ネパール評論 2008年1月
2008/01/23 UNDP「ネパールにおける憲法制定」(2)
2008/01/21 原子時間入試の非人間性
2008/01/16 コピペ革命の「すばらしき新世界」
2008/01/14 ヒラリー卿とエベレストと十字架
2008/01/12 マオイスト・ゲリラを警官に
2008/01/11 制憲議会選挙,4月10日実施
2008/01/10 UNDP「ネパールにおける憲法制定」(1)
2008/01/07 ネパール王制と天皇制:苅部直「新・皇室制度論」をめぐって
2008/01/05 温暖化危機:自然環境と政治環境


2008/01/30

UNDP「ネパールにおける憲法制定」(5)

谷川昌幸(C)

    [→ (1) (2) (3) (4)

5.包摂と参加

平和構築としての憲法制定には,当然,全人民の包摂・参加が求められる。明確な勝者がいない現代紛争においては,現実には困難であっても理念としては全人民の包摂・参加を掲げ,それに向かって努力する以外に,平和実現の道はない。

(1)神法と地上の代行者
といっても,憲法は素人には難しい。法(law, dharma, canun)は,古来,どこでも神意に由来するとされ,聖職者や国王が地上においてその解釈施行を代行した。近代以降,世俗化されても,法は難解な専門用語(jargon)をあやつる法律専門集団の聖域であり,人民のものではなかった。

正しい法は,神の創造した自然=人間の自然・本性(nature)に基づくものでなければならない。ダルマは神の定めた万物(人と物)の本性(nature)であり,これは聖典に記され,それを読解し,人民に伝え,従わせることが出来るのは,古きよき時代では聖職者と王侯貴族であった。近代の世俗化時代になると,法は合理的規則の体系とされ,膨大な法律書に収められ,ジャーゴンを操る法律家がこれを独占した。いずれにせよ,人民は自分の本性=本心を知らない,だから本人に代わって専門家が法をつくり,執行してきたのだ。

(2)人定法の神法化
ところが,大胆にも,ガイとヘイソンは

「専門家が自分たちだけで憲法を作ることが出来るといった考え方は,今日では時代遅れである。」(ガイ,p.34)
「現在,憲法は社会内の諸集団間および市民間の契約となった。賢者につくらせるだけでは不十分であり,制定過程には人民が入らなければならない。」(ヘイソン,p.10)

と断言する。

人民は,いまや自らで法をつくる。神なき時代にあって,法を守る,約束を守る,という規則を誰が守らせるかは知らないが,とにかく人民は自らが神となり自ら約束し,法をつくり,自ら守ることになった。そんなすごいことは,英米でも仏独でも実行できてはいないが,CASUはネパール人民を神にする壮大な実験を進めるつもりらしい。

むろん,CASUがそんなことをストレートにいっているわけではない。しかし,ヒンズー神法を否定し,ビシュヌ化身たる国王を否定するなら,残るのは裸の人民だ。人民は野獣になるのがいやなら,神にならざるをえない。これは大変だ。

(3)ガイの包摂参加制憲論
憲法はいまや神定でも欽定でもなく,民定でなければならない。むろん,欧米も日本も必ずしもこの原理に忠実ではなく,ひそかに神や天皇,あるいは代理神としての理性や歴史を持ち込んでいる。そして,英米の超エリート・コースを歩んできたガイも,それは十分承知のはずだ。しかし,そうしたことは全部棚上げし,ガイは自らの包摂参加制憲論を次のように繰り広げている。少々長く,他の論点も含まれているが,彼の制憲論の核心をよく表しているので,以下に重要部分を紹介する。

 「紛争後状況では,最重要目標は紛争当事者の和解と,紛争により分裂した諸社会の人々の和解である。紛争が社会の一つまたはいくつかの地域や部分による搾取から始まったときは,社会的公正が重要となる――また,周縁化された諸集団の自立心の育成も重要となる。
 独裁から脱出した国の場合は,人民の能力を育成し,民主主義の諸価値や諸制度を教えるべきだ。この場合,たいてい,そうした国あるいは人民のいくつかの部分はアイデンティティ危機となり,国民や国家を再定義し,これにより異なる諸社会のアイデンティティや関心の調和を図ろうとする。これらの目的のほとんどは,すべての社会集団が自分たちの考えを述べ,交渉し,そして国民的合意を形成することを可能とする包摂参加の過程によりもっともよく達成される。
 国内紛争終結後の場合は,少なくとも初期の段階では,包摂はしばしば困難となる。紛争当事者が暴力的に国の平和と調和を妨げることが出来る武器などを振りかざし,制憲過程を支配しようとしがちだからである。この場合,参加は限定的となり,その結果,制憲目標も紛争当事者勢力が特に強く要求するものだけに狭められ,国の基本的な諸問題はしばしば無視されてしまう。したがって,他の人も可能な限り早く参加するようにしなければ,永続的解決は期待できないのである。
 もう少し技術的な面についていうと,もし公的参加を有益と考えるならば,人民教育,人民対話のプログラムが不可欠となる。憲法の定めるべき諸価値と手続き,国家的優先順位,改革のための具体的手順を,人民自身の役割も含め教育し,人民と議論する。もし人民が自分の身分,権利と義務,そして自分の未来そのものさえも決めてしまうであろう制憲過程の結果に何の影響を与えることもないまま放置されるとするなら,これはまれに見るひどい疎外であり能力剥奪に他ならない。それゆえ,人民参加,人民協議,人民勧告のための手続きが決定的に重要となる。
 人民の様々な意見や要望を分析し,そして可能な限り総合することは,制憲過程の本質的部分であり,これにより憲法目標を精錬し,決定を支援することが出来るのである。
 憲法制定機関は,様々な利害,地域,集団の完全な代表であるべきだ。その手続きは,透明性,慎重審議,そして合意形成を目標とすべきだ。決定のルールは,すべての利害を適切に考慮するため,最大限合意に基づくものとすべきだ。」(p.34-35,改行は谷川追加)

力強く明快な包摂参加制憲論だ。多民族途上国の制憲論としては最上のものであり,おそらくこれが理想であることは誰も否定は出来ない。

しかし,である。現実にはなかなかそうはいかない。ガイの祖国ケニヤでは,1月29日にも野党議員が射殺され,暴動状態が広がった(朝日1/30)。多民族国家の場合,包摂参加には危険も伴うのである。

アメリカ大統領選の場合,今のところ民主主義が民族(オバマ候補)も性(ヒラリー候補)も乗り越え,包摂参加の理想を実現しつつあるように見え,「さすがアメリカ!」と賞賛したくなるが,しかし,まだ分からない。民主選挙が,特に民族アイデンティティを鮮明化させ,アイデンティティ政治に陥るかもしれないからである。

また,アメリカの場合,選挙は,民族や性などの文化的属性の違いを否定するような形で進められていることも忘れてはならない。これはガイやネパール政治家たちが口をそろえて賞賛する包摂参加民主主義とは違う。むしろ,アメリカ独立革命やフランス革命の抽象的普遍的理念の下での平等である。

ネパールは,そうした国民国家型近代民主主義の原理を否定した。その結果がどうなるか,注目されるところである。

2008/01/28

UNDP「ネパールにおける憲法制定」(4)

谷川昌幸(C)

  [→ (1) (2) (3)

