ネパール便り
       by S・グラブ
 



 

020606 タメルにおけるネパール式ビジネス
020525 映画館で見られるネパール人の性格
020523 教師の存在
020517 ある私立校の叱り方
020516 カーストによる差別を目にして
020512 文化がもたらす美的感覚? 
020509 雇用関係の疑問点
020508 お酒の意味
020507 携帯の存在
020505 小さいがなぜ悪い?
020504 『貧』と『富』
020503 子供の心まで近代化?
020502 食べ物に対する執着心
020501 平等とは
020428 教師と生徒
020427 ものの価値
020426 危険を肌で感じて
020425 政府の裏技
020424 これがバンダ?!
020422 ネパールの結婚式
020420 微妙な境目
020418 エリート社会
020417 無知が危険を呼ぶ
020416 理想と現実
020415 これが、ネパールシステム?
020414 交通マナー
020413
食の宝庫?ネパール

020409 ネパール人とインド人
020408 これが、学校における問題!
020407 ネパールの今
020406 海外の友達
020404 細かいけど大事な事
020403 家族・親戚の絆
020330 笑う店には客来たる
020326 布団の中での思い
020323 英語の定義
020322 ちょっとした習慣の違い

020606 タメルにおけるネパール式ビジネス

タメルを歩いていると、よく日本語で「こんにちは。」「お元気ですか?」と話し掛けられる。店の前から、ただ声を掛けるだけの人もいれば、付いて来て話し掛けてくる人もいる。

以前、友達とレストランに入り休んでいると、その友達の友達で(以後K君)、観光客を自分の店に呼び込む仕事をしているネパール人が、白人の男性を連れて店にやって来た。私達は、遠くからその様子を観察していた。すると、彼らの会話は途切れることなく次から次へと進み、時には笑い声も聞こえる。そして、話題を提供しているのは殆どがK君だった。

30分くらい話してその外人さんが店を出た後、友達と私はK君にどんな会話をしていたのか、会話のコツなど色々と詳しく聞いてみた。K君は言う「僕のビジネスは、嘘とスピードが必要なんだ」と。聞くところによると、K君は今まで海外には行ったことがないが、ビジネスの時は相手の国に行ったことがあると嘘をつき、その国の話題から次の話題へと繋げていくそうだ。それも、K君の場合は嘘の中にも冗談が交じり、上手い具合に相手を楽しませる。それぞれの国については、ビジネスを始めた当初、分からないままに観光客に聞き回り、それから徐々にどの国には何がある、この地域はどういう歴史があるかなど、色々な情報を整理しながら頭に入れていったらしい。だから、事細かではないが、幅広く他国についての知識を持っている。そして、会話は相手を圧倒させるくらいのスピードが必要。相手がつまらないと思う前に、相手との会話リズムを捉えるようだ。

このようなビジネスは本来私は嫌いだが、今回K君の話を聞いて、またK君のビジネス姿を見ていて、これはK君の一種の才能ではないかと思った。英語圏の人のようなきれいな英語ではないが、まさに『流暢な英語』である。そして、自分の店で買い物をしてもらえなくてもその観光客と友達になり、今でもメール交換が続いていると聞くと、一見引いてしまいそうな仕事でも、様々な側面があるのだと実感した。


020525 映画館で見られるネパール人の性格

今日は友達に連れられて、初めてネパール映画を見に行った。映画館は想像していたよりも広く、中のホールは真っ暗で工事中だったのか、壁が剥がれていた。しかしスクリーンは日本並みの大きさで、椅子もキーキーという音付きだったが、ビッグライニングシートになっていた。

映画は、ネパール語だったのでセリフを聞き取ることはできなかったが、あらすじは友達の説明を含めて大体理解できた。内容は、大したことないように感じたが、私にとって一番面白かったのは、観客の反応であった。以前「地球の歩き方」で読んだ事があるが、ヒーローが復活して戦い始めると、ホール全体が拍手で湧き上がり、時には口笛も聞こえる。まさにその通りだった。また、次に起こるだろうと分かりきった展開について、興奮して見知らぬ隣の人に話し掛ける。

もちろん、私も映画を見て色々な感情を抱くが、興奮して拍手したり、口笛を鳴らしてみたり、見知らぬ人に話し掛けることはできない。感情が現れる前に、一瞬『恥ずかしい』と思う気持ちが現れ、私の感情を抑えるのである。

『映画は静かに見るもの』という日本の映画館における暗黙の決まりが、ネパールには全く存在しないようだ。

このように考えると、ネパール人はとても純粋というか表現豊かだと思うが、それはネパールには感情を抑制しないオープンな空間があるからだろうか。

日本では、島国精神がいまだ残っているのか、人と少しでも違うとそれが気になり、また皆の目に付く。このようして『恥ずかしい』精神が築かれ、自然に純粋さまでも失われていくのではないかと思った。

楽しければ手をたたいて笑い、嬉しければ思い切り喜ぶネパール人の自然な姿が、とても新鮮に感じた。


020523 教師の存在

今日のクラスを終え、一階の先生達が集まる部屋で、R先生とソファに座り、私が常に持っている家族や友達の写真を見ていた。すると、ある先生(以後P先生)が「僕にも見せて」とやって来た。しかしその部屋の外では、P先生の授業(青空教室)が行われているはずである。それにもかかわらず雑談に加わるP先生。私は気になり、外に出てP先生のクラスを見に行った。すると、子供達は何やら必死にネパール語をノートに写していた。確かに、子供達が自主学習をしている間先生は暇かもしれない。しかし、自分がもっているクラスである。子供達がどのようにして勉強しているのか、また文字を写す作業でも、どの程度上達したか気にならないのだろうか。

同様に、もう一つの学校でのこと。その日は昼から雨が降り出し、体育(Game)の時間にもかかわらず、担当のD先生が控え室にやって来た。聞くところによると、子供達は講堂でダンスをしたり、屋根のある広場で卓球をしているとD先生は言う。そしてそのクラス担当の先生は、控え室でくつろぐ。ネパールの教師とは、授業を無視してサボっていても稼げる職業なのかと、少し心配になってしまうくらいだった。

教師という立場であり、この仕事に就いたからには、少しでも子供達の能力を上げ、また子供達の成長を見守る責任があるのではと思った。

全ての教師に『金八先生』のような熱心さを求める訳ではないが、私が思う教師という聖職に、もう少し責任を感じて欲しいと思った。


020517 ある私立校の叱り方

今日の帰りのセレモニーで、校長先生がある子供たち(3年生=9歳くらい)二人が蹴りあってケンカしているのを見て、突然彼らを全校生徒の前に連れ出した。そして、セレモニーの終わりに全校生に何かを話し、それを聞いて皆が拍手をした。そして、最後に青い棒を彼らに渡した。

聞くところによると、その棒は学校の決まりに反した者に渡されるらしく、それを受け取った生徒は、一日中その棒を肌身離さず持っていなければならない。授業中は勿論、トイレに行く時も持って行かなければならない。そう言えば、この学校では英語しか使えないはずなのに、授業中によくネパール語で話し掛けてくる男の子が、前回青い棒で私を突っついていたのを思い出した。名付けて『ドンキー・スティック』だそうだ。

また、皆が拍手していたのは、悪い事をした見せしめのようで、皆の前で恥をかくことによって、二度と悪い事をしてはいけないと認識することを目的としている。この手段は今年から始まったもので、校長先生は「この方法が、どの程度子供達に影響を与えるか試している。」と言っていた。

