N A K S A A
    シェルパの子供たち
       
                   ――長崎大学教育学部  本庄聡子

                    (インターネット版/2000.11.30)         

2000年 

9月30日(土)曇りのち晴れ

今日はとうとう待ちに待った日。

これからどんな旅行になるのか、胸を膨らませながら目を覚ました。

今回は格安航空券を購入したので、バンコクで乗り換えがあり行きは18時間、帰りは6時間も待たなくてはならなかった。そのため行きはタイのホテルに泊まり、夕食はチャオプラヤ川の側で4人でしめて600円のディナーを楽しんだ。

 

10月1日(日)少し晴れ

今朝は興奮していたためか?それとも朝食がバイキングだったためか?7時に目を覚ました。期待していた以上に、種類が豊富で感動したバイキング。睨む母の目を盗んで、姉と何度も取りに通った。

昨日と同様リムジンで空港まで送ってもらい、チェックインを終えていざネパールへ!

カトマンズに着くと、まず私達を待ち受けていたのは入国審査の長い列だった。ネパール式に気長く待ち、なんとか外に出ることができて次に驚いたことは・・・。

出口の周りがとても整備されていて、前回と違って子供達が寄って来なかったことだった。前回は、「荷物を運ぶ!」とあちらこちらから子供達が近づいて来て、最後にチップをねだったのに、今回はこの変わり様に驚いた。

そしてもう一つ驚かされたのが・・・。突然「本庄さん」と声を掛けられ、誰だろう?と思い顔を上げてみると、前回のトレッキングでお世話になったコックさんの“パサン”さんだった。

私達が今日着くと知って、迎えに来てくれたらしい。

2年半ぶりに再会したパサンさんは、少し痩せていたが優しい顔は変わっていなかった。今回も、前回のメンバーでトレッキングに臨みたかったのだが、それぞれ先約が入っていて皆と再会することはできなかった。唯一、無理を言ってシェルパの“フルバ”さんについて来てもらうことになっていた。               

 

10月2日(月)晴れ

今日は10時発の小型飛行機でルクラに向かった。

国内線の空港は、国際線よりゴチャゴチャしているため、自分達の荷物は自分達で管理しなければならない。気付いたら、荷物が足りない、ということがしばしば起こるからである。それぞれがどの荷物を担当するか決め、空港に乗り込んだ。

「荷物あるー?」「あるよー!」と大声を出しながらX線検査を無事通り抜け「荷物を持つよ」という声も上手く交わして、やっとカウンターに行くことができた。

それからは万事上手く進むだろうと思いきや、今度はセキュリティのボディーチェックで捕まった。係りの人はリュックの中を検査し始め、私の洗面用具入れを見つけると「これを開けろ!」と言い出した。仕方なく言われた通りにすると、次は質問責めだった。

「これは何?」「これはどうやって使うの?」

そして私は気付いた・・・彼女たちは見慣れないものに興味があったらしい。

英語で上手く説明できない私は、ジェスチャーを使って一生懸命、しかし笑顔を忘れず説明した。

よく“日本人はいつもヘラヘラしている。”とけなされるが、私は笑顔は大切だと思う。旅行をしている時にこちらが笑顔を振り撒くと、よく声を掛けられるような気がする。別に変な意味ではなくフレンドリーだと見なされていると思う。だから今回も思いっきり笑っていようと思った。

そして、私のジェスチャーがそんなに面白かったのか?バカにされてしまったのか?しばらくして「行って良い!」と笑って言われた。

小型飛行機に乗るのは初めてだった。定員20名、破れたシートに今にも外れそうなハンドル。いくらセカンドハンドといえども、この内装を見ると今後の私の運命が気遣われた。

