第3章 社会と経済 |
1 カースト制 (2 経済)
1 カースト制
ネパールは憲法でカースト差別を禁止しているが、社会慣行としてはいまなおカースト制がネパール社会の基礎をなし、人々の思考や行動の事実上の準則となっている。カースト制を抜きにしてネパールの社会や文化を語ることは出来ない。それでは、カースト制とは、どのような社会制度であろうか。
(1)ヴァルナ=ジャーティ制としてのカースト
カースト(Caste)とは、インドの相互に序列づけられた排他的な社会集団をいう。語源はポルトガル語のcasta(家柄、血統)で、16世紀インド西海岸を支配していたポルトガル人がインドの社会集団の呼称として用いはじめ、それが今日に及んでいる。
カーストは、広義では、ヴァルナ(varna)とジャーティ(jati)の二つを含む概念、つまりヴァルナ=ジャティ制を意味するものとして用いられる。
ヴァルナは、本来、「色」という意味であり、紀元前1500〜1200年頃インドへ侵入したアーリア人が、アーリア(高貴な、神則を守る)ヴァルナと肌色の黒い先住民ダーサ・ヴァルナというように、肌色で自他を区別するために用い始め、ここからヴァルナに身分・階級という意味が生じてきた(山崎元一1992)。このヴァルナは社会の大枠であり、以下の4つ(5つ)に分けられる。
バラモン Brahman 司祭 再生族(dvija) クシャトリヤ Kshatriya 王侯、武士 〃 ヴァイシャ Vaisha 庶民(農・牧・商) 〃 シュードラ Shudra 隷属民 一生族 (パンチャマ Pancama 第5ヴァルナ 不可触民) |
これに対し、ジャーティは、「生まれ」の意味であり、インド社会にある実体的な社会集団で、全体で2000〜3000もあるとされる。カーストという場合、具体的にはこのジャーティを指す場合が多い。
カースト制は、このようなヴァルナとジャーティにより序列づけられた社会制度であり、正確には「ヴァルナ=ジャーティ制」ということになろう(小谷汪之1996)。
(2)カースト制の歴史
カースト制の大枠であるヴァルナ制は、アーリア人農耕社会が成立した後期ヴェーダ時代(BC1000〜600年頃)にガンジス川上流域で成立し、『マヌ法典』(BC200〜AD200年頃)などのヒンズー法典により理論化され、インド各地に広まった(山崎元一1992)。
一方、より実体的なジャーティもヴァルナ体制のもとで発展し、7、8〜11、12世紀頃(インド中世)、ヴァルナ=ジャーティ制としてのカースト制が成立した。
このカースト制は19世紀のイギリス植民地支配下で「ヒンズー法」の確定などを通してより自覚的となり、インド社会は一面よりカースト化されたが、他方、社会の近代化とともにカースト制批判も強まり、20世紀にはいると、インド統治法(1919年)で不可触民にも議席が与えられた。第二次大戦後、インドは独立し、カースト差別はインド憲法(1950年)で法的には禁止された(小谷1996、山崎元一1994)。
(3)カーストの宗教的根拠
ヴァルナは、インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』(BC1000年頃)の中にすでに見られる。「プルシャ(原人)の歌」(後世の追加とされるが)において、神々は巨大な原人プルシャの身体から万物をつくり、そして4階級をつくった。
11 彼らがプルシャを〔切り〕分かちたるとき、いくばくの部分に分割したりしや。彼(プルシャ)の口は何になれるや、両腕は。両腿は何と、両足は何と呼ばれるるや。 12 彼の口はブラーフマナ(バラモン、祭官階級)なりき。両腕はラージャニア(王族・武人階級)となされたり。彼の両腿はすなわちヴァイシア(庶民階級)なり。両足よりシュードラ(奴婢階級)生じたり。 (辻訳、320頁) |
