権など,諸権利を保障したくても先立つ経済的資源がないから努力目標にとどめる,という立法趣旨は分からぬではないが,だったら,もう少し控えめに簡素に書くべきだ。他の裁判規範たるはずの諸権利規定と同じようなことを,この編に書き込んでしまったら,他の規定まで法的強制力がないものと見られてしまう。

1.国家の責任
(1)2064年ジェスタ月末(2007年6月末)までに憲法制定議会開催。これはすでに実施できないことになった。

(2)「多党制競争民主制」など,あらゆる自由と権利,民主主義に関することを列挙。食料主権,政党の責任なども明記。

(3)女性,ダリット,先住民族,マデシ,被抑圧少数者集団にたいする階級,カースト,言語,性,文化,宗教,地域を理由とした差別を解決するため,「既存の中央集権的一元的国家構造」を除去し,「包摂的,民主的,進歩的な国家」へと国家を再構築する。

これは全くの見当違い。ネパールは,近代的中央集権化が不徹底であり,これらの諸問題を解決するには,強力な近代化=合理化=中央集権化が必要。近代以後となった先進諸国の悪巧みに安易に乗せられると,強力な中央権力が確立せず,権力分散の前近代に逆戻りし,ネパールはインドや先進諸国の食い物にされてしまう。

少数者,弱者の権利保障には,多数派を抑制することのできる強力な中央権力が不可欠。無責任な先進国多文化主義者のオモチャにされてはならない。

(4)土地なし農民,債務労働者等に,土地分配を含む「経済保障」「社会保障」を実施。

(5)内戦後の社会再建のため「真実和解委員会」を設置する。

2.国家の指導原理
90年憲法の5項目から,この憲法では6項目に増え,「民主主義」がちりばめられた。内容的にはほぼ同じ。

3.国家の政策
90年憲法の16項目から,この憲法では22項目に増加。積極的是正措置を少数者集団,土地なし農民,スクォッター,債務労働者,紛争被害者,女性,ダリット,先住民族,マデシ,ムスリム等に対し実施。ここで「ムスリム」が明記されたのが注目される。

解放された債務労働者には,土地分配。

4.提訴禁止
この編の諸規定は,裁判規範ではなく,法的強制力はない。政府の努力目標。編の最後に回された。

2007/05/15

暫定憲法(2) 平等権より自由権?

谷川昌幸(C)

第2編 市民権
市民権(国籍)については,タライのインド系を中心に,ネパール市民権要求運動が展開され,暫定憲法でも市民権取得要件が大幅に緩和された。

90年憲法では,子供がネパール市民権を取得するのは父がネパール人のときだけだったが,この憲法では「父または母」となった。

また,2046年チャイト月末(1990年4月中旬)までに生まれ,ネパールに永住しているものは,出生によりネパール市民権を得る。

さらに,90年憲法は市民権取得要件としてネパール語能力などを定めていたが,この憲法ではそれらは削除され,要件の規定は法律に委ねた。

以上のように,暫定憲法では市民権取得要件が緩和されただけでなく,政府に対し「市民権付与チーム」を設立し,有資格者に市民権を付与することまでも義務づけた。これにより,すでにタライを中心に218万人(2007年4月30日現在,新華社4月5日付)が新たに市民権を取得している。

国境はもともと不自然なものだから,市民権要件の緩和は当然だが,その反面,国民構成が急激に変わると民族対立など軋轢も多くなる。

それともう一つ,男女平等の観点から言えば,不思議なのは,外国人女性はネパール人男性と結婚することによりネパール国籍を得られるのに対し,外国人男性がネパール人女性と結婚する場合の規定はない。なぜだろう?

第3編 基本的権利
権利については,先住(少数)民族,ダリット,女性,子供,労働者に関するものが大幅に拡充された。弱者,少数者の保護には違いないが,よく見ると,ここぞ,というところでは国益優先になっている。また,権利保護のための経済的裏付けへの配慮も見られない。本来は法令に委ねるべきことまで要求に応じて細々と書き連ねた総花的権利保障という感じは否めない。花はあっても実がつくかどうか?

1.自由権
誰の企みか知らないが,90年憲法では平等権が先だったのに,この憲法では自由権が先頭に置かれている。自由の方が平等より大切と言うことか?

目新しいのは,「政党結成の自由」くらい。しかも,前憲法と同じく,ここで規定の諸自由は,国家の主権や統合,社会の調和などを維持することを目的とした法律により制限される。法律の範囲内の自由の規定にすぎない。

2.平等権
自由の後に回されたのが平等権。禁止される差別として,「出自」と「言語」が追加された。言語による差別は日常化している。この権利をどう保障するのだろうか?

積極的是正措置などの特別扱いを受ける権利は,従来の女性,子供,老人等の他に,ダリット,先住民族,マデシ,農民,労働者にも拡大された。しかし,農民や労働者まで特別扱いすると,特別が特別ではなくなってしまうのではないか?

