時 評
谷川昌幸
ネパール協会HP同時掲載

  2003年d (→Index

031231 軍事国家へ
031230 WTOの猛威
031229 運転手君の愛国心
031227 行き倒れ
031226b 銃と市街戦−−馴れるべきか否か
031226a ガス抜き学生運動
031225 曇天のにわか雨
031224 すさむカトマンズ


031231 軍事国家へ

市内いたるところに鉄砲を持った警官や兵隊がいる。いったい何人いるのだろう?

12月29日、サネパのサミット・ホテルでヒマラヤを眺めての帰路、バグマティ川にかかる大橋のところにも、わんさといた。

この大橋は、日本のO社建設の立派な橋で、広い歩道がある。なのに歩道を閉鎖し、車道を歩くようになっていた。これは深いネパール的叡智だと感銘し、さっそく写真を撮ろうと構えたら、ギョッとした。薄暮で気づかなかったのだが、歩道の端に土嚢を積み銃口をこちらに向け警官(兵士?)が鋭い目付きでにらんでいた。まさか撃たれはしないだろうが、カメラは没収されたかもしれない。カトマンズ側に渡って見回すと、カルモチャン・ガート側にも、やはり銃口が見えた。どちらも背後にはかなりの警官がいる模様だ。

この橋のカトマンズ側交差点にはすでに3回(往復で2回とすると6回)も来たが、銃口には気づかなかった。なぜ3回も? この交差点の信号は、最新ハイテク日本製で、本当に機能しているのか見物に来たのだ。文部省前とおなじく、交通量が多いと消灯されるらしく、6回のうち1回しか点燈していなかった。

これはこれで面白かったが、そちらに気を取られ、橋が重要軍事施設であることを忘れていた。この橋は、日本技術で建設されているので爆破は大変だろう。警備も、橋を渡る不審な人物や車両の阻止が主目的だろう。が、いずれにせよ、橋を大勢の武装兵(警官)で守らなければならないのは大変だ。

30日はTUに行った。ついでにキルティプールの丘に上り、一部破壊は始まったが、まだ残されている古い街並みとヒマラヤ遠望を楽しんだ。それはよかったのだが、リングロードからキルティプール付近は、兵隊だらけ。鉄砲を構え、あちこちを行進していた。誰がマオイストやら村人やら皆目見当もつかない。兵士の目はギラギラ、臨戦態勢だ。

これら命懸けの兵隊も大変だが、おびただしい兵隊さんたちを養う国民はもっと大変だ。人民戦争が本格化する以前は、ネパールは南アジアでは小国をのぞき最も非軍事的な軽武装の国だった。それが2001年以降、とくに前国王暗殺以後は、急激に軍備拡大し、軍事国家になろうとしている。軍は7万人への即時増員、そして将来的には15万人体制を目指している。産業の少ないネパールで、15万人も兵隊を雇ったら、麻薬と同じで、もう後戻りできない。

アメリカを見よ。世界最大の経済大国なのに、産軍複合体が政治を牛耳っている。軍は、軍自身の必要のために世界中で紛争を見つけ、介入し、定期的に武器弾薬を使用し、自己保存・増殖を図っている。そして、イラク派兵後、日本も武器輸出を解禁し、産軍複合体を形成し、アメリカの後を追うだろう。

アメリカ(そして未来の日本)にして、そうだ。ましてや、ネパールが軍事化すれば、もう後戻りはできない。軍隊が最大の産業(就職先)になれば、商品(戦争)を製造し、売らねばならない。アメリカのように、外国に商品(戦争)が売れればよいが、競争力のないネパールには無理だ。とすると、商品(戦争)は、もっぱらネパール国内で製造し販売することになる。

百害あって、一利なしだ


031230 WTOの猛威

ネパールはWTOに加盟し、自由経済体制に本格的に組み込まれた。WTOの影響そのものはこれからだが、WTOに象徴される市場経済はすでにネパールに甚大な影響を及ぼしている。

24日から5日間、カトマンズ市内を歩いて回ったが、どこでも商品が溢れ、しかも高品質外国製品に入れ替わっている。ディリーバザールのごく普通の商店でさえ、ゴアテックスのジャンパーやデサントなどのブランド品がある。ブランド品でなくても、素材は高機能工業品となっており、中国製が多い。説明が日本語なので、日本向け製品もネパールに流されているのだろう。

露天の商品も様変わり。時計、合繊衣類からラジカセまで、工業製品が山と積まれている。 市内ではまた、いたるところにハイカラなスーパーや専門店が新築され、にぎわっている。目立つのは、韓国、中国商店だ。日本の地方都市のうら寂しい廃虚のような商店街とは雲泥の差だ。

高級レストランの開店も多い。そして、結構はやっている。以前であれば、そのような店は外人か、外人と一緒のネパール人がほとんどだった。ところが、今では、地元民がごく自然に出入りしている。市場経済のおかげで、豊かになった人が増えたのだ。