『マヌ法典』では、世界の創造主ブラフマンの息子にして世界の父、人類の始祖たるマヌが世界創造と4ヴァルナの成り立ちを次のように説明している。
宇宙ははじめ「暗黒」であった。その中から尊いスヴァヤンブーが立ち現れ、自らの身体から世界を創造するため、まず水をつくり、その中に種子をおいた。やがてこれが黄金の卵となり、その中から世界の祖ブラフマンが生まれた。ブラフマンは卵を二つに分け、天と地をつくり、そこに世界の万物を創造した。そして自らの身体を二つに分けて男と女をつくり、世界の繁栄のためにその口、腕、腿、足からバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラをつくった(渡瀬1990、2ー6頁)。
87 而して、大いなる威光を有する彼は、この全創造物を保護せんがために、彼の口、腕、、腿、及び足より出でたるもの(即ち、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ)に、各々業(義務)を定めたり。 88 バラモンには(ヴェーダ)教授と学習、自己又は他人のための行祭、布施を与え、又受くることを定めたり。 89 クシャトリヤには、人民の保護、施与、供犠、(ヴェーダ)学習、及び感覚的対象に対する無執着を指定せり。 90 ヴァイシャには、牧畜、施与、供犠、(ヴェーダ)学習、商業、金銭の貸与、及び土地の耕作を指定せり。 91 されど主宰神は、これらの(他の)三種姓に甘んじて奉仕すべき唯一の職能を、シュードラに命じたり。 (田辺訳、36ー37頁) |
このようにヴァルナ制は、『リグ・ヴェーダ』においても『マヌ法典』においても、神が自らつくったものであり、それぞれのヴァルナの義務(仕事)も神によって最初から割り当てられたものとされている。
また、仏典『ジャータカ』(前4〜3世紀頃)では、貴い生まれ(ジャーティ)、家柄(クラ)はクシャトリヤとバラモン、卑しいのはチャンダーラ、プックサと区別されており、4ヴァルナ以下のチャンダーラ身分が古代においてすでにあったことがわかる(小谷1996、16ー17頁)。
文献上、第5ヴァルナとしての不可触民(アスプリシュヤ)という語が初めて出てくるのは、100から300年頃成立の『ヴィシュヌ法典』であり、5〜6世紀の『カーティヤーヤナ法典』になると不可触民規定がさらに明確となる。この頃、4ヴァルナと不可触民というヴァルナ体制が成立したと考えられる(小谷1996、24ー25頁)。
こうして、社会の大枠としてのヴァルナ体制ができあがると、問題は(1)5ヴァルナとジャーティの関係、(2)同一ヴァルナ内のジャーティの序列、ということになる。
(4)カーストの序列化
カーストの序列化はヒンズー教により宗教的に正当化された。
まず第一に、ヒンズー教の教義の中心には浄・不浄思想があり、すべての物事はこの浄・不浄により序列づけられる。汚れをもたらすとされるものは、血、精液、糞尿、汗、痰などの生理的汚物、不浄な人や動物、出産や死などであり、また罪も汚れと考えられていた。『マヌ法典』に出てくるバラモンの罪は、渡瀬の分類によれば、次の通りである(渡瀬1990、159〜166頁)。
<殺人> バラモン殺し クシャトリヤ殺し 供犠をしているクシャトリヤ殺し ヴァイシャ殺し 供犠をしているヴァイシャ殺し シュードラ殺し 性別不明の胎児殺し 友人殺し 月経後の沐浴を終えた女殺し 妻殺し 女性殺し 去勢男殺し <動植物損傷> (動物を殺す) 牛を殺す 駱駝、驢馬、馬、鹿、象、山羊、羊、魚、水牛を殺す 大小の虫、鳥を殺す (植物に危害を与える) 植物に被害を与える 薪のために生木を切る <禁止飲食物に関する罪> (酒) スラー酒を飲む 酒の臭いを嗅ぐ (食べ物)禁止される食べ物を食する 