4.平和構築としての制憲過程

(1)勝者の押しつけ憲法
憲法は,古来,権力闘争が終わった後,勝者ないし優勢な側がその結果を敗者に認めさせるためのものだった。

マグナカルタ(1215)は,封建貴族らがジョン王と争い,優勢となり,封建議会の諸特権を彼に認めさせたものだし,アメリカ憲法(1787)は独立革命に勝利した植民地がその成果を成文化したものだ。日本国憲法(1947)も,勝利したアメリカが日本人民の意も受けて天皇制国家の旧支配階級に対し押しつけたものだ(戦勝国アメリカが敗戦国日本に押しつけたという説もある)。社会主義憲法の場合はもっとはっきりしていて,革命に勝利したプロレタリアートがその支配をブルジョアジーに押しつけるためのものだった。

(2)紛争解決のための憲法
ところが,現代の紛争の多くはそのような経過をたどらない。

「ガイはこう語った。『紛争後』という用語は正確ではないだろう。なぜなら,紛争は終わったのではなく,紛争の場が公的討論や議論の場に移ったにすぎないからだ。憲法の役割の一つは,立憲主義の様々な枠組みの中での和平により緊張を緩和することにある。特に,要求が激しく対立する紛争が続いた後の憲法制定の課題は,様々な社会諸集団の十分に広範な参加を保障することにあった。なぜなら,この場合,対立する一方の勢力が,正当な参加権をもつ他の勢力を排除し,制憲過程を独占しがちだからである。紛争後の憲法,あるいは紛争中に作られる憲法であっても,本質的に,交渉により作られる文書である。伝統的に,憲法は紛争に勝利した階級や民族が強制するものだった。しかし,今日,紛争中に,あるいは紛争後につくられるほとんどの憲法は,いずれの側も戦いによっては勝利を確保できない手詰まり状態から生み出されるものである。」(p.11)

このガイの議論は正しい。今日の紛争は,国内でも国際的なものでも,正規戦というよりもむしろ非正規戦が大部分であり,その結果,いずれの側もはっきりした勝利を手にすることが出来なくなった。一方の側に戦う意思があれば,紛争はいつまでも続く。現代の憲法は,そのような状況を前提に,そうした紛争を解決するためのものとして制定されなければならないのである。

(3)平和構築としての制憲過程
もしそうだとするなら,憲法は出来上がった文書そのものよりも,むしろそれを作り上げる制憲過程の方が重要だということになる。報告書は宣言する――

新憲法を制定するということが,平和構築過程の本質的部分である。」(p.1)

そして,こう自画自賛する。

「CASUの様々な会議やセミナーは市民社会を基礎とするものであり,人々の様々な意見を反映しているはずだ。CASUは,そうした催しそれら自体が制憲過程の一部だと考えている。というのも,そうした催しは様々な意見を呼び起こすし,また新憲法の成功にとって不可欠の憲法意識を育成する全過程の一部でもあるからである。」(p.vi)

これはCASUの手前ミソではあろうが,出来上がった憲法そのものよりも,その制定過程が大切だ,というCASU=ガイの現代憲法論は,文句なしに正しい。

憲法(constitution)をつくることは国家をつくることであり,民主主義において大切なのは出来上がった国家ではなく,それを人民自身が作っていく過程だ。先進国においても,成文憲法があればよいというのではない。憲法の文言だけでは死文だ。生かすには,日々,それに意味づけして行かなければならない。まさしく民主主義は「永久革命」である。

先進国においてもそうだとすれば,途上国においては,この憲法制定過程の重視は,いくら強調してもしすぎということはないであろう。

そして,日本の平和貢献も,きな臭い陸軍派遣ではなく,この広義の憲法制定過程への支援となるべきであろう。

2008/01/27

ケニア暴動とネパール:「外国の手」とは?

谷川昌幸(C)


「ネパリタイムズ」(#384, 2008.1.8-31)の「ケニア・タライの休日」は,意味深な記事だ。表題からして怪しいが,著者は何と「外国の手」氏。誰だ,これは?

「外国の手」氏によると,ケニアは42民族の文化多様性に富む自然豊かな国だ。2007年12月27日の大統領選挙前は平穏であり,「どちらが勝とうが,暴力は過去のものだ」と言われていた。

選挙は,キバキ大統領と,「包摂」を掲げ同氏のキクユ民族優遇を批判するルオ民族オディンガ氏との争いであり,オディンガ氏優勢と伝えられていたが,結果はキバキ氏の勝利となった。これに対し,オディンガ派が不正があったとして激しく反発し,先に紹介した朝日の言うように「民族対立・無法地帯」となってしまったのである。

「外国の手」氏はいう――
 「沿岸地域はイスラムで,オマーン・アラブとインド文化の強い影響下にあり,国の歳入の多くを稼ぐのに,政治権力はキリスト教高地が握り,彼らは排除されている。・・・・
 沿岸地域は,高地支配に対する多くの不満要求を抱えるタライ地方だ。・・・・
 高地人は,傲岸にも支配権神授説を信じ,・・・・近視眼的で臣民蔑視のエリートはその権力を維持するためであれば何でもするつもりだった。
 この選挙は,紛争地域の安定の核としてのケニアの役割を強化するものと考えられていた。それなのに,ケニアは破綻寸前のネパールと同じような状態になってしまった。」

「外国の手」氏は,誰なのか? 何なのか? それは明示されていないが,この「ケニア・タライの休日」が何組かの暗喩を含んでいることは,少なくともネパール関係者には明白だ。ここでは恐ろしいので種明かしはしない。近くのネパール通に,そぉ〜と尋ねてみてください。

2008/01/26

UNMIN,7月23日まで延長

谷川昌幸(C)

安保理が,UNMIN期限を7月23日まで延期した(No.1796)。

目的:
 ・包括和平協定の実行
 ・制憲議会選挙(4月10日)の実施
 ・平和構築
課題:
 ・マデシ,少数諸民族,ダリット等の包摂

これで,4月10日選挙の実施は,もろに国連のメンツに関わることになった。今度,実施できなければ,なにやってんだ,と非難されるだろう。

しかし,制憲議会選挙を引き延ばし,国連関与を引き延ばせば延ばすほど得をする勢力は多数いる。
 ・暫定議会の無選挙特権議員諸氏
 ・国連特需で潤う不動産,ホテル,レストラン等々
 ・関係NGO等
 ・「市民社会」という名の非市民的特権諸集団
 ・自衛隊(「個人資格」派遣の日本陸軍)

まさか自衛隊は,と思われるだろうが,延長が自衛隊にとって望ましいことはいうまでもない。当初の派遣期限は3月末日までだが,これで堂々と期間延長が出来る。まさか,民主党が反対したりはしないだろう。共産党,社民党はどうか? 反対できるか? 反対しにくいだろう――ここがミソだ。

UNMIN延長で,自衛隊は「個人資格」として責任逃れしつつ,安全なネパールで海外派兵訓練をさらに積み重ねることが出来る。たとえ4月10日に選挙が出来なくとも,いずれ選挙は出来るだろうから,派兵による平和貢献をヒマラヤ・バックに宣伝できる。もう日本共産党にも社民党にも反対はさせないぞ!

結局,UNMIN延長で損をする有力集団は,見あたらない。国連のメンツか,利権と金か?