とても変わった叱り方であり、変わった罰だと思う。私が小学校の頃は、怒られる子供は少なくとも、職員室や皆がいなくなった放課後に先生に呼ばれて注意を受けていた。それとは逆に、皆の前で叱る方法。そうすることで子供たちは恥を知り、悪さをしなくなるのだろうか。それも一理あるかもしれないが、私は日本的なやり方の方が、子供たちにとっては効果があるのではないかと思う。皆の前で怒られる事は、子供たちにとってはかなり恥ずかしく、時には傷つくこともあると思う。また罰を受けた子への恥さらしとして、皆が拍手するのもどうかと思う。まるで、罰を受けた子供たちを見下しているかのように思える。子供の頃は、知らぬうちに良からぬ事をしてしまうし、多少怒られるような事をして当然だと思う。それを彼らの恥にして解決するのはどうかと思った。それも、9歳くらいの子供たちである。棒を与えて一日中持っていなければならない、という罰は多少可愛らしいかもしれないが、その前の段階に疑問を感じた。皆の前で怒られた事が、彼らの中で反省として残るのだろうか、もしくは恥として残るのだろうか。


020516 カーストによる差別を目にして

今日は、ある男の子が大人になる儀式に参加した。その男の子は私が通う学校の生徒で、多くの先生方が呼ばれていたそうだが、結局参加したのは校長先生、教頭先生、私の三人だった。会場には、もう一人別のA先生のバイクで連れて行ってもらったのだが、会場近くで「家が近いから」と言って帰ってしまった。

会場に着くと、儀式はもう始まっていたようで、教頭先生が男の子にティカを付け、後は喋ってご飯を食べるだけだった。その間、私達の周りにはたくさんの関係者が挨拶にやって来た。そして、大抵の人は「ありがとう、ありがとう」と言って、私達が来たことに大喜びしていた。ネパール人はとてもフレンドリーだと思うが、でもこんなに喜ぶのは大げさ過ぎないだろうか、と思ってしまうほどだった。

その帰り、タクシーの中で教頭先生と今日の儀式の話をしていた。先生曰く「彼らは低位カーストの人達だから、私達(校長先生=ブラーマン、教頭先生=チェットリ)が来るとは思ってなかったみたい。だから、皆大喜びしてくれたみたいね。A先生(=ブラーマン)は、低位カーストの集まりだから来たくないと言って帰ってしまったけど。でも、私はどのカーストの人も好きだし、どのカーストの人達から招待されても参加するのよ。」。

それを聞いて、まだカーストによる差別はちゃんと存在していることを実感した。私の周りにはカースト反対派の人が多数を占めているので、自分の中では『カーストは、少しずつなくなりつつある』と思い込んでいたが。

普段は、親切で話しやすいA先生の、どうしても行きたくなさそうな態度、両手を握り笑顔で迎えてくれた彼ら。ただカースト名が違うというだけで、これまでにして差別が生まれてしまうのだろうか。

思うに、現在カーストを廃止しようと立ち上がる人達の多くは、低位カーストではないだろうか。彼らの生活に何らかの不満があってのことなので、低位カーストが多いのは当然の事かもしれない。しかし、カーストをなくしていくには、結局高位カーストの力が必要になると思う。彼らの生活において、何の不自由も感じなければ、自分とは違う世界を顧みることはしないだろうが、しかし上が動かなければ何も変わらないのが現実なのだと思う。


020512 文化がもたらす美的感覚? 
 今日は『母の日』。ある先生に、マーターティルサという寺に連れて行ってもらった。その寺には池があり、それぞれの母を思い出すことができると言われ、さぞかし静かでキレイな泉のような池だろうか、と期待していた。
 しかしそこに着いて驚いたことには、寺の周辺では飲んで歌って、またお祈りをする大勢の人で賑わっている。それも、よく目にする『ポイ捨て』が当然のようになされ、辺り一帯はゴミだらけ。そして、寺らしき所に入って先生に案内してもらったが、ここも同じくゴミと人で賑わっていた。その寺の敷地内には小さな像があり、周りはフェンスで覆われていて、その中には赤・黄色の花や赤く染められた米がキレイに、というよりも適当にばら撒かれていた。そして先生曰く「これが母を思い出すことのできる池だよ」。
 一目見ただけでは、地面に花が捧げられているのか見分けがつかないこの池。はっきり言って、この池では私の母を思い出したくないと思った。それぞれの母が見えるからこそ、花や米を捧げるのだろうが、ぐしゃぐしゃになった花が投げ込まれた池の周りには、食べかすやら皿代わりの大葉がどこからか溢れ出した水に浮いて、もう一つの池ができている。ここは神聖な場所なのだろうか。私には無理だったが、皆には自分の母が見えているのだろうか。

 まさに文化の違いだと思うが、多くのネパール人(特にヒンズー教徒)は、私達にとっては派手過ぎると思われるような色を好むと思う。結婚式で見られるド派手な衣装、また祭りには欠かせない赤々したティカなど。このような文化によって、ネパール人の美的感覚がもたらされたのだろうか。逆に、ネパール人は日本人が喪服や黒・紺色のブレザーやツメ入りの制服を着ているのを見て、日本人の美的感覚を疑うのかもしれない。
 いずれにせよ、このマーターティルサは、普段は静かでのんびりとした場所らしいので、祭りのゴミがどこかに去ってしまうであろう1ヶ月後くらいにでも、母を思い出しにもう一度行ってみようと思った。


020509 雇用関係の疑問点
 ネパールの雇用関係、特に家のお手伝いさんと主人との関係を見ていると、しばしば疑問に思うことがある。ご主人様は、「こうしろ、ああしろ」と口を動かすだけで動かない。まさに、王様と召使の関係のようだ。日本にも、似たような仕事でベビーシッターなどがあるが、あくまでも両者は対等の立場である。
 日本人はどちらかというと、上からも口を出すが、自分は相手に言った以上に働くのではないだろうか。だから、労働者はきつい仕事でも辞めずに働くのだと思う。私の祖母は、元旅館の女将であり、また全てに厳しい女将で有名だった。しかし、皆の2倍3倍は一生懸命働き、皆もそれを見て分かっていたので、誰も辞めずに頑張って働いていた。
 私も、去年は部長という大役を任され、人を動かすことの難しさを実感したのだが、部長としてのモットーは、『自分でできる限りの事はやってみて、それでも無理な時は人に頼む』ことだった。自分でできそうなのに、人に頼むのは気が引けるし、人を動かす立場で口だけ動かす事はできなかった。

 しかし、ネパールではどうだろう?私が見る限り、使える者はとにかく使う。自分の子供が泣いていても、自分はテレビを見る。また、少しぐらい手伝えそうな事でも決して手を出さない、というように私は感じた。それだけ、雇用者と労働者との関係に区切りをつけているのかもしれないが、私から言わせてもらえば、これは人間的でないやり方のように見える。これも、ネパールと日本との価値観の違いなのだろうか。


