谷川昌幸(C)
インドラ祭の後半は、予想(Ganatantra=Guntantraとインドラ祭)に反する展開となった。世俗国家化に伴う政教分離への動きが見られたのだ。
1.大統領、クマリ礼拝せず
9月23日付カトマンズポストによると、昨年までとは異なり今年は国家元首(ヤダブ大統領)がクマリ館を訪れ祝福のティカを受けなかった。
今年、政府は、インドラ祭の動物供犠料を拠出しないことに決めた。これに対し、ネワール社会が烈火のごとく怒り、連日デモをやった。その結果、動物供犠料は拠出されることになったが、その混乱で、結局、ヤダブ大統領のクマリ礼拝は中止されたのだ。
2.供犠料不拠出理由(1):政教分離
英テレグラフ(9/22)によると、供犠料はイケニエの水牛と山羊の購入料100ポンドだから、2万円弱。たいした額ではないが、問題は金額よりも国家が供犠料を出すか否かだ。なぜ出さなかったのか?
理由は新聞には書かれていないが、やはり世俗国家となり、宗教儀式に公金を出すのはマズイという判断が働いたのだろう。これが一つ。
3.供犠料不拠出理由(2):動物愛護
もう一つは、動物愛護論者による動物供犠反対論。カトマンズでは数週間前から、西洋の動物愛護論者がインドラ祭のイケニエ供犠反対論を唱え、大論争になっていた。つまり、水牛や山羊の首を切る供犠は残虐だから止めよという、トンチンカンで偽善的なばかばかしい議論である。
私は、動植物の生命を大切に思うからこそ、宗教儀式としての動物供犠を高く評価する。2,3頭などとケチケチせず、水牛100頭でも、1000頭でも神々の前で首を切り落とし、神々を血まみれにし、動植物を人間の食料として与えられたことを神々に感謝すべきなのだ。
生命を畏敬するからこそ、動物をイケニエとして献げ、生と死を直視し、その死が決して無意味ではないことを神々の前で象徴的な形で確認しているのだ。西洋のトンチンカンな動物愛護論など、断固粉砕すべきだ。文句あるなら、聖牛を食うな!
4.政教分離の英断
マオイスト主導政府が100ポンドをケチッたのは、政教分離の原理ゆえか、それとも動物愛護論のゆえか? たぶん両方だろう。その点は、まことにいかんだが、それでも世俗国家の政教分離原理に則り、動物供犠料100ポンドを出さないという判断もあったのだろうから、その点は大いに評価する。よくやった!
5.文化大革命としての世俗国家化
情けないのは、世俗国家を嬉々として選択したのに、その意味を全く理解せず、宗教国家の頃と同じく公金を特定の宗教儀式に支出せよと要求し、結局、支出させることにしたネワール社会。もしヒンドゥー教儀式に公金を出してよいのなら、キリスト教儀式にも日本神道儀式にも、いやひょっとすると世界統一教合同結婚式にすら、請求されたら、公金を出さざるをえなくなる。それでよいのか?
ヒンドゥー教国家から世俗国家になるのは、文化革命である。そんなことも理解できないのか? ネパール人民は世界人民の前で世俗国家を選択した。だったら、その当然の結果を正々堂々と引き受けよ。これからは、インドラ祭は国家とは無関係に、民間宗教儀式として実施すべきだ。
6.旧王宮広場を血の海に
来年からは、熱心な信者から奉納金を山と集め、水牛数千頭を買い入れ、臆病な偽善的動物愛護論者たちの前で次々と首を切り落とし、タレジュ寺院前からクマリ館まで旧王宮広場一帯を血の海とし、度肝を抜いてやれ。それが世俗国家を選択したネパール人民の心意気だ。ネパールの文化と宗教を守るため、頑張れ!
7.文化大革命を受け入れよ
テレグラフ紙のトマス・ベル記者によれば、クマリ世話係の一人、ラジャン・マハルジャン氏は、次のように述べた。
「マオイスト政府は、文化的宗教的な祭を無くそうとしている。これは文化革命への第一歩だ。」
テレグラフ紙は、ネパール・マオイストがいよいよ「文化大革命」を始めた、とセンセーショナルに報道したいらしい。そうした、みえみえの下心はいただけないが、世俗国家の選択が文化大革命であることは間違いない。
ネパール人民は、世俗国家化という文化革命を選択したのだから、その論理的帰結を正々堂々と引き受けるべきだ。世俗国家にしておきながら、国家政府に供犠料を哀願するなどといった情けないことはすべきではない。これからは、すべての寺社や宗教行事は、自前で運営すること。
できないかな? 金満キリスト教会に席巻されてしまうかな?