むろん,困る者がまったくいないわけではない。国連広報(2008.1.23)によれば,国連スタッフがインドで在印ネパール人と接触し,これに対し印ネ両国政府が抗議したという。頭越しにネパール問題を国際化するな,ということ。いかにもメンツ重視の印ネらしい。トップリーダーとしては,UNMINが増長し,メンツをつぶすような行為を始めるのは困るということだ。

しかし,これはメンツの問題だから,金を落とすだけであれば,延長は何ら問題ないはずだ。カシミールを見よ。国連インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)は,なんと1948年以来ず〜と現在まで,メンツ大国インドに派遣されているのだ。

では,声なき庶民はどうか? 現状が内戦時よりはるかに良いことは言うまでもない。しかし,莫大な金が和平のための軍事費,巨大議会,選挙行政費,各種セミナー等々に浪費されている現状は,平時に比べたらあきらかに悪い。いわば国内冷戦であり,利権諸集団はその継続を望むが,庶民はそれに苦しめられている。難しいのは,最大の被害者たる庶民が,利権諸集団に動員されることはあっても,まだ国内冷戦を終わらせるだけの力を持たないことだ。

しかし,教育普及と情報化で,左右エリート集団による知=力の独占は,いずれ終わるだろう。J.ロックのいう「世評の法」がまもなく機能し始める。そう期待している。

2008/01/24

UNDP「ネパールにおける憲法制定」(3)

谷川昌幸(C)

   [→ (1) (2)

3.1990年憲法の評価
セミナーでは,新憲法制定の前提として,1990年憲法の評価が行われた。報告書には,Surya Nath Upadhayaya, "On Making of the 1990 Constitution"が収録されている。彼は,CIAA元委員長であり,当時は憲法勧告委員会(CRC)事務局にいた。内部情報に詳しいはずだが,この報告は手続き論中心で読んで面白いものではない。

(1)1990年憲法の肯定的評価
これに対し,討論では予想外に1990年憲法の評価が高かった。「発言者の多くが,1990年憲法は本質的によい憲法だった,あるいは当時これは歓迎され,よい憲法だと考えられていた,と指摘した」。次に,いくつか代表的な意見(CASUによる要約)を紹介する。

Sagar Sumsher Rana (NC-D)
IDEAレポート(1997)を引用。「ネパール憲法は進歩的憲法であり,明確な民主主義の立場に立っている。憲法会議や司法審査の規定は,この憲法を非常に民主的なものとしている。ネパールは新たに民主国となったが,憲法の民主性はアジア基準で評価されるべきだ」(注:このアジア基準が何かは不明確)。 当時は,マオイストを含め,すべてが憲法を支持していた。いま彼らは,憲法が適切に施行されなかったと言っているにすぎない。

Nilamber Acharya (元法務大臣)
欠点はあるが,1990年憲法は民主主義の諸価値に基礎づけられており,この憲法が確立した規範と諸価値は将来にわたって生き続けるだろう。

Kanak Dixit (Himal Media)
問題はあり,よりよい憲法にする可能性はあったにせよ,だからといって1990年憲法を否定する必要はなかった。

Yash Ghai (CASU)
民主主義が1990年憲法の目標の一つであった。1990年憲法が多党制民主主義を達成し,少なくとも全市民が投票する選挙制を達成したことは,歴史が証明するだろう。

以上のような肯定的評価に対しては,もちろん反論もあった。女性,ダリット,少数民族,少数派諸言語に対する配慮がなかったなど。しかし,報告書のまとめを見るかぎり,肯定的意見が圧倒的であり,これはマスコミや街頭の意見とは極端に異なる。

(2)1990年憲法改正の可能性
私はもともと1990年憲法を高く評価しており,いまの新憲法制定要求は「熱病」のようなものだと思っている。熱病は病気だ。このような高級セミナーに参加し,少し頭を冷やした方がよい。

1990年憲法は民主的憲法であり,改正により維持可能だ。この点についても,セミナー参加者の何人かが言及している。

Nilamber Acharya
適切な時期に改正され,時代の変化に適応させるべきだった。

Kanak Dixit
改正されるべきだった。たとえば,ヒンズー教国王の規定は削除し,世俗国家とする。国王個人はヒンズー教徒でよいが,国家はヒンズー教国である必要はない。

このお二人のことはよく知らないが,少なくともこうした憲法論はごく真っ当だ。デクジットの国王論など,まるで日本国憲法をモデルにした発言のようではないか。

(3)タイヤ焼きと憲法焼き
しかし,悲しいかな,こうしたまともな議論は街頭やマスコミでは人気がない。新憲法制定論は,石油国際価格が上がっているのに,税金の手当を無視し,タイヤを焼き,「石油値上げ反対!」と叫んでいるのと同じレベルだ。

民主主義では,国民=国家(政府)だから,石油代を直接自分の財布から出すか,それとも国庫経由で出すかの違いにすぎない。

石油代を引き下げれば,その分,税金で穴埋めせざるをえない。何のことはない,地方や都市の石油依存度の低い圧倒的多数の庶民層に回すべき国庫予算を,車や冷暖房に化石燃料を浪費している少数特権階級のために費やすことになるだけだ。

タイヤ焼きで石油値上げ反対を叫んでいる庶民は,ダマされている。自分で自分の首を絞めている。本当のワルは,それを分かった上でやらせている少数特権階級だ。

憲法問題も同じこと。エリートがエリートだけ集まり議論すれば,このセミナーのように冷静なまともな議論になる。ところが,大衆動員のためとなると,それをケロリと忘れた振りをし,「憲法焼き」をけしかける。「タイヤ焼き」と同じく,「憲法焼き」も庶民の自殺行為だ。

(4)民主主義教育の必要性
途上国と先進国の差は,やはり庶民の民主主義理解の差である。先進諸国では,多かれ少なかれ,人民=国家の意識があり,人民の側に国家への要求は自分への要求だという抑制が働く。ところが,途上国では長らく権力=特権階級であったから,まだ政治は他人事,要求のしっぱなしになる。

途上国の超エリートは,先進国でも十分通用するエリートである。彼らは全部知っている。「タイヤ焼き」で石油値上げを阻止させれば,社会開発に回すべき予算を自分たちの贅沢三昧生活のために堂々と浪費できることを。

同じく,十分利用可能な現行憲法を「憲法焼き」で否定してしまえば,開発に回すべき援助資金をエリートのための巨大議会や諸々の豪華セミナーのために堂々と浪費できることを。

こんな少数特権エリート階級の狡賢い悪巧みを粉砕するためにも,庶民のための民主主義教育は絶対に必要である。

2008/01/23

UNDP「ネパールにおける憲法制定」(2)

谷川昌幸(C)

  [UNDP「ネパールにおける憲法制定」(1)

2.CASU主導のセミナー: ガイとヘイソン
「ネパールにおける憲法制定」セミナーは,後で指摘するようにネパール主導であるべきはずなのに,実際はCASU主導となっている。

CASUのガイがたたき台となる準備論文「制憲過程における暫定憲法」を出し,国連と関係が深くIDEAメンバーでもあるヘイソン(後述)が基調報告「紛争後社会における憲法制定」を行っており,しかも,これらに基づく議論をCASUが報告書にまとめUNDPから出版しているのだから,CASU好みとなりがちではあろうが,それにしてもネパール政官学や市民社会,マスコミの代表的人物が多数参加し,発表,討論しているのに,議論の筋書きがCASUの思惑通りとなっているのは,驚きだ。