020508 お酒の意味
 ネパールでも、お酒は好まれているようで、ブラーマンで本来お酒は飲めないはずの先生も、食事に行くと毎回飲んでいる。飲む人にとってのお酒の意味は、『飲むと良い気分になる』『話が弾む』などだろうが、逆にシェルパの友達は反アルコール派。聞くところによると、前回のトレッキング中、夜遅くに酔っ払いの男の子達がキャンプ地にやって来て騒ぎ立て、ガイドのシェルパと揉め事になり、シェルパが殴られ、またナイフで傷つけられたらしい。そのようなことを他にも経験したのだろうか、お酒は絶対飲まないと言っていた。
 確かに、お酒を飲んで酔っ払っている本人は気分が良いだろうが、道端に倒れこんでしまった人、友達に支えられながらよろよろ歩く人、それを目にすると、こちらの方が恥ずかしく思ってしまう。時に、(飲む)お酒はドラッグの一種だと言う人がいる。確かに、飲み過ぎると人格を変えてしまう程の力を持っている。そして死に至ることも。しかし、一度飲むと止められなくなってしまうお酒。しばしば、付き合いで飲まざるを得ない場合があるが、付き合いでお酒というドラッグを利用するとは、考えようによっては恐ろしい。
 お酒の飲み方にも良し悪しがあるのは分かるが、シェルパの友達がお酒を徹底して嫌い、飲まずに踊って歌って楽しむ彼らは、自然体で私は好きである。


020507 携帯の存在
 ネパールの生活が始まり、あっという間に一ヶ月半が過ぎてしまった。少しはネパールの生活にも慣れ、一人で道路を横断することもできるようになったし、この辺りでは「日本人だ」とからかわれなくなった。
 やはり、ネパールの生活で不便を感じることは多々あるが、なければないで何とかなるものだ、と思うようになった。特に思ったのが携帯。日本では、一種のオシャレにもなり、私にとっても日常生活において欠かせないものだった。しかし、今は部屋にはテレビもなければ電話もない。電話を使う時は、毎回ロビーに行く。携帯のない生活になって「どうして、あんなに必要としていたのだろうか」と不思議に思ってしまう。携帯は便利なもの。でも、なければなくて良いものだと思ったが、これはネパールだからかもしれない。日本では、何時何分までぴったりと合った一日が送られている。少しでも待ち合わせに遅れることがあれば、携帯を取り出しすぐメール。
 友達の居場所を知るのにも携帯が役に立つ。しかしネパールでは、友達との待ち合わせ時間はあってないようなもの。また、急な用事以外は相手の居場所を知る必要がない。知りたければ電話し、電話が繋がらなかったら、いないと分かる。当然のことなのに、私達は携帯という便利なものを発明してから、その便利さに甘えてしまっているのではないか。まだ、日本並みには物が揃わないネパールにいると、物の有り難さを感じ、また時にはどうして必要なのか考えてみたりする。


020505 小さいがなぜ悪い?
 久しぶりに会えたシェルパの友達と色々な話をしていると、ニックネームについての話題になった。彼は、名付け親役らしく、以前私がお世話になったあるシェルパ仲間のニックネームが『スグマヤ』と聞いた。この名は、シェルパ語で女性に付ける名前らしい。その理由を聞くと、彼は背が低いからだと言っていた。確かに、彼は私よりも背が低く、155cmくらいである。
 私が小・中学生の頃は、『チビ』という言葉は一種の差別用語だと思われ、先生達からもその言葉を使わないよう注意を受けていた。また、その言葉は特に男の子に対して使われ、男の子にとって一番言われたくない言葉の一つだ、と言うのを聞いたことがある。なぜ背が低いことが嫌がられるのだろう。背が高いと支配力があるかのように見えるのだろうか、または健康的でカッコイイのか。
 しかしながら、私の中でも自然に男性は女性よりも背が高い、と思ってしまう。だからと言って、背が低い人を特別視しているわけではないが、小・中学校の家庭科の教科書にも、保健室のポスターにも男の子は女の子よりも背が高く描かれていたし、色々な所でそのような場面を目にしたのを覚えている。その結果、私の中に固定観念【概念】ができてしまったのではないかと思う。
 確かに、事実上男性は女性よりも背が高く、強い生き物かもしれないが、だからと言って背が低い男性が弱いとは限らず、またからかわれることではないのに、どうしてそれ程まで『チビ』という言葉が特別視されるのか、不思議に思った。
 シェルパの友達の場合は、彼らは特別な意味を含んでいるのではなく、ただ単に遊び感覚で名付けたのだと思うし、そう思いたい。


020504 『貧』と『富』

ネパールは、貧富の差が激しいと聞いていたが、今日それを自分自身で実感した。今朝学校に向かって早足で歩いていると、ゴミ置き場に座り込み、ゴミの中から食べ物をあさって食べている女性を見かけた。そして、その女性の横をスーツ姿で通り過ぎる人。そしてパンを食べながら歩き、そのゴミをポイ捨てする人。また、自家用車の出迎えで通勤する人もいれば、街のすぐ隣に面する川のゴミ置き場(生ゴミ・やぎの頭・資源ごみを含む)に、洗濯物を干して生活する人々がいる。カトマンズでは、『貧の世界』と『富の世界』が入り混じっている。どうして、皆が同じように生活ができないのだろうか。全ての人々が、基本的生活能力を得て初めて、発展があるのではないだろうか。

思うに、ネパール人にとっての富とは何だろうか。今『富の世界』と書いたが、一般的な生活、つまり衣食住ができているように見えるネパール人でさえ、「私は貧しいから」と言う。もちろん世界の基準からすれば、ネパールは最貧国に属する程だが、貧しいと言いながら基本的生活能力を得られているネパール人もいるのだ。物質的な富、精神的な富、ネパール人はどちらかというと、前者を重視しているのではないかと思う。

一応、発展してしまった日本に住む私から言わせてもらえば、健康で基本的生活能力を得られることが、私達にとっての豊かさの根本ではないか、と思う。しかし、人は自分にないものを求め、私達はネパールで見られる『精神的な富』をもたらす生活に憧れ、ネパール人は、日本の物が溢れた『物質的な富』をもたらす生活に憧れてみたりするのだろう。


020503 子供の心まで近代化?

今やカトマンズは近代化し、日本並みに何から何まで揃えることができる。TVにビデオ、冷蔵庫にパソコン。このTVとパソコンが、時には厄介なものになってしまうと思った。以前友達の家に遊びに行った時、8歳の子供が銃でバンバン人を殺していく映画を必死に見ていた。そして、また別の友達の子供は「僕、銃が好きなんだ」と嬉しそうに話し、弟と撃ち合いごっこをしていた。さらに、今日インターネットショップに行くと、17、18歳の男の子がパソコンで戦争ゲームをしていた。私がのぞき込むと、その男の子は「こうやって撃ち殺すんだ!」と楽しげに説明してくれた。

カトマンズが近代化して便利になった事は喜ばしいのかもしれないが、それと同時に子供たちの心まで近代化してきたような気がする。カトマンズの外では、ゲームと同じ事が起こっているのに。

物が増え、便利になったからと言ってそれが発展には繋がらないと思う。

ネパールも、日本と同じ道を歩むのだろうか。


020502 食べ物に対する執着心

今晩は、ある先生の帰国歓迎会に招待され、中華料理をご馳走になった。私は、次から次へと出てくる料理に感激していた反面、先生方のお皿に残っている野菜や、取り残された料理がどのようになるのか気にしていた。ある先生はピーマンが多いと言って皿の端に避け、ほとんどの先生の茶碗にはご飯粒が数多く残っていたのだ。そして、それらは普通にさげられていく。私は、小さい頃父から『茶碗にご飯粒一粒も残してはいけない』としつけられ、日本でも最近は失われてきたが、昔から米一粒をも大切にする心が伝えられてきたと思う。宗教、文化の違いだから、という理由で納得したくないが、全ての人に十分な食べ物が行き渡っていないネパールでは、もう少し食べ物を大切にする心を持つべきだと思った。この小さな心掛けが、様々な物の考え方を少しずつ変えていく一つのきっかけにもなると思うからだ。