3.不可触民差別・人種差別の禁止
独立の条文に昇格。出自,民族,カーストによる差別の禁止をさらに厳格化。

4.出版・放送の権利
ネット等の新メディアの自由を追加。が,こんな細々としたことは法令に委ねるべきではないか? その一方,「ネパールの主権,統合を危うくしないこと」等の但し書きはそのまま残り,法律でどうにでも制限できるようになっている。

5.環境・健康への権利
新設。清潔な環境で生活する権利。基礎保健は国費でまかない無料。結構なことだが,言ってみただけになりかねない。

6.教育・文化権
各民族には母語による基礎教育の権利や言語,文字,文学,文化の保存権がある。中等教育まで無料。

7.労働権,社会保障
働く権利の保障。また,労働者,老人等の社会保障への権利を規定。

面白いのは,「食料主権」(food sovereignty)。各市民が食料主権を保障される。すごい! 新しい権利があれば,すかさず書き込む。が,どうやって保障するのだろうか? 食料を外国に依存するな,という政策要求だろうか?

8.財産権
土地改革を明記。ただし,地主補償あり,

9.女性の権利
女性差別禁止。リプロダクティブ健康の権利。これも新しい。名訳はまだない。「性と生殖の権利」ではあまりにも即物的。

相続権も,男女平等と明記された。

10.社会的公正への権利
女性,ダリット,先住民族,マデシ,被抑圧集団,貧しい農民・労働者には,比例制により,国家活動・事業に参加する権利がある。

11.子供の権利
子供には「アイデンティティ」と「名前」への権利がある。これも新しい。子供のアイデンティティは誰が創るのだろう。名前と同じく親が与えるのか?

国家救済の対象としては,紛争犠牲者,ストリートチルドレンも明記された。

また,子供は,軍,警察。あるいは紛争で使用されてはならない。

12.宗教への権利
改宗勧誘禁止はそのまま残された。これは,いうまでもなくキリスト教対策。

13.司法に関する権利
公費司法扶助を規定。ただし,「予防拘禁」は残している。

14.労働者の権利
労働者には団結権,団体交渉権がある。

2007/05/14

暫定憲法(1) 民定総花憲法

谷川昌幸(C)

暫定憲法2063(2007)は,2007年1月15日公布・施行された。ネパール初の民定憲法らしく人民の要求をあれもこれも取り入れ,書き込んだ総花憲法で,花々しくはあるが,いくつ実行できるか,はなはだ心許ない。立派なことは立派なので,敬意を表し,拝読することにしよう。
(注)前文からの流し読みなので,見落としや誤りがあるかもしれません。気づき次第,訂正します。試論としてご覧ください。

前文
前文は,主権者たるネパール人民が,今日までの民主化運動の成果を踏まえ,国家を再構築し,階級・カースト・地域・ジェンダー差別に由来する諸問題を解決するため,暫定憲法を制定すると,宣言している。そこには,自由と人権,民主的選挙,公正な司法,法の支配,主権と国民統合,国家の独立等々,自由民主主義の諸原理はすべて花々しく列挙されている。

異彩を放っているのが,「競争的多党制民主主義」の宣言。一言で言えば,アメリカ「選挙民主主義」への全面降伏だ。競争的多党制とは,新自由主義自由競争経済の政治版に他ならない。コングレスやブルジョアUMLがこれを宣言するのは分からぬではないが,農民革命のマオイストがこんなものを宣言してどうするのか。ブルジョア・マオイスト!

以前の憲法では,「社会主義的」あるいは「平等主義的」目標が少なくとも建前としては宣言されていた。ところが,この暫定憲法では,そうした平等主義的目標がなくなり,「競争」と「経済発展」になった。米帝バンザイ!

ともあれ,この暫定憲法は,憲法制定議会で新憲法が制定されるまで有効と宣言されている。

第1編 総則
1.主権
総則(Preliminary)では,「主権はネパール人民にある」という主権規定が暫定的なものとされている。これについては議論があったはずだが,失念。思い出したら,なぜ暫定規定になっているのか,補足説明します。

2.国家
ネパールは「独立,不可分,主権的,世俗的,包摂的,そして全面的に民主的な国家」と規定。「世俗的」「包摂的」「全面的に民主的な」が目新しい。

「包摂的」と「民主的」は,そう簡単に両立しないのに,両手に花,お芽出たい。芽が出るかな?