(1)ガイとケニヤ新憲法制定の「失敗」
終始議論をリードしたガイについては,彼が中心的役割を担ってきた祖国ケニヤの新憲法制定ですらうまくいっていないのに,なぜネパールなのか,といった揶揄や批判があることは事実だ。たしかに,この批判には一理ある。

ケニヤは,モイ大統領が一党独裁統治してきたが,西側からの圧力に屈し,1991年複数政党制に復帰した。しかし,92年選挙でもモイ大統領が再選され,大統領権限制限による民主化のための新憲法制定は進まなかった。2002年,ようやく「国民虹の連合(NARC)」が成立し,反モイ派のキバキが大統領となったが,当選後キバキは一転して改憲に反対し大統領権限を温存した新憲法案を作成させ,これを2005年7月議会に議決させ,11月国民投票にかけたが,これは反対57%で否決された。

こうして新憲法制定が出来ないまま政治は不安定化していき,2007年12月27日大統領選挙が実施され,キバキ大統領が再選されたが,反キバキ派の「オレンジ民主運動」は選挙に不正があったと激しく非難し,暴動となり,35人以上が殺された。

2008年1月5日付朝日新聞によれば,大統領選挙をきっかけにして始まった民族紛争で国内避難民は25万人に達した。その後も民族対立による暴動は続き,1月20日付同紙によれば,すでに死者1000人以上ともいわれている。朝日は「大統領選で荒廃のケニア・民族対立無法地帯」とセンセーショナルに報じている。

(2)「憲法見直し委員会」委員長としてのガイ
この憲法論争の渦中の1999年,ガイはモイ大統領により「ケニヤ憲法見直し委員会(Constitution of Kenya Review Commission)」の委員長に任命された(まだ在任かは不明)。

津田みわ「ケニア憲法改正問題の現在」(『アフリカレポート』No.32,2001)によれば,ガイは「例外的に中立的な人物」であり,「優れた憲法学者であり,また,かつてバヌアツ新憲法作成に関与したともいわれ,実務家として高い評価を受けている人物でもある」。彼は,敵対するどの勢力からも歓迎され,「期待を大きく上回る活躍で」改憲手続きを始めた(p.21)。

2002年9月,ガイは委員長として"People's Choice: The Report of the Constitution of Kenya Review Commission"(18 Sep. 2002)を発表した。これは極めて詳細な委員会報告であり,ガイの努力は報われるかに思われたが,上述の通り,それはキバキ大統領派による抵抗により結局は成功しなかった。その経緯は,ガイ自身がYash Ghai and Jill Cotterell, "Constitutional Ability"(Nepali Times, #320, 2006)において,次のように説明している。
-----------------------
ケニヤは1982年から1992年まで一党独裁制だったが,1980年代に人民運動が始まり制憲議会による立憲民主制の回復が求められた。政府はこの運動に譲歩し,改憲に同意,制憲は
 ・制憲過程への人民参加
 ・人権尊重
 ・多党制民主主義
 ・民族平等,ジェンダー平等
を目標に,進められた。

そして,2000年末,独立の29人委員会が設立され,
 ・人民の憲法教育
 ・人民の意見聴取
を始めた。29人委員会は,各地で各種言語による集会を開き,そこには何千人もが参加し,3万6千もの意見書が寄せられ,分析された。人民は勇気を持って自由に発言し,大統領独裁を批判した。

こうして新憲法草案が作成され,人民はこれを熱狂的に支持した。そして,制憲会議(National Constitution Conference,629議席)が開催され,これが採択された。ところが,制憲会議は議員数が多すぎ,利害が対立,腐敗も広まり,制憲手続きは紛糾し引き延ばされた。

一方,キバキ大統領は,この新憲法案による権力制限を嫌い,それとは異なる大統領権限温存の別の憲法案を議会に認めさせ,これを国民投票に付させた。人民は,前の憲法案を支持し,このキバキ大統領派の憲法案を反対57%で否決した。

現在,ケニヤは新憲法をもたないが,ケニヤの経験からネパールは次のことを学ぶことが出来る。
 ・人民を参加させよ。
 ・人民に事実を知らせよ。
 ・スピードアップ。
 ・暫定憲法による制憲過程遵守の保障。
 ・短期的利害への固執は有害。
 ・人民投票は経費がかかり,多民族社会では交渉により作成した憲法案であっても否決されることがある。

(注)ケニヤ憲法制定過程はネパール以上に複雑。間違いがあれば,後で訂正します。
------------------------

以上が,自国ケニヤ制憲過程についてのガイの説明である。ガイは大統領任命の「憲法見直し委員会」委員長として制憲過程の中枢にいながら,新憲法の制定には失敗した。ガイ自身,忸怩たる思いであろう。上述のネパリタイムズ記事のリードは

「ケニヤは制憲過程が始まってから15年もたつのにまだ新憲法をもたない。この経緯は,ネパールにとって役立つ教訓と警告を与えてくれている。」

となっている。これは,おそらくネパリタイムズ編集部がつけたものだろうが,15年(現在では16年)もかけて新憲法が出来ず,その結果,人民におびただしい犠牲を出しているのは,制憲方法の「失敗」というべきではないだろうか。

ガイは,オックスフォード(BA)→ハーバード(LLM)→ミドルテンプル(法廷弁護士)という目もくらむばかりの輝かしい経歴を持つエリートである。そのガイが身につけた世界最先端憲法理論,政治理論は,ケニヤの現実には十分適応しないのであろうか。

ケニア新憲法制定の「失敗」は,「ガイ指導にもかかわらず」なのか,それとも「ガイ指導の故に」なのか? これは難しい問題だ。

新憲法制定の中枢にいたのに以後16年間も新憲法が制定できていないとすれば,ウェーバーもいうように政治は結果責任だから,これはガイ委員長の失敗である。

問題は,その失敗の原因である。ガイが憲法制定の根本原理と考えているもののいくつか,あるいはネパールへの教訓としてあげている諸点のいくつかに問題があるのではないか? もしそうなら,これはケニヤの場合と同じくガイが重要な役割を果たしていると思われるネパール新憲法制定にとっても深刻な問題だ。

ガイの憲法制定理論はどこまで妥当か? この点を考えることも,ここでのこのセミナー分析の目的の一つである。

 (3)マンデラ法律顧問,N.ヘイソン
「ネパールにおける憲法制定」セミナーのガイに次ぐオピニオンリーダーは,基調報告"Constitutional Making in Post-conflict Societies"を行ったN.ヘイソン(Nicholas Haysom)である。

ヘイソンは弁護士であり,Wits大学準教授(−1994)であったとき,マンデラ大統領の法律顧問となり,1999年の大統領退任後もマンデラの活動を支援している。

ヘイソンは,南アフリカの暫定憲法制定,正式憲法制定,真実和解委員会などに深く関与した。国際的にも,レバノン,ナイジェリア,ブルンディ,インドネシア,スリランカ,ビルマ,コンゴ,タンザニア,ジンバブエ,ケニヤ,スーダンなどの紛争解決に関与し,そしていまはネパールの平和構築に関与している。

著書には,Identity Conflict, Constitutionalism and Nation-Building(2002); The Last Years of Apartheit(with Dugard and Marcus, 1992)などがある。

ヘイソンのことは今のところ以上のことくらいしか分からないが,ガイとは対照的に,彼は幸運にもマンデラを支援し南アフリカのアパルトヘイト廃止,新憲法制定に成功している。国際的にも多くの紛争国における憲法制定に関与しており,ガイとともに国連の憲法制定支援政策に重要な役割を果たしているのではないかと思われる。彼の憲法思想も,このセミナーを通してうかがい知れるのではないかと期待している。

2008/01/21

原子時間入試の非人間性

谷川昌幸(C)

日本の入試は,近代合理性(近代的公平)の人間的非合理性への逆転の典型例。いまや入試センター試験は,電波時計で管理され,開始・終了指示が2,3秒遅れようものなら,受験生に糾弾され,監督教員は始末書を出さされる。現に,30秒早く遅らせた千葉工大,日本女子大,横浜国大などでは再試験となり,徳島大では氏名記入指示忘れで再試験となった。担当教員は,きっと始末書を書かされているだろう。

30秒程度のズレ,ましてや2,3秒のズレにも対応できないような青年を大量生産してどうなるのか? 指示されなければ,氏名記入もできないような指示待ち人間に,日本青年を訓練するのか?