飛行機が動き出すと、後ろからスチューワーデスが手を伸ばして飴と“わた”をくれた。この“わた”は、耳栓代わりである。

エンジンのもの凄くけたたましい音と共にプロペラが回り、気付かないうちに機体は浮いていた。

座席からは、機体の細かな動きを感じることができた。雲の中に入っていく時はもちろん、小さな揺れもわかったし、左右に曲がっていることさえも感じられた。

離陸から約1時間が過ぎた頃、外の景色は山肌が削り取られた岩山や緑の深い山々が一面に広がっていた。そして、操縦席の窓から正面に小さな空き地を見つけた。もしや・・・。

案の定、それがルクラ空港だった。滑走路は300m程しかなく、滑走路の突き当たりは“壁”だった。

「どうやって止まるのだろう?」と心配していたが、さすがに技術は最高と言われるだけあって、たった300mの滑走路を坂を利用して逆噴射し、壁にぶつかる寸前で右に曲がり止まった。

飛行機から降りて、この山の奥深くに作られた原始的な空港に感心していると、いつの間にか私達の乗って来た飛行機は帰りの乗客を乗せて、雲の中へと飛び立っていた。

 とうとう始まったトレッキング。今回はエベレストを目指して歩き続けるのだ。

歩き始め、ルクラの町を通り過ぎていると、周りは日本人にソックリな顔をした人ばかりで驚いた。

この辺りはシェルパ族が住む地域であり、シェルパは日本人に似た顔をしている。昔、チベット方面からやって来た民族で、ラマ仏教を信仰している。

木々に囲まれた道を進むと“チョーテン”と言われる、お経が書かれた石(マニ石)を積み上げてできたものを見つけた。これがあると、向かって左を通らなくてはいけない。これは、ラマ仏教徒のみがすれば良いことなのだが、フルバさんと一緒だったので私達もラマ仏教徒になった。

昼食を食べ終わるとフルバさんが「この近くに実家があるから、行きましょう!」と招待してくれた。

家は少し高台にあり、幸福を意味する旗“タルチョー”が掲げられていた。ご両親は、乾燥と強い日差しでしわが深かったが、優しさが顔に溢れ出ていた。私達を歓迎してくれ、“シェルパティー”というミルクティーにバター&塩を入れたシェルパ特有のティー(お茶)を出してくれた。

「シェルパティーはシェルパ族の元気の源」と言われるように、飲むと体が温かくなり元気になったような気がした。味はカナリきついものがあったが、「こんなこと、普通のツアーでは体験できない!」と思い、味わって頂いた。

その上、神聖な場所である仏壇まで見せてくれた。信仰深いのか、決まったことなのか分からないが、どの家も仏壇のある部屋=寝室になっていた。

本当はたくさん写真を撮りたかったが、宗教の違いを気にして2,3枚で遠慮し、トレッキングを再開した。

今日の宿は“パグディン”。通りに沿ってロッジが立ち並ぶ、小さな町である。

ロッジは思っていたよりも清潔で、電気はなかったが洗面所がロッジ内にあって便利だった。

荷物を部屋に置いて下のキッチンを覗きに行くと、そのロッジの子供が3人手伝いをしていた。

「ナマステ(こんにちは)」と声を掛けると、恥ずかしそうにニコッと笑ってくれた。そして、早速この子達に絵を書いてもらうことにした。

ここの家族は3年程カトマンズに住んだことがあり、子供達は10歳と言えども英語でコミュニケーションすることができた。

「絵を描いて」と言うと喜んでOKしてくれ、紙を渡すと熱心にクレヨンを動かし始めた。

男2人・女1人の3人兄弟で、一番上のお兄ちゃんは、自分がエベレストに登っているところを描いた。

もう一枚には自分の家を指して「僕の家だよ!」と叫んでいるところを描いた。エベレストに登るのは夢だと言っていたが、自分の家を描いたのは家族を大事に思う気持ちから来ているのだろうか?

