谷川昌幸(C)
包摂民主主義を旗印に,7党合意か,全議員の2/3で首相を選出する約束だったのに,一度もそれを試みることなく,もう1/2多数決に憲法を改めようとしている。やれやれ。
全党合意や2/3多数決は,実際には,少数決である。前者であれば1党が,後者であれば1/3の少数派が,拒否権を持つ。当然,政権運営は難しくなり,多数派は不満をつのらせる。
先述のグラフを見ていただきたい。1/2多数決にすれば,マオイストも,NC+UMLも政権獲得が容易になる。
もちろん,コイララ首相としては,2/3のままにしておきたいのかもしれない。2/3であれば新政権発足が難しくなり,いつまでも首相にとどまることができ,うまくすると大統領に祭り上げられるかもしれない。そして,大統領になれば,国王が担っていたのと同じ役割,つまり政党自身では首相が選任できない場合の首相指名権行使が出来るかもしれない。国王を追い出し,自らKing-makerとなる。
2/3維持にはそのような下心もあるかもしれないが,ともかくそれは選挙前の暫定憲法による約束だ。それなのに,それを一度も使うことなく,もう改めようとする。とんでもないご都合主義で,これでは何のために憲法があるのかわからない。
民主主義の根底にある最も単純で基本的な原理,法の支配。包摂民主主義だの,比例制だの,連邦制だの,そんな複雑怪奇な高級民主主義に手を出す前に,約束を守る(法の支配)練習をした方がよいのではないか。
谷川昌幸(C)
選挙後体制の最大の課題は,人民解放軍(PLA)をどうするかだ。
PLA宿営地は,この1年視察していないが,状況はそれほど変わってはいないだろう。もしそうなら,あのような野宿に近い劣悪な宿営地で,また雨期を過ごすことに2万もの血気盛んな青年男女が耐えられるとは思えない。マオイストの選挙大勝で期待が高まっているはずだから,もし国軍統合が進捗しなければ,不満が爆発する恐れがある。
しかし,2万人もの国家公務員採用は難事だ。月給5千ルピーとしても:
5,000ルピー×20,000人×12月=1,200,000,000ルピー(7.6億円)/年
また,もし国軍統合となれば,軍が肥大化し,不安定化,軍国主義化する恐れがある。経済的にも政治的にも,国軍統合=軍肥大は望ましくない。
マオイスト問題は,結局は,失業問題だから,この失業者(PLA)2万人を救済しなければ,紛争は解決しない。
いっそうのこと国際社会がしばらく7億円を分担し,彼らを国土建設隊に再編雇用し,道路,鉄道,水道,灌漑などの建設にあたってもらってはどうか。インフラが整備されれば,企業立地も進み,分担金はいずれ不要となるだろう。国際社会にとって,その方が結局は費用負担が少なくて済むのではないだろうか。
・日本の対ネパール経済援助(約58億円/年)
2006年度=無償44.4億円,技術13.7億円
・日本の平和構築支援パッケージ(資金的貢献,約30億円)
谷川昌幸(C)
新政権の構成はまだこれからだが,選挙結果はほぼ判明したので,それに対応する動きがいくつか出てきた。
1.二つの「民主化運動」の異同
1990年と2006年の二つの「民主化運動」には,非常に異なる点とよく似た点とがある。
決定的に違うのは,1990年はネパールがまだグローバル化の中に本格的には組み込まれておらず,民主化運動が東欧民主化と関連づけられ世界各地からの支援は受けたものの,情報はごく限定され,大勢としてはまだまだ秘境ヒマラヤの局地的運動にとどまっていたのに対し,2006年民主化運動はグローバル化・情報化の中で起こり,世界中に見られ,国連中心の国際社会監視下で進展したという点だ。今回は,2008年4月選挙の情報も日本国内の選挙と遜色ないほど迅速かつ詳細だった。
運動の主体も,1990年は伝統的支配層内の反体制派中心であったのに対し,今回のマオイストは毛沢東思想に忠実に,地方に革命根拠地を建設し地方社会をマオイスト化してから,都市部の中央政府権力の奪取を目指した。90年民主化運動が閉ざされた農業社会の政治革命に近い性格をもっていたのに対し,2006年民主化運動は急速に資本主義化しつつある過渡期社会の半農民革命・半市民革命の性格が濃い。
換言すれば,これが本格的な農民革命になることも市民革命になることもないであろうが,権力担当者のかなり多くが立法・行政・司法の全般にわたって従来の支配階層ではない社会階層出身者によって取って代わられることにはなるであろう。相当大規模な政治変動になることはまず間違いない。
しかし,その反面,もしこれがいかに大幅とはいえ権力担当者の交替としての政治革命にとどまるとすれば,今回も結局は90年民主化と同じような結果を招く可能性が高い。たしかにグローバル資本主義化,情報化でネパール社会は大きく変化しているが,根底からの社会革命ではないので,諸制度を動かす人々の精神的態度(エートス)は変わってはいない。90年民主化運動で国王主権から立憲君主制に変わっても政治の実態は大きくは改善されなかったように,今回もそれと同じような結果になる可能性が高い。
そしてまた,知識人たちの態度もよく似ている。90年民主化運動後,ネパールの知識人たちは運動の実態を見ることなく運動成功を褒めそやし,バラ色の未来を語った。しかし,それがむなしい空中楼閣であることは数年で明白となり,今回の破局へとまっしぐらに転落していった。2006年民主化運動についても,知識人・ジャーナリストたちは,運動の実態をよく見ることをせず,つい先日までテロリストとして唾棄してきたマオイストに擦り寄り,褒めそやし,夢を託す。90年民主化の時と全く同じメンタリティだ。
1990年と2006年の間には大きく変わった点がいくつもあることは認めつつも,むしろこの変わらない点に大きな危惧を感じざるを得ない。
2.マオイストにすり寄る知識人
政党が原理原則を掲げつつ,現実政治の必要に柔軟に対応していくのは当然のことだ。マオイストも,この点は実に巧妙であって,人民戦争の初期の段階から,一方では武力闘争を進めつつ,国際社会の介入や国際法の適用を要求し続けた。
その結果,人民戦争は,1996年の開始以来,多少の遅延はあったが,当初の革命戦略通り展開し,今回の選挙勝利となった。ここまでの戦略と戦術の使い分けは見事といってよい。
しかし,問題は権力をほぼ手中にした今後の戦略である。「ネパール共産党毛沢東主義派」の党名に恥じないように,マルクス,レーニン,毛沢東の思想を堅持して行けるか否か? 戦術として,進歩的民族資本家と協力することは党是であり,毛沢東主義からいっても当然のことだ。しかし,権力についたとたん,魂を抜かれ,昨日まで敵対してきた「鬼畜米印」とその買弁資本家に尻尾を振り始めるようでは,解放を夢見て人民戦争に参加し甚大な犠牲を払ってきた人民は浮かばれない。
まだ断言は出来ないが,どうやらマオイスト指導部は毛沢東主義を棚上げにし,資本主義化の方向へ路線を転換するようだ。そして,これを見て,これまで様子見をしていた知識人たちが雪崩を打ってマオイスト支持に回り始めた。みっともないことこの上ない。
政治家や政党なら,まだ許せる。あるいは,自分を守るすべもない庶民なら同情こそすれ,非難など出来るわけがない。しかし,知識人は違う。大勢順応は,知識人の恥だ。
つい昨日まで,知識人やジャーナリストの多くが,マオイストの残虐非道を激しく非難してきた。強制寄付,反対派住民の脅迫,家財土地没収,住民拉致,思想改造,拷問,殺害,人民裁判,強制徴兵,少年少女兵,爆弾テロ等々,国内法でも国際法でも許されないような無数の人権侵害をマオイストはやってきた。(警察,国軍もやった,もちろん。)それらを,つい先日まで,君たち知識人は,ののしり非難してきたではないか。
それなのに,何だ! マオイストが権力をとりそうななったとたん,そんなことはコロッと忘れ(た振りをし),賛美の大合唱。恥ずかしくはないのか。明日,王様クーデターが成功したら,きっと君たち知識人は,国王陛下万歳を叫ぶだろう。
日本についても同じことだ。マオイスト政権が誕生したとき,よほどのことがないかぎり,日本国政府がその政権を承認し,外交関係を持つのは当然だ。ギャネンドラ国王やパラス皇太子と同じように,マオイスト大統領(あるいは首相)をもてなしても,それは外交儀礼としては許される。外交とは,所詮そのようなものだ。
しかし,ギャネンドラ国王やパラス皇太子が人権侵害,民主主義弾圧で国際的非難を浴びていた頃,彼らに擦り寄り悪政の手助けをする一方,マオイストを極悪非道のテロリストとして非難していた日本人諸氏は,マオイスト政権が誕生しても,これを歓迎したり,マオイスト有力者を来賓として招き懇ろに歓談するなどといったことはできないはずだ。日本には「やせ我慢」の美学があるではないか。
3.現実を見ない選挙民主主義者たち
マオイストが銃弾と票を巧みに使い分け,選挙に勝利したことは,少し長期的な視点で見さえすれば,誰も否定できない事実だ。そして,毛沢東自身が「銃口から政権は生まれる」と宣言しているのだから,マオイストにとって,それは主義主張に沿った正しい戦略であり,何ら恥じるべきことではない。それは,彼らの党設立時の声明にも明記されている。彼らは,公約通りのことを正々堂々と実行した。
ところが,情けないのが,こんな明々白々の事実を見ようとしない大勢順応,すり寄り知識人・ジャーナリストたち。彼らは,この選挙が自由公正に実施されたと喧伝している。マオイストですら,そこまでは言っていないはずなのに,尻尾を振り始めた彼らは保身のため過剰反応し,自由選挙の虚像づくりに躍起なのだ。
これは国連「選挙民主主義者」のメンツのためでもある。かれらは,アフガン,イラクで大失敗し,世界中の笑いものにされた。その失敗を取り戻すため,ネパールに大量の資金と人材を投入し,国連丸抱え選挙を実施した。彼らにとって,失敗は許されなかった。
自由公正でないことの証明は,人民解放軍の存在だけで十分だ。他のどの政党も自前の軍隊をもたないのに(国軍が直接RPPを支援するとは考えられない),マオイストだけは正規軍だけでも2万の手兵をもち,選挙に負けたらいつでも動員できる態勢にあった。勇猛果敢な2万余の兵隊がマオイスト候補者の背後には控えているのだ。こんな選挙がどうして自由公正と言えるのか?