原子時間はたしかに科学的であり,全員がそれに合わせて行動するのは公平である。しかし,54万人もの受験生が電波時計の指示通り秒単位で全国一律行動するというのは,異様であり,グロテスクであり,人間性に反する。「全国カレーの日」よりも全体主義的だ。

その異様なことを文部科学省,大学教員ばかりか受験生自身も要求する。18歳前後の多感な,反抗期真っ盛りのはずの彼らが,どうしてこんな官僚主義的・全体主義的人間管理矯正システムに自ら積極的に適応していくのだろうか?

秒単位の行動は物理の世界であり,スポーツ競技などを除けば,人間性に反する。人間性の豊かな国,たとえばネパールでは,2,3秒はおろか,30秒ですら,まったく問題にはならないだろう。おそらく他の多くの国でもそうだろう。そんな非人間的なことをしてまでテストする必要性はどこにあるのか? 

▼センター入試廃止,抽選入学制

とすべきだ。その上で,入学後の大学間・学部間移動を最大限自由化し,関心・適性・能力に応じた授業に参加できるようにする。

能力評価(試験)は,この段階で行う。少なくとも半年以上かけて,それぞれの能力を多面的に評価し,基準に達しない者は落第させ,クラス再編をする。学生にとっても教員にとっても厳しいが,非人間的原子時間の奴隷となるよりはましではないか。

2008/01/16

コピペ革命の「すばらしき新世界」

谷川昌幸(C)

ネットに掲載したら,無断転載は防止できない。RSS等も発達し,無断掲載と変わらない。コピー禁止など,まったく無意味だ。

これは,コピペ革命(コピー&ペースト革命,切り貼り革命)だ。情報プロレタリアが情報ブルジョアの情報独占支配を粉砕し,情報を万人のものたらしめつつある。これに対し,アメリカなど情報帝国主義勢力は,著作権を振りかざし,軍隊で脅し,コピペ革命を弾圧してきたが,古来,情報は万人のもの,正義は情報プロレタリアートの側にある。

つい先日までマオイスト中国はコピペ革命の旗手だったが,米日情報帝国の軍門にくだり,また自国内ブルジョア反動勢力の圧力に負け,反革命に寝返った。しかし,まだまだ,北朝鮮など,情報プロレタリア諸国がブルジョア物品をコピペしまくり,頑張っている。噂では,現状ではまだドル札,タバコ,酒,ブランド商品など,ローテク商品・情報のコピペであり,これらは軍隊の脅しによる弾圧で,封じ込めにある程度成功している。しかし,情報プロレタリア諸国や先進国情報プロレタリアがコピペ革命をネットに持ち込むのは時間の問題であり,そうなれば世界コピペ革命の成功は間違いない。

情報ブルジョアジーの反革命成功の見込みはまず無いが,最大限の抵抗はするだろう。たとえば――
 ・コピペを想定し,世論操作用情報だけ掲載。
 ・記事はさわりだけ。
 ・写真・絵画は画質を落とす。

つまり,掲載記事の質を落とし,情報プロレタリアートには,低俗情報しか見せないようにするのだ。そして,価値のある情報は,アクセス制限をかけ,高い情報料を払う者だけに見せるようにする。この方法は,たしかに一時的には有効かもしれないが,いったんネットに掲載した以上,その気になればコピペは可能であり,結局コピペ革命は阻止できない。人民情報解放戦争の勝利は間違いない。

この情報革命に対する反革命は,したがって,情報化そのものの原理的否定とならざるをえない。つまり,本物の価値ある情報の完全秘教化だ。情報は,口伝を原則とし,やむなく文章化,映像化したものは,厳重に管理された宝物庫の奥深くに保管する。そして,信心深い信者にのみ,高い拝観料を取り,コピペできない形で拝観させる。情報の密教化こそ,コピペ革命に抵抗しうる唯一の途だ。

こうして,本物の価値ある情報は,結局,大衆には縁遠いヒマラヤ霊山の奥深くに隠され,秘教化する。

そして,下々のおびただしいネット情報は,ガラクタと化す。コピペ革命でコピーされた情報は,情報創造者の手を離れ,それには修正など本人のコントロールは及ばなくなる。コピペ情報は,無主化し,無責任となる。どんな間違いにも,誰も責任を取らない。

むろん,カント大先生の頃であれば,公衆の美的判断が働き,「美しくない情報」は淘汰された。しかし,21世紀のコピペ革命は,そんな啓蒙の楽天主義を木っ端みじんに粉砕するだろう。本物は徹底的に秘教化され,大衆から隠される。大衆には,本物と偽物の区別さえつかない。氾濫する情報は,本物とも偽物とも区別されないまま,「たんにそこにある物」となってしまう。

H.アーレントがどこかで言っていたことをもじっていうなら,情報プロレタリアが世俗的必要のためにせっせと「労働」し,情報産品を生産し,そして「消費」する。それは,世界の中での永遠を意識した人間の「活動」でもなければ「作品」でもない。他の動物たちが,生存のために身体を働かせて食物を摂り,排泄し,そして死んでいくように,人間も,永遠性と関わる何かを創出する独立の人格性を奪われ,無主労働で情報を生産し,消費し,そして死んでいく。

これが,コピペ革命の「すばらしき新世界」だ。

2008/01/14

ヒラリー卿とエベレストの十字架

谷川昌幸(C)

ヒラリー卿が1月11日,ニュージーランドで亡くなられた。卿とテンジン氏(1986年没)が1953年5月29日エベレスト(サガルマータ)初登頂を達成したことは,歴史に残る偉業だ。これは誰も否定しない。

ところが,エベレストよりも高い天の高みに立つ「天声人語」(朝日新聞1月13日)になると,エベレスト登頂については少々批判的になる。

なぜエベレストに登るのか? 模範的回答は,「そこに山があるからだ」(G.マロリー,1924年エベレスト遭難死)である。「天声人語」も暗にこれを想定し(そしそうでなければゴメンナサイ),この問いへの回答をいくつか紹介している。
・中国人女性登山家:「国家と人民の名誉のために
・ポーランド人女性登山家:「女性の勝利のために
上品な「天声人語」のこと,モロに批判はしていないが,前後関係から,かなりの嫌味と受け取れる。