絵を描き終わると、お兄ちゃんはすぐに私達の夕食の準備の手伝いに行った。続いてお姉ちゃんも、弟も手伝いに行ってしまった。

薪を取りに行ったり・部屋の掃除をしたり・ご飯を運んだり。

仕事分担がされているのか、感心にお母さんから言われなくてもテキパキと働いていた。

後で、絵を描いてくれたお礼に鉛筆2本と、知り合いのお姉さんに集めてもらったタオルハンカチをプレゼントすると、喜んでお母さんに見せに行った。

この家庭はとてもあたたかく、家族全員が協力し合って生活しているような雰囲気を感じた。

この夜は、電気がないため部屋に戻るとすぐに寝袋に潜り込んだ。

 

10月3日(火)晴れ

今日は一気に高度を上げて3400mにある“ナムチェバザール”を目指す。

歩いていて気付いたのだが、この辺りは子供達がトレッキング客に飴やガムなどせがんでこないのだ。

前回行ったアンナプルナ方面では、至る所で「お菓子ちょうだい!」と近づいて来たので、断るのに心苦しかった。

“ジョーサレ”という所で「国立公園入園許可書」を取り、サガルマータ(エベレスト)国立公園に入った。

ジョーサレからは少し下りがあって、それからは上りが続いた。

しかし、ネパールに来る前に2日に1回はジョギングをして、体力アップを図っていたためか、今回は上りばかりでもそれ程しんどくなかった。そして予定よりも早くにナムチェバザ−ルに到着し、ロッジに入った。

ナムチェバザールは、思っていたよりも道は狭く土産物店ばかりに囲まれ、至るところでゴミが目についた。

今日のロッジは大規模で、家族経営でなくコミュニケーションが取り辛かった。

そして、ロッジ内に水道がなかったため近くの共同水飲み場?に行って水筒に水を汲み、それを洗顔&歯磨き&手洗いに使った。もの凄く冷たかったが、顔が洗える!歯が磨ける!手が洗える!ことがありがたく、冷たさなどは気にならなかった。

 

10月4日(水)晴れのち霧

今朝は6時に起き、近くにある丘に登って世界一の“エベレスト(英語)=チョモランマ(シェルパ語)=サガルマータ(ネパール語)”を見に行った。

その丘へは徒歩約30分の道のりなのだが、フルバさんのペースについて行ってしまったため途中で苦しくなった。しかし、丘を上がるにつれて雪に覆われた山々が顔を出し、遂にあの“エベレスト”を目にすると、一瞬にして心の底から喜びが湧き上がってきた。

「オォォォォォォッー!」と叫ぶくらいしか言葉は出なかった。まさに、山々が迫ってくるようだった・・・。

朝食を終え、今日はシャンボチェ(3700m)を通り過ぎてクムジュン(3600m)に向かった。

途中、知る人ぞ知ると言われる“エベレスト・ビュー・ホテル”に立ち寄った。ここは、日本人が経営していて、晴れた日にはホテルからエベレストを一望できる。宿泊料金は2〜3万円とかな高いが、カフェでお茶を飲むことだけでもできる。カフェには白人のトレッキング客が数多く来ていたが、私達はホテルの外観をチラッと見るだけで先に進んだ。山は、歩いている途中に見るのがよいのだ。(結局は、お金が惜しかったからなのだが・・・)