3.国民
国民規定は,花々しく,また華々しい。「多民族,多言語,多宗教,多文化」を尊重しつつ,一つの国家に忠誠を尽くすのだそうだ。多と一が,多様性の有機的統一となればよいが,有機的統一は近代化に反するのが難点だ。

4.言語
多言語だから,当然,各民族言語は尊重され,地方自治体の諸機関で使用できる。しかし,なぜか中央の諸機関については記述がない。

公用語は以前と同じく「デバナガリ表記のネパール語」と規定。

これは,ごまかしといってよい。むろん,ごまかしを繕うため,国家がそれらの諸民族語を公用語に翻訳し,記録しなければならないと規定しているが,そんなこと,本当にできるのか? また,翻訳経費の他に,多言語政策はもっと深刻な問題をはらんでいる。

安易に多言語にすると,新しい「言語カースト制」が形成される。英語―ネパール語―諸民族言語。この言語カースト制は,すでにかなり形成されており,ネパールでは使用言語で身分の見当がつく。ネパール語だけでは商売にならない。ましてや少数民族語では,言語被差別民に転落するだけだ。

そうだとすると,ネパール語=国語(国家語)教育も,一概には否定できないことになる。日本も明治以降,日本語=国語を全国民に強制してきた。そこに問題はある。あることは認めるが,もし日本が多言語政策を採っていたら,いまの日本は逃れようのない言語カースト制となっていただろう。英語帝国主義の悪巧みに安易に乗せられてはならない。

5.国歌など
国歌は90年憲法では国王賛歌だったが,暫定憲法では国章とともに政府が定めることになった。

国旗等はそのまま。国の動物も「牛」とされている。

2007/05/13

憲法の非民主的保守性

谷川昌幸(C)

憲法は人民自身の自由をも制限するもので,本質的に非民主的・保守的なものだ。憲法が国家権力を制限し人民を守るものであることは常識だが,憲法が人民自身をも拘束することは案外知られていない。

1.人民を拘束する憲法
民主主義では,憲法を作る権利=憲法制定権力は人民にあるが,いったん憲法を作ったら,その憲法に人民自身も拘束される。人民は自由を否定され,憲法が人民を支配する。立憲主義,「法の支配」とは,そのようなことだ。

2.人民不信の「法の支配」
つまり,憲法は人間不信,人民不信の保守主義を本質としている。保守の歴史家アクトンが言ったように「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」憲法は,権力担当者(政治家,役人など)を信用せず,そして人民をも信用しない。「法の支配」こそ,人間不信の保守主義の第一原理なのだ。

3.愚かな人民世論
人民がいかに信用できないか。これについて星浩「世論は危ういか賢いか」(朝日新聞,5月8日)が次のような面白い議論をしている。

中島岳志・北大准教授の話しとして紹介されているところによると,小泉首相の靖国参拝(2006.8.15)について,事前の世論調査では反対7割,賛成3割だったのが,参拝直後には賛成7割,反対3割に逆転したという。

あるいはまた,星氏は,関西テレビ「あるある大事典」の納豆ダイエット捏造事件について,納豆を食べても痩せないことは国民の常識なのに,関テレ番組を見て納豆買いに走り,そして捏造報道が始まると,自分の愚かさを棚上げにし関テレ・バッシングに走った。

「捏造は批判されて当然だが,その番組を見て納豆を買い込んだことへの反省も大切だ。自分のことは顧みず,相手が弱いと見ると攻撃を強める風潮がある――。/熱狂する世論がいかに危ういか。ここ数年,政治やメディアは目の当たりにしてきた。」(朝日,5月8日)

人民世論の愚劣さ,危うさは,W・リップマン『世論』やリースマン『孤独な大衆』などで語り尽くされたことだ。世論は,多くの場合,バカだというのが,保守主義のスタンスだ。

4.反動的愚民観とのちがい
しかし,保守主義は,頑迷な反動主義者のように,人民はつねにバカだとする愚民観はとらない。反動は,民主主義=衆愚政治と短絡的に考え,民主主義の全面否定に陥るが,保守はそんな愚かなことはしない。歴史に学ぶのが保守の真骨頂であり,人民が歴史の叡知に沿って決定したことは正しい判断として受け入れる。

5.悪の選択としての民主主義
保守政治家チャーチルが言うように,民主主義はくだらぬものだが,悪しき政治のなかでは最善のものだ。くだらぬものだが,不完全な人間には民主主義しか使いこなせないのだ。

人民の意志は,多くの場合,愚劣だが,だからといってそれに代わるべきものがない。これは矛盾だが,その矛盾を引き受けた上で,多少ともマシな政治をする。これが保守主義だ。

6.歴史のなかの人語
アメリカ民主主義の英雄リンカーンでさえ,「多くの人々をしばらく騙すことはできる。少数の人々を長く騙すこともできる。しかし,多くの人々を長く騙すことはできない」(正確には原典参照)といっている。つまり,人民は騙されるのだ。リンカーンですら,「天声人語」などと,ノーテンキなことは言っていない。深読みすれば,人語=人民意志が天声=正しい意志であるかどうかは,歴史に照らして判断せよ,といっているのだ。

そして,歴史に照らすから,「人民」といっても,今ここに生きている人々だけではない。過去−現在−未来を通して生き続ける「人民」の正しい判断,それが何かを深慮せよ,ということだ。(むろん,この保守主義にも問題はあるが,それは別の機会に述べる。)