また、以前シェルパの友達に連れられて、幸福を祝うセレモニーに参加させてもらったことがあるが、あるお経の合図とともに、米を部屋にばら撒くのである。それも何回も行われ、最終的に掻き集めてみると、一日食分に相当するくらいの量だった。私は、なぜ食べ物の『米』を投げるのか不思議に思い尋ねると、友達は「米は白くて縁起の良いもの。だから神に捧げるのだ」と話していた。私の家でも、ご飯や果物を仏壇に供えるが、その後は必ず私達が食べてしまう。日本人は、昔は食べ物を粗末にしなかったのではないか。

これは、ネパール人の価値観や文化の違いかもしれないし、また残飯が増えるのは、近代化の傾向かもしれないが、食べ物に対してかなり執着している私にとっては、疑問が残る点である。


020501 平等とは

先日、ある学校(以後D校)で感じたエリート社会について、成績優秀者が特別扱いをされているようで、平等ではないと思っていたが、このエリート社会はある意味平等な面も持っていることに気付いた。

今日の放課後、D校の10年生の女の子と将来の夢について話していたのだが、彼女の夢は『自分の村の女性差別をなくすように変えていくこと』らしい。そう言えば、この学校でエリートシステムを感じたのだが、よく見てみると成績上位3人は、全て女の子であった。他の学年の優秀者を見ても、過半数が女の子である。このように考えると、D校では女性差別というよりもエリートシステムが重視され、女性差別が見られないのではないかと思った。これは、もう一つの私立学校においても同じことが言える。

また両学校を見ても、女の子の制服は男の子と同様ネクタイ・シャツ・ズボンであり、一見女の子らしさが失われているかのように見えたが、女の子は白いリボン(D校)又は赤いリボン(もうひとつの学校)を付けなければならず、この点で、少しではあるが女性の存在が認められているように感じた。また、学年が下がるほどスカートをはいている子供が多く、私立学校では少しずつ変わってきつつあるようだ。

何が平等なのか、それは見方によって変化し、ある一面だけを見ていては他面に気付かないこともあるのだと思った。


020428 教師と生徒

バンダも終わり、やっと授業の日程も決まったようだ。今日はバンダ後最初の授業。6年生のクラスも持つことになり、教室に入るやいなや、ある子が「先生、私日本語の授業楽しみにしてたの!」「名前を聞くときは、なんて言うの?」と話し掛けてくれた。それ程興味を持ってくれていると思い、もともと可愛い子供が余計に可愛く見えた。しかし、授業を始めると校長先生が来て「誰か、フランス語クラスに行きたい子はいないか?」と尋ねてきた。実は、日本語クラスと同じ時間に、フランス語クラスも行っているが、90%以上の生徒が日本語を選択したため、フランス語クラスの生徒が全くいなくなってしまったようだ。すると、先程私に興味深く話し掛けてきてくれた子が「私、フランス語に行きます」とあっさりと教室を出て行ってしまった。また、皆の中では楽しそうに私の話を聞いていた子までも、出て行ってしまった。人数調整だから、と思って出て行ったのか、やはりフランス語に引かれたのかは分からないが、予想に反する子供達に見捨てられてしまったような気がして、少し寂しかった。

全てとは言い切れないが、子供達の毎日は、様々な新鮮な経験に満ち溢れていると思う。そして、その数多くのチャンスの中から自分の好きなものを選び、他の選択肢にはとらわれないでいられるのだろう。今日の場合も、始めはなんとなく日本語の雰囲気に憧れたが、ふとフランス語の美しさを想像してみる。そして、今や日本語は多くのネパール人が勉強しているから逆に、新鮮なフランス語を習ってみようと、新しい経験を求めたのかもしれない。私の方が、仲間意識を剥き出しにし、自分の仲間は手元に留めておこうと狭い考えをしていたのだろう。

色々なことにチャンスが与えられている子供達が、彼らの視野をより広げられるように、私達は子供達と上手く接しながら、後押しをしてあげなければならないのだと思った。


020427 ものの価値

今日はバンダ最終日。バンダ、そして土曜日ということもあって、人通り、交通量は少なかった。私は、ある友達と会う約束をしていた。彼女は、私立学校で事務的な仕事をしている。彼女の家には、その学校に通う甥が学校に行くために住み込んでいるのだが、私は彼の教科書の多さに驚いた。日本並みの量である。そして、学校には引き出しがないので、毎日その大量の教科書とノートを持って行き、持って帰らなければならない。

また、きれいにカバーの付けられた教科書は、使い回しをされているのか疑問に思い聞いてみた。すると、その学校では、毎年全ての教科書を買い替えてしまうそうだ。だから、どの学生も毎年新しい教科書を買わなければならない。いくら私立学校に行けるほど裕福だからと言っても、節約できるところは節約せねば。それも一つの学習であるし、物を大切にする心の第一歩だと思う。

私は、私立学校は全てそのようなシステムになっているのかと思い、別の私立学校の校長先生に聞いてみた。その先生は、「今年は何冊か替えたが、毎年は替えない。もう9年間同じ教科書を使い、今年になって別の良いものを見つけたから替えた」と話していた。やはり、学校によって違うようだ。

ネパールにはものがないから、みんな大事に使っている。モチロンそうかもしれないが、全てがその通りだとは言い切れないような気がした。


020426 危険を肌で感じて

バンダ四日目。今日は昼からタメルに行き、その後友達の家にお邪魔した。

タメルは、思った以上に店が閉まっていた。私がよく行くインターネットショップも、バンダ前は「バンダ中も営業するよ」と言っていたのに、今日来てみると、しっかりシャッターが下ろされていた。聞くところによると、昨日タメルでタクシーに仕掛けられた爆弾が爆破、ドライバーが重症を負ったそうだ。まさか、タメルまで狙われるとは。タメルの入り口にある『あなたの安全は私達のモットー』は、バンダ中は無効であった。

友達の家ではついつい長居をしてしまい、帰りは7時半を過ぎてしまった。私は、友達の家を出て気付いた。『今はバンダ中なのに、歩いて帰っていいのか!でもタクシーは、もっと危ない・・・』神に祈りながら、早足で帰ることに。

途中、軍隊の検問があった。私は、歩行者は検問されないものだと思い、通り過ぎようとすると「ちょっと待って!」とネパール語で呼び止められた。その軍人は、ネパール語で話し始め、私はとにかく困った顔をした。すると、一回目は「あぁ、ツーリストか。行け。」と適当に許可された。その次も、困った顔でフリーパス。

私はそんなに不安そうに歩いていたのだろうか?後ろを歩いていたおじさんから「どこに行くの?」と、声を掛けられた。こんな場合は、誰もが仲間に思える。私は、そのおじさんをボディーガードに途中まで一緒に帰った。ネパール語と英語が混じったおじさんの話は、よく理解できなかったが、誰かと一緒にいることで心強く感じた。