ビュー・ホテルに行く途中、ある丘を越えた。その丘で寝転んで一休みをしていると、雲が丘の下から上がってきた。そして立ち上がると、雲が私に迫って来たのだ。

雲の中はほんのり冷たく、一瞬にして通り過ぎもっと上へ上って行った。

ナムチェバザールからクムジュンまでの道のりは短く、昼にクムジュンに着いた。

クムジュンはナムチェに比べると土地は広く、家の他には農地があるのみである。

その農地では牛が寝転び、その横では子供達が凧で遊んでいる光景をよく目にする。

昼食後散歩に出かけ、学校を見に行った。

山の中の学校なのにガラス窓もあり、机も椅子も黒板もある立派な学校だった。そして私がとても気に入ったのは、運動場がとても広いことである。

「こんなに広いなんて、運動会をしたら、どんなに楽しいことだろう!」と夢を膨らませる・・・。

クムジュンから少し上がったところに“クンデ”という、もっと小さな村があった。

そこには病院があり、手術室やX線撮影室も見られた。そして、高山病になったトレッキング客がよく足を運ぶそうだ。

クムジュンに戻ると、ロッジの側で4,5人子供達が遊んでいるのを見つけた。なんとなく近づいて「ナマステ」と声を掛けると、何か話しながらだんだんと近づいて来た。

子供達は汚れと日焼けで真っ黒であったが、その満面の笑みの中にはどこか和ませてくれるものを感じた。

英語は分からなかったのでどうやって遊ぼうか困ってしまったが、適当に「アルプス一万尺」などを姉と披露していると、喜んで一生懸命真似し始めた。

教えてあげようと思って彼らの手を取ろうとすると、始めは恥ずかしそうに手を引っ込めたが、私が「ほらっ!」ともう一度手を差し出すと、子供達も手を出してくれた。

その時思った・・・

どんな人とでもコミュニケーションをする時に大事なことは、自分がまず相手を受け入れることだ。自分が相手を好きにならずに、どうして相手が自分を受け入れてくれるだろうか。

最終的には「大きな栗の木の下で」と「月が出た出た」の指遊びが一番気に入ったらしく、結局5,6回もさせられ、当分その歌が頭から離れなくなってしまった・・・。

そして「フェリベタウンラー(=See you again)!」と言って別れた。

その時、本当に「フェリベタウンラー」になりそうな気がした。

また、会おうね!

 

10月5日(木)晴れ

今日は高度を200m上げて“タンボチェ”(3800m)に向かう。

たった200m上げればいいだけだ!、と余裕で出発すると、目の前には下りばかり。ということは、どこからか上りが待っているはずである。

気が重なっている時、後ろから聞こえてくるのはフルバさんのシェルパソング。リズムにのって軽やかに歌うフルバさんの声を聞くと、こちらも元気が出てくる。

言葉の意味など全く分からない。だけど、歌っていると楽しいから歌い続ける。下りがあろうと、上りがあろうと、それは山の神が決めたことなのだ。目の前にある道を、私達は進む。

結局、予定より早い2時半過ぎに到着した。

“タンボチェ”は丘の上にあり、正面はエベレスト、後ろを振り返るとクムジュンが見える。ナムチェバザールよりももっとエベレストが近づいて見えた。

部屋に着いて荷物を降ろしてから散歩に出かけた。

タンボチェには、男性しか修行で入ることの出来ない寺院がある。これはラマ仏教のお寺で“ゴンバ”と呼ばれる。私達は観光客として入ることが出来た。

彼らの服装は赤布を巻きつけ、袖はなく寒そうだった。どんな修行をしているのか、どんな生活なのか聞いてみたかったが、神聖な場所だから・・と思い遠慮した。

クムジュンの寺院でも感じたが、この辺りの人々は信仰深い。それ程信仰心がなく、しかし一応仏教徒になってる私とは違う。彼らは、日々の生活をのんびりと楽しみながら暮らしているのだが、常に神を敬う心を持つ。彼らの神はヒマラヤの山々なのかもしれない・・・。

 夜、歯を磨きに外に出ると・・空には一面の星が輝いていた。しばらくの間、姉とハブラシを口にくわえたまま夜空を眺めていた。そして下を向くと、クムジュンが雲に覆われて霞んでいた。タンボチェぐらいの高度になると夜は雲が下に降りてしまうため、この辺りの空は晴れるのである。

昨日は雲を体で感じ、今日は雲を上から見下ろした。

そして、こんな高いところまでやって来た自分を少し見直した。

 