7.ネパールの「人の支配」
ネパールの憲法論議を見ていると,「人民」の愚劣さへの自己反省がないことが気になる。憲法制定とは,自分が信用ならないので,例外的に正気に戻ったときに自分を縛ってしまうこと,つまりリンカーンをもじれば,「人民を人民が人民のために拘束する」ことに他ならない。憲法によって,「人民意志」「人民世論」の直接支配を否定する。「人(人民)の支配」を自己否定し,自ら「法の支配」に服従するのだ。

このことが共通理解になっていなければ,いくら立派な憲法を定めてもムダだ。議会は,利益(政党,派閥,民族,地域,宗派等々)代表の闘争場となり,憲法は施行と同時に「人の支配」により空洞化されてしまうだろう。

2007/05/10

ネパール人だけでは決められない

谷川昌幸(C)

数年前,ネパールについて議論していたら,あるネパール人の方から,(1)ネパールのことはネパール人が最もよく知っている,(2)ネパールのことはネパール人で決める,(3)日本人はネパールのことを云々すべきではない,と批判された。その時も,この批判は,(1)(2)(3)とも完全な間違いであると反論した。微妙な問題ではあるが,基本的には今もその考えに変わりはない。

(1)について
人は自分のことはわからないもの。革命フランスは反革命イギリスのバークに理解され,民主主義アメリカはフランス貴族トクヴィルに理解され,軍国日本はアメリカ女性R・ベネディクトに理解され,そして地球は地球外に出たガガーリンによって理解された。

ネパールのことはネパール人にしか分からないというのは,日本のことは日本人にしか分からないというのと同じく,全くの誤り。国民理解に,国籍は関係ない。

(2)について
これも誤り。例外的な鎖国時代を除けば,どの国も自国民だけで自国のことを決めたりはしていない。日本の内政,外交のうち日本国民だけで決められることは何一つない。アメリカだって,アメリカ国民だけで決められることは実際には何一つない。また,アメリカ人だけで決められたら,たまったものではない。

ネパール自身,国連介入を依頼し,経済援助を仰ぐなど,自ら外部依存を強化している。日本やアメリカと同じく,ネパールもネパール人だけでネパールのことを決められないし,事実,決めてもいない。

(3)について
これも誤り。日本(人)はネパールに深くコミットしており,何かを言うことは日本人の義務といってよい。もし何も言わないでいたいのなら,ODA,NGO援助,調査研究,観光旅行等を全廃し,トヨタ,ソニー等も総引き上げし,ネットも遮断し,在日ネパール人,在ネ日本人を全員国外退去させるべきだろう。こうしてコミットを断てば,発言しなくても済む。

そんなことはできない,というのであれば,発言の義務がある。深くコミットしていながら,知らぬ顔の半兵衛は卑怯だ。

――以上のように,ネパールについての議論は日本人の義務であることは明白だが,だからといって,どのような議論をしてもよいというわけではない。最も根本的なのは,ネパールの人々と文化への敬意,あるいは愛。大切だと思うからこそ批判する。どうでもよければ,黙っている。

公正。議論が公正であるべきはいうまでもないが,これはなかなか難しい。相互批判し,自己の誤りは謙虚に反省し,公正に近づいていくのが王道だろう。嫁姑関係に詳しい人はその部分の情報をただし,地方に詳しい人は地方生活について説明し,国政に詳しい人は中央政界の動きを追う。それぞれが得意の分野やレベルから発言し,不足部分を相互補完し,公正に近づく。これしかあるまい。

民主政治とは,こうした公論による政治といってもよい。批判なしの民主制は,totalitarian democracyである。もしそれがいやだというのなら,内外からの批判を歓迎すべきだ。様々な意見を聞いた上で,選挙や協議やデモや訴訟等で地方や中央の政治のあり方を決めていく。

「ネパールのことはネパール人だけで決める。」そんな事実に反する全くの虚構を前提にした不毛な議論はしてはならない。ネパールのことはネパール人だけで決めていないし,決められないし,決めるべきではない。これが現実だ。この冷厳な事実を引き受けた上で,現代における「内政不干渉」の意味を明確化し,ネパールの人々がネパールの何を,どのように決めるべきかを議論していくべきだろう。

以上は,そっくりそのまま日本にも当てはまる。念のため。

2007/05/06

タライの民族浄化

谷川昌幸(C)

カトマンズが,選挙・共和制問題で時間稼ぎ(お手盛り議会の特権引き延ばし)をしている間に,タライでは民族浄化が進んでいるらしい。

A・チワリ「マオイスト戦争中より事態悪化」(Nepali Times, #347, 4 May 2007)によると,中部・東部タライでは,「タライのトラ」「タライのコブラ」「MJF」「CBES]等々の民族派が,山地系に対し1カ月,3カ月の期限を切って退去を要求,応じなければ攻撃しているという。

特にねらわれているのは,役人。数万〜数十万ルピーの寄付を強制され,出せなくて逃げ出す役人も多い。多くの役所が空っぽになり,そうでなくても転勤願い山積だという。

マオイスト戦術と同じではないか。当初から批判してきたように,マオイストは「民族」を利用し,identity politicsに火をつけた。「包括的(inclusive)」などといっているが,民主主義は本来一元的なものであり,民族問題は民主主義では解決できない。

