「東電OL殺人事件」被告ゴビンダ・マイナリ氏の即時釈放を求める。

 東京地裁で無罪判決を受けたマイナリ氏に対する検察控訴は憲法違反であり、検察は直 ちに控訴を取り下げ、マイナリ氏を釈放すべきだ。かりに検察控訴を認めるとしても、無罪判決後の勾留は国際人権法、憲法、刑事訴訟法に違反しており、法治国においてはとう てい許されない暴挙だ。
 マイナリ氏が真犯人か否かは私には判らないが、ここではそれは問題ではない。たとえ 仮に検察のいうように真犯人だったとしても、法の認めないことを国家は為すべきではな い。
 マイナリ氏は即時釈放されるべきだ。マイナリ氏の人権のために、そして可能的被疑者 としての私たち自身の安全のために!

(谷川昌幸2000.6)


●ネパール協会声明  ●Statement by The Japan Nepal Society  ●JN-NET記事  ●朝日新聞社説 ●外国人被告の人権 ●Govinda, in Nepali Times, 20 April 2001 ●Rising Nepal, 01/05/2001 ●Kantipur Ooline, 15/12/2001 ●ゴビンダ冤罪事件 ●別人DNA判明(Republica, 毎日)


▼マイナリ・リンク→→裁判記録; 支援会 


  ネパール人被告の即時釈放を求める

 3年前の東電OL殺人事件で逮捕、起訴され、この4月東京地裁で無罪判決を受けたネパール人被告ゴビンダ・マイナリ氏が、無罪判決後、検察上訴のため再勾留され、いまだ身柄拘束されている。不当な人権侵害といわざるをえない。

 そもそも憲法は「すでに無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない」(39条)と述べ、検察上訴を認めていない。有罪にするだけの証拠を法廷に提示できなかったのは検察側の責任だから、たとえ神の眼には有罪だったとしても、裁判でいったん無罪判決が下されたら、その時点で公平と人権の観点から被告の無罪が確定する、というのが憲法の精神である。

 マイナリ被告の場合、3年におよぶ東京地裁での慎重審査の結果、無罪が言い渡された。被告側によれば、別件逮捕され、取調中には暴行や自白強要もあったというし、弁護士接見妨害に対しては東京地裁が損害賠償を認めている。検察はそこまでしても結局、被告を有罪とするに足る証拠を提示できなかった。その責任は断じて被告にはない。検察は、違憲の責任転嫁上訴を取り下げ、直ちにマイナリ被告を釈放すべきだ。

 マイナリ氏再勾留は、たとえ仮に検察上訴を認めるにしても、違法であることに変わりはない。朝日社説(6月30日)がいうように「被告が日本人であれば、無罪判決後の身柄拘束など到底考えられない」のであり、再勾留決定は被告が外国人で、釈放するとネパールへ強制送還され、控訴審にとって都合が悪いからである。しかし、こうした超法規的理由による勾留は、外国人被告に対する「法の不備」の責任を被告に転嫁し、国家の都合を人権に優先させるものだ。それは、適正手続きを保障する憲法31条や同趣旨の国際人権法の諸規定に違反する。手続きの適正は、刑事裁判では真相解明に優先する。マイナリ被告は、その適正手続きを拒否され、人権を著しく侵害されているのだ。

 これは、日本がもし法治国だとするなら、憂慮すべき事態である。政府は、ネパールが日本の巨額のODA援助を受ける弱小国だから、多少強引なことをしてもネパール政府は黙認するだろうと高をくくっているのかもしれない。たしかに、これまでの経過を見ると、日本政府の読みは当たっているようだ。しかし、日本政府は、そうした大国主義的態度がいかに深くネパールを傷つけるかを理解すべきだ。