彼らは近代的中流階級であり、権力寄生の封建勢力ではない。両者は雰囲気で一瞬にして見分けられる。旧特権階級は、一億総中流の日本人には近寄りがたい不遜の気配を持つ。ところが、ネパールのニューリッチは中流階級であり、万国共通、中流日本人と何ら変わらない。市場経済はネパールにも中流階級を生み出しはじめた。

彼ら新興中流階級が、市場拡大をねらう先進諸国の応援を受け、WTO加盟を図ったのは当然だ。規制緩和すれば、もっと儲かる。

が、圧倒的に高機能な素材や製品が堰を切ったように流入しはじめた現在、労働集約型の伝統産業はどうなっているのだろう? カトマンズ市内でも至る所で見られた糸紡ぎや手織り。重くて防寒性が低く、すぐ破れる。まだちらほら見られるが、壊滅は近い。素焼き壷も、プラスチック製品に勝ち目はない。記念に小さな壷を5ルピーで買ったが、あのディリーバザールの小さな古い雑貨屋も、竹籠や手作り箒とともに、1、2年で消えてしまうだろう。

無骨な真鍮製の食器や日用品も、土産物を残し、遠からず無くなるだろう。食器を秤にのせ、真鍮の重さで売り値が決まる。まるで金や銀のように。金属の貴重さを示す良き伝統だが、これもいずれ見られなくなるだろう。少々重いが、記念に真鍮製の水差しを、秤で計り、1200ルピーで買った。

伝統的な衣類や陶器や金属製品をつくってきた無数の人々は、これからどうなるのだろう? 彼らの製品に市場競争力は、ない。

思えば、ガンジーは幸せだった。糸を紡げば、インド民衆は彼を支持し、イギリス帝国を屈服させる事が出来た。ネパールで今、糸を紡いでも、ファッショナブルで軽く暖かく強靭な衣服を手にした民衆は、見向きもしないだろう。


031229 運転手君の愛国心

4日前にカトマンズにきて以来、毎日数回タクシーを利用している。タメルから市内各所へ、40〜80ルピー。ずいぶん高くなったが、台数が増えほぼ全車スズキで、新車も多く便利で快適だ。

タメルの出口、文部省前交差点では、O社設置の最新信号のおかげで、しばしば渋滞する。(交通量の少ないとき点燈、多いと消燈!) 渋滞すると、子供たちが外人の乗ったタクシーに駆け寄ってくる。

ネパールがそうなることを最も恐れていたことが、現実のものになった。先にショックだと書いたが、事態はもっと深刻だった。こうしたモラル・ジレンマに対して、特権外人はどう対処したらよいのか?

昨日(12月27日)のジレンマは、具体的には、物乞い少年−特権外人の私−タクシー運転手の三角関係から生じた。

タクシーはピッカピカのスズキ新車だが、運転手は英語をまったく解さない。(「国立スタジアム」といったのに、「空港」に行きかけた。) おそらく地方出身で、売り上げの相当部分を会社に召し上げられ、苦しい生活であろう。 私は、いうまでもなく地元民からすれば大金持。地方農民の月収位を平気で夕食に浪費するのだから、ケチではない。

物乞いの子供たちは、次々に私のタクシーにやってくる。何と全員が英語をしゃべる! それも、私の和製英語よりも、はるかに立派な本格英語だ。

ここで私はジレンマに捕らわれる。生きるために英語まで覚え物乞いする子供たちに、いくばくかの施しをすべきか否か? 私は金持ちだから出来ないことはないが、施しをすれば、周知の問題が生じる。が、施しをしなければ、彼らは今日を生きられないかもしれない。このような状況のとき誰もが感じるありふれたジレンマだ。

英語を駆使した路上物乞いは、寺院前の伝統的な制度化された施しとは本質的に異なる。伝統的施しは、道徳的であり、施与者には功徳が保障されている。与える者も与えられる者も感謝し、施せば施すほど人々の徳性は高まり、国は倫理的に立派な国となる。

ところが、今年出現した(と、あえて断言しよう)カトマンズの英悟使用物乞いは、近代的、非倫理的、売国的であって、施せば施すほど皆が堕落する。与える者はますます傲慢となり、与えられる者は卑屈となり人格を破壊されてしまう。西洋人好みのカースト制の悪なんか比べものにならないほどの、近代的巨悪だ。

結局、私は施さないことにし、数人断ったとき、それを見ていた薄給のはずの運転手君が5ルピーを少年に与え、そして、青信号でモラル総本山の文部省前を離れた。

運転手君の心情は察するに余りある。1泊15ドルもする高級(地元民と私にとって)ホテルに泊まっていながら、ケチな外人だ。同胞がバカにされてたまるか! ギブミー・チョコレートに怒った日本人が愛国者になったように、運転手君もそのときナショナリストになった。彼は伝統的施与者ではない。モラル総本山・文部省の支持者でもない。彼の心情に一番近いのは、ネパール唯一の近代的ナショナリストたるマオイストだ。