マデシのイデオロギー闘争は,議会権益を得たとたん,収束した。イデオロギー闘争が出来るほどのインテリ上流階級マデシはすでに中央政界で特権にありつき,矛を収めたのだろう。

が,民族問題,アイデンティティ政治の本当の恐ろしさは,むしろ草の根民族感情にある。これが動き出すと制御できない。

タライのジャングルで「トラ」やら「コブラ」やらがうごめき始めたらしい。マオイストは,権力エリートの伝統的運動であり,まだ制御可能だ。しかし,草の根民族感情に基づく民族浄化が始まったら,お手上げだ。

「ここタライでは,民族浄化は今や現実の脅威だ。問題は,誰が命令し,誰と交渉してよいか分からないことだ。」(チワリ)

2007/05/05

ネパール派兵,毎日のクールな分析

谷川昌幸(C)

朝日新聞の時流迎合軍拡社説に憤慨し,多少はマシな議論はないかと探してみたら,毎日新聞「特集:日本国憲法施行60年 自衛隊海外派遣,15年を振り返る」(5月3日付)を見つけた。

朝日のように進歩派を気取ると,平和貢献が戦争貢献とも知らず,派兵を煽ることになる。これに対し,毎日は,いわば「誉め殺し」でネパール派兵の問題点を摘出している。大人の評論だ。

「進化するPKO――ネパールへ,初の個人派遣」

この小見出しが秀逸。これぞ「誉め殺し」。記事は,まず「国連ネパール政治派遣団」と,正確にUNMINを和訳する。(他社はたいてい「政治」を落としている。)そして,そこへの自衛隊派遣が日本政府にとっていかに重要かをクールに分析する。要点を紹介しよう。

自衛隊ネパール派遣団は,海外派遣の記念すべき20回目。「といっても,隊長の石橋克伸・2等陸佐らわずか6人。それでもPKO協力法に基づくれっきとした自衛隊派遣だ。それどころか,これは今後の自衛隊PKOに新たな可能性を開く試みでもある。」パンチが利いている。「れっきとした」,そう,そうなのだ!

政府は本気だ。石橋2佐はカンボジア停戦監視の経験者,他の隊員も東ティモールやイラクで経験を積んだベテラン。その彼らが「個人の資格で非武装ながら国連軍事監視要員の任務に就く。」


今回の実績が、いずれ武装した自衛隊部隊の軍事監視業務につながるかもしれない。あるいは武装した個人が世界各地のPKOへ同時に多数派遣される可能性に道を開くかもしれない。ネパール派遣には、将来の新たな展開をにらんだテストの意味もある。

 自衛隊海外派遣は、こうして絶えず「個人か集団か」「武装か非武装か」「戦闘状態に限りなく近いか遠いか」といった憲法の限界を慎重に瀬踏みしながら、活動範囲をじりじりと拡大してきた。防衛省幹部は「世界の自衛隊」に成長した今日の姿を「多くの現場を踏んできた成果だ」と胸を張る。 (以上,毎日新聞,2007.5.3)



これぞ「誉め殺し」。「誉め誉め」で行け行けドンドンの朝日とは対照的だ。大人の文章だから,露骨にケシカランなどと大人げないことは一言も言ってはいない。むしろ,逆に,現行法では制約が多すぎて,カンボジアでは道路工事中に見つかった地雷の処理に困り,イラクでは宿営地外の活動を限定せざるを得なかったなどと述べ,まるで改憲論のようにさえ見える。が,それは皮相。

「進化するPKO――ネパールへ」。進化,本当か? 頭を冷やして考えて見よ,とそんな皮肉が込められているように思う。



2007/05/04

海外派兵を煽る朝日社説

谷川昌幸(C)

朝日新聞の憲法記念日特集「社説21」を読むと,座標軸なき朝日が時流に流され,とうとう海外派兵推進派になってしまったことがよく分かる。朝日自身にその自覚はないだろうが,「時代に乗り遅れるな」の体質は,国民総動員が時流になった頃と少しも変わっていないようだ。

アントニオ・ネグリがいうように,グローバル帝国の成立により,戦争の目的は国家の「防衛」からグローバル秩序の「安全(セキュリティ)」に変わった。政治は「別の手段を持ってする戦争」となり,軍隊がその政治=戦争のために動員される。軍人は,あるときは建設業者,あるときは役人,あるときは警官となって世界のセキュリティのために働き,そしてイザとなれば本職の軍人に戻って武器を取る。

この軍人の全活動がグローバル化時代の戦争であり,換言すれば,戦争は日常化,常態化され,そこに軍人が文民とともに参加することになった。たとえば,「貧困との戦い」であれば,これを「戦争」と見るなら,そこに軍人が参加するのは当然であり,また戦争だから,必要なときには人権も民主主義も停止され,イザとなれば,軍人は本領を発揮し武力行使をする。軍隊の目的が「防衛」(攻撃撃退)から「安全」(秩序建設維持)に変わったのだ。