非難される食べ物を食する 酒に触れた食べ物を食する <窃盗> (金属・宝石) 黄金泥棒 銀 卑金属 ダイヤ、宝石 (寄託物)寄託物横領 (人間) 男、女を奪う (不動産)土地 (動物) 馬 家畜 (その他)穀物 果実、花、薪 窃盗一般 <性に関する罪> (姦淫) 師の妻と交わる 友人の妻と交わる 息子の妻と交わる 他人の妻と交わる (近親相姦) 同母姉妹と交わる (禁止される女性との交わり) 最下層の女と交わる 酒飲み女と交わる 少女と交わる 処女を犯す (不自然な性) 男と交わる (純潔の誓戒を破る) 学生あるいは純潔の誓戒(ヴラタ)を実行中の者が誓いを破る <禁止される人間との交際による罪> (交際) 結婚、ヴェーダ、祭式に係わる関係をパティタと持つ パティタと1年間交際する (贈物の受贈) 非難される人間から贈り物を受け取る <虚偽の罪> (虚言) 嘘をつく (身分詐称) 上位ヴァルナを詐称する (偽証) 裁判での偽証 詐欺 <禁止される職業・生計手段> 商いをする 金貸しをする あらゆる種類の鉱山を管理する 大規模な機械を操作する シュードラに仕える 沐浴場、公園を売却 妻に生計を依存する <ヴェーダ祭式に関する罪> (ヴェーダ) ヴェーダを放棄する ヴェーダを非難する 日々のヴェーダの独唱を放棄 金を取ってヴェーダを教授する 金を払ってヴェーダを学ぶ (祭式) 祭火を捨てる 不適格者に供犠をする ヴェーダ祭式のための火を設置しない <人間に対する不当な扱い> (師に対して) 偽りの罪で師を告発 師への反抗 師を見捨てる (親族) 母、父、息子、親族を捨てる 妻、子供、自分を売る <その他の、ダルマに関する罪> ウパナヤナを受けない 弟が先に結婚することを兄が認める 弟が兄より先に結婚する 右の両者に娘を与える 右の両者に供犠をする 呪詛、根による呪術 自分の利益のために行動する 善くない人の典籍を学ぶ 無信仰 無決断 |
これを見ると、バラモンは汚れることなく生きることは、実際上不可能である。バラモンの最終目的は、現世への一切の愛着を断ち解脱する(ブラフマンの世界に入る)ことだから、それを妨げるものすべてが汚れ、罪とならざるをえない。しかしながら、バラモンは最も厳しく規律を守り最大限汚れを避けているから最清浄カーストである。他のカーストは、この最清浄カーストの下に、それぞれの清浄度に従って序列づけられ、最下位に最も汚れたカーストとして不可触民がくることになる。ヒンズー教社会において、カースト序列は浄・不浄序列なのだ。
逆にいえば、上位カーストは、生活に伴わざるを得ない汚れ(血、糞尿、ゴミ、死など)、あるいは不浄とされる仕事や物を下位カーストに順次下送りすることにより、自己の相対的清浄性を保っているといえる。
第二に、この浄・不浄思想と不可分の関係にあるのが、業・輪廻思想である。霊魂は前世の行為(業)に従い、現世に様々な形を取って生まれ変わる。現世のカーストは、前世の行為の当然の報いであり、人はそれを宿命として受け入れ、そのカーストの仕事に専念しなければならない。それ以外に、来世の幸福を得る道はない。
『マヌ法典』では、人は現世の罪に応じて来世では次の物に生まれ変わる(田辺訳1953、368頁以下;渡瀬1990、154ー155頁)。
バラモン殺し → 犬、豚、ロバ、チャンダーラ、プッカサ、(肺病) スラー酒を飲む → 虫、蛾、糞を食う鳥、危険な動物、(歯黒) 黄金窃盗 → クモ、蛇、トカゲ、水棲動物、悪鬼ピシャーチャ、(悪爪) 師の妻との姦淫 → 草木、ツタ、肉食獣、残忍な人間、(皮膚病) |
このように、現世の低い身分、不幸、心身の病気は、すべて前世の罪の報いなのである。