最後の検問は、暇そうな軍人三人が「どこから来た?どこへ行く?どこの国から来た?」と尋ね、最後に「じゃあね、バァ〜イ」と、半分からかわれたようだった。こちらが弱い立場だからといって、銃を持っているからといって、本当に守ってくれるのか分からない軍人に甘くみられたような気がして、少し腹が立った。それに、どこから来たか、またどこへ行くのか聞いただけで、誰が怪しい人物かなど分かるのだろうか。そう思うと、いつも見張り続ける軍隊は、実はあってないよなものだったりするのでは、と思った。つまり、結局は自分の身は自分で守らなければならないのだ。


020425 政府の裏技

バンダ三日目。バンダを観察しながら学校に行く途中、昨日にも増してタクシーやテンプー、バスが走っていた。この近辺で何も起こっていないので、皆安心して動き始めているのだろうと思った。

学校に着くと、ある先生から「学校の側に軍隊がたくさんいた?昨日バス爆発があったから、警備が厳しくなってると思って」と言われた。実は昨日、パシュパチ寺院の近くで、マウイストによるバス爆破があったらしい。3、4人が死亡。しかし、そのニュースは皆には知らされず、「今日も何事もなかった。だから、怖がらずバンダを止めよう」と呼び掛けるそうだ。恐るべき政府。

そう言えば、昨日は学校の側に軍隊が15人くらいいたそうだが、今日は7,8人だった。それが直接の原因ではないだろうが、日々交通量が増えているということは、ある程度市民は安心しているところがあるのではないか、と思った。日本に比べれば情報量の少ないネパールで、政府から情報操作をされては、知る権利を剥奪されたのと同じだと思う。


020424 これがバンダ?!

今日はバンダ二日目。友達と会う約束をしていたので、10時頃恐る恐る外に出て驚いた。タクシー・バイクは走る、何軒かの店は営業、そしてテンプー・バスも走る。いつもより歩行者が多いだけで、土曜日の昼間と変わらない気がした。しかし、よく見てみると、タクシー・バイクのプレートナンバーは紙やテープで隠され、運転手はマスクで顔が分からないようにしている。マウイストに、自分の顔を知られないようにするためだ。また、いつでもすぐ閉められるように、店のシャッターが半分下ろされていた。そして、道のあちらこちらに銃を持った軍隊が見張っている。その銃の目の前を平気に歩くネパール人。慣れたものだ。

さらに、道行く人も、道端に座って話し込んでいるのも、大抵は男性だった。こういう状況でも、女性は普段からの仕事、掃除・洗濯・食事の用意などで家事仕事をする一方、男性は仕事がなく、家ではすることがないので、結局は道端で口を動かすことになるのだろうか。普段から、露店の前や道端には男性がたむろっているが、今日はいつもに増して多く見られた。

今日の時点では、私の住む近くでは、バンダの二日目は静かに過ぎていった。それが、一番望ましいことではあるが。しかし、見えないところでどのような危険な事件が起こっているのか、明日が少し不安である。


020422 ネパールの結婚式  

今日は、学校の先生(女性)の結婚式があり、厚かましく私も出席させてもらった。式には15時に行くと聞いていたのに、15時半になっても16時になっても女の先生方の準備は終わらず、結局16時半に会場に向かった。会場といっても、そこは結婚される先生の家で、家の横にある広場には大きなテントが張られ、親戚や友達が大勢集まっていた。私達は、着くとすぐ家に上がり、彼女にお祝いのプレゼントを渡しに行った。彼女は、とても派手な衣装を身に付けて、親戚や友達を迎え入れていた。聞くところによると、結婚式では花嫁方の親戚・友人からしか贈り物をもらわず、花婿方はなにもしなくてよいそうだ。また、花嫁の親から花婿へ贈り物をし、それが気に入らなければ、花嫁を殺して違う花嫁を探すこともあるそうだ。これは、カトマンズ外の小さな村で、現在も起こっているらしい。

そして17時くらいに、花嫁と花婿が家の中で何かティカのようなものを付けたり、最後のフィナーレをし、その後は、ジャンジャンと楽器が演奏される中で、家の庭に作られた囲いを2,3周して、派手に飾られた車で花婿の家に向かった。

あるネパール人先生は言う「これは、ネパールの悪い文化だ。こんな所に莫大なお金を費やしてしまう。」と。言われてみれば、本当に友人か通りすがりの人か分からないくらい大勢の人が集まり、テントの中ではバイキング方式で用意されたご飯を取っては、周りの人と食べながら雑談を楽しむ人達がいる。これで、結婚式に参加したことになるのだろうか?と私は疑問に思った。花嫁とは一瞬しか話さず、後は用意されたご飯を食べて帰る。

日本でも、披露宴でよく知らない人の横に座らされ、じっとご飯を食べて帰るだけだった、という話を聞いたことがある。しかし最近は、少しずつ招待する人数を減らして、家族的な結婚式をするカップルが多いと思う。誰が来たのかも分からない、それにもって膨大なお金を浪費するこのネパール結婚式。感動というよりも、疑問が残った。


020420 微妙な境目

ネパールでよく見かける、ちょっとした驚きの習慣として、男同士・女同士が手をつないで歩いていることが挙げられる。私の住むN市では、滅多に見られない光景だったので、初めて目にした時はショックであった。しかし、よく見かけるので逆に、ネパールでは同性愛が受け入れられているのかと思った。

ある雑誌を見ると、10代の男女への様々な質問・回答が載っていたのだが、『homosexuality lesbianismに同意しますか』という問いに、76%が『No』と答えていた。

モチロン、手をつないでいるから、トイレに一緒に入るからと言って『ホモ』『レズ』とは言えないと思う。しかし、各国によってスキンシップの形や習慣に様々な違いが見られる中で、『ホモ』『レズ』を認めない彼らは、どこまでをその境目にしているのだろうか。

それに関して、今日友達から『私、いつもの癖であなたに触ったりするかもしれないけど、気にしないで』と言われた。彼女が、同姓に触れることを気にしているのは、同姓間のスキンシップはネパールの習慣であり、それは特殊なものだと思っているのだろうか。しかし、彼女は「ネパールでは、結婚するまでは彼氏と一緒に街中を歩いたり、二人きりになることはできないの。私も、たまに彼氏とレストランに行くぐらいよ。」と話していた。

このように、男女関係でさえ厳しく規制されているので、同性愛はとても許容範囲には入らないのだろうか。

しかし、際どい行為をしながらも、どうして同性愛を拒むのだろうかと、つい疑問に思ってしまった。


020418 エリート社会

今日は、先日とは違うもう一つの学校(以後D学校)に行った。D学校では、前に夕食会をしたことがあり、その時に何人か女の子と仲良くなっていた。彼女達は、今年10年生(16歳)になり、来年SLC試験を迎える大変な年でもある。しかし、彼女達の要望もあって、また個人的にもこの学校が気に入っていたので、日本語クラスを持たせてもらうことになった。今日はその初日だった。

学校に着くとちょうど朝礼があり、新10年生の成績上位2人が正面で指揮をとっていた。もう一つの学校では、先生が指揮をとっていたのに。そして、授業前に校長先生からクラスの名簿用紙をもらっていたので、私はすでに知っている成績トップの女の子に頼んで、皆の名前を書いてもらった。その子は、名前を書く前に校長先生に確認していたので、校長先生からの指示を受けたのだと思うが、書き終えた名簿を見て驚いた。名簿の順番まで、成績順なのだ。日本では、一般的にあいうえお順。私には、それが普通だという考えがあったので、色々な面で見られるエリートシステムに違和感を感じてしまう。