 わが国とネパールは、民間を中心とした長年の誠実な努力の結果、きわめて良好な友好関係を築き上げてきた。ネパールにとって日本は近代化のモデルであり、どこに行っても「日本に学べ」という言葉が聞かれるほどだ。法制度についてもそうであって、1990年の「ネパール憲法」制定の際も日本国憲法が大いに参考にされた。彼ら、とくに知識人や学生は日本国憲法のことをかなりよく知っており、近代的法治国としての日本を尊敬している。また少なくとも都市部では一般庶民も毎日のようにマスコミで報道される憲法論議に接し、日本人以上に法学的思考に慣れている。そのようなネパール人の眼にマイナリ裁判はどう映るであろうか。おそらく直ちに知識人は理論的に、庶民は直感的に、その不当性を理解するであろう。いや、もうすでに、マイナリ裁判はネパール国会で論議され新聞でも報道されたので、彼らはよく理解しているはずだ。にもかかわらず、恩義に厚い彼らはまだ日本の法治主義に望みをつなぎ、表立った日本批判を控えている。

 いまマイナリ裁判で日本の法治主義が試されている。検察上訴を認め、マイナリ被告を勾留し続ければ、いずれネパール市民は声を上げ、それは多くの国々に支持されるだろう。これは営々と友好関係を築き上げてきた日ネ両国民にとって不幸なことだし、日本政府にとっても決して得策ではない。アムネスティはすでに抗議声明を発表したし、歴史と実績を誇る日本ネパール協会も世界に向けて抗議声明を発表し、即時釈放運動を始めた。
 検察は、手遅れにならないうちに、マイナリ氏に対する違憲の上訴を取り下げるか、さもなければ少なくとも違法な勾留継続は断念すべきだ。
                                                 (谷川昌幸、2000.9.28)


ネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の即時釈放を求める声明  

2000年6月27日

【社】日本ネパール協会
会長 山本 英治

  

私達、日本ネパール協会は、民間の立場から、様々な分野での日本、ネパール両国国民間の理解を深め、友好・親善に寄与することを目的として設立された団体です。

 日本ネパール協会は、6月16日理事会の決定に基づき、1997年5月に電力会社女性社員強盗殺人事件の被告とされ、三年に及ぶ裁判の結果、今年4月14日に東京地裁で「無罪判決」を得たのちに、検察の控訴とともになされた勾留請求を受けて、5月8日に高裁の職権により再勾留され、2ヶ月たった今なお拘置されているネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏に対し、世界人権宣言、自由権規約および日本国憲法の趣旨に則り、公正かつ適正な措置がとられ、即時釈放されることを求め声明を出すものです。

 ゴビンダ氏が一審で、無罪になったにもかかわらず、控訴審以前に再勾留されたことについては、国際的な人権団体のアムネスティ・インターナショナルが「日本の刑事訴訟法に違反しており、彼の身体の自由への権利を侵害している」旨の声明を出しているほか、ネパールのマスコミも大きく取り上げるなど国際的な批判があがっています。

 私達は、この事件の三年にわたる審理の結果出された東京地裁の「無罪判決」は、十分に尊重されなくてはならないと信じます。地裁、高裁の二度にわたる勾留請求棄却のあと、東京高裁が「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」と判断していることは、とても納得いくものではありません。

 私達は、ゴビンダ氏の再勾留の決定は、彼が外国人であることによる差別であり、様々な場面で我が国の国際交流や国際協力に携わっている官民の広範な努力に水をさすものだと感じます。また国際化時代の日本の役割に期待する、ネパールをはじめとする諸外国からの友好のまなざしを裏切るものと考えます。このような立場から、私達はこの事件の推移に大きな関心をもって臨むとともに、法律的に極めて異常な状況にある現状をできるだけ早期に解消し、ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の人権が回復されることを求めます。

                                           (日本ネパール協会HPより)

The Statement to Request Immediate Release of Mr. Govinda Prasad Mainali

June 28, 2000
The Japan Nepal Society
President, Eiji Yamamoto

The Japan Nepal Society was established with the objective of deepening understanding between Nepal and Japan, thus, contributing to the promotion of goodwill and friendship between the two countries.