私は,国連やNGOの懸命の選挙啓蒙活動で庶民が目覚め,これまでにないほど多くの人々が自分の自由意思で投票したであろうことを否定するつもりは全くない。村での選挙啓蒙活動は,私自身目撃したし,良心的に誠心誠意選挙啓蒙に努力してきたNGOもよく知っている。だから彼らの活動をけなすつもりは毛頭なく,その民主化努力を高く評価している。
しかし,そのことと,この選挙の全体像を国連や擦り寄り知識人・ジャーナリストの言うように「自由公正」と認識することとは別である。
マオイストの選挙後の復讐・脅迫などあり得ないと,知識人・ジャーナリストたちは,「ヒマラヤの自由選挙」を宣伝に使いたい選挙民主主義者の提灯持ちをする一方,権力を手にしたマオイストに擦り寄り媚びを売る。
そんなことは,常識で考えてもウソであることは明白だ。マオイストに投票しなければ,選挙後,その村は仕返しをされる。2万余の人民解放軍,恐ろしいマオイスト青年同盟(YCL)が控えているのだ。仕返しを恐れて当然だ。
たとえば,カンチプール(4/25)が勇を鼓し伝えるところによれば,マオイストはパンチタールのドゥクリ村がマオイストではなくコングレスに投票したことを非難し,村の水道を切断し使えなくしてしまった。今回は,水道管の切断で済んだが,いつ生首を切られるかわからない。選挙前後の暴力的脅迫を見ずに,選挙民主主義者の宣伝通りこの選挙を「自由公正」と認識すると,大きな間違いを犯すことになる。
むろん,マオイストの暴力的脅迫は大目に見て,とにかく彼らを選挙に参加させ,体制内化させることは,人民戦争を終結させるための手段としては有効であり,わたしもその意義を高く評価する。とにかく内戦だけは一刻も早くやめてほしい,というのが多くの人々の願いだった。
しかし,ここでもまた,そうした政治的判断と,選挙の実態の客観的認識とは別である。自由公正でなくとも,とにかく選挙によりマオイストを体制内化することにほぼ成功した――それでよいではないか。そして,そうしたリアルな事実認識に立ってはじめて,今後の多難な選挙後政治への心構えも出来るはずである。
4.対中関係と対印関係
新政権の中印との関係も注目される。
マオイストは,インド非難は繰り返してきたが,中国については目立った批判はしてこなかった。中国が一方的にネパール・マオイストに不快感を示していただけだ。だから,流れからして,マオイストは親中国と見るのが自然だ。イデオロギーも同じ毛沢東主義である。
ネパールにマオイスト主導政権が誕生すれば,中国との間でマオイスト赤色同盟が成立し,すでに中国製品があふれているネパールにおいて政治的にも中国の存在感が高まることが予想される。
これに対し,インドは当然,南部のマデシ(タライ)勢力を味方につけ,対抗しようとするであろうから,ネパールは北と南から股ざき状態になる恐れがある。
むろん,中印関係の改善は進んでおり,以前ほど露骨な対立はないが,しかし,中国の南下圧力が強くなれば,当然,摩擦は生じるであろう。
たとえば,ヒマラヤンタイムズ(4/25)によれば,絶妙のタイミングで訪ネしている中国共産党使節団のアイ・ピン国際部長は,コイララ首相と会談し,中国が第11次5カ年計画で鉄道をチベットのラサからネパール国境付近のカサまで延伸することにしたと説明した。同氏は,プラチャンダ議長にも会っているので,この計画はマオイストも了承済みなのだろう。しかし,こうした北からの接近(圧力)をインドが快く思うはずがない。
北方から中国がネパール・マオイストとの赤色同盟強化に向かうかどうか? そして,南方からインドがタライ・マデシ勢力との大インド同盟の形成強化に向かうかどうか? 外交的には,これが選挙後ネパールの大きな争点となりそうである。
谷川昌幸(C)
1.制憲議会選挙・議席数(比例区+小選挙区)
政党 | 議席数 | 政党 | 議席数 | 政党 | 議席数 | 政党 | 議席数 |
CPN-Maoist | 220(100+120) | PFN | 7(5+2) | SJD | 2 | DJP | 1 |
NC | 110(73+37) | CPN-Joint | 5 | JMP | 2 | NPD | 1 |
CPN-UML | 103(70+33) | NSP-M | 9(5+4) | CPN-United | 2 | NRP | 1 |
MPRF | 52(22+30) | RPP-Nepal | 4 | NSP-A | 2 | NLSD | 1 |
TMDP | 20(11+9) | RJP | 3 | NJD | 2 | CBREP | 1 |
RPP | 8 | NPF | 3 | SLRM | 2 | ||
CPN-ML | 8 | NWPP | 4(2+2) | SPJD | 1 | Total | 601 |
(注)議席総数601(比例区335,小選挙区240,内閣指名26)。内訳のない政党はすべて比例区選出議員。比例区は定数より2名多いが理由不明。小選挙区は,他に無所属等3。
2.政権予測
(1)マオイスト主導政権
M+ UML(54%) | MPRF+TMDP+Others(28%) | NC(18%) |
M+ NC(55%) | MPRF+TMDP+Others(28%) | UML(17%) |
(2)マオイスト単独政権
M(37%) | MPRF+TMDP+Others(28%) | UML(17%) | NC(18%) |
(3)NC+UML連立政権
NC+ UML(35%) | MPRF+TMDP+Others(28%) | M(37%) |
(4)挙国一致政権
比例区と小選挙区の議席数がほぼ確定したので,新政権の大胆予想を試みた。
暫定憲法では,現在の立法議会は制憲議会招集によりこれに取って代わられ,新首相は「7党合意」(2006年11月8日)か,もしくは総議員の2/3の多数をもって選任される(第38条)。制憲議会定員は601なので,その2/3は401人(67%)となる。
これを念頭に,選挙結果を見ると,マオイストが第1党であることは明白だが,単独政権は難しく,連立政権とならざるを得ないことだ。そして,どこと組むにせよ,安定政権とはなりそうにないこと。また,マデシ(タライ)系を中心とした少数諸政党がキャスティングボートを握ること。これはほぼ確かだ。挙国一致内閣もありうるが,この場合も安定政権は難しいだろう。
90年憲法下での議会運営よりもはるかに難しい。「選挙民主主義」の成否が注目される。
谷川昌幸(C)
マオイスト大勝に日本のマスコミがとまどっている。論点は二つ。一つは,テロリスト指定を受けていたマオイストの変わり身の早さへのとまどい。もう一つは,中国共産党との関係。
1.変わり身の早さ
ネパールの政治家や政党には独特の論理があるらしく,変わり身は早い。(その論理の解明は今後の課題。)ネパール近現代史を見ると,過激派が一夜にして体制内化した事例が少なくない。特に左派にそれは多い。
統一共産党(UML)も,反政府闘争の猛者揃いだったが,議会参加のとたん右傾化し,コングレス党(NC)以上の高位カースト特権集団となった。1994年に権力をとったときも世界中が大騒ぎしたが,すぐ王様と仲良くなった。党是は共産主義,共和制なのに,幹部諸氏はたいてい資産家,地主だった。
今回,マオイスト政権が出来ても,おそらく同じ方向をたどるだろう。極左からの一足飛びの体制内化だ。そんな器用なことが出来るのか,という疑問はもっともだ。また,それはマオイスト革命のための単なる方便,戦術にすぎない,という見方もある。が,たぶんマオイストも,共産主義の大先輩,UMLと同じ道をたどるであろう。
2.中国共産党との関係
中国共産党との関係は,産経新聞(4/22)などが分かったようで分からない解説をしているが,大筋はそれほど難しくはない。中国にとってネパールは対印戦略のコマであり,2006年4月までは国王とのコネを重視しマオイストを敵視してきたが,4月革命で国王の利用価値が無くなると,マオイストに乗り換え,幹部の身内を中国に留学させるなど,いつもの手であっという間にマオイストとのコネを作り上げ,チベット自治運動弾圧では早速マオイストの協力を得ることに成功している。
3.原理主義マオイストと修正主義マオイスト