10月6日(金)とっても晴れ

今朝は、早起きをしてエベレストの日の出を見に行った。

山の日の出は、高い山の山肌からだんだんと明るくなることによって知らされる。その部分を見つけて初めて、この山の方が高かったんだ、と気付く。

今日からは父と姉、母と私の2グループに分かれ、それぞれの目的地に向かう。

私は子供達の絵を集めることが今回の第一の目的だったため、これ以上上を目指すのではなく、この辺りで大きな村“ナムチェバザール”に戻ることにしていた。

しかし、あまりに“クムジュン”が気に入ってしまったため、我がままを言って急遽クムジュンに変更してもらった。

2度目のクムジュンは私達を温かく迎え入れてくれた・・・。ナント!、小さなカフェを見つけたのだ。

当然のこと入ってみると、“フレッシュ・フィルター・コーヒー”(50円)や“アップルパイ”(180円)などパンから飲み物まで種類が豊富にあるのだった。味の方は、予想以上に美味しくて感激した。

考えてみれば、いつも朝・昼・晩と同じようなものばかり食べていた。朝はトースト(50円)・具なしスープ(クノール)(80円)・オムレツ(とは言えない程、薄かった)(120円)、昼は炒飯(運が良ければ菜っ葉やニンジン・キャベツが入っている)(150円)・ヌードルスープ(もちろんインスタント)、夜はフライド・ヌードル(焼きそばみたいなもの)(75円)・ダル(豆スープをご飯にかけて食べる、ネパール人の主食)(180円)などであった。これだけの種類が毎日ランダムに回ってくるのだから、飽きてしまうのも仕方ない。

しかし、山登りをすると消化が早いのか、歩いているといつもお腹が鳴っていたような記憶がある。だから、いくら食べ飽きたと言っても毎回の食事が楽しみで、いつも味わって食べていた。

このカフェ発見は思いもよらず、また思いもよらぬ食べ物にありつけたため、私も母も感激してクムジュンの印象がさらにポイントアップしたのだった。

ふと窓の外を見ると、10歳くらいの子供達が3人凧で遊んでいるのを見つけた。

店を出て、前もって調べておいたネパール語で「ナクサティ?(絵を描いてくれない?)」と声を掛けた。

子供達は難のためらいもなく「ウォンツァ!(OK!)」と答えてくれ、地べたに寝転がって一生懸命、紙一杯に絵を描いてくれた。すると、どこからか15,16歳の男の子が4、5人走って集まってきて

「何してんだー?」「おれもやりたい!!」と言い出し、私の周りは大騒ぎとなった。

今度の男の子達は15,16歳だったが英語がかなり達者で、コミュニケーションには困らなかった。

この辺りはシェルパ族が多く住んでいるので、日常ではシェルパ語を話すのだが、学校ではネパール公用語のネパール語と英語を習っているそうだ。

しかし、英語で質問に答えたりすることはできるが、文法や発音はまだまだだと思った。おそらく、生活に困らない程度(トレッキング客と会話できる程度)に習い、あとは自学自習なのだろう。

どの男の子の絵に見られるのだが、ヘリコプターはみんなの憧れのようだ。車も自転車もなく、交通手段は自分の足に頼る彼らにとって、ヘリコプターは特別な乗り物なのだろう。

この辺りでは一日に2、3回はヘリコプターの音を聞く。エベレストBC(ベースキャンプ)へ荷物を運んでいるのか、またはエベレストが一望できるエベレスト・ビュー・ホテルの泊まり客を乗せているのかもしれない。

絵を描いてもらったお礼に、鉛筆とハンカチタオルをプレゼントした。みんな喜んでハンカチを振り回しながら持って帰えるのを見ていて、とても微笑ましかった。

子供達が帰って一息ついていると、今度はおじさんが二人寄って来た。そのうちの一人はニコニコと常に笑い、私が片言のネパール語を話すと「あなたネパール語話せるんだ」と喜んでピョンピョン跳ねていた。そして自分の方を指さしていたので、絵を描きたいのだと思って紙を渡すと「ホイナ、ホイナ(違う)」と言った。

なんなんだろうと困っていたら、近くにいた男の子(先程行ったカフェで働いている。家はクムジュンから歩いて6日かかる所にあるそうだ)が「自分を描いて欲しいみたいだよ」と教えてくれた。意外な展開に驚いたが、母と私でその“ちょっと変わったおじさん”をモデルに似顔絵を描いてあげた。

あとで知ったのだが、多分そのおじさんはダサイン(ネパール最大のお祭り)でお酒を飲んでいたらしい。しかし、どこかの国の酔っ払ったおじさんとは違って、見ていて微笑ましかった。

だんだんと暗くなってきたのでロッジに戻ろうとすると、子供達がこちらを向いて笑っている声がした。

 2日前に遊んだ子供達だった!