従来の戦争は,国家間戦争であり,基本的には非日常的,例外的なものであり,国際法上,攻撃に対する「防衛」としてのみ認められていた。本質的に消極的(negative)な暴力行使だ。そして,この防衛戦争は,例外状態だから,それを前提条件に,人権や民主主義の停止も一時的なものとして認められていた。攻撃から憲法を守るために一時的に憲法を停止するという「例外状態」(ドイツ法)の法理だ。

ところが,「安全」のための戦争は,そうではない。「貧困との戦い(貧困からの安全)」「病気との戦い(病気からの安全)」「テロとの戦い(テロからの安全)」を見よ。それらの戦いは不断に戦われ,永続し,そこでは積極的な先制攻撃も許され(求められ),そして必要な場合には人権も民主主義も停止される(米対テロ戦争など)。軍事と非軍事の区別もなくなり,軍民一体,軍民共同活動として,この戦争は戦われる。戦争の日常化,常態化だ。

この「安全」のための国際貢献(平和貢献)が,2006年末の自衛隊法改定により,自衛隊の本来任務(本職)となった。自衛隊は,外国の侵略から日本を防衛するための「自衛」隊から,世界の「安全」保障のために積極的に介入し戦う軍隊に変質したのだ。

これは,日本政府が推進する「人間の安全保障」の基本方針でもある。「人間の安全保障」は,元来,軍民一体型安全保障であり,政府はこれをテコに自衛隊を世界展開させ,大軍拡をしようと目論んできた。

「人間の安全保障」には二面性がある。一方で,それは,人間の生活の安全を総合的に保障するという正当な目的をもっている。ODAや民間援助により生活の向上を図り,世界中の人々に健康で文化的な最低限度の生活を保障する。これは崇高な目標であり,反対する人はいない。そして,現に政府や民間の多くの人々や機関が,日夜,そのために努力している。

しかし他方で,「人間の安全保障」は軍隊関与を認めている。だが,非軍事的開発援助に軍隊が関与することには根本的な問題がある。軍隊関与は,軍民分離の原則を否定し,開発援助を軍事化することになってしまう。

軍民分離の原則がなくなれば,危険になるのは軍隊よりもむしろ非軍事的援助機関である。開発援助は,本来,非軍事的であるべきものだ。「人間の安全保障」を名目とした軍隊の開発援助介入は,断じて許されない。

さて,この観点から,朝日新聞の「社説21」を読むとどうなるか。「世界のための『世話役』になる」「地球貢献国家」。大見出しはよい。誰もこれに反対はしない。

ところが,各論にはいると,とたんに変になる。「日米同盟を使いこなす。しなやかな発想」。少し前まで,軍事同盟を意味する「日米同盟」は禁句だったはず。それなのに左翼の朝日が巨大活字で臆面もなくアピールしている。これは「しなやか」ではなく,無原則。大政翼賛会的発想だ。そして,いよいよ核心に入る。


15 自衛隊の海外派遣
●自衛隊が参加できる国連PKO任務の幅を広げる
●平和構築のための国際的部隊にも限定的に参加する
●多国籍軍については,安保理決議があっても戦闘中は不参加が原則
 ・・・・01年に同法(PKO協力法)は改正され,凍結されていた本体業務への参加が解除された。停戦や武装解除の監視,緩衝地帯での駐留,巡回などが本体業務にあたる。まだこの分野での参加例はないが,今後は協力していくのが適切だろう。・・・・
 ・・・・将来的には現在のPKO法では認めていない,国連や公的施設の警護などにも範囲を広げる道も探る。・・・・
 ・・・・(戦闘中の多国籍軍への参加は)@誰の目にも明らかな国際法違反(領土の侵略など)があり,A明確な国連安保理決議に基づいて,国際社会が一致する形で集団安全保障(軍事的制裁)が実行され,B事案の性格上,日本の国益のためにも最低限の責任を果たす必要がある,といった要件をすべて満たす,極めてまれな場合でしかない。

16 人間の安全保障
●国連・平和構築委員会の中軸国となる
●「法の支配」定着への支援をお家芸にする
●ODAを大幅に増やす

 ・・・・自衛隊の海外派遣についての社説15で記したように,平和構築は世界の弱点をなくしていくために不可欠な政策である。
 ・・・・日本が平和構築委のまとめ役で力を発揮していけば,安保理に一定の発言権を確保することも可能だ。ここで実績を積むことで,日本は「常任理事国」でなくても,いつも安保理に必要とされ,頼られる国になれるだろう。そこを足場に,将来の安保理改革を唱えればいい。

(以上,5月3日付朝日新聞より引用)


以上の引用から明白なように,朝日新聞は,結局,自衛隊の海外派遣を煽り,しかも戦闘中の多国籍軍にも参加せよ,といっている。文面では「不参加が原則」と限定しているが,「原則」とはお役所言葉であり,これは実際には「参加してもよい」ということを意味する。そんなことは,用語集まで出している朝日新聞の社内では常識だろう。