これはむろんネパール・マオイストの路線転換と連動している。周知のように,毛沢東主義には文化大革命派(原理主義マオイスト)と改革開放派(修正主義マオイスト)の二派があり,ケ小平以後の中国はいわずとしれた改革開放派だ。いまの中国が「毛沢東主義」を建前とするのは,民主集中制により共産党支配を維持するためであり,それ以外はほぼ完全に資本主義化している。
ところが,本家中国以外のインドや他の途上国では,いまでも原理主義マオイストが大きな勢力を持ち,激しい実力闘争を繰り広げている。ネパール・マオイストも,1995年設立から2006年4月革命まではこの原理主義マオイストだった。したがって,修正主義中国共産党にとっては,ネパール・マオイストは目障りであり,自己正当化のためにもこれを非難攻撃せざるをえなかった。ネパール・マオイストは本家中国マオイストとは無関係だ。「毛沢東」の名を使われるのは迷惑千万だ,と。
ところが,2006年4月革命成功でネパール・マオイストは豹変,いまや改革開放派となった。そこで,中国共産党も安心してネパール・マオイストに接近し,対印戦略のコマとして彼らを使うことにしたのだ。このままでいけば,両者とも修正主義マオイストの似た者同士,現在実施中のエベレスト聖火防衛協力から一歩進め,いずれエベレスト山頂に赤旗を立てることになるだろう。(エベレスト山頂の赤旗はネパール・マオイスト設立以来のスローガン。)
4.原理主義マオイストの新人民戦争
しかし,先にも述べたように,原理主義マオイストは南アジアに強力な基盤をもっている。ネパール・マオイストが修正主義化,資本主義化すれば,原理主義マオイストがネパールで台頭,南アジアの同志の支援を得て新人民戦争を始める可能性が高い。南アジアにおける貧困,格差,差別等々の構造的暴力は深刻であって,これにアピールしうるのは修正主義マオイストではなく原理主義マオイストだからである。
5.民主革命のバランスシート
ネパールは,印中二大国の間の小国という地政学的条件,最も開発の遅れた途上国としての経済的条件,そして多民族・多文化という社会的条件の故に,どの勢力が権力を握っても実際に選択しうる政策の幅はごく限られている。その許容範囲内での政権運営は,これまでどの政党にとっても難しかったが,それはマオイストにとっても同じであろう。マオイストは,高く掲げてきたマオイズム原理主義を貫きたくても,それは現実には出来ない。政権に近づけば近づくほど,修正主義化せざるを得ないのだ。
1990年革命は,立憲主義,議会制民主主義,自由と人権等を大きく前進させた反面,内戦の悲惨を生み出した。90年革命のバランスシートはどうなっているのか?
同じく,2006年革命も,前近代的特権構造を打破し,これまで排除・抑圧されてきた多くの人々を政治の場に参加させることになるのは確実で,その意義は大きいが,その代償がどうなるか,気がかりだ。
マオイストは,社会主義化段階をとばし,一足飛びに改革開放(資本主義化)に向かおうとしている。しかし現実には,ネパールの都市も農村も,グローバル資本主義化で危機が深刻化している。それを無視し,マオイストまでもが資本主義化してよいのか? 修正主義マオイストは,所詮,グローバル資本主義の便利な下働きをさせられるだけではないのか?
一方では恐れつつも,マオイストには当初の約束通り本格的な社会主義革命をやってもらいたい,社会主義によりいったん社会を解体し平等化しなければネパールの民主化は困難だ,という思いをどうしても禁じ得ない。いまの流れでは,公約の基幹産業の国有化ですら,到底実行できそうにはない。
谷川昌幸(C)
比例区でマオイストが伸び悩み,非マオイスト連立政権の可能性も出てきた。選挙速報から大胆予測すると,次のようになる。(不確定要素が多いので外れるかもしれない。)
政党 | 小選挙区(240) | 比例区(335) | 首相指名(26) | 計 (601) |
CPN-M | 118 | 102(30.3%) | − | 220 |
NC | 36 | 72(21.5%) | − | 108 |
CPN-UML | 32 | 70(20.8%) | − | 102 |
MPRF | 28 | 19(5.7%) | − | 47 |
他 | 19 | 72(21.7%) | − | 91 |
計 | 233(+7) | 335(100%) | 26 | 594(+7) |
(注)小選挙区7議席未確定。比例区は得票率で配分(予想議席数)。4月20日現在。
これは,比例配分方法も開票傾向も無視し,現在の得票率で比例区定数355を各党に配分してみた概算数字にすぎないが,だいたいの傾向はわかる。つまり,マオイストが圧倒的な第一党になることは明白だが,NC,UML,MPRFが手を組み,他の小政党を引き込めば,過半数を制し,非マオイスト連立政権が可能となるわけだ。
もちろん,そんなことをすれば,人民解放軍の銃が再び火を噴く。マオイストの背後には2〜3万の勇猛果敢な兵隊が控えている。連立政権が可能でも,銃が怖くて,それは出来ない。手兵をもたない他の丸腰諸政党とはわけが違う。誰が何と言おうと,マオイスト政権は銃口から生まれるのだ。毛沢東の予言通り。
しかし,銃口からマオイスト政権が生まれても,どうやらそれはこれまで以上に不安定な政権となりそうだ。そもそも民族代表,集団代表を強調し,しかも比例制だから,多党制になるのが当たり前だ。選挙制度論のイロハといってよい。
このままではMPRFと他の小政党がキャスチングボートを握る。それがいかに不安定でネパール統合にとって危険なことかは,すぐわかるであろう。
それがあってかどうか知らないが,バブラム・バタライUPF議長が4月20日,「国王には経済的・社会的・文化的諸権利を与えてよいだろう」と発言した。あれあれ,普通の一市民にするのではなかったかしら? 発言の意図はまだはっきりしないが,象徴国王への観測気球かもしれない。
谷川昌幸(C)
●開票状況(2008.4.16現在)
政党 小選挙区(当選者)
比例区(得票数)
CPN-M 116(53.2%) 1383459(32.6%)
NC 32(14.7%) 927791(21.9%)
CPN-UML 31(14.2%) 934885(22.0%)
MPRF 23(10.6%) 128382(3.0%)
TMLP 7(3.2%) 58268(1.4%)
他 9(4.1%) 810881(19.1%)
計 218(100%) 4243666(100%)
今回のマオイストの大勝は,銃口から生まれた。これを誇りとしないマオイスト同志はいない。
そもそも政治は「友敵関係」(C.シュミット)であり権力闘争だから,マオイストが選挙戦において様々な力を利用したのは当然のことだ。
そうした力のうちの一つが,NCやUMLが女々しくグチっているように,仕返しへの恐怖だ。
開票作業の詳細は知らないが,票の出方から見ると,ごく小さな単位,おそらくは投票所単位で集計されているのだろう。これでは,どの村,どの共同体が,誰に投票したかが丸見えだ。マオイストは,村ぐるみ,集団ぐるみでマオイスト化してきたから,たとえばある村がNCやUMLに多くの票を入れれば,仕返しを覚悟しなければならない。プラチャンダもバブラムも,負けたら「闘争」に戻ると繰り返し警告していた。「闘争」,つまりマオイストに投票しないような反人民的な村落や集団は,許さないということだ。
しかし,こうした力の行使は,どこでもやっていることだ。日本の村でも,かつては村ぐるみ選挙は常識で,投票に行かなかっただけで村八分にされ,自殺者さえ出ることがあった。
あるいは,業界団体や労組でも,票の出方が悪いと,あとで仕返しをされる。選挙は戦争(キャンペーン)だから,力で脅して投票させるのは,マオイストだけではない。
要するに,NCとUMLは権力闘争に負けたのだ。女々しいことをいっていると,マオイスト女性軍団に蹴散らされ,踏みつぶされるだけだ。
むろん,票(ballot)を銃弾(bullet)で集めるのはフェアではないと女々しいことを言う輩もいるが,アメリカでは金で買っているし,日本では利権分配が幅を利かせている。女々しさという点では,銃口に脅され,やむなく投票する者よりも,金や利権にナヨナヨとなびき投票する先進国市民の方が,はるかに女々しい。マオイストは,女性に銃を取らせ,人民戦争に勝利し,そして選挙戦争にも勝利したのだ。実に男らしい。