私は、N氏のいうように小心だが、善意の旅行者だ。悪意はこれっぽちもない。にもかかわらず、ここカトマンズでは、私の存在自体が悪なのだ。もし運転手君と5ルピー少年が、この日の屈辱の体験を機にマオイストになったら、爆殺されても仕方ないだろう。

マオイストがもう1歩近代化すれば、外人は害人となり、排斥されるだろう。そして、ネパールはネパール人のものになる。不寛容なグローバル化世界がそれを容認するならば・・・・。


031227 行き倒れ

今冬のカトマンズには、行き倒れらしき人が異常に多い。生きているのか死んでいるのか? ピクッとも動かない。路上で寝ているのであれば、それらしき姿のはずなのに、まるで物体のように、ゴロンと転がっている。

カトマンズは高地であり、夜間は放射冷却で急激に気温が下がる。いくら頑健な地元民でも吹きさらしの路上では耐えられないだろう。生きておれば、多少とも防寒の努力をするはずだ。死んでいるのだろうか?

路上生活者は以前からいた。しかし、彼らは、確かに「生活」をしていた。ところが、いま路上に転がっているのは物体であり、「生活」しているようには見えない。

行き倒れは、どの位いるのだろうか? 統計は金になる。貧困も非識字も、統計を取るといえば、統計脅迫症の先進国が職と金をくれる。ピッカピカの最上質紙フルカラー印刷でドナー向けに印刷配布すれば、一件落着。数字は新しくなければダメだから、仕事は毎年、永遠にある。めでたい。というわけで、「行き倒れ統計」もあるはずだが、まだ目にしていない。

統計数字では示せないが、もし行き倒れが増加したとすれば、それは共同体崩壊のもう一つの症状といえる。日本では、かつて村には貧困や不幸はあっても、見捨てられた人なんか一人もいなかった。いくら惨めでも最低限生きるだけのことは、村共同体が保障していた。

ネパールでも、以前はおそらく同じであったろう。カトマンズにも悲惨と思えるような生活をしている人が、寺院付近にかなりいたし、路上で施しを受ける人もいたが、物体のように見捨てられた人という感じではなかった。共同体の中で、いくら惨めでも、それぞれの居場所を与えられ、それなりに面倒を見てもらっていることが十分に感じ取れた。

今の「行き倒れ」は、彼らとはまったく異なる。共同体から見捨てられ、路上に物体のように転がり、そして多分いつか死んでしまうのだろう。


031226b 銃と市街戦−−馴れるべきか否か

痛みや不幸が繰り返されると、予防本能が働き、心身はそれを感じなくなる。馴れだ。だが、痛みは警報であり、馴れて鈍感になると、危険回避ができなくなる。

私自身、カトマンズ滞在3日にして早くも防御本能が働き、恐怖を感じなくなりはじめた。1昨日(24日)、中央郵便局に行った。入口の守衛所に警備兵がいて、銃口がちょうど心臓付近に来る。門を入ると、兵士がさっと銃に手をやる。心臓が止まりそうになった。帰りに上を見ると、2階にも土嚢を積み、兵士がやはり銃を構えている。怖かった。

昨日(25日)、また郵便局に行った。同じく兵士が銃に手をやったが、もう1昨日ほどの怖さは感じなかった。1昨日の私と昨日の私の、どちらが正常なのか?

昨日はまた、トリチャンドラ・キャンパス前で小規模な騒乱に出くわした。怖かった。今日は、パドマカンヤ女子大に行くと、校門前のバグバザール一帯が投石と放火で大混乱だったが、もうそんなに怖くはなかった。ずっと接近し、写真までとってしまった。われながら異常だ。

今この国では、毎日のように戦死者が出ている。日本の1/3の小さな国で、1昨日は10人も死んだ。ところが、虚栄の市カトマンズで3日も過ごすと、もう馴れて安心してしまう。僕は外人だ! 襲われるはずがない。トレッキングにでも行こうか。これは、正常な感覚だろうか?