さらに忘れてならないのは、汚れや罪は本人のものである以上に所属カーストのものだということである。汚れは、汚れた者と接触するカースト仲間にも汚れをもたらす。カーストは汚れた罪人をカーストから追放することによって、カースト全体の清浄性を維持しなければならない。こうして、カースト序列はカーストの自己規制によっても維持され強化される仕組みになっていた(小谷1996、96頁)。
罪を犯し汚れた者は、カーストから永久追放されることもあるが、多くの場合、汚れを清めることによって罰を免れることができる。この贖罪の方法は、苦行、儀式など様々であり、『マヌ法典』にも死によって清められる大罪から断食や聖句低唱で清められる微罪まで事細かに定められている(田辺訳1953、336頁以下;渡瀬1990、172頁以下)。
(贖罪例) ・バラモン殺し→森に小屋をつくり、死者の頭蓋骨を標識とし、12年暮らす。 火中に三度身を投じる。 バラモンに全財産を贈る。 バラモンまたは牛のために命を捨てる。 ・スラー酒を飲む→沸騰したスラー酒を飲む。 沸騰した牛の尿、湯、牛乳、牛糞を死ぬまで飲む。 ・黄金窃盗→ 王に罪を告白し棍棒で打たれて死ぬ。 森の中で12年間苦行。 ・師の妻との姦淫→熱した鉄の寝台に寝て、死ぬ。 ・クシャトリヤ殺し→牡牛1頭と牝牛1000頭をバラモンに贈る。 ・シュードラ殺し→牡牛1頭と白い牝牛10頭をバラモンに贈る。 ・猫などの動物殺し→牛乳のみの苦行3日間。 ・植物を害する→『リグ・ヴェーダ』100回低唱。 ・酒に触れる→ クシャ草を煮た水を3日間飲む。 ・不適切な仕事→苦行 |
(5)カースト規制
カーストは、全体として清浄を保ち罪から免れるため、食事、婚姻、職業を中心に多くの規制を自らに課している(山崎1994、29頁以下)。
@結婚 カーストは、外婚集団を内にもつ内婚集団である。ヒンズー教徒は、原則として同じカーストの者とのみ結婚する(内婚)が、そのカースト内の親族など特定の集団のメンバーとは結婚できない(外婚)。『マヌ法典』は、「再生族は、吉相ある同階級の妻を娶るべし」「再生族は、先ず同種姓(の女)と結婚するを可とする」と述べている(田辺訳1953、74、76頁)。
しかし、異なるカーストとの結婚が完全に禁止されているわけではない。『マヌ法典』は次のように述べている。
「シュードラ婦人のみシュードラの妻(たり得。)彼女並びに自己の階級の女はヴァイシャの(妻)に、これら(両階級の女)並びに、自己の階級の女はクシャトリヤの(妻)に、これら(3階級の女)並びに、自己の階級の女は、バラモンの(妻)たり得と云わる」(76頁)。 |
このように、上位カースト男性と下位カースト女性との結婚(順毛婚)は例外として認められていた。ところが、逆の下位カースト男性と上位カースト女性との結婚(逆毛婚)は厳しく禁止されていた。
「(己れより)高き(階級の男子)に赴く婦人には、如何なる(罰金)をも課すべからず。されど、(己れより)低き(階級の男子)に求婚する婦人は、これを(彼女の)家に幽閉すべし。」(253頁) 「最も高き(階級の婦人)に求婚する低き(階級の男子)は、体刑に値ひす。」(254頁) |
しかし順毛婚であっても、シュードラと結婚し正妻とすることは許されない。(2番目以降の妻であれば許される。)
「バラモン、或はクシャトリヤ、たとえ窮迫せりとも、シュードラ婦人は、その(最初の)妻として、いかなる古話にも述べられたることなし。」 「愚かにも、卑しき(シュードラ)出生の妻を娶れる再生族は、直ちに、その子孫諸共一族をシュードラの状態に堕す。」(76頁) |
ヒンズー教が順毛婚には比較的寛容だが、逆毛婚には非寛容なのは、おそらく男系のカースト秩序の乱れを恐れるからであろう。このカーストによる結婚規制は、社会慣行として現代ネパールにも広く見られるが、詳細については後述する。
婚姻関係に典型的に見られるように、女性はヒンズー教社会では独立した人格としては認められていない。『マヌ法典』によれば、