マオイストは銃口から政権を生み出すことを目標として高く掲げ,いまそれを実現しつつある。公約通り行動しているのであり,それをケシカランといってみても,所詮負け犬の遠吠えにすぎない。
谷川昌幸(C)
王制存続密約はあったが,マチェンドラナート山車の倒壊と共に崩壊した――この意味深な分析をしているのが,UWB(4/14)のワグレ氏。UWBにはいつも感心させられているが,この鋭い分析を読んで,もやもやしていたものがスカッと一掃された。
このブログで2回,「裸の王様の選挙参加」(4/10) と「国王の選挙歓迎発言とライジングネパールの中国代弁記事」(4/13) において,王制存続密約があるのではないか,と指摘した。
ワグレ氏によると,やはりそれは事実であったらしい。つまり,マオイストは今回の選挙ではせいぜい第3党と考え,王制を残すことによって,これをNC,UML攻撃に利用するつもりだったという。
これは,王制を骨までしゃぶり尽くす巧妙な戦術だ。ガス欠も物価高も失業も中印の内政干渉も全部,国王のせいだ,王制を残したNC,UMLが悪いと宣伝する。この戦略は,国王が政治権力を保有し続けるかぎり有効であり,そこに着目したマオイストは政治センス抜群といえる。
ところが,選挙ではマオイストが,マオイスト自身の予想をも大きく上回り,第1党になりそうな勢いだ。これで,第3党が前提の王制存続密約はご破算になった。そして,それを暗示するかのように,4月13日夜,マチェンドラナート山車が倒壊した。前回の倒壊は2001年で,このときは王族殺害事件が起こった。今回の倒壊は,王制の終わりの暗示だそうだ。実にうまい説明だ。ちゃんとつじつまが合っている。
マオイスト=国王密約は,マオイストの予想以上の大健闘のためご破算になったが,王制をギリギリまで利用し尽くすというのは見事な政治戦略であり,なぜこの手をNCやUMLが使わないのか不思議でならない。
むろん,国王があまりにも固陋で,いくら説得しても純粋象徴化に応じようとしないのであれば,どうしようもない。早くからこのブログで主張してきたように,国王が率先して一切の権力と財産の放棄を宣言しておれば,象徴国王存続の目は十分にあった。ところが,国王はそうした民主主義時代に生き残るための努力を一切しなかった。
だから,NCやUMLにとって難しくはあったが,それでも制度を作るのは政党・政治家だから,国王が何をいおうが,それにはおかまいなく純粋象徴王制にして,これを取引材料にする手は,いくらでもあった。それなのに,NCとUMLはいち早く共和制に与し,自分の手を縛ってしまった。王制存続密約までしていたらしいマオイストの方が,はるかに政治センスが優れている。
そもそも,現代における王制の存在意義は,民主主義の(失敗の)隠れ蓑,スケープゴートになること,ストレートにいえば民主主義のごみためになることだ。人民が人民を統治するなどといった神業は人間には無理だ。必ず失敗する。その失敗の責任をなすりつけるためのもの,民主主義のゴミ捨て場,それが王制だ。そうしたゴミ捨て場がないと,人民は自分の失敗に打ちのめされ,ゴミだらけとなり,自己嫌悪から結局はヒステリー状態に陥り,やけくそでファッシズムに走ることになる。そこでは,国王ではなく,ユダヤ人などの少数民族が,不満のはけ口とされてしまう。
王制は数千年の歴史をもつ強靱な制度であり,民主主義の失敗の責任をなすりつけるのにもってこいだ。民主主義が生み出す様々な失敗=ゴミを少々放り込んでも,寛容に受け入れてくれる。そんな便利な制度を捨て去るのはあまりにも惜しい。
政治センス抜群のマオイストは,民主主義には非民主的な国王のようなものが必要であることをよく知っている。UWBによれば,プラチャンダ議長は,マオイストの大勝利で王制存続密約が崩壊したと見るや,ただちにコイララ首相に会い,新生ネパール共和国の初代大統領就任を打診したそうだ。権威的象徴なしには人民統治は困難なことを,プラチャンダ議長はよく知っているのだ。
新生ネパール共和国にも,権威的象徴は必要だ。象徴として「大統領」がよいか,それとも「国王」がよいか? それはネパール人民が決めることだ。また,いずれを選ぶにせよ,象徴性を高めれば高めるほど,なすりつける責任が多ければ多いほど,民主性は減退する。どの程度の象徴性をもたせるか? これもまたネパール人民が決めることだ。
谷川昌幸(C)
1.国王の選挙歓迎発言
4月13日(nepalnews.com),国王はネパール新年挨拶で,ネパール人民の積極的選挙参加に満足の意を表明した。それは,人民がいかなる状況下でも国家の存立,独立,統合を堅持する固い決意を示したものだという。
型どおりの新年挨拶とも言えるが,選挙前の投票要請発言といい,どこか変だ。象徴国王存続の密約でも出来ているのかな?
2.ライジングネパールの中国代弁記事
これとの関係で見ると意味深なのが,ライジングネパール記事。マオイスト与党政府の検閲下にあると思われる同紙は,ますますダライラマ派攻撃を強化している。
4月12日付ライジングネパールによれば,いまネパールにフランス議員団が選挙監視に来ているが,その彼らがフランス公使を伴いダライラマ事務所代表と会談したという。鄭祥林中国大使は,これを非難し,次のような抗議文を仏大使に送りつけた。
フランス議員たちの行為は,分離主義者の「チベット独立」支援だ。「チベット問題は中国の国内問題であり,いかなる国もそこに介入・干渉すべきではない。フランス視察団がネパールの制憲議会選挙視察に来るのは,よい。しかし,彼らはその機会を利用して分離独立主義者たちと会い,『チベット独立』宣伝を支援したのだ。中国側は,これに断固反対している。」
記事によれば,フランス議員たちは「チベット独立」のシンボルである「スノー・ライオン旗」をダライラマ事務所代表に渡し,分離独立支持を表明したという。
このライジングネパール記事は,事実報道の体裁をとっているが,これまで述べてきたように,同紙は署名社説で中国政府の言い分をそのまま代弁しており,この記事もその目的で書かれていることは明白だ。
ネパール国王は,伝統的に,中国寄りだった。これで,ライジングネパールに国王記事が掲載され始めると,王制存続の芽が出てくるのだが,今のところ,それはない。
谷川昌幸(C)
ネパール制憲議会選挙(4月10日投票)の開票はまだ始まったばかりだが,ネパール共産党−毛沢東主義派(マオイスト,CPN-M)が予想以上に健闘している。
ネパール共産党−統一マルクス・レーニン主義派(統一共産党,CPN-UML)は,マオイストに票を食われ,惨敗は必死。MK.ネパール書記長もカトマンズ2区で落選し,12日早々,引責辞任を表明した。
ネパール会議派(コングレス党,NC)は,漁夫の利を得るはずだったが,今のところ票は伸びていない。
大勢判明にはもう少し時間がかかるが,マオイストの大躍進は間違いない。
●開票途中結果(2008年4月12日午後8時現在)
(当選) (優勢)
マオイスト 27 約50
NC 7 約20
UML 6 約15
NWPP 2 −
MJF 1 −
1.マオイスト躍進の背景
マオイスト躍進の原因解明は,投票行動の分析を待たねばならないが,今の段階で考えられるのは,次の諸点だ。
(1)変化への希望
旧弊で強権的な国王や,汚職腐敗まみれで人民戦争も解決できない既成政党に失望した人民が,変化を求めた。2001年の王族殺害事件後,即位したギャネンドラ国王は時代の流れが読めず,専制化し,民心を完全に離反させた。一方,NC,UMLの二大政党は,いずれも高位カースト寡占であり,議会は「汚職の総合デパート」状態だった。
(2)人民戦争再開への恐れ
マオイストは,もし選挙に負けたら「闘争」を再開する,と繰り返し警告していた。人々は,もしマオイストが負けたら,また人民戦争になると恐れ,マオイストに投票した。
(3)情報化
この数年の急速な情報化により,庶民も外の世界を見聞きするようになり,自らの貧困,差別,抑圧を自覚化してきた。権利意識の向上。1990年民主化運動のときとは,状況が全く違う。
(4)地域,諸団体の丸ごとマオイスト化
人民戦争の激化,全国化により,地域共同体やNGOなどの指導者層が,保身のためマオイスト支持に回り,共同体,諸団体ごとマオイストに投票した。昨年秋頃から,NCやUML支持者のマオイストへの転向をよく耳にするようになった。私自身,それまでマオイスト非難をしてきた人が急にマオイスト的なことを言い出し,びっくりしたことが幾度かある。