このようなシステムは、私にはとても平等とは思えない。成績が良かったから、それで何でも一番なのだろうか。また、一番だからといって何でも一番扱いされると、プレッシャーを感じ、成績優秀者側から見ても平等ではないと思う。確かに成績が優秀な子は、日本語を予習してくる程一生懸命勉強しようとし、他の子に比べれば、とても積極的だと思う。クラス後に、自分で本を読んで勉強したが分からないところがある、と個人的に聞いて来るくらいだ。積極的に日本語を学ぼうとしてくれる姿勢はとても嬉しいのだが、私の中ではちょっとした葛藤がある。クラスの中で個人差があるにもかかわらず、スムーズに進むと、調子に乗ってもっと先に進めたくなってしまうのだ。何人かは、それを望んでいることがよく分かる。しかし、分かっているようで、分かっていない子がいることに気が付いた。お金を出してこの学校で教育を受ける機会が平等なら、クラスの進め方も平等にしなくてはと思った。


020417 無知が危険を呼ぶ

今日は、ネパール在住の方の家にお邪魔して、久しぶりの日本食をご馳走になった。その方は、もうネパールに住まれて長いので、日常生活からネパール人の特徴から色々な話題になり、お話を聞いていてとても楽しかった。と同時に、私はなんて無知なままネパールに飛び込んでしまったのだろう・・と、反省と羞恥の念でいっぱいだった。実は、今日までツーリストビザは、1年のうち5ヶ月までしか取れないことを知らなかった。一度ネパールを離れてまた入り直せば大丈夫だろう、と勝手に思い込んでいた。あぁ、なんてこったい。そのネパール在住の方から、「今はお客様が少ないから、イミグレーションオフィスの対応も良くなった」と聞いたが、お客が少なくなった今こそビザ延長の規制を緩めてもいいのではないか、と思ってしまった。

また、あと約一週間でストライキが始まるが、もしかしたら今回も“外出禁止令”が出されるかもしれないとのこと。ストライキがあることしか知らず、初めて迎えるストライキに、私は緊張感と好奇心しかなかった。“外出禁止令”が出されると、国民の権利はなくなり、全ての権利を軍が支配することになる。一歩外に出ると銃が発射され、即あの世行きだそうだ。『無知な日本人女性、“外出禁止令”が出されたにもかかわらず、外に出ようとして射殺される』といったニュースにはなりたくない。先生から、『海外では自分の身は自分で守る事。また、いざという時にはどこに助けを求めるか、どこに逃げ込むか常に考えておくように。』と言われたが、正にその通りだと思った。友達がいても、どこまで助けてくれるか分からない。自分が今置かれている立場を充分理解した上で、いざという時の事を考えなければ・・・。海外での生活において、このような面が大変であり、重要であり、また面倒な面なのだろうと思った。


020416 理想と現実

昨日(4月15日)は、突然の授業停止の事態を招いてしまったが、今日はなんとか再開された。と言っても、私のクラスを確認すると、「まだ一週間の予定表が完全ではないの。でも、おそらく今日よ。」と言われ、適当に決められてしまった。

今日は、私にとって最初の授業なので、元日本語教師の先生に手伝ってもらった。最初は、7年生(12〜13歳)の23人クラス。彼らは日本語を習うのは初めてのはずだが、殆どの子が、挨拶・簡単な自己紹介ができた。私は、一人ずつ自己紹介をしてもらい、名前をメモして自分の名前が練習できるようなプリントを作るようにした。私だったら、「あいうえお」を書いて覚えるよりも、まず自分の名前が書けるようになりたいと思ったからだ。7年生はまだ照れがあるのか、雑談がなく静かな授業となった。私の個人的な感想『なんとかなるかも?』。

その正反対が8年生(13〜14歳)の27人クラス。私達が教室に来ても、まだお喋りが止まない。元先生が話し始めても、何人かで先生をからかい、皆で笑う。これが、ネパール式“先生いじめ”なのか?学校内は全て英語のはずだが、ジョークや雑談は全てネパール語。先生までもがネパール語で話すので、私はにこやかに笑うstatueだった。とにかく冗談大好き、屁理屈大好き。半分私の想像だが、元先生が「日本語を書く時は書き順があるから、ちゃんとした書き方を覚えなくてはいけない」と説明すると、一人の生徒が「でも、どう書いたって分からないと思う!」と反論。先生は「いや、やっぱり形が違うだろっ。ほらっ。」と黒板に書いて見せる。しかし「えぇ、鉛筆で書いたら分からないよ!」と再び反発。最後は「はい、じゃあ皆練習に書いてみて。」と話を反らして終わり。このパワフルな子供達と、私は上手くやっていけるのだろうか。日本語ならまだしも、英語・ネパール語の世界で私はクラスを持ち、子供達のジョークについていけるのだろうか、と不安になってしまった。ネパールの子供達は、熱心に勉強し先生の話もよく聞くものだ、と私は勝手に理想を描いていた。今日は現実を見て、精神的に疲れた・・・。

道を歩けばジロジロ見られ、クラスに入ればネパール語でからかわれる。1、2ヵ月後には、私自身が強くなっていることを望む。


020415 これが、ネパールシステム?

今日は新年明けて初日、学校開始日である。私が教える日本語クラスは午後からだったが、初日なので朝礼から参加した。今年は新しい教頭先生が赴任され、その先生のスピーチから始まり、新入生紹介、歓迎の言葉、そして私の紹介もあった。これらは全てスピーチで始まり、スピーチで終わる。驚いたことに、原稿なしで突然マイクを渡されても、子供達は適当に上手く話すことができる。私の方が出来損ないで、恥ずかしかった。

そして、いよいよ授業が始まり、私は一度ホテルに戻って一休みをしてから、再び気合を入れなおして学校に向かった。すると、校長先生が困った顔をして「今日は、初日で様々なトラブルが発生してしまった。今日は、もう授業を止めて今から会議をします。」と言った。かなり気が抜けてしまったが、考えられないことでもないと思った。なぜなら、今日からクラスがあると聞いていたのに、何時から始まるのか聞く度に、違う答えが返って来たからだ。始めは「14:10〜16:10」、次に聞いた時には「15:10〜16:30」。曜日もどんどん変更される。ある先生が「もっと前から決めておかなくては。長い休みがあったのだから。」と指摘していた。他の仕事と掛け持っている先生や、パートタイムで来ている先生がいるので、日程調節が難しいのだと思うが、それにしても、学校開始日そうそう授業中断、緊急会議。これが、ネパールシステムなのだろうか。私立校といえども、全てが上手くいっているわけではないのだと思った。


020414 交通マナー  

今日通りを歩いて思ったのだが、ネパールの交通マナーは日本と逆で、通行人よりも車・バイクの方が優先されている様に感じる。だから、人間が車・バイクを上手く避けて通りを横断し、道を歩く時はなるべく端を歩かないと、車に引かれそうになる。今日も、何度か車にぶつかりそうになった。私は道の端を歩いているのに、車は私に構わずすぐ横10cmくらいまで近づいて、私を抜かそうとする。しかし、彼らは車や・バイクを恐れてはいない。