また,「人間の安全保障」への軍事的・非軍事的貢献が,安保理常任理事国になるための手段であることも,朝日はあからさまに認めている。自衛隊の平和貢献,要するに国民の金と自衛隊員の生命により安保理のイスを買う。途上国援助は,日本国益のためのダシにすぎない。途上国の人々が読んだら侮辱されたと感じるに違いないような国益第一主義を,朝日もとっている。

いささか厳しすぎるかもしれないが,しかし朝日「社説21」は明らかに時流迎合である。朝日が率先して自衛隊の海外派兵を煽り立てれば,自衛隊はますます肥大化し,モンスターとなり,制御できなくなる。アメリカの命令や財界の要請で世界中の紛争に関与し,泥沼に入り,戦死者を出し,そして,結局はそれに対する批判の弾圧に向かう。日本の21世紀型軍国化だ。

軍隊に増殖の名目を与えてはならない。それが,どんなに美しかろうと。

2007/05/03

自衛隊アフガン派遣を阻止したアピール

谷川昌幸(C)

自衛隊ネパール派遣に関する資料をさがしていたら,こんな公開質問状を見つけた。不覚にも,このように力強く立派なアピールが出されていることを知らなかった。

理由は他にもあろうが,このようなアピールこそが,軽薄右翼・安倍内閣の自衛隊アフガン派遣の愚挙を阻止したのだ。

自衛隊ネパール派遣のとき,なぜこのようなアピールが出せなかったのか,残念でならない。

感謝と敬意を表明し,以下に転載する。(公開質問状なので,著作権侵害にはならないだろう。不都合であれば,直ちに削除します。)


アフガニスタンに関する公開質問状

 

アフガニスタンで活動する日本のNGOs数団体は、安倍首相が1月にNATO理事会で行った演説の中で表明したアフガニスタンのPRT(地域復興支援チーム)への連携協力に対し、いくつかの懸念が感じられることから、その内容を明らかにして欲しい旨を趣旨とする公開質問状を送りました。

                  2007年1月31日

内閣総理大臣 安倍晋三殿
写) 内閣府 国際平和協力本部事務局局長 小澤俊朗殿
   外務省 中東アフリカ局局長 奥田紀宏殿

アフガニスタンの地方復興支援チーム(PRT)支援強化に関する公開質問状

 2007年1月12日に安倍総理がNATO本部での演説において、アフガニスタンへ支援継続する旨を明確に述べられたことは、まだ復興途上であるアフガニスタンに国際社会の関心を留める上で重要なことであり、現地で復興支援活動を続けてきた我々NGOも歓迎します。
 他方、NATOが率いる地方復興支援チーム(PRT)の人道活動に対して日本政府が協力強化を行うと発表された点につきましては、アフガニスタン国内での直接的なインパクトだけではなく、我々NGOを含めた世界的な復興支援のあり方について、将来にわたり影響を及ぼす可能性があるものとして、懸念や不安を抱いております。
 アフガニスタンにおける外国軍隊の活動、ことに軍による「人道支援」と称される活動は、我々NGOが長年にわたって追求してきた援助の質や独立公平性を揺るがしかねないばかりでなく、現地で支援活動に携わるNGOスタッフの安全性にも影響を及ぼしうるものとして深く憂慮するものです。これまでアフガニスタンに関る国際NGOコミュニティーにおいて以下の懸念が表明されています。
・PRTが行う「援助活動」の動機や手法、効果に対して疑問がある。
・PRTの援助活動は軍と文民支援との境を不明瞭にしてしまい、援助関係者の中立性を脅かす危険性がある。
・現地住民により軍関係者と文民とが混同され、NGOスタッフ等への安全上の脅威が高まる。

以上のようにさまざまな懸念が表明されているPRTに対し、特に自衛隊が派遣された場合には、アフガン住民からは自衛隊と我々日本のNGOとが「日本」という共通項によって関連組織と見なされる可能性が排除できず、人道支援活動上および文民の援助関係者への安全に影響を及ぼす可能性があります。
 ついては、日本政府に対し、今回の「アフガニスタンにおけるPRTへの協力」という総理の発言の趣旨を正しく把握したく、以下の質問に書面で御回答下さいますようお願い申し上げます。

1. アフガニスタンでのPRT協力とは具体的にどのような形態を想定しているのでしょうか。財政支援のみを行うのでしょうか。または物資や人的支援も含めるのでしょうか。
2. 人的支援をおこなう場合、JICA等の文民による支援を計画されているのでしょうか。あるいは自衛隊派遣を念頭に置いたものでしょうか。
3. 地域並び活動分野について詳細な計画があるのでしょうか。既に検討されている地域があればお教えください。また、PRT支援の活動分野として、先の総理演説においては初等教育、医療、衛生等を例に挙げていますが、その他にも候補となる活動分野があればお教えください。
4. この計画の具体化および実施準備に向けた今後のプロセスにおいて、NGOとの意見交換の窓口を持っていただくようご考慮いただけないでしょうか。