(5)中印接近
中印対立が王制の存立基盤であり,またNC,UMLもそれを前提として旧態依然たる党運営を続けてきた。1990年代以来の中印急接近で,その存立基盤が失われた。
(6)西洋のイデオロギー攻勢
先進国はかつては「近代化」「文明化」により植民地化や「開発独裁」を正当化し,ネパールの旧体制も容認されてきたが,先進国はポストモダンの時代となり,それが自分たちの利益にもなるので,途上国にポストモダン・イデオロギーを押しつけ始めた。ネパールでもポストモダン宣伝はすさまじく,「国民国家」の基盤が崩され,民族や地域が覚醒し,自己主張を強化した。マオイストは,本来は,イデオロギー的には相容れないこのポストモダン宣伝を利用し,国民国家主義の王制や既成政党を攻撃した。西欧のポストモダン攻勢に抵抗しうるのは,中国のような大国のみであろう(チベット問題に対する中国の毅然たる国家主権的態度を見よ)。
(7)グローバル資本主義化
都市部からすさまじい勢いでグローバル資本主義化が進行している。旧体制では,到底これには対応できない。
(8)失業,窮乏化
1990年代以前のネパールには,失業者は一人もいなかったのに,90年民主化革命以後の資本主義化により,完全失業,半失業が急増した。都市部では高校や大学を出ても仕事はなく,農村でも農民の失業が増加している。貧しくとも全員が食えたのに(むろん別の悲惨はあったが),資本主義化のせいで大量失業が生まれ,飢餓さえ心配されるようになった。
(9)格差の拡大
その一方,資本主義化は,富の集中化をもたらした。都市部の貧富格差,都市と農村の間の地域間格差は,目もくらむばかりだ。もはや限界を超えている。
(10)伝統的規範の衰退
グローバル情報化で,ネパールの伝統的規範は衰退し,社会が流動化してきた。都市部の退廃はすさまじく,もはや伝統的規範では社会崩壊はくい止められない。アナーキーになりつつある。
2.マオイスト:体制内化か文化大革命か
こうした状況を背景に,マオイストがこの勢いで票を伸ばし,第1党になればむろんのこと,第2党あるいは第3党となっても,ネパールの政治状況が大きく変わることは必死だ。いまの時点で正確な予測は難しいが,可能性は次の三つであろう。
(1)体制内化
最も可能性が高いのは,マオイストが議会政党となり,旧体制の中に入っていくことだ。体制内化。
もともとマオイストは議会政党だったのに,内輪もめで分裂したプラチャンダ=バッタライ派に時の政府が政党資格を認めなかったため,腹を立てた彼らがジャングルに入り,人民戦争を始めたのだ。旧体制は自分のまいたタネの責任をいま取らされている。マオイストの体制内議会政党化の可能性は大いにある。
マオイストに限らず,ネパールの大政党は,たいてい激しい実力闘争の経験を持っている。1990年以前はコングレス党も武装闘争をしていたし,共産党諸派も危険な過激派だった。90年民主化以後でさえ,共産党諸派の連合である統一共産党は,共和制・新民主主義を掲げる堂々たる共産主義政党だった。ところが,民主化革命後の議会に議席を得ると,一夜にして豹変,コングレス党も統一共産党も高位カースト寡占の旧体制にどっぷり浸かり,特権・汚職まみれとなった。90年革命は,国王が独占してきた特権・汚職の民主化であった。
だから,1994年選挙で統一共産党が第1党となり政権をとったとき,世界はビックリし心配したが,実際には汚職のさらなる拡大以外には何の変化もなかった。「ネパール共産党−統一マルクス・レーニン主義派」などといった,おどろおどろしい党名をもち,事務所にはマルクス,レーニン,スターリン,毛沢東,カストロ,ゲバラ,金日成などの写真を飾っているのに,コングレス党以上に王様やヒンズー教が大好きで,世界中のネパール好きを安堵させてくれたものだ。
この伝統は確固たるものであり,マオイストも同じ道をたどる可能性は大だ。あまりにも時代錯誤な王制は廃止しても,社会体制は温存し,そこに入っていく。マオイストが大方の予想を裏切り,制憲議会選挙で大勝できそうなのは,彼らが人民解放軍,民兵,青年組織YCL等々を使って村や町の共同体やNGO等の様々な団体を脅迫し,共同体丸ごとマオイスト支持に回らせたからだろう。もしそうなら,既存の共同体や諸団体が革命的に解体・再編されることはなっかたはずだ。既存の共同体の社会構造,精神構造は,以前とは根本的には変わらず,これがマオイストを体制内化に誘う。マオイストは,旗頭を変えただけの各共同体を基盤に安心して議会政党化し,体制内化していく。
統一共産党が,マルクスやレーニンを拝みつつ,旧体制内特権集団化していったのと同じように,マオイストも毛沢東主義を唱えつつ,旧体制+資本主義の特権集団化する可能性は大だ。つまり,今回も支配階級内での首のすげ替え,政治革命にとどまるということだ。
欧米が,人民戦争に手を焼き,結局,体制内化させることを選んだのは,そうした見方からであろう。毛沢東の肖像を背に党員や支持者に共産主義を説き,野外大集会で人民解放の大演説をしつつ,幹部特権を利用して息子をアメリカ留学に出したり,国連機関やグローバル大企業に就職させたりする,そのようなお国柄だ。マオイスト政権になっても,たいしたことはない。欧米やインドはそう考えているのだろう。
(2)ネパール文化大革命
しかし,その一方,1990年以降のネパール社会の激変は,旧体制の維持を許さず,本家中国で毛沢東がやったような本格的社会革命に向かわざるをえない,という見方もある。
先述のように,グローバル資本主義化に組み込まれたため,ネパールの貧富格差の拡大は著しく,失業者は増し,社会規範も弛緩し,アナーキー状態。最近のカトマンズ首都圏やタライ農村地帯を見て,もはやこれはもたない,徹底的社会革命は必死だ,という思いを強くした。
資本主義化は,伝統的社会では食えていた人々から職と食を奪い,餓死の自由を与える。すでに資本主義化による物価高騰で食えなくなった人が激増している。また,大量の経済難民が,出稼ぎという体裁をとり,続々と国外へ逃れ出ている。
こんなことでは体制はもたない。そこで,マオイストは,統治体制の引き締めを迫られ,結局は,ネパール社会主義革命・文化大革命に向かわざるを得なくなる。マオイストは,ヒンズー教も国王も否定したので,依拠しうるのはもはや毛沢東主義以外にはない。このネパール社会主義革命・文化大革命へ向かう可能性も,体制内化ほどではなくとも,かなりあると思う。
(3)漸進的改革
国連や米印は,既存体制内化とネパール文化大革命の中間の漸進的改革を願っているはずだ。
これが成功する条件は,要するに金だ。金さえ出せば,国際社会丸抱えの漸進的改革は可能だろう。
今回のネパール平和構築は,国連中心の国際社会が全面的に支援してきた。国中に国連マークがあふれ,金がばらまかれた。憲法の基本原理ですら,国連が準備し,成文化を指導してきた。
おかげで,制憲議会選挙は実施できたが,実は,選挙は単なる手続きであり,実質的な問題の解決ではない。選挙そのものは,ある意味では簡単であり,それほど金もかからない。アフガンでもイラクでも選挙そのものは大成功だった。
しかし,選挙が問題解決とは別だということは,アフガンやイラクを見れば,すぐわかる。難しいのは,選挙後。1990年民主化革命でも,選挙は大成功で,浮かれて提灯持ちをした人も少なくなかったが,私はそれが問題解決どころか,悪化さえもたらしかねないと警告し,煙たがられたものだ。今回も同じだ。
国際社会が,相当額の金を長期にわたって出す気があれば,漸進的改革は可能だろう。国連と国際社会が押しつけたグローバル資本主義化のツケを国際社会が払うのは当たり前だからだ。
しかし,国際社会にそんな大金を払い続けることが出来るとは思えない。選挙だけさせて,あとは知らん,ということになると,アフガン,イラクの二の舞,最悪の結果となる。マオイストの完全旧体制内化でもとの黙阿弥か,それともマオイストが大いに頑張りネパール社会主義革命・文化大革命を断行するか,そのいずれかとなるだろう。
むろん,ヒンズー原理主義=王党派=国軍のクーデターも十分にありうるが,それについては,別の機会に検討する。
谷川昌幸(C)
U リー・オネストのチベット論(3)
5.被抑圧チベット人民の抵抗