ネパールの人々は、車の方が優先だが、人間にはぶつかってこないものだと思っているのだろうか、又はネパール人は運転上手だと信じているのだろうか。

この毎日の混雑の中で、また信号がない(あっても、使われているのか疑問)中で、事故があまり見られないのが不思議でたまらない。よく人と車やバイクが接触しそうになる場面を見たり、私もぶつかりそうになったりするが、事故という事故は見た事がない。事故を起こす直前で、上手く交わしている事故寸前の毎日なのか。車道と歩道の境目がないネパールでは、人と車も、人と牛のように境目なく共存しているのかと思ってしまった。


020413 食の宝庫?ネパール

今回、ネパールで初めての長期滞在で驚いた事は、野菜や果物の豊富なことである。最貧国ネパールと聞くと、どうしても食べ物に困っている=自給自足ができない、と考えがちであった。しかし今は、店に並ぶ野菜や果物の種類の多さに「この野菜もあるのか!」と、驚きと発見の毎日である。また、ネパール料理で初めて知ったのだが、サラダにもその土地や地域で形が異なり、ネパールサラダはとてもシンプルで、キュウリ・人参・大根を大きくざく切りにし、そのまま野菜の味を味わうものを指す。慣れてくると、このネパールサラダは結構美味しい。他の料理がスパイシーだったり、味が濃かったりするので、ちょうど箸休めになる。そして、このネパールサラダに出会って、野菜の味を知ることができたような気がする。

これまでは、見た目や形のきれいなものが売れ、流行に乗れば本来の味や形を変えても、その方が売れた日本だったが、最近は見直されて無農薬、有機食品が注目されるようになった。この点においては、ネパールの方が進んでいるのではないだろうか。ネパールの野菜や果物は、まさに自然食品のような気がする。

また、友達の家でネパール語を教えてもらっている時に気付いたのだが、バナナ・マンゴーにもネパール語がある。日本ではバナナはバナナ、マンゴーはマンゴー。日本のバナナ・マンゴーは、輸入したものだから日本語の名前がないのではないか。果物に限らず、その国や地域に存在するものには、その土地の言語の呼び名があるのだと思う。そう考えると、日本は先進国だと言われているが、基本的生活レベルはネパール以下ではないだろうかと思った。


020409 ネパール人とインド人

今日街まで出かる途中、ちょっとしたことでインド人の男の子と友達になった。彼は、一見無愛想だが、話し始めるととても愉快な人だ。彼との会話の中では、よく冗談が出てくる。『笑いは健康に良い』というのが、インド人の考え方らしい。しかし、彼と通りを歩いている時は、いつもムスッとして話さない。なぜなら、ネパール人が「なんでインド人のくせに、日本人女性と歩いているんだ」と、冷やかすからだと言っていた。そして、彼の友達のインド人は、「ネパールはインドの子供みたいなもの。文化だって歴史だってインドの方が素晴らしい。ネパール人はいつもお金のことを考えてる。」と言ってとても嫌っているし、逆に知り合いのネパール人は「インド人はバカだ。いつもへらへら笑って、女性を口説いている。」と言って嫌っている。

確かに、ネパールはインドからつくられた国だと聞くが、それは昔の話である。今は、ネパールでインドからのテレビ番組を見る事ができるし、ネパール・インド間で両者が行き来する際には、ビザはいらない。多くのものがインドから入ってくる事で、ネパール人は自国独立を求めてインドを嫌うのか、インドを嫌うネパール人を見てインド人はネパールを嫌うのか。その点が、私にはまだ理解できない。

ただ単に、嫌いという理由なのだろうか。彼らの気に触らない程度に、もう少し本音を聞いてみたいと思う。


020408 これが、学校における問題!

今日は、K校(私立学校)で先生が集まり、もうすぐ始まる新学期について話し合いがあった。

話し合いは、殆どネパール語で行われたので、私にはさっぱり理解できなかったが、ある先生が何について話しているのか教えてくれた。彼女は言う「It’s a big problem!」と。それは、子供達にどの程度宿題を出すか、ということである。2日間休みがあるなら、2日分しっかり宿題を出しておかないと、保護者が怒るそうだ。

私はこの話を聞いて驚いた。どこかで聞いたことがある話・・。

今や日本でも、学校の後は塾三昧。学校でも塾でも、ちょっと宿題がないだけで大騒ぎをする親がいる。しかし、ネパールと日本で違うのは、日本では子供達は親が言うから塾に行き、またなんとなく学校に行く子供達が多いと思う。その一方で、勉強のし過ぎだからもっと外で遊ばなければ、という意見もある。私はどっちかというと、子供は遊ぶことで学ぶのだと思っている。しかし、先生達に「日本はどうなの?」「あなたはどう思う?」と聞かれ、“子供は大いに遊ばなければ!”とは答えられなかった。なぜなら、ネパールでは子供達は学校を楽しみ、勉強を楽しみ、また中には嫌がる子供達もいるが、学校に来る殆どの子供達が、勉強をしなければいけないと自覚しているようだ。勉強をしなければ将来仕事がない、生きていけないと思い、勉強するのに必死なのだと思う。現に、来年SLC試験を迎える子が「今年はずっと勉強しなくちゃいけないの。大変だけど、将来がかかっているから。」と少し辛そうに話していた。このような状況で、「子供はもっと遊んだ方が・・」とは言えなかった。

教育における勉強の割合というのは、各国各地域によって違ってくる。その国・地域に合った教育の仕方があると思う。現在進められているネパールの教育(特に私立学校)は、どのように子供達に影響し、子供達を育てていくのか、問題点や見習うべき点を含めてこれから観察していきたいと思った。


020407 ネパールの今

今日は、街に出た後二年前に家族で訪れたことのある、皮製品の店に行った。なぜなら、二年前その店で母が土産に数多くの商品を買い、姉と私であらゆる手段を使って値切った。そして最後に、安い値段の代わりに、何か日本の物をくれないかと言われたが、その時は何も持っていなかったので、私は写真を撮り今度来る時に持って来ると約束し、今回思い出したので立ち寄ってみたのだ。

店に入ると二年前と変わらない彼がいた。彼は私を見てすぐに思い出したようで、「椅子にかけて。お茶飲むよね?」と気軽に声を掛けてくれた。彼の隣にはお兄さんが二人いて、私に紹介してくれた。彼らは、ネパールの方が稼げるだろうと思い、8年前にカシミール地方からやって来たらしい。

しかし、毛沢東主義運動が活発になり観光客が激減している今、土産屋を営む彼らはかなりの打撃を受けている。収入の90%以上が観光客、それも大体がアメリカ人か日本人だと話していたが、現在街を歩いていても日本人はあまり見かけないし、トレッキング客の数は去年と比べて半減した、と友達のシェルパは言っていた。

彼らの話を聞いていると、稼がず勉強のためネパールに来た私は、なぜか申し訳なく感じてしまった。私は観光客ではなく、5Rsのサモサ(ネパールのスナック)でも我慢してしまう。ネパールにとっては、喜ばしくない客だ。だが何を言おうと、観光業で成り立つネパールにとって今必要なのは、海外からのお客様だと思う。観光業と聞くと、職業ぶってあまり好きではないが、違う見方をすれば、観光業とはお互いが助け合わなければ成り立たないものだと思う。ゲストは、その土地で楽しむことでお金を費やし、その土地の人は、ゲストが気に入るように上手くサーブすることでお金を得る。