私が嬉しさのあまり、「Hi!」と声を掛けると近寄ってきてくれた。

しかし言葉が通じないので、私が一生懸命話し掛けても分からない様子だった。せっかく再会できたのに、会話が出来ないことに対して少し苛立ちを感じていたら、ある子が「ヨイ、ヨイ!」と言って指を差し出した。そして、次に両手で栗の形を作って私に笑いかけた。

それは、前回教えた「大きな栗の木の下で」と「月が出た出た」のことだった・・・。

すごく嬉しかった!私という存在だけでなく、遊んだことまで覚えていてくれたなんて。

彼らの頭に焼き付くぐらい、何度も何度も繰り返して教えた。そして、家に帰らないといけない暗さになったので“バイバイ”をした。

今度も「フェリベタウンラー」が実現しそうな気がした。

 

10月7日(土)曇りのち晴れ

今日は朝早く、昨日行くはずだった“ナムチェバザール”に向かった。というのも、週に一度開かれる“バザール”に行きたかったからだ。

バザールは、ネパール人が開く食糧&日用雑貨のバザールと、チベット人が開く衣類&カーペット類のバザールに分かれていた。

バザールは、ナムチェに住む人からクムジュンに住む人からトレッキング客から、もの凄い人込だった。

クムジュンからナムチェまでは、私達の足では半日コースのトレッキングになるのだが、住み慣れた彼らにとっては30分の道のりで、毎日何度も行き来する。ナムチェの子供達は、毎朝峠を越えてクムジュンの学校に通っている。

バザールを見歩いていると、ある男の子が私を見て、突然ちょっかいを出してきた。

「もしかしてクムジュンで会ったことがあったっけ?」と思い、笑いかけて少し話をしたが、後で考えてみるとその子とは初対面だった。しかし、この辺りの子供達は皆フレンドリーだ。外人慣れをしているというわけではなく、自然に他人を恐がらずに近寄ってくる。何に対しても興味深いのだろうか?

バザールでは品物は安く手に入れられ、ガムと飴を買ったのだが原産地は韓国だった。殆どの物が輸入されているようだ。

また、果物に飢えていたのでりんごとバナナも買った。山で果物を食べることは、とても贅沢なことである。

紅玉よりも、季節外れの甘味の少ない日本のりんごよりも、酸っぱい“りんご”と、黄色に色付き始めたばかりと思われる小さな小さな“バナナ”だったが、有り難く味わって食べた。

この日のロッジには、女の子(ナマ・ニミ・シェルパちゃん)がいたので絵を描いてもらおうと前々から思っていた。

しかし、いつ見ても家の手伝いや弟の面倒を見たり、働いてばかりだった。朝から牛の糞集め(これを日干しにして燃料に使う)・ロッジの部屋&台所の掃除・牛の乳搾り・皆の夕食作り・

後片付けなど、仕事が終わるともう夜になる。

夜の8時頃になってようやく、皆が集まる部屋にやって来たので絵を描いてもらうよう頼んだ。

しかし驚いたことに、14歳ともいうのに、クムジュンの男の子達と違って英語が全く通じなかった。

片言のネパール語で尋ねると、学校に通っていると答えたが、多分毎日は行っていないのだと思う。

ナマ・ニミ・シェルパちゃんを見ていて男女差別を感じたが、この辺りでは男はシェルパとして働きに出かけ、女は家族や家を守る風習があるらしい。そのため男の方が知識は豊富であり、またそうでなければならないのかもしれない。(しかし家の中では女の方が強く、そのような場面を何度か見たような気がする。)