リー・オネストは,チベット叛乱がダライラマ派だけではなく,反動中国に抑圧搾取されているチベット人民によるものでもあることを力説する。私は,チベット事情には疎いので,この説の妥当性を正確には評価できないが,真性マオイストであれば,当然そのような構図を描くであろうし,また大局的にはそれは間違いではないだろう。オネストは,次のように議論を展開する。
ダライラマ派がいうように,中国政府がダライラマ派を弾圧し,チベットの仏教や文化を抑圧し,チベット旗を禁止しているのは事実だが,しかし,この叛乱の基底にはもっと根本的な経済的,政治的問題があり,それがチベット人民の広範な抵抗を引き起こしている。
この20年間で,漢民族とムスリム(ホイ民族など)がチベットに進出し,資本主義を持ち込み,チベット人を搾取し始めた。チベット人は蔑視され,よい仕事は漢民族やホイ民族が独占し,チベット人は都市貧困地区や地方貧困農村に閉じこめられている。
たとえば,41億ドルを投入したチベット鉄道建設。仕事は漢民族が独占し,チベット人には失業と環境悪化をもたらしただけだ。中国政府は,この鉄道で,チベットの豊富な資源(銅,鉄など)の開発や,観光開発を狙っている。それらは,非チベット人によるもので,都市中心であり,その結果,搾取,不平等,差別が急拡大した。チベット人民は,これらに抗議し叛乱に立ち上がったのだ。(以上,b)
「1976年の毛沢東の死は,中国に大きな変化をもたらした。大きな反動が始まった。修正主義者がクーデターで権力を握った。彼らはまだ自分たちを『共産主義者』と呼び,中国を『社会主義』と主張しているが,実際には,彼らは中国に資本主義を復活させたのだ。チベットでは,中国全土でそうであるように,資本主義的支配者たちが集団農場や他の社会主義的諸関係・諸制度を解体した。富者と貧者,都市と農村,男と女等々の間の格差拡大,二極化が社会全体に広がった。半封建的農業が復活する一方,資本主義も国際的資本と結託しつつ復活した。鉱山や森林の産業開発が生態環境を破壊した。漢民族至上主義の栓が外れ,資本主義的支配者たちとその政府がチベットや他の少数民族地域の支配の強化に動き始めた。」(a)
見事な美しい構図である。真性マオイストなら,チベット叛乱はこのようにしか描けないだろう。この議論がどこまでチベットの実情を反映しているかは私にはわからない。しかし,繰り返すが,伝統的社会の維持も出来なければ,急激な資本主義化にもついていけないのが人民の常態だとすれば,この真性マオイストのチベット論は,大局的には正しく,したがってプロパガンダとしての有効性も大だ。
Vネパール真性マオイストの登場?
ネパールでは,4月10日の制憲議会選挙でマオイストが予想以上に当選しそうだ。民主的選挙で体制に参加すること自体は,ネパール紛争終結にとって望ましいことだ。しかし,彼らが極貧の西部山地で始めた社会主義的解放の約束はどうなるのだろう? 地主からの土地没収・農業集団化,基幹産業国有化等々の夢はどうするのか?
毛沢東は,中国人民に甚大な犠牲を強いた。逆にいえば,中国旧体制はその甚大な犠牲をもってしか破壊できなかったのだ。毛沢東による社会主義の行き過ぎ(特に文化大革命)があったからこそ,ケ小平以降の中国の「発展」が可能となった。
振り返ってみれば,先進資本主義諸国も,毛沢東以上に残虐非道な犠牲を自国民に強いることによって近代化を遂げてきた。途上国の近代化,民主化にそんな犠牲がない方がよいに決まっているが,果たしてそううまくいくか?
ネパールでマオイストが体制内化すれば,ママゴト程度の社会主義実験をしただけで,もう「改革開放」戦略に移ることになる。先進資本主義国は喜ぶだろうが,取り残されるネパール人民はどうなるか?
ネパールでは,1951年以降,幾度か革命やクーデターがあったが,いずれの場合も,政治革命(政権担当者の交替)にとどまり,社会革命には至らなかった。今度もそうなるのではないか? ネパールの都市部のグロテスクな急拡大,地方農村の急変を見ると,革命的な社会構造の変化なしでは,永続的平和の実現は難しいように思われる。
体制内化したマオイストが,どれだけ社会改革を進められるか? もし従来通り,首のすげ替えだけなら,しばらくすると,真性マオイストが台頭し,強力なインド真性マオイストと連帯して,新人民戦争を始めることになるだろう。
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(3)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(2)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(1)
谷川昌幸(C)
小国ネパールが中国を警戒せざるをえないのはよく分かるが,自由・人権・民主主義の大選挙キャンペーンをしつつ,臆面もなくチベット系住民の取り締まり強化を準官報ライジングネパール社説で唱えるのはいかがなものか?
選挙前日の4月9日,ライジングネパールは,署名社説,プラビン・ウパダヤ「ネパールで竜を暴れさせるな」を掲載した。「竜」はもちろん中国のことであり,要するに,中国を怒らせると一大事なので,チベット自治要求運動を強力に取り締まれ,ということだ。
ウパダヤ氏は,鄭祥林駐ネパール中国大使の発言をこう紹介する。中国は,ネパール政府のこれまでの取り締まりを評価するが,「分離主義犯罪者集団の反中国活動にネパール国土を利用させている政府の態度は遺憾だ」。「デモ参加者たちは事実を知らない。ダライラマ派にだまされている。いわゆるチベット青年会議(TYC)やチベット女性組織(TWO)がデモを操ってきたのだ。」
この脅しは,小国ネパールには脅威だ。ウパダヤ氏は続ける。ネパールは人道的観点からチベット難民を受け入れてきたが,「しかし,これは,彼らがあからさまな反中国活動を始めても強い措置を執ってはならない,ということではない」。
「識者の間には,このような見方もある。チベット難民―その多くはネパール市民権を与えられている―は,寛大なネパール国土を反中国殺人兵器として利用してきた。疑いもなく,ネパールは,国外にまで広がる偏狭な反中国分子どもが扇動する怪しげな政治目的を達成するための発射台として,ますます利用されるようになってきた。」
「さらに,こんな気がかりなニュースもある。ネパールのパスポートをもつチベット難民が,カトマンズで正規ビザを取得してチベットに入り,反政府闘争のタネをまき,直接的にはオリンピックを頓挫させようとしている。」
このように,ウパダヤ氏は,鄭祥林駐ネパール中国大使や匿名識者の声を紹介した後で,こう結論づける。
「いまやわれわれはチベットとその周辺で実際に何が起こっているかをよく理解するに至った。大切なことは,ネパールは反中国謀略に引き込まれてはならない,反中国『自由チベット』活動家たちを喜ばせるようなことをしてはならない,ということだ。」
谷川昌幸(C)
選挙情報洪水の昨今,シカトを決め込んでいたが,あまりにも面白いので黙っていられなくなった。
これまで多勢に無勢,不利を承知で立憲君主制を擁護してきたのに,本当にギャネンドラ国王は困った方だ。一体全体,何を考えているのだろう? もう救いようがない。
選挙前日(4月9日),国王は声明を出し,全国民は選挙に行き投票せよ,と述べたのだ。正気であれば,まさに「裸の王様」。まるでマンガだ。
そもそも国王は暫定憲法第159条(3)により一切の政治的権力を否定されている。国王として政治権力を行使してはならないのだ。もしそんなことをしたら,直ちにギャネンドラ国王から「国王」の称号を剥奪し完全共和制に移行してもよい,と憲法第159条(2)に明記してある。
選挙は政治の中の政治。その投票前日にわざわざ声明を出し,政治的発言をする。もし日本国天皇が総選挙前日に「忠良なるわが臣民よ,すべからく投票すべし」などという声明を出したら,大変なことになる。側近は切腹ものだ。ギャネンドラ国王は,いまや日本国憲法の天皇規定以上に厳しい規定で政治的行為を禁止されている。なのに,なぜこんな愚かな声明を出したのか? もうダメだ。制憲議会を待たず,直ちに憲法第159条を発動して完全共和制に移行してもよい。
これにからんでもう一つ面白いのが,マスコミ。カンチプール(eKantipur, 9 Apr)が,この「裸の王様」声明をトップページに麗々しく掲載している。単にニュースバリューがあるからなのか,それとも王様を応援するつもりなのか?