至る所で様々な事件や争いが起きているが、どんな所にも多くの人が生活しているのだ、という事を忘れてはいけないと思った。


020406 海外の友達

海外で、日本人女性は甘く見られているという話をよく聞くが、私もそう思う。通りを歩いていても、すれ違った人から「ジャパニーズ!」とからかわれたり、ジロジロ見られたりするような気がする。私は、ネパール語が分からないのでハッキリとは言えないが、でも悪い方に考えると、いくらでも嫌味に聞こえる。ネパールに来た当初は、そういう事に慣れなくて、通りを歩くのも億劫だった。しかし、文化も違えば性別も違う。このような事は、どこにでも共通する事だと思うようになった。

ネパールに来て思ったが、普通に異性の友達を作ろうと思っても、異国では時間がかかるし、なかなか難しい。文化の違いによって、私が普通にしていることが、相手に違う意味をもたらすこともある。こちらはただ単に友達になりたいと思っていても、相手は違う目的かもしれないと思うと、警戒している上に、ちょっとしたことでもすぐ気にしてしまう。これは、また言葉の壁のせいでもあると思う。私の場合、ネパール語が分からないからこそ、余計に警戒してしまう。だから、いつも悔しい思いをしながら、想像して彼らの話を聞くことになる。

一応仲良く、でもそれなりに距離を置いて付き合っているが、文化が違う、性別が違う、言葉が違う友達というのは、なかなか疲れるものだと思った。疲れを感じなくなれば、本当の『友達』になるのだろうが・・・。


020404 細かいけど大事な事

今日は、なぜか知らないがメールで友達になったK君と、ランチを一緒にしてから買い物に付き合ってもらった。路地を歩いていると、彼がごく自然にゴミをわき道に捨てたのを見て私は、即「わき道に、ゴミを捨てたらダメだよ!」と言った。そして思った“多くのネパール人は、日本がきれいだと言うが、ネパールが汚いのは自分達がきれいにしなければ、と心掛けないからだ”。確かに、ゴミを拾うのは低いカーストの仕事ではあるが、ゴミの捨て方を考えなければ、ネパールは少しもきれいにならないと私は思う。ちょっとしたゴミ箱を作るだけでも、全く違ってくると思う。

ネパールに来て、今日で二週間。ネパールには、色々な受け入れ難い習慣がたくさんあるが、彼らの許容範囲で私にできることは、なるべく行動に移していきたいと思う。


020403 家族・親戚の絆

ネパールは、本当に家族や親戚の繋がりが強いと思う。色々な友達の家に招待されても、大抵はその家族から親戚まで、大人数で暮らしている。昨日今日と、シェルパの友達の家にお邪魔していたが、その友達のコーヒーショップにいると、次から次へと客が来る。それも、大体は親戚から従兄弟、はとこまで様々である。

日本では、親戚とは正月や盆に顔を合わせるくらいだが、ネパールでは、近くにいてお互いが助け合って暮らしているように思う。現に、親戚だからといって、食べたもの・飲んだものはタダではない。「そんなにいらないよ」と言いながらも(想像)お金を受け取っていたし、皆ちゃんと払っていた。

こんなに親戚が身近に住み、毎日のように会い、会話を楽しんで過ごせる時間を、とても羨ましく思った。


020330 笑う店には客来たる

今日は、一泊10ドルから一泊5ドルのホテルに移動した。このホテルは、街から少し離れた所にあるので、とても静かでのんびりとしている。一休みをしてから、私はその辺を散歩しに行った。ネパール人の住宅街であるこの地域は、商売気もなければ愛想もない。私の“よろしくスマイル”が無駄に感じる程だ。今までは、声を掛けられても無視をするのが習慣だったが、今は違う。逆に、反応がなく寂しくて孤独を感じてしまいそうになる。

どこの国にも、商売の上手い人、下手な人がいる。消費者は、一瞬で売り手の顔を見てその店に入ろうか入るまいか判断するものだと私は思う。つまり、商品を見るより先に売り手の顔を見るのだ。これは、ネパールで買い物をする時の必須の手段だ。なぜなら、ネパールでは品物に値段がなく、何を買うにも全て交渉制である。感じの良い店なら、こちらの我がままも言えるが、感じが悪いとあまり反抗できないし、買い物も楽しくない。

日常生活においても、商売においても「笑う門には福来たる」のである。


020326 布団の中での思い

今日は、寝込み始めて二日目。立ち上がるとまだ目まいがするので、ベッドで横になっていた。そして私は色々考えた。“どうしてお腹を壊してしまったのだろう”“もう、腹痛で痩せても嬉しくない”そして最後には“神様、私は何か悪い事をしたのでしょうか。早く治して下さい”と、神頼みをしている私がいた。

ネパールは、国教がヒンズー教であるが、仏教も深く信仰されている。ネパールには、世界一大きなブッダのお寺がある程だ。どうして同じ仏教徒なのに、このような差があるのだろうか。私は、ベッドの中で考えてみた。私達日本人は、普段から物に困ることのない裕福な生活をしている。一方ネパールでは、今だなおカースト差別が存在し、貧富の差が著しい。このような不安定な生活の中では、精神状態が弱くなり、誰かに助けを求めたくなるものだ。現に、私も精神、そして身体共に不安定な今だからこそ、神頼みをしている。つまり、生きていく中で何か欠如しているものがあると感じるからこそ、信仰が生まれるのではないかと思う。

このような発言は、神聖な信仰者に対して失礼に値するであろうが、「貧困が信仰を生む」というT先生の言葉を思い出した。


020323 英語の定義

ネパールでは、公用語がネパール語となっているが、英語もかなりの範囲で使われている。逆に、英語が通じるからこそ訪れやすい国とも言える。しかし、ネパール人の英語はネパール語なまりの英語である。つまり、発音がムチャクチャで聞き取りにくいのだ。その上、ネパール人はお喋りな人が多く、次から次へと話してくる。そして、私が「なんて言ったの?」と分からない顔をすると、「あなた英語が分からないのね」と解釈されてしまう。悔しくて「君の発音は違うのだよ」と言ってやりたかったが、ここでは多数決で私が負けてしまった。確かに、欧米の英語はきれいで流暢だと思ってしまうが、私はネパールに来て初めて分かった。英語や日本語やどんな言語でも、話す、そして通じることが言語の定義ではないだろうか。

欧米人みたいな発音、話し方、それは日本人にとっては“きれい”で“カッコいい”かもしれないが、私の定義は“通じる”ことである。言語も、『郷に入っては郷に従え』なのだ。


020322 ちょっとした習慣の違い

今日は、KC学校であるプログラムの表彰式があった。KC学校は、今度私がお世話になる学校なので、何か行事があるなら参加した方が良いだろうと思い、ネパール語のスピーチを用意して参加した。その表彰式は、講堂・・・と言ってもプレハブの建物だが・・で行われた。私は日本と同様、礼儀正しくと思い、講堂の入り口で靴を揃えて脱いだ。すると、日本語を教えているネパール人の先生から、「それは違いますね。ネパールはそのままでいいです。」と言われた。そう言われてみれば、上品そうな女性の先生でも、校長先生でも靴は脱ぎっぱなしだ。

日本人は、何をするにも先の事を考慮して行動する、つまり靴を脱ぐ時も、後で履きやすいように脱いだ時とは逆に揃えるのだろう。一方、ネパール人は後先の事は特に気にしないため、靴は脱ぎっぱなしなのだろう。常に将来性を考えて生きている日本人と、今が良ければそれで満足なネパール人。こんな小さな所にも、国民性の違いを感じた。