Mr. Govinda Prasad Mainali , a citizen of Nepal, was charged with the murder of a female electric company employee in May, 1997. He remained in detention for the duration of the trial; a period of more than 3 years. On April 14, 2000, Mr. Mainali was acquitted by the Tokyo District Court ; the judge citing lack of decisive evidence for its ruling. The Tokyo District Public Prosecutors' Office filed an appeal with the Tokyo High Court requesting a reversal of the District Court decision and recommending Mr. Mainali's detention during the appeal process. The court complied to the prosecutors' request , and on May 8, 2000, Mr. Mainali was again detained and remains in detention after 2 months.

We, the Japan Nepal Society, based on the decision of the Board of Directors meeting held on June 16, 2000, issue this statement to demand that, fair and appropriate measures be taken according to the spirit of international human rights law ( the International Covenant of Civil and Political Rights), and as required by the Constitution of Japan , and that Mr. Govinda Prasad Mainali. be released immediately.

The fact that Mr. Mainali was detained again prior to a hearing of intermediate appeal, and after he was acquitted at the first trial, has raised harsh international criticism. The international human rights organization, Amnesty International, has issued a statement saying that "Mr. Mainali's detention is in contravention of his rights under Japanese law (the Code of Criminal Procedure)." This case has also been widely reported by the mass communication media in Nepal.

We, the Japan Nepal Society , believe that the "not guilty" verdict handed down by the Tokyo District Court after 3 years at trial must be fully respected. We find it unconscionable to accept the Tokyo High Court's decision ordering Mr. Mainali's renewed detention on the grounds that " a reasonable suspicion exists that he committed a crime," when earlier requests from the prosecutors were rejected by both the District Court and the High Court

We the Japan Nepal Society, believe that the High Court 's re-detention of Mr. Mainali represents discrimination against foreign nationals in its most severe form. Further, we believe that the Court's action negatively impacts the wide range efforts of both the government and the people who are participating in international communication and assistance activities in various fields. We also feel that this decision might be interpreted as a betrayal of the friendship and expectations shown by nations such as Nepal, that place importance on the role of Japan in this age of increased globalization. With this in mind, we, the Japan Nepal Society, regard the outcome of this case with grave interest, and, at the same time, request this extremely abnormal judiciary condition be normalized as soon as possible and that Mr. Govinda Prasad Mainali`s human rights be recovered without further delay.
                       (The Japan Nepal Society, Home Page)


最高裁決定の不当性
 最高裁は6月28日、無罪判決を受けたマイナリ氏に対する憲法違反の検察控訴を容認し、
国際人権法、憲法、刑事訴訟法に違反する被告再勾留を追認した。自ら「権力の番人」と化
した最高裁は、潔く「最低裁」と改称すべきだろう。

●ネパール協会の抗議声明
 マイナリ氏再勾留に対するネパール協会の抗議声明は、友人の一人としてのマイナリ氏の
人権回復を求めるものであり、そこには日ネ両国民の真の友好を願う協会の真摯な願いが込
められている。
 この協会抗議声明に賛同される方は、HPの抗議文をコピーし、友人、知人や内外の各機
関に配布して欲しい。英文版は Kathmandu Post や Rising Nepal、欧米の有力紙、人権
NGOなどに配布すると効果的である。
 グローバリゼーションの今日、人権は世界市民のものとなり、人権を支える世界世論もイ
ンターネットにより私たち一人一人が直接形成できる可能性が出てきた。普遍的人権を無視
し国境にしがみつく国家の時代錯誤を、私たち自身のちょっとした努力で改めさせることが
出来るかもしれない。マイナリ氏即時釈放のための世界世論への訴えも、やってみる価値は
十分にあると思う。                 (谷川昌幸、JN-NETホームページ、2000.6.29)
 