さて,そこでヒラリー卿。「そこに山があるからだ」の崇高な登山哲学,登山倫理からすると,「天声人語」氏は率直には初登頂を賞賛できないらしい。

「登山がナショナリズムと結びついていた20世紀半ば,『大英帝国』の威信を背負っての初登頂だった。」

その通りであろう。アメリカを「新大陸(処女地)」とみなし,ここを「征服」し,旗を立て,命名し,先住民を追放,虐殺し,自分のものとする。イギリスは,この近代国家ナショナリズムの覇者だったが,20世紀にはいると落ち目となり,その挽回を大英帝国登山隊に託し,はからずもメンバーの一人のヒラリー卿が初登頂に成功したと言うことだろう。植民地生まれのヒラリー卿が,宗主国イギリスの旗を世界最高峰エベレストに立てた。世界史の授業に使えそうな興味深い話しだ。

むろん,ここまでなら周知の事実。登山史の素人の私が「天声人語」で教えられビックリ仰天したのは,「ヒラリー卿が小さな十字架を置いて去った頂」という指摘だ。登山史ではよく知られたことかもしれないが,不覚にもこんな重大な事実があるとは知らなかった。

ヒラリー卿の偉大さは認めた上で,この宗教行為は,断じて容認できない。「十字架を置く」とは,無主地エベレストをキリスト教徒が「征服」し,そこを「キリストに捧げられた地」とすることだ。

エベレスト周辺に住むのは,ヒンズー教徒,仏教徒,伝統的宗教を信じる人々だ。彼らにとって,エベレストは神聖な山だったはずだ。そこに,外国からノコノコ出掛け,「征服」し,十字架を置いてくる。許されざる暴挙だ。ネパール政府は,エベレストの「世俗化secularization」を要求すべきだ。

むろん,登頂者がそれぞれの国旗,礼拝物を自由にもっていけばよい,という意見もあろう。そうなると,いずれ近いうちに,エベレスト山頂は十字架や鳥居や仏塔が林立することになる。それがどのような状況かは,長崎平和公園の卑近な実例を見れば,よく分かる(拙稿「原爆投下と二つの歴史修正」月刊まなぶ,2007.10参照)。エベレスト山頂をこんな惨めな状態にしてよいのか。

朝日「天声人語」は天の声であり,また当然「なぜ山に登るのか? そこに山があるからだ」という登山倫理を熟知しているはずだから,ヒラリー卿がナショナリズムとキリスト教の先兵となったこと,あるいはその役割を担わされたことを指摘せざるをえなかったのだろう。

以上は,私にはこう読めた,ということ。もし「天声人語」氏に批判的意図はないということであれば,私の勝手な深読みです。もしそうなら,ゴメンナサイ。

2008/01/12

マオイスト・ゲリラを警官に

谷川昌幸(C)

マオイストは,人民解放軍(PLA)正規兵の国軍への統合を要求する一方,非正規ゲリラの警察への統合をも要求し始めた。

PLA正規兵は,日本陸軍も協力しているUNMIN資格審査によれば,以下の通り。

・申請者 32,250人 (第一次申請31,318人,追加申請932人)
・承 認 19,602人 (男15,756人,女3,848人)
・非承認 12,648人 (18歳未満 2,973人)
             (UNMIN,Press Statement, 27 December 2007)

正規兵が2万人弱もいるとは信じられないが,まあ仕方ない。男女比は,男80.4%,女19.6%であり,女性兵が驚異的に多いことは事実(女性解放万歳!)だが,宣伝ほどではなかった。未成年者は申請者の9.2%もいた。資格審査を承知で宿営所に入っただけでこれだけいるのだから,実際には,はるかに多くの子供が人民戦争に動員されていたと見るべきであろう。

このうち正規兵は国軍統合されれば,めでたしめでたしだが,非承認となった1万余人や他の活動家はどうするか? 

一つは,非正規ゲリラの警察統合である。国軍ほどおいしい職ではないが,警察も特権的地位であり,食いはぐれはない。ゲリラの資格審査などやりようがないから,さてどうするか?

もう一つは,官庁,公営企業,NGO等に送り込むことだ。すでに「旧体制派」を追い出し,真性マオイスト,にわかマオイストが権益のある職につき始めたという。「革命」だから仕方ないとはいえ,善良な中間管理職や平職員の面々には同情を禁じ得ない。

そもそもマオイズム,社会主義はお役人天国だから,経済合理性も人民の経済的利益も考えてはいない。お金はどこかから来る。せっせと軍人,役人,公営企業管理職,NGO役員を増やし,既得権益化し,これをてこに統治権を牛耳る。

いまのマオイスト革命が社会主義革命ではなく,疑似ブルジョア革命であることは明白だ。社会主義らしいのは,議員と公務員と管理職を増やすことだけ。こんなことはそういつまでも続かないだろう。

【補足】今日のnepalnews.comによれば,宿営所PLA兵に次の給与(月3千ルピー)が早急に支払われることになった(人数は前回発表と少し変化)。何の生産活動もしない大量の冗員にこんな大金を浪費せざるをえない。紛争を抱える途上国の悲劇だ。
 ▼資格審査合格の正規兵(国軍統合要求)
  19,602人×9,000ルピー=176,418,000ルピー
▼資格審査不合格の非正規兵(社会復帰訓練予定)
  11,716人×27,000ルピー= 316,332,000ルピー

2008/01/11

制憲議会選挙,4月10日実施

谷川昌幸(C)

ネパール政府が1月11日,制憲議会選挙の4月10日実施を決めた。ちょうど3ヶ月後,人民運動Uの2年後で,縁起もよい。

選挙は,国連が結構本気だから,やれるだろう。が,ネパール政治の輝かしい伝統からすれば,選挙に負けた側は選挙結果をまず受け入れない。選挙後が見物だ。

また,たとえ制憲議会が開会されても,601人もの議員を擁する巨大議会が2年(または2年6月)もかけて,ゆ〜くりと,新憲法を制定するらしい(IC64)。これもネパール政治の輝かしい伝統だが,いくら特権議員に費用がかかろうが,こうした期限はまず守られない。さて,新憲法がいつ出来るのか,これも見物だ。

むろん,外野席から無責任に冷やかしてばかりではいけない。まじめに考えるなら,そうした曲折はありながらも,ネパール政治は下部構造の経済革命により,たとえマオイストが抵抗しても,確実に変化する。これは止めようがない。

自由化,民主化は進行する。自由な経済活動にはそれらが必要だから。この必然的進行と,いかにもネパールらしい政治活劇との関係をどう読み解くか? これは結構難しい。

2008/01/10

UNDP「ネパールにおける憲法制定」(1)

谷川昌幸(C)
憲法(constitutional law, constitution)は,国家を構成し運用するための基本法である。民主主義の下では,憲法はその国の人民自身が制定すべきだが,現在のネパールは残念ながらそれが出来ず,国連に支援を仰ぎ,国連指導下で新憲法を制定しようとしている。
 
現在,ネパールは「2006年人民運動による1990年憲法停止→2007年暫定憲法→制憲議会による新憲法制定」の移行過程にある。
 
このネパールに対し,国連は,2006年人民運動を達成した7政党政府とマオイストとの支援要請(2006.8.9)を受諾し,2006年11月UNDPが憲法支援を開始,また安保理決議1740(2007.1.23)に基づきUNMIN(ネパール政治ミッション)を設立し「包括和平協定」(2006.11.21)遵守のための支援介入を始めた。この介入のうち,停戦については,消極的な「監視」で済むが,平和構築の重要部分である憲法制定支援についてはそれでは済まず,どうしても積極的な介入とならざるをえない。
 
民主主義では,本来,人民自身に委ねるべき憲法制定過程に,部外者の国連が介入する。介入する国連にも,介入されるネパール人民にも,介入の方法と範囲について混乱や議論が生じるのは当然だ。国連は,どこまで憲法制定過程に介入すべきか? 国連は,ネパール人民に,国連好みの自由と民主主義を強制することが出来るのか?
 