準官報ライジングネパールは,王様はシカト。攻守逆転して,「玉」の奪い合いになると,無責任な野次馬としては楽しめるのだが,そうはならないだろう。カンチプールは,見せ物商売になると見て,「裸の王様」をトップページに載せているにちがいない。
ギャネンドラ国王は,本当に不思議なキャラクターだ。王様にはたいてい一人や二人忠臣がついているものだが,制度疲労が極限まで来て,もはや「王様,裸ですよ」と諫める側近は一人もいないらしい。
どこかの秘密機関に利用されるようなことだけは避け,有終の美を飾っていただきたいものだ。
Masayuki Tanigawa, Unitary State, Ceremonial Head and Japan's Role in Peace
Process, Newsfront, 17-23 Spet, 2007
Masayuki Tanigawa, THE
RATIONALE FOR THE KINGSHIP IN NEPAL , Nepali Political Science and Politics,
1996
谷川昌幸(C)
U リー・オネストのチベット論(2)
4.毛沢東の「チベット解放」
リー・オネストによれば,封建チベットは,毛沢東により次のようにして解放された。
毛沢東は,1949年,中国革命を成功させ,1951年にはチベット統治者と「チベット平和解放17条協定」を結び,平和裡に人民解放軍をラサに進駐させた。協定では,ダライラマ政府がチベット自治を行い,中央人民政府が外交と防衛を担当し,社会主義改革を進めることとされていた。(ダライラマ派から見ると,これはむろん「侵略」「占領」。)
当初,僧院財産はそのままで,封建領主も農民を支配し続けたが,高利貸しは禁止され,道路や病院が建設され,世俗教育学校が始まった。
1956-57年,封建領主がCIAに支援され,武装反乱を起こした。1959年には,武装僧侶とチベット軍が大規模な反革命決起(ラサ決起)をしたが,人民はほとんどこれを支持せず,すぐに挫折した。ダライラマはCIAの手引きでインドに逃れ,このとき,人民の莫大な財産を持ち出した。高位僧侶階級と封建貴族の多くも共に亡命した。
この後,女性も積極的に参加して全面的な農業改革が実施され,奴隷制や不払い農奴制は廃止された。封建地主の土地の多くは農奴や土地なし農民に分配され,道路,学校,医療制度などのインフラが整備された。そして,精神を奴隷化するような宗教を信じない自由が認められた。
1960年代になると,文化大革命により解放はさらに進んだ。農業コミューンの組織化,灌漑建設,食糧増産,裸足の医者(その半分は,以前は医療行為を禁じられていた女性)の派遣など。これにより識字率が向上し,科学的知識が普及し,封建的慣習や価値観に対するイデオロギー闘争が進められた。
文化大革命については,チベット文化を破壊したという非難があるが,事実はそうではない。僧院の破壊は確かにあったが,それは漢民族紅衛兵によるのではなく,チベット人自身によるものだったし,そもそもそうした行為は過去の桎梏からの解放という大きな文脈の中で見るべきものだ。
以上のように,オネストは文革期までの「チベット解放」をほぼ全面的に肯定するが,問題点があったこともむろん認めている。中国のマイノリティたるチベット民族の民族文化への権利をどう守るか,という問題である。この部分の歯切れは悪い。結局,チベット文化は,人民の鉄鎖を飾るラマ教と不可分だった,という苦しい弁明をしてお茶を濁している。
しかし,漢民族優先主義という非難は全面的に否定している。文革中には,様々な民族,文化の平等化を図りつつ,反動的封建社会の古い思想,慣習,文化を克服していった。(文化は古いものに決まっているから,この弁明も苦しい。)その結果――
「文化大革命期にチベット文化の花が開いた。標準チベット語が促進され,チベット語タイプライターが開発され,伝統的チベット医学が研究され,チベット史が調査された。1975年までに,チベットの上位指導者層の半分は先住チベット人となっていた。」(a)
「自由チベット」派が読んだら血相を変えて怒り出すような内容だ。オネストによると,「チベット解放」のため120万人が殺されたというのも根拠のないウソだし,強制不妊手術も実際には任意の家族計画によるものだった。その証拠に,チベット人の人口は,毛沢東時代になって増加したという。
真正マオイストの面目躍如。毛沢東の「チベット解放」,文革期までの中国の対チベット政策のほぼ全面的肯定だ。「自由チベット」派の主張とネガ・ポジの関係にある。そして,「自由チベット」派は怒るに決まっているが,真正マオイストとしてはこれは当然の態度なのである。
さらに,オネストは解放以前のチベットが「シャングリラ」ではなかったことを力説しているが,これはその通りだろう。それは,ネパール・マオイストの本拠地(西部山地)が先進国文明人にはユートピアであっても,大半の住民には苦難の地であるのと同じことだ。
中国人民にとって,中国革命が歴史の流れに沿った偉大な解放であったことは間違いない。これに対し,チベットが難しいのは,人民の桎梏であった旧体制を中国共産党政府の武力介入により打倒したことだ。チベットは,たとえ完全な独立国ではなかったとしても,高度の自治を享受してきた。そこに外部から介入し,毛沢東主義により人民を「解放」した。旧体制派の人びとが怒り抵抗するのは,当然である。
真正マオイストのオネストは,マオイストの普遍的解放理念により,そうした現実社会の複雑さをバッサリ切り分け,毛沢東の「チベット解放」をほぼ全面的に正当化する。痛快なほど明快だが,切りすぎ,という気がしないでもない。
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(4)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(3)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(2)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(1)
谷川昌幸(C)
U リー・オネストのチベット論(1)
1.チベット問題の多元性
今回のチベット叛乱は,「反動的中国政府」に対する抗議行動ではあるが,よく見ると,そう単純ではなく,多くの勢力が複雑かつ多元的に関与していることがわかる。オネストはそれらをきれいに整理し,次のような構図に描いている。
「一方で,この闘争は,自称『社会主義』『共産主義』だが実際にはそうでない体制が加えている,チベット人民への国家的抑圧に対するものだ。中国政府は反動的,資本主義的である。他方で,この闘争は,より大きな国際的動きに対する異議申し立てだ。アメリカは,米帝国主義のグローバル支配を強引に拡大強化している。そしてチベットは,アフガン,パキスタン,インドにおける米国利権にとって,地理的・戦略的に世界的な重要性をもつ地域だ。アメリカは,以前からチベット反動勢力を支援してきた。CIAはダライラマと共同行動をとったり直接支援したりしてきた。そしていま,米支配階級の一派が,ダライラマを押し立て,その運動を利用して中国に圧力をかけ,中国を不安定化させ,あわよくば分裂させようとしている。というのも,アメリカはいずれ中国がグローバル米権力に対する戦略的,経済的,政治的,軍事的ライバルとなると見ているからだ。米帝国主義のチベット介入のたくらみに反対すべきだ。」(b)
これをさらに単純化すれば,こうなるだろう。
反動中国←→チベット人民←→封建的ダライラマ派=米帝
つまり,チベット人民の立場に立つなら,反動中国共産党政府も,封建的ダライラマ派とそれを対中国政策のために利用する米帝も,敵だということ。これは明快。そして,これこそが真実だろう。真性マオイストのチベット論は,大局的に見ると,文句なしに正しい。
2.解放以前のチベット
このオネストの議論は,解放以前のチベットがシャングリラ(ユートピア)ではなかったという厳しい歴史認識を一つの根拠としている。オネストはいう。
「以前のチベットでは,ダライラマによる封建的な仏教神政政治が行われ,人民は容赦なく搾取抑圧されていた。ほとんどの農地は,高位ラマと非ラマ貴族が所有していた。700人たらずの高位仏僧と世俗封建領主が土地と財産の93%を支配していた。チベットの地方住民のほとんどは,高位仏僧や世俗貴族に生涯奉仕する農奴だった。封建領主が農奴のつくる作物を指示し,収穫のほとんどを取り上げたため,農民の借金は増えるばかりだった。農奴は不払い強制労働や,出産税のようなひどい税を課せられた。女の子は農奴家族から取り上げられ貴族の奉仕人とされ,多くの男の子が強制的に僧院に入れられ僧にされた。
チベット人の約5%が完全な奴隷(主に家事奴隷)で,自分のために何をつくる権利もなく,死ぬまで殴られ働かされた。下層僧侶(人口の約1/10)もまた奴隷のようなもので,僧院に縛られ,高位ラマへの奉仕を強制された。
封建領主たちは,小規模の常備軍と武装ゴロツキを使って,この社会秩序を強制した。あからさまな抵抗はおろか,不従順でさえ,目をえぐり取るなどの残虐な処罰や拷問を受けた。
ラマ教の反動イデオロギーが,この体制全体の核をなしていた。ラマ教の中心は,人間は魂であり,これが幾度も生まれ変わる(輪廻),そして,現世の人の境遇は前世の行為によりあらかじめ決められている(業),という信仰である。たとえば,女として生まれるのは,前世で罪深いことをした処罰と考えられた。支配者たちは,このような途方もない宗教的神話や迷信を利用して,過酷な抑圧を正当化し,人民民衆にその定められた境遇を受け入れさせていたのである。
解放以前のチベットは,その全土が孤立した遅れた地域だった。車の通れる道路はなく,多くの子供が1歳未満で死亡した。人民の70%以上が性病にかかり,20%が天然痘だった。
封建チベットは,慈悲深い僧侶が統治し,満足した民衆と調和して生活しているような,『シャングリラ』ではなかった。それは,大多数の人民には悪夢のように恐ろしいところであり,封建的な諸関係と思想が,この全社会を極端に遅れた状態に押しとどめていたのである。」(a)
まるで作り話のように単純明快ではないか。本当にチベットはこんな教科書的な封建制(農奴制)だったのだろうか? 正直ちょっとやりすぎでは,という気はする。が,単純化はされていても,大筋は作り話ではないだろう。そして,もしこれが事実だとすると,遺憾ながら,次の説明も基本的には正しいことになる。
「多くの人がダライラマを『平和と非暴力』の象徴と見ているが,実際には,ダライラマとその家族はチベットにおける封建的所有者・抑圧者だったのだ。」(b)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(4)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(3)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(2)
チベット問題に苦悩する真性マオイスト:リー・オネスト(1)
谷川昌幸(C)
HRW(1 Apr)によれば,ネパール警察は,チベット難民ばかりかチベット系らしい住民を予防拘束しているらしい。3月10日以来の逮捕者は1500人以上という。
チベット自治(あるいは独立)要求運動にとって,ネパール警察の暴力や逮捕は恐ろしいが,それにもまして「中国への強制送還」の脅しはもっと怖い。もし強制送還されたらどうなるか?