8.インドラ祭に100ポンド寄付を
もし来年のインドラ祭を自前でやる潔さがあるなら、100ポンドくらいなら喜んで寄進する。私のような宗教心の篤い庶民を千人ばかり集めれば、旧王宮広場一帯を血の海とし、神々を歓喜感涙させ、偽善的動物愛護論者たちを大量失神させることができる。
ぜひ、そうしていただきたい。
(参照) 2008/09/16 Ganatantra=Guntantraとインドラ祭
トリブバン大学内のUML系学生団体横断幕/壁スローガン
谷川昌幸(C)
聖牛が信号を守った! 世俗民主化の世ではこんな驚天動地もおこる。
1.三つの法
規則=法には,神法と自然法と人定法がある。神法は神の法であり,そのうちの人間理性で理解可能なものが自然法,そして人間がその意志により制定するのが人定法である。
自然は必然の世界であり,自然法=自然法則に従う。人は自然が無秩序ではなく神の与えた自然法=自然法則に従って動いていることを示すため努力し,たとえばニュートンは万有引力の法則を発見し,神の偉大を科学的に立証した。もし万有引力の法則が完全に立証された法則なら,自然界においてこの法則の支配を免れるものは,ない。
2.人定法としての信号
これに対し,人の決めた規則である人定法がなぜ人を拘束するかは,難題である。神法と自然法に合致しているから人定法は拘束力を持つという説が有力だが,人定法のうちのもっとも人定法らしい規則を見ると,必ずしもそうとも言い切れない。たとえば,交通信号だ。
「青は進め」「赤は止まれ」は,人間が必要により自由意思で決めた規則だ。「青は止まれ」「赤は進め」と決めてもよいわけだ。交通信号は,神にも自然にも依存せず,どちらかに決めることが必要という人間の必要だけで決められた,もっとも人定法らしい人定法といえる。(約束を守らせるには神法や自然法が必要という議論もありうるが,ここでは割愛。)
だから,人定法の典型たる交通信号を守るということは,もっとも人間的な人間行為といえる。神も動物も,信号など守りはしない。人間意思に服しないのが,神であり動物なのだ。
事実,ネパールがビシュヌ神化身の支配するヒンズー王国であった頃は,牛は神でありかつ動物であったから,交通信号など完全に無視し,路上を気ままに歩き,寝そべっていた。
3.信号を守る牛:聖牛から野良牛へ
ところが,ネパール国家が世俗化され,人民が決めた規則に人民が従う民主主義の世になると,牛たちからも聖性が剥奪され,信号を守らされるようになった。
下の写真は,制憲議会議場前の大通交差点を整然と渡る2頭の野良牛。彼女らは,信号が変わるまで,手前の歩道で待ち,「青」になってから向こう側に渡り始めた。
かつては,聖牛をひき殺そうものなら,ひき殺した人間が死刑になった。これからは,信号(人間の命令)を守らない野良牛は,ひき殺され,解体され,人間に食われることになるだろう。
神を殺して人間が食う。それが世俗民主化なのだ。
谷川昌幸(C)
カクレ王党派であるにもかかわらず,なぜか某マオイスト集団からお呼びがかかり,ネパール革命推進謀議に参加した。
マオイスト政権になったので,いまやどこに行ってもマオイストだらけ。街では「ナマステ」より「同志!」と声をかけた方がよい。表現は悪いが,雨後のタケノコ,いたるところにマオイストが現れ,急成長している。そのマオイストとの革命謀議だ。
中流ホテルの庭園レストランに十数名が集まり,そこに主賓として招かれた。元国務大臣1人,高級官僚1人,NC系1人,中立らしい人が2,3人,あとは全部マオイスト。
1
マオイストの中には,目つきが異様に鋭く,ゲリラ兵の気配を漂わせている者も数名いた。ゲリラ戦が身体化し,一見して,元ゲリラ兵と分かる。厳しいジャングル生活だったのだろう。幹部たちのように優雅に転進,平和の配当をたんまり受け始めたわけではない。
彼らは,ゲリラ戦が身体化し,身体は即戦態勢。個人的なことは一切はなさなかったが,十年余もゲリラ戦をしてきたのだ。もし子供兵として徴用され,洗脳され,以後,ゲリラ戦に従事してきたのなら,心身ともにゲリラ化されていて不思議ではない。
戦争のトラウマは想像を絶する。亡き父は,1兵卒としてフィリピンに送られ,重傷を負いつつも奇跡的に生還した。そのトラウマなのだろう,夜中にうなされ,大声で「敵だ!」とか叫んでいた。そのくせ,大東亜戦争を批判すると,血相を変えて怒った。心身の戦争化がいかに根深いものかがよく分かる。
ゲリラ戦を身体化したマオイストにとって――宿営所収容でないので実戦経験は不明だが――,元大臣や高級官僚,あるいは弾圧の張本人NC系やカクレ王党派の私たちと,国辱的タメル租界のホテルで豪華会食をするのは,大変な苦痛であろう。いったい,ジャングルでの死闘の日々は,何だったのか?