朝日新聞「社説」2000年6月30日

無罪被告勾留
理は反対意見にある

 高裁での審理を円滑に進めるためならば、たとえ一審で無罪となった被告でも、引き続き身柄を留め置くことができるのか。それとも、そのような措置は著しく正義に反し、およそ許されないのか。
 検察側と弁護側が真っ向から争った裁判で、最高裁は勾留を認める決定を下した。納得し難い判断だといわざるをえない。
 刑事訴訟法は、「無罪の裁判の告知があったときは、勾留状は、その効力を失う」と定めている。被告が日本人であれば、無罪判決後の身柄拘束など到底考えられまい。・・・・
 裁判はもちろん大切である。二審で逆転有罪となったとき、被告が国内にいなければ刑の執行ができないという懸念もわかる。
 しかし、日本人なら自由の身、片方は拘置所での二十四時間監視である。その落差はあまりに大きい。よほどの合理的な理由がなけれは、外国人に対する不当な差別ではないか、という疑問がわくのは当然だろう。・・・・
 外国人に対する偏見をぬぐい、共に生きる社会をつくる。それが時代の流れだというのに、「人権のとりで」たる裁判所の論理が説得力を欠いては、存在意義が問われよう。・・・・
 (全文は「朝日新聞」参照


外国人被告に 人権の保障を

 東京高裁で逆転有罪となった東電殺人事件裁判は、ネパール人店員マイナリ被告に対する 重大な人権侵害だ。
 日本語もよくわからぬまま別件逮捕され、強引な取り調べや弁護士接見妨害を受けたことも 問題だが、それら以上に明白な人権侵害は四月の一審無罪判決後の勾留継続だ。マイナリ被 告は、外国人であるが故に、そして恐らく欧米人でなく途上国の国民であるが故に、釈放さ れなかった。これは国際人権法、憲法、刑訴法違反だ。
 なかには逆転有罪だから勾留継続は結果的に妥当だったと考える人がいるかもしれないが、 これは刑事裁判の「適正手続き」の大原則を根本から否定する危険な俗論であり、到底認めら れない。現行法には、外国人被告の場合、不備があるとしても、それは断じてマイナリ被告の 責任ではない。法に不備があれば国家は処罰できない。ただそれだけのことだ。
  この裁判がいかに不当かは、ネパール滞在中の日本人が同じ扱いを受けたときのことを想像 してみれば、すぐわかる。日本人を理由とした被疑者・被告人の権利否定を、私たちは許容で きるだろうか。 マイナリ裁判は、民族差別と取られかねず、ネパールや他の途上国との友好関係にも大きな 禍根を残す恐れがある。法の番人、最高裁が高裁判決を破棄し、普遍的正義を回復されることを期待する。
  (2000年12月23日)


ゴビンダ氏上告棄却

10月21日,最高裁はいわゆる「東電OL殺害事件」の被告ゴビンダ氏の上告を棄却し,無期懲役が確定した。再審請求は可能にせよ,きわめて厳しい状況になった。

この事件は,1審で無罪になったにもかかわらず,検察が違憲の上訴をし,高裁が逆転有罪としたものだ。今回の判決で最高裁は,違憲上訴も含め検察の主張を全て追認してしまった。

この不当判決は,日ネ友好にとって深い禍根となって長く尾を引くであろう。ODAを大判振る舞いしようが,名士を招いて華やかな友好行事をしようが,この深く刺さったトゲの痛みは消せるものではない。素知らぬ顔で友好ムードを盛り上げようとすればするほど,トゲはさらに深く食い込み,救いようのない痛みをネパールの人々に与えることになろう。

この際,友好行事は全て取りやめ,不当判決に抗議の意思表明をするべきではないだろうか。

(谷川昌幸, 2003.10.22)

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支える会声明(転載)
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声明
最高裁の心ない判決は、一人の人生を破壊し、日本への失望を決定的なものにした。