「少女、或は若き婦人、或は老女は、何事をも独立にてなすべからず。たとへ、家庭の用事といえども。」 「婦人は幼にしてその父に、若き時はその夫に、夫死したる時はその子息に従ふべし。婦人は決して独立を享受すべからず。」(136頁) |
結婚は、父が娘を夫に与えることであり、これにより妻は夫の所有物となる。結婚後、妻は夫に貞節を尽くさなければならない(渡瀬1990、97ー98頁)。
また、父は娘が汚れない内に結婚させなければならず、『マヌ法典』でも夫30歳の場合は妻12歳、夫24歳の場合は妻8歳と定められているので、ヒンズー教社会では幼児婚が多かった。当然、夫が先に亡くなり、寡婦となる場合も多いが、再婚は禁じられ、寡婦のまま一生過ごすか、さもなければ夫の火葬に殉死するサティが求められることさえあった。現在では、幼児婚もサティも禁止されているが、幼児婚はなくならず、サティですら行われたという噂がときたま聞かれる。
ヒンズー教家族において、家長は当然父であり、息子、孫、曾孫に祭られることにより、死後の苦しみから免れ、救済を得られる。だから、先祖を祭るのは男子でなければならず、妻の最大のつとめは男子を産むことである。ネパールでは、現在でもこの考え方が強く、男子が生まれるまで子供を産み続ける夫婦が少なくない。
A食事 ヒンズー教において、食事は儀礼であり、汚れから守られねばならない。他のカーストの者と一緒に食事をしない、下位カーストの者から水や料理を受け取らない、禁止されている食物をとらない、等々。『マヌ法典』では、次のものは食べてはいけないとされている(渡瀬1990、123ー125頁))。
<野菜>ニンニク、ニラ、タマネギ、キノコ、不浄なものから生じるもの。 <肉>猛禽類、鶏、雀、水鳥など。 <魚>すべての魚。 <飲み物>酒、交尾期の牝牛・子牛をつれていない牝牛・出産後十日に満たない牝牛の乳など。 <不浄物と接触した飲食物>月経中の女が触れたもの、鳥がついばんだもの、犬が触れたもの、牛が匂いを嗅いだもの、くしゃみがかかったものなど。 <その他>夜を越したもの、胡麻入りご飯、麦粉菓子、砂糖菓子、牛乳粥など。 |
こうした食事規制は、上位カーストほど厳しい。ネパールの事例については後述する。
B職業 カーストは特定の職業と結びついているが、農業は大部分のカーストに許されている。この点については、前掲カースト一覧表参照。
Cカーストの自治 カーストの成員は、カーストの慣行に従う義務を持ち、違反すると、カーストの長老会議(パンチャーヤト)や成員の全体会議(サバー)で裁かれ、罪に応じて処罰される。罪は定められた贖罪行為により許される場合が多いが、重罪の場合はカーストからの永久追放もある。
(6)カーストの分業関係
カーストは分業関係になっており、インドでは一般に1つの村には10〜30のカーストがある。もし村内でまかなえない仕事があれば、他の村のカーストに依頼する。この世襲的カースト分業体制をジャジマーニ(jajmani)制度と呼ぶことがある。
(参考文献)
・山崎元一(1994)「カースト制度と不可触民」、山崎元一・佐藤正哲編『歴史・思想・構造』(叢書「カースト制度と被差別民」第1巻)、明石書店
・山崎元一(1992)「カースト」、『南アジアを知る事典」平凡社
・小谷汪之(1996)『不可触民とカースト制度の歴史』明石書店
・田辺繁子訳(1953)『マヌ法典』岩波文庫
・田辺繁子(1960)『マヌ法典の家族法』日本評論新社
・渡瀬信之(1990)『マヌ法典』中公新書
・『南アジアを知る事典』平凡社、1992
・辻直四郎訳(1970)『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫
(谷川昌幸2000.6.13修正)