この問題を考えるには,国連が,いまネパールで憲法制定支援として何をしているかを知る必要がある。幸い,最近の国連広報はすさまじく,ネパールを国連平和構築のモデルケースとして利用しようとしているのではないかと思われるほどネット上に憲法支援情報を氾濫させている。大半は宣伝啓蒙だが,国連憲法支援活動の概要を知るには十分である。
 
以下で紹介するのは,その一つ,UNDP,"Constitution Making in Nepal,"Oct. 2007.小冊子だが,国連の憲法支援の方針がよく分かる。
 
1.CASUの「ネパールにおける憲法制定」セミナー
(1)CASU
国連の憲法支援の中心となっているのは,UNDP内の憲法支援団CASU(Constitution Advisory Support Unit)。CASUは包括和平協定と暫定憲法に従い「ネパール人民が制憲議会により自らの憲法を作る」ための支援を目的に,UNDP内に設置された小組織である。
▼主な活動
・憲法情報の収集と提供
・憲法関係研究論文等の編集・公刊
・憲法に関する会議,ワークショップ等の開催
・様々な集会へのCASUメンバーの派遣
▼主なスタッフ
・Yash Ghai: (Head, CASU) recently retired from Sir Pao Chair of Public Law, Univ. of Hong Kong.
・Surya Dhungel:  legal advisor, UNDP-Nepal. 
・Jill Cottrell: recently retired from Faculty of Law, Univ. of Hong Kong.
 
(2)「ネパールにおける憲法制定」セミナー
このCASUが,2007年3月3−4日カトマンズで開催したのが,「ネパールにおける憲法制定」セミナー。
▼プログラム
・紛争後の憲法制定・・・・Nick Hayson
・ネパールにおける憲法制定の課題・・・・Yash Ghai
・1990年憲法の制定過程:2007年への教訓・・・・Nilambar Acharyaほか
・憲法制定過程にへの政党指導者の対応・・・・CPN-UML, NC, CPN-M, NC-D, RPP
・ネパールにおける憲法制定の諸問題・・・・B.K. Mainaliほか
・制憲議会の役割と機能・・・・Jill Cottrellほか
▼報告書
UNDP,"Constitution Making in Nepal,"Oct. 2007.
 
2008/01/07

ネパール王制と天皇制:苅部直「新・皇室制度論」をめぐって

谷川昌幸(C)

君主制は,ネパールのようにまともに議論もせず安易に廃止すべきではないが,それ自体,民主主義に勝るとも劣らず危険なイデオロギーであることはいうまでもない。利用価値が高いだけに,状況をよく見ないと,それだけ危険も大きい。 (ネパール連邦共和制宣言は暫定決定。正式には制憲議会で決定されることになっている。

たとえば,1月5日付朝日新聞が「異見・新言」欄に掲載した苅部直「新・皇室制度論」を読むと,「これで本当に大丈夫かなぁ?」と不安になる。

1.苅部直「新・皇室制度論」
著者の苅部直氏は東大教授で専門は日本政治思想史。専門家中の専門家といってよい。

苅部氏は,まず久野収が「『天皇崇拝』の意識構造」(1988)において現人神信仰の名残を批判しつつ,皇室存続を次のように説いたことに注目する。

「『天皇制』をめぐる表現の自由は広く認められるべきであり,国際化が進むこれからの日本では,天皇は,『大和民族のシンボル』から,『多民族を含む国家のシンボル』へと変わる必要がある。」(苅部氏による要約)

そして,次のような問題提起をされる。

「どうも,皇室制度をめぐる議論は,二つの極に岐れてしまう傾きがある。それを日本人の文化伝統や宗教性と単純に結びつけて賞賛するか,あるいは,自由や平等の普遍的な価値に反するものとして,批判もしくは無視するか。たとえば久野のように,多文化社会の到来を歓迎するリベラルな立場から,皇室制度の新しい意義を考えると言った議論は,宙に浮いたようになってしまい,理解されにくい。」

婉曲な表現でちょっと分かりにくいが,要するに,天皇を多文化化する日本国家のシンボルにせよ,ということ,あるいはより正確に言うなら,その可能性を議論せよ,ということであろう。

議論せよ,ということなら反対しづらいが,敗戦以前の日本は多民族国家であり,天皇は植民地諸民族のシンボルでもあった。あるいは,大東亜共栄圏,八紘一宇を信じるなら,天皇はアジアあるいは世界の諸民族のシンボルともなるはずの存在だった。久野氏や苅部氏は,そんなことはもちろん分かった上で議論されているのであろうが,現に植民地支配されていた諸民族にすれば,そのような議論はとうてい容認し難いであろう。そんな議論は,日本における多民族共生どころか,逆に諸民族の不和対立を招くことになってしまう。

天皇はそもそも一民族一文化の象徴として創られたものであり,「多民族を含む国家のシンボル」とはなれないし,またなるべきではない。当面は日本国憲法で限定された役割だけを誠実に果たし,日本の民主主義の成熟とともにその役割も削減していき,いずれは日本の歴史遺産となることが望ましい。日本国天皇に諸民族共和のための積極的機能を果たさせようといった議論は,歴史的に見て誤りであり,また政治的にも賢明とは言えない極めて危険な議論である。

ところが,苅部氏は,婉曲な形で多民族国家における天皇の積極的機能についての議論を勧める一方,天皇に国民の模範としての役割を果たさせよ,とこれは直接的な形で明確に主張される。天皇・皇后の身障者作業場訪問が国会紛糾や官庁不始末と対比され,こうした皇室活動がもっと報道されれば,それが「権力者の行動に関する模範として働く」という。そして,議論をこう結ばれる。

「少なくとも,天皇による任命や国会召集といった手続きがもしなかったら,政治家や大臣の責任意識は,現状よりもさらに地に堕ち,混乱に満ちた政治の世界が登場していただろう。そう仮に想像してみることにも,十分な意味があると思えるのである。」

これは「異見・新言」欄であり,異論提示それ自体には問題はない。しかし,この議論は,あえて極論するなら,まるで国民を飛び越え天皇に直訴しようとした戦前の青年将校のそれのようだ。民主主義のもとでは政治家も大臣も国民に対して責任を持つのであり,もし天皇に対して責任を持つようになれば,これは一大事だ。

天皇を多民族日本のシンボルとするという議論は誤りだし,天皇を国民や権力者の模範とするという議論は政治的に危険だ。いくら異論とはいえ,そんな議論をしてもたいして意味はないだろう。

2.多文化長崎の巨大日の丸
天皇や日の丸を多民族日本のシンボルとすることの危険性は,長崎を見るとよく分かる。長崎は多民族・多文化の長い歴史を持つ街であり,血まみれの異文化・異宗教弾圧の形跡がまだそこかしこに見られる。

自宅近くに臨済宗春徳寺がある。この地にはかつて別の寺があったが,領主・長崎甚左衛門がキリスト教宣教師ヴィレラにこれを与え,1569年ここに長崎初の教会トードス・オス・サントス会堂が建設され,のちにセミナリオ(中学レベル)やコレジョ(大学レベル)等も設置された。ところが徳川幕府の禁教令により1619年これらは破壊され,そのあとに現在の春徳寺が1651年,移築建設されたのである。仏教→キリスト教→仏教。まるで,インド・アヨデヤのヒンズー教・イスラム教紛争のようではないか。shuntoku