難民条約
第33条(追放及び送還の禁止)1 締約国は、難民を、いかなる方法によつても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。
さらに,おぞましいことに,HRWによると,警察は性的虐待も行っているらしい。具体的証拠はまだ挙げられていないが,ネパール警察や軍隊による性的虐待はこれまで頻繁に行われており,その体質は「人民」政府になったからといって,急には変わらない。他の虐待ばかりか性的虐待も,HWRがいうように,行われていると見るのが自然だろう。
世界人権宣言
第5条 何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
どのような政府にも,国内秩序を守り外国公館の安全を保障する義務はある。ギリシャでもイギリスでもチベット弾圧抗議活動家が逮捕拘束された。しかし,自由や権利の制限は,明白かつ具体的に他の人々の自由や権利を不当に侵害する場合にのみ制限される。ネパールのチベット自治(あるいは独立)要求運動は,報道の限りでは,平和的だ。非暴力の平和的言論・集会・行動の自由は,保障されなければならない。
谷川昌幸(C)
ネパールのマスコミは,いま,真綿で首を絞められるようなソフト全体主義的言論統制に向かっている。そう,チベット自治要求運動の報道がネパールではほとんどないのだ。
1.チベット自治要求デモの無視
3月31日,カトマンズで中国チベット弾圧に抗議しようとした数百人の人々が,警察に阻止され,なんと259人(うち女性118人)が逮捕された(共同)。
むろん,世界中で報道され,抗議の声がわき起こっている。それなのに,ネパールの主要英字メディアは,ほぼ無視。準官報ライジングネパール,巨大メディアのカトマンズポスト(カンチプル),ネパールニューズコム(マーカンタイル),そしてザ・ヒマラヤン。記事があっても,ちっぽけな,おざなりなものだ。言論統制されているのだ。
2.国王よりも悪質な「人民」
ギャネンドラ国王は,2005年2月クーデター以後,しばしば言論統制した。新聞,テレビ・ラジオばかりか,インターネットや携帯も切断した。ケシカランが,愛嬌があり,「あぁ,やってる,やってる」と世界中の人々を楽しませてくれた。
ところが,2006年4月革命で「人民」が権力をとり,「人民」主権(loktantra)政府となると,言論統制は「人民」が行うようになった。これは,国王の子供っぽい,どこか憎めないところがある言論統制とは,質が違う。隠微で不気味な本物の言論統制なのだ。
手元に原本がないので正確には引用できないが,かつてJ.S.ミルは『自由論』の中で,最も恐ろしいのは人民が権力を握り人民自身を専制的に統治することだと警告した(社会的専制,民主的専制)。国王や貴族の専制なら,まだ逃げ場があるが,「人民」が人民自身に対し専制を始めると,もはや逃げ場はない。スターリンや専制化以後の毛沢東のような,全体主義的言論統制となる。いや,スターリンも毛沢東もネパールには現れそうにないので,もっと悪質隠微な「人民」統制となりかねない。
3.中国憲法とチベット弾圧の近代的合理性
中国は「人民民主主義独裁の社会主義国」であり,「すべての権力は人民に属」し,それは「民主集中制の原則」に則って行使される(憲法第1,2条)。民族問題も,この論理により解決されている。
「中華人民共和国は全国の諸民族人民が共同で創立した,統一された多民族国家である。平等,団結,互助の社会主義的民族関係はすでに確立しており,引き続き強化されるであろう。民族の団結を守る闘争の中では,大民族主義,主に大漢族主義に反対し,また地方民族主義にも反対しなければならない。国家は全力をあげて全国諸民族の繁栄を促進する。」(中国憲法前文,『アジア憲法集』)
つまり,中国には多くの民族がいるが,それらは社会主義的に統一され,「人民」となり,この「人民」が「民主集中制」により「独裁」を行っているのだ。
このように,中国は憲法で民主集中制の「独裁」国であると,正々堂々と高らかに宣言している。隠れて,こそこそやっているのではない。これこそ,中国の「国家理性(国家理由)」なのだ。だから,チベット自治(あるいは独立)要求を「独裁」的に弾圧しても,国家理由には何ら反しない。目的と手段が完全に適合している。中国のチベット政策はきわめて合理的・理性的なのだ。
先進諸国は,日本も含め,同じことを,中国よりももっと大規模かつエゲツナイ形でやってきた。だから,先進諸国がやり終えたことを,いま中国がやっていても,先進諸国には,それを一方的に非難することはできない。もし中国を非難するのなら,自分たちの過去を反省し,謝罪し,損害賠償してからにすべきだ。
4.「人民」ネパールの非合理性
この中国の合理性に対し,あまりにも惨めなのが,ネパール。
「ネパールは独立,不可分,主権的,世俗的,包摂的,完全民主的国家である。」(暫定憲法第1条)
近代的国民国家にもなれず,多極共存型ポストモダン国家にもなれず。前近代国家ネパールを先進国ポストモダン専門家たちが,よってたかっておもちゃにしている。中国の「独裁」は恐ろしくて手が出せないので,弱小国ネパールに目を向け,素朴,無防備な国王「独裁」を血祭りに上げ,ポストモダンの実験場にしているのだ。
かくして,ネパールは,国家理由をもたない(奪われた)非近代的国家になった。では,どうやって国家権力を正当化し,権力行使をするか?
ポストモダンの得意技は,権力行使の主体を隠し,隠微な形でやらせることだ。(ポストモダンは「匿名権力」も批判するが,批判してみたものの,かえって開き直り権力や匿名権力を野放しにしただけだ。) つまり正体不明の「人民」,いやこれですら彼らは嫌い「誰か分からぬが誰か」に,権力行使させるのだ。中国「人民」は「民主集中制」により「独裁」をやる立派な近代的主体的「国家国民」だ。ネパールの「人民」はそうではない。ネパールには多くの諸国民(nationalities)がアナーキー状態で雑居しているにすぎない。ネパールの「人民」は,半中世的・半ポストモダン的な,非主体的無責任「人民」だ。
5.ネパール言論の「人民」的統制
いまのネパールでは,この正体不明の「人民」がチベット自治問題に関する情報の統制をしている。なぜ,ジャーナリストは,これを問題にしないのだ。
こんなことなら,北朝鮮・主体思想にもとづくマニク・ラル・シュレスタ教授の反中国活動取締擁護論のほうが,はるかに立派だ。