数年前、ドイツ人は児童労働で生産された絨緞の輸入を禁止した。買わなければ子供が働けなくなり、もっと不幸になると、ネパールから轟々の非難をあびても、断固買わなかった。少女の指が糸で擦り切れ、血に染まった絨緞を、足下にすることは出来なかったのだ。

内戦の不幸と危険を語れば、観光客が減る。そうかもしれないが、それはいたしかたあるまい。


031226a ガス抜き学生運動

予定通り、コングレス系学生組合NSUと共産党UML系UNFUSの3指導者が無罪放免となった。学生組合は勝利といっているが、馴れ合いのガス抜きに利用されているに過ぎない。

学生組合は何を要求しているのか?
(1)2002年10月4日の首相解任取り消し
(2)立憲君主制再建
(3)マオイスト問題の話し合い解決

この目的実現の手段は?
25日(木) 各キャンパスで国王専制反対スローガンを5分間唱和
26日(金) 人形(国王の?)を焼く
27日(土) 街頭デモ
28日(日) たいまつ行進 (KTM-P, Dec25)

まるで、壊れた蓄音機。古き良き戦法で、特権階級寡統制を再現しようとしている。いまさら蓄音機でもあるまいに、復古調学生運動に人民動員力はない。

人形焼きなんかやって、焼かれるのは、パピット学生組合自身ではないのか? 身代わりパピット人形なんか焼いても、大道芸にもならない。政党お偉方は、ガス抜きのつもりだろうが、漏れたガスに火が付き、飛び火で大火になるのが心配だ。


031225 曇天のにわか雨

昨日(23日)、空港からタメルまでの移動では街は平静にみえたが、今日は市内各所のキャンパス付近が市街戦の様相だ。交通遮断し、兵士がライフルを水平にかまえ(いつでも撃てる状態で)、警戒している。

実は23日、Amrit Science CampusやSaraswati Campus付近で、学生と軍が衝突し、軍がデモ隊に向け5回にわたり発砲、かなりの負傷者を出していた(1人重体)。

今日の衝突の直接の発端は、12月12日の学生リーダー3人の逮捕。学生組織のデモで、反王制のスローガンを叫んだとして3人の指導者が逮捕され、特別法廷に反逆罪で起訴された。

手元に資料がないので詳細は分からないが、日本では反逆罪は大罪で、最高刑は死刑。ネパールでも、反逆罪が大罪であることに変わりはあるまい。

学生たちは逮捕、起訴に起こり、反政府活動を激化させ、昨日から軍と衝突するにいたった。政府は、反逆罪での起訴を取り消し、事態を収めようと画策しているが、展開は予断を許さない。

以前、「曇天は雨天よりも危ない」と書いて、ネパール好きの皆さんの怒りを買ったが、今回の事態は、いわば「曇天のにわか雨」。本格的な雨天になるか、それとも曇天に戻るか? 現在は、どちらにもなりうる危険な曇天状態といってよいだろう。


031224 すさむカトマンズ

23日空港着、タメルのホテルへ。わずか数時間の印象だが、カトマンズは9ヶ月前の前回訪問時よりも一段とすさんだ感じがする。

乾季のカトマンズは快晴。ヒマラヤが良く見え、ブーゲンビリヤが咲き乱れている。空気も、排気規制のおかげで格段によくなった。治安は小康状態。王宮付近でさせ、警備兵は見当たらなかった。

それにもかかわらず、街の印象は暗い。ショックだったのは、渋滞の車に寄ってきて物乞いする子ども。タメルでも、ストリートチルドレンの一団が、道端にたむろし、物乞いをしていた。こんな光景は、初めてで、愕然とした。

観光客は少ない。以前、タメルは事実上外人租界で、一般のネパール人は、あまり立ち入らなかった。ましてや良家の子女は、風紀乱れるタメルへの立ち入りは厳禁だった。

ところが、観光客が減ったせいか、タメル地区でも地元民の姿が多くなった。風俗の改善も観光地物価の低下もみられないのに、なぜ多くの地元民が・・・・?

街が暗いという印象は、ハデなクリスマス装飾が無くなったことが一因かもしれない。もちろん、クリスマスのバカ騒ぎが無くなったのは、理由はともあれ、めでたい。クリスチャンが祝うのは当然だが、神々の地カトマンズがケバケバしいクリスマス装飾で毒され、素性怪しきサンタまでが街を徘徊するのは、見るに悲しい情景だった。

むろん、イエス・キリストがビシュヌ神の化身の1つとなり、仏陀と同格になれば、話は別だ。そうなれば、サンタがクマリと並んでピースサインで記念写真を撮っても許されるだろう。

街の暗さの原因は、クリスマス装飾が無くなったことよりも、むしろネパール社会の根本的変化にある。近代は、そもそも不機嫌で憂うつな文明だ。先進諸国は、近代的生の無意味を、はかない物質的浪費でごまかしているが、途上国ネパールの庶民には浪費の糧がない。

かつては、失業者なんかネパールには1人もいなかった。皆、それなりに生きる意味を了解し、したがって陽気だった。が、浪費の糧なき近代化で、ネパール庶民は生きる意味を見失い、不安と憂うつと不機嫌だけを手にしたのだ。

第一印象は、えてして正しいものだ。カトマンズが暗いのは、そんなところに原因があるのかもしれない。


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