  

  

 春徳寺

この春徳寺のすぐ近くにシーボルト邸跡があり,ここでは獄死者も出た「シーボルト事件」が思い起こされる。  siebold

 

 

  シーボルト邸跡

さて,そのシーボルトにちなんで命名された「シーボルト通り商店街」。規模は小さいが,南国下町風の情緒があり,露天,商店とも価格は安く,買い物はいつもここに行っている。そこに今日(6日)行って,ギョッとした。見よ,この巨大日の丸!

hinomaru シーボルト通り商店街

長崎は,異民族,異文化,異宗教との対立抗争の歴史が長いだけにイデオロギー過多の地であり,右派も強い。このシーボルト像の下の巨大日の丸は,そうした長崎の様々な異文化・異宗教を全部まとめてこの旗の下に統合象徴させようという日本ナショナリズムの意欲に充ち満ちている。

天皇を「多民族を含む国家のシンボル」とするのは,この巨大日の丸と同じ発想だ。現在の日本は世界一,二を争う民族的,文化的同質性の高い国であり,天皇や日の丸をことさら持ち出し振りかざす必要はみじんもない。そんなものでアイデンティティを強化しなくても,日本の国民国家意識はいまでも強すぎるくらいだ。あえていうなら,天皇や日の丸がなくても,日本は国として十分に存続できるだろう。

ネパールが共和制でやっていけるのなら,日本はその何倍も共和制に適している。ネパール連邦共和制論者には,ぜひとも日本に向けて,天皇制打倒,連邦共和制樹立を訴えていただきたいものだ。

2008/01/05

温暖化危機:自然環境と政治環境

谷川昌幸(C)

この年末年始の新聞・テレビは「環境」に話題が集中した。環境の変化は,人々や国家の営為の結果でありながら,個々の当事者だけではどうにもならない全世界的な難問だ。とくにネパールのような弱小途上国にとっては,環境変化の影響は,ときには国の存亡さえも左右しかねないほど甚大なものとなりつつある。

1.地球温暖化:危機シンボルとしてのヒマラヤ
ヒマラヤは,いまや地球温暖化危機の格好のシンボル。年末には朝日新聞が1ページ大のヒマラヤ写真で温暖化危機を訴えた。12月29日には,NHK「絶景エベレスト街道を行く」が,わざわざ街道から寄り道して拡大する氷河湖を訪れ,温暖化危機を訴え,番組にピリッとわさびを利かせた。1月4には,ABCが「地球危機2008」の中で「消えゆくヒマラヤ氷河,温暖化で迫る大災害」というレポートを報道した。ややセンセーショナルながら,民放ゴールデンタイムの問題提起としては,良くできた番組だった。(1月6日サンデープロジェクトでもヒマラヤ氷河危機写真使用。)

温暖化は日本でも実感される。私の故郷,丹後は20〜30年前までは豪雪地帯で,冬は1mの雪に埋まった。ところが最近はほとんど降らない。この12/31−1/1寒波で20cmほど積もったが,3日にはもう消えてしまった。全体的な温暖化と年間気候変動の激化は日本でも確実に進行している。

ネパールは,この地球温暖化にはほとんど責任はないのに,そのシンボルとされるほど大きな影響を受けている。豪雨と長雨と干ばつ,氷河の溶解と氷河湖決壊危機。これはネパールだけではどうしようもない。先進国には,ネパールの環境保全コストをも負担する義務がある。

snow丹後の暖冬淡雪 toya洞爺湖サミット,ロゴ 

2.政治温暖化:中印接近とアイデンティティ危機
ネパールを取り巻く政治環境も劇的に変化した。ネパールを南北から挟む中印が離陸期に入り経済成長のための平和を欲し,急接近したのである。

(1)中印共闘
この中印の台頭・接近も,新聞・テレビの定番となっている。1月4日付朝日は,「環境元年」シリーズの一つとして「成長優先,手結ぶ中印」という記事を1,2面に掲載し,両国は「いまも仮想敵視を続ける間柄」だが,気候変動問題では「共闘関係」が出来つつある,と指摘した。

ここでの「中印共闘」は気候問題についてだが,対先進国では両国の利害は一致することが多く,また投資拡大による経済成長には平和が不可欠であり,こうしたことが最近の中印急接近をもたらしたのである。

(2)王政存立基盤「中印氷河」の溶解
この中印関係温暖化は,ネパール政治の根本的変化を不可避ならしめた。ネパールの歴代国王は,中印の反目を利用し,王権強化,独立の維持を図ってきた。ネパール王政は「中印氷河」上の楼閣だったのだ。ところが,中印関係温暖化でその王政の存立基盤「中印氷河」が溶解してしまった。ギャネンドラ国王の不幸は,この政治環境の劇的変化を認識せず,中印冷戦を前提とした権謀術数で権力維持を図ろうとしたところにあった。地域政治環境の温暖化に対応し,立憲君主制への途を自ら選択しておれば,王制存続の可能性はあったであろうが,国王は環境変化に目を向けず,裸の王様となってしまった。王制がどうなるか,まだ分からないが,中印接近が続く限り,強権的王政への復古は難しいであろう。

(3)国民アイデンティティの溶解
しかし,注意すべきは,中印接近は王政を倒した諸政党にとっても厳しいものとなるおそれがあるということである。ネパールの国民国家アイデンティティは,もともと消極的(negative)なものであり,「対印・対中アイデンティティ」であった。したがって印中が接近し「中印氷河」が後退していけば,既存のネパール国民国家アイデンティティも当然溶解していく。そして,諸民族分立状態となり,ネパールは結局はインド化されていく可能性が大きい。チベットが北から中国化されて行くにつれ,ネパールは南からインド化されていくであろう。

むろん国境は人為的なものだから,インド化そのものには何の問題もないが,その過程で大きな軋轢が生じ,民族紛争,地域紛争が激化すると,氷河決壊以上の悲惨な結果を招きかねない。

いまの諸政党にこの難局を乗り切るだけの力はあるだろうか? かつて,1980年代末のソ連・東欧民主化がネパールにも波及し,1990年「民主化運動T」を成功させた。このとき,多くの人々がこれを政党の勝利とし,「複数政党制万歳!」を叫んだ。しかし,その結果は,政治の民主化ではなく,パジェロ利権に象徴されるような「汚職・腐敗の民主化」であった。そのころ,いまの首相は腐敗の総合デパートとしてさんざん攻撃されていた。

今度は,より身近な中印関係温暖化により2006年「民主化運動U」が達成された。そして,勝利したのはやはり政党であり民主主義だとされている。しかし,新勢力としてマオイストが台頭してきたものの,既成諸政党は以前とほとんど変わっていない。党指導部,党組織,党活動のどこが改められたのか? これらの政党に,中印関係温暖化による国民国家アイデンティティの溶解を押しとどめる力はあるのか? あるいは,「国民国家氷河」溶解で分離・分立へと向かう諸民族・諸地域の圧力に耐えうる何か別の防壁を建設する力はあるのか? はなはだ心許ない。

この年末年始,繰り返し放送されたヒマラヤ温暖化危機映像に,逆説的な地域政治温暖化危機が二重写しになってしまうのをどうしても禁じえなかった。