上記の通り、NATO本部で表明されたアフガニスタンPRT支援に関連して計画されている内容詳細、今後の実施スケジュール、および決定プロセス等においても国民への情報公開をお願いするとともに、NGOとの意見交換など、相互対話の機会を積極的に図っていただくよう、お願い申し上げます。

■賛同団体
(特活)JEN
(社)シャンティ国際ボランティア会
(社)セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
 カレーズの会
(特活)日本国際ボランティアセンター

連絡先:
JVC調査研究担当 高橋清貴
JVCアフガニスタン担当 長谷部貴俊

http://www.ngo-jvc.net/jp/notice/notice20070216_afghanstatement.html


(自衛隊ネパール派遣批判)
軍民一体,ネパールは○,アフガンは×
内弁慶陸自にネパール失笑
軍より民の支援を!
2007/05/02

国王の政治的利用

谷川昌幸(C)

1.国王の政治的利用
国王(君主,天皇)は人民を「情」で動員する最強の装置。人間は「理」だけでは動かないので,政治家はつねに国王(あるいはその代替物)の権威を政治的に利用しようとする。しかし,国王は強力で便利である反面,それだけ危険でもある。その国王をどう政治的に利用するか?

2.日本国天皇の護憲的利用
日本では,最近,卜部亮吾元侍従の日記や富田朝彦元宮内庁長官のメモが公表され,昭和天皇がA級戦犯合祀に反対し,靖国神社参拝を取りやめたことが明確になった。人権派,世俗派,民主派は,利用しようと思えば,これを便利に利用できる。天皇ですら怒って参拝を止めたのに,なぜ首相や閣僚が参拝するのか,と。天皇制はいうまでもなく封建的,非人権的,非民主的なものだが,その気になれば,天皇の靖国参拝拒否を人権,民主主義,平和のために政治的に利用できるのだ。

日本国憲法そのものについても,昭和天皇も今の天皇も,ことあるごとに遵守を言明し,そう行動しようとしてきた。自民党,民主党,公明党の大部分の政治家よりも,財界のお歴々よりも,天皇の方がはるかに憲法に忠実だった。その天皇を,護憲のシンボルとして政治的に利用すべきか否か?

理屈では,むろんそんなことはすべきではない。しかし,改憲派の方は,安倍首相を先頭に「情」を総動員して改憲に突き進んでいる。それに対抗できる「情」が護憲派にあるのか? 死に体寸前でワラをもつかみたい思いの護憲派からすれば,ワラの前に天皇をつかんでみよう,ということになりはしないのか?

これは危ない議論だ。危ないが,魅力的でもある。

天皇主義的左翼の朝日新聞は,どうやら天皇の権威を護憲に利用する魂胆らしい(5月2日付他)。右手に天皇,左手に憲法。それは矛盾でありケシカランとは言い切れないほど,日本の憲法状況はいまや危機的,末期的だ。天皇の護憲的利用は耐え難いが,耐えがたきを耐え,忍びがたきを忍び,天皇にすがる。みっともないことこの上ない。が,かつて昭和天皇が恥を忍んでやったことを,いま消滅寸前の護憲派がやる。禁じ手にはちがいない。が,ダメとは言い切れないほど日本は危機的なのだ。

3.ネパール国王の政治的利用
ネパール国王についても,同じようなことがいえる。国王は国民統合にとって大きな利用価値がある。選挙されていない暫定議会に共和制宣言の権限はあり得ないが,もしかりに共和制宣言をしたとして,国王に代わる国民統合のシンボルを共和国政府は創り出せるか? コイララ翁,ネパール書記長,プラチャンダ議長・・・・。おそらく無理だろう。

人間の情念性を冷静に見つめるなら,国王を政治的に無力化した上でシンボルとして政治的に利用するという選択肢は,天皇の護憲的利用よりもはるかに合理的かつ現実的だ。

むろん,国王は便利な反面,危険でもあることは忘れてはならない。国王は差別抑圧構造温存の道具ともなれば,軍事クーデターの玉ともなりうるからだ。

4.制度の機能的利用
それは王制だけでなく,共和制も同じことだ。ナチス・ドイツもスターリン・ソ連も金正日・北朝鮮も,いや毛沢東・中国も,全部「共和制」だ。制度とは,元来,そのようなものだ。それを踏まえた上で,制度をどう利用するかを政治的に判断する。

日本の場合,天皇を廃止して共和制にしたら,状況は今よりよくなるか? たぶん悪化するだろう。今の日本人には共和制は使いこなせない。

ネパールの場合,王制廃止で状況が改善される可能性は,日本と比較するなら,はるかに大きい。しかし,それでもネパールの共和制化にはまだまだ議論の余地がある。共和制宣言をして,さて,何をするつもりなのか。共和制宣言はいわば最後の切り札。それを早々と切ってしまったら,あとに何が残るのか? 何もない。お先真っ暗なのだ。多少は先が見えるまで議論してから,事は進めるべきだろう。