人民解放軍兵士たちは,平和では生きられない心身にされてしまっている。しかし,幹部たちは,そんなことは素知らぬ振りをして,さっさと平和を選択してしまった。兵士たちの茫然自失,落胆,そして新しい苦悩の日々が始まったのだ。ゲリラは平和社会で,いかに生きるべきか?
2
1日の革命推進謀議でよくしゃべったのは,党幹部の某同志であった。マルクス,レーニン,毛沢東を華麗に引用し,しかし,ネパールにはネパールに適した革命の道があると,どこかで聞いたような話しをしていた。そして,日本赤軍のことをよく知っており,重信房子はどうしているか,と聞いてきた。ドキッとし,日本では赤軍は反動的資本家勢力に完全に弾圧され,もはや過去のものとなり,影響力はない。重信房子のことは,いまではほとんど報道されることもなく,よく知らない,と答えて,お茶を濁した。
隔世の感だ。タメル租界ホテルで,マオイストが革命推進謀議をし,日本赤軍のことを大声でしゃべりまくっている。つい2,3年前なら,一網打尽,全員逮捕され,拷問,虐殺されていたかもしれない。CIAや日本公安も大いに関心を示しただろう。
しかし,いまでは誰もがマオイスト。共和制も連邦制も,いや革命ですら危険思想でも何でもない。街はマオイストだらけ。赤旗ばかりだ。「同志!」と呼び掛け,「連邦制万歳」と唱えておけば,帝国主義飲料コーラを飲もうが,農民を海外に売り飛ばそうが,下女を牛馬のごとくこき使おうが,えげつなく労働者を搾取し金儲けしようが,万の神々を拝もうが,すべて自由。これがネパール流なのだ。
3
昨日の革命推進謀議の主題は,マオイストが推進する協同組合化についてだった。独占資本を粉砕し,協同組合を設立・拡大し,人民による人民のための社会主義経済に移行していくという野心的な計画だ。大いに結構なことであり,もしそうした協同組合事業に村人や地域住民を参加させ,また人民解放軍兵士の社会復帰の場ともすれば,ネパールの生活向上・安定化に寄与しうる。
資本主義がバクチ化し,崩壊寸前にあることは,明白だ。バクチ資本主義に替わるものとしては,フェアトレードや小規模金融組合など,すでにかなり成功している事業も出てきている。由緒正しき社会主義に近いといってよい。マオイストは,マルクス,レーニン,スターリン,毛沢東系を自称しつつも,実際には,輝ける「プラチャンダの道」はネパール型社会主義といってよい。マオイスト推奨協同組合化は,その「プラチャンダの道」を歩むものであり,成功の可能性がないわけではない。
でも,ズル賢い資本家どもに勝てるかなぁ。あるいはまた,連邦制が封建的権力割拠に先祖帰りしかねないのと同様,協同組合もグチ,パルマなどの伝統的共助組織への先祖帰りとなりかねない。たしかにそうだが,バクチ資本主義の大攻勢を前に,何もやらないわけにはいかない。協同組合化は,マオイストの装いをした権威的支配体制(有力者の新たな金づる)となることを警戒いしつつ,一つの可能性として試してみてもよいであろう。
貯蓄信用協同組合横断幕(政党系未確認)