ナマ・ニミ・シェルパちゃんは控え目で恥ずかしがり屋だったが、時々声を掛けるとニコッと笑いかけてくれた。そして、女の子の絵には大抵見られる自分の家・学校・花を丁寧に描いてくれた。大きな画用紙の全体を使わず、真ん中に・部分的に描かれたこの絵には、彼女の性格が表れているように思う。

今日は、バザールに行って、散歩して、“山ののんびりとした生活”を楽しんだ一日だった。トレッキングだからと言って山に登ってばかりではなく、山の生活にどっぷり浸って過ごすのも良いものだと思った。

 

10月8日(日)結構曇り

出発時間を気にしない、ゆっくりとした朝食を終えてから、街の中心辺りを散歩しに行った。

小さな路地を歩いていると女の子が窓からこちらを覗いているのを見つけ、いつものように「ナクサティ?」と声を掛けた。するとお母さんらしき人が通訳してくれ、「ウォンツァ!」と照れながら外に出てきてくれた。

私が画用紙を渡そうとすると、あちらこちらから5,6才くらいの子供達が4,5人飛んで集まって来た。

そしてみんなに絵を描いてもらっている時、ある男の子が色鉛筆の入ったケースをお母さんに渡しに行った。

“えっ、どうするつもりだろう?”と思ったら、お母さんはその色鉛筆のケースを家の中に持って入ってしまった。母と返すように言うべきか、もうプレゼントしたと思って諦めるか迷って一応知らぬふりをしていた。

そしてみんなが描き終わったので片付けようと思い、みんなの使った色鉛筆とクレヨンを「ケースに入れるから返してね」と言うように集めていると、さっきのアノ男の子が突然家に帰ってしまった。

そして、家から出て来たその子の手には、先程の色鉛筆のケースがあった。何事もなかったように私のかばんに入れてくれた。

おそらく、悪気はなく“もらえるのかな?”と思ってお母さんに渡したが、もらえないものだと分かって返しに来たのだろう。その「素直さ」に母と感動した。“盗む”という言葉は、この子供達にとっては無縁のような気がした。

また、色鉛筆とクレヨン2ケースを広げて勝手に使ってもらっていると、何本かなくなっていても不思議ではないのだが、今回子供達に絵を描いてもらっている中では、感心に一本もなくなっていなかった。

本当に、彼らの意志・好意で絵を描いてくれたのである。

実際、こんなに上手くいくとは思っていなかった。言葉も通じないだろうし、どうやって子供達に頼めばいいのだろうか?絵を描くなんて面倒臭がるのでは?など、不安ばかりだった。しかし何でもどうにかなるもので、気付いてみれば予想以上に集まった。

すべて、出会った子供たちのおかげである。

「デレイ、ダンニャバード(Thank you very much)」

 

10月9日(月)晴れのち(初めての)小雨

 

今日はナムチェから一気にルクラに下りた。もう8日間のトレッキングも終わろうとしている。

しかし、今回はあまり悲しくなかったし、寂しくもなかった。ネパールが私にとって近い存在になってきたのだ。

ネパールは、欧米に比べて居心地が良く感じる。白人に囲まれると、どこか仲間外れされているような気がしてしまうのだが、ネパールにいる時は自然体でいられる。そして、自分もみんなの仲間になった気になれるのだ。

今までの様々な出来事を思い返しながら、いつものシェルパソングを歌いながら歩いた。

ノート代わりに腕に書いて覚えたシェルパソング。

もう腕を見なくても歌えるようになった。絶対忘れたくない思い出の一つになった。

 

10月10日(火)曇り

今日は、朝早いフライトでカトマンズに向かった。

今朝の天気は、まるで私達の心を映し出したかのようにどんより雲に覆われていた。

再びアノ小型飛行機に乗り、綿で耳をふさぎ・・・

そして今度は“フェリベタウンラー!!”とエベレストに向かって言った。


(これは、小冊子『NAKSAA ネパールの旅』を一部変更しホームページ版にしたものです。)