無実のゴビンダさんを支える会
2003年10月22日

 最高裁判所は、10月20日づけで、無実のネパール人被告ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの上告を棄却し、東京地方裁判所による無罪判決(2000年4月14日)を逆転させた東京高等裁判所の有罪判決(2000年12 月22日)を支持。有罪、無期懲役の判決が確定することになりました。
 裁判に提出されたあらゆる証拠を見る限り、ゴビンダさんは無罪であると確信し、2001年3月以来、彼を支援してきた私たち「無実のゴビンダさんを支える会」は、言いようのない憤りと悲しみをもって、この最高裁判決を聞きました。
 22日午前、弁護団の一人、神田安積弁護士が面会し、それに続いて、支える会事務局メンバー3名が、最高裁判決後はじめて、ゴビンダさんに面会しました。
 「おかしな判決です」
 顔をこわばらせて面会室に現れたゴビンダさんの第一声は、深い怒りをなんとか抑制しようと努力している様子が手にとるように分かるものでした。
 「この最高裁の決定には、私が有罪であるという理由が一言も書かれていません。こんなもので、どうして私が有罪だと分かるのですか?貧しい国から来た人は、軽蔑し、偏見をもっているのですか?」 彼は、前日の午後受け取ったという最高裁からの上告棄却を知らせる一枚の紙を示しながら、矢継ぎ早に私たちに問いかけてきました。
 「被害者の手帳に書かれていた日付と、私の証言は一致していたではないですか、現場では第三者の体毛が発見されたではないですか、体液の鑑定結果も、私の証言が正しいことを立証しているではないですか。どうして有罪なのですか?」
 彼の憤りに、私たちは答える言葉がありませんでした。 日本は経済が発達し、先進的ですばらしい国だ、とあこがれをいだいて来日し、裁判所はその文明国日本の最高の頭脳が真実を解明してくれる場所だと信じてきた彼の思いは、この一片の紙切れによって、みごとなまでにうち砕かれました。
 「こんな決定のために、どうして3年もかかったんですか?ごまかすために時間だけかけてきたとしか思えない」
 「どうか、一つひとつの事実をもう一度きちんと説明して、私が無実であることをみんなに知らせて下さい」
 それでも彼は、一人でも多くの人たちに、自分が罪を犯していないことを知って欲しいと今でも望んでいます。
 「無期懲役というのは、何年我慢すれば出られるのですか?」そう問いかける彼が最も心を痛めているのは、彼の帰りを信じて故郷のイラムで待ちわびている年老いたご両親のことです。
 病身のお母様は76歳、お父様は83歳になられます。どんなに最短の刑期で仮釈放になったとしても、ご両親ともう二度と会うことはできない、と彼は心の中で計算しているようでした。
 懸命に理性を保っていた彼が、ご両親の話をしたとたんに、泣き崩れました。
 二度にわたって来日し、面会してきた妻のラダさんをもう一度呼んで欲しい、と彼は私たちに頼みました。そして、できれば兄のインドラさんにも会って、家族のことを相談したいとも述べました。 「この前ラダが来た時は、いいことばかり考えて話をした。こういう事態になったので、もう一度話をしておきたい」と。そして、以前から何度も、会いたいと述べていた幼い二人の娘たちについては、「こういう状況の中で会ってもいいことはない」と会うことをあきらめようとしています。
 「刑務所は、悪いことをした人が、まじめに良くなるよう生活するところでしょ?悪いことしていない私は、この先どうやって生活すればいいんですか?どうか教えてください」
 無罪判決によって冤罪が晴れたにもかかわらず、罪人のように獄につながれ続けた理不尽の結果が、さらに大きな説明のつかない理不尽として結果したことは、彼一人の不幸ではありません。
 弁護団は、さる10月1日、上告趣意書を補強する補充書を提出したばかりでした。それからわずか3週間足らずの上告棄却は、最高裁が弁護側立証を十分検討したというポーズすらとることもなく、事実に目をふさぎ、拙速な結論を急いだことを示しています。
 偏見と詭弁だけで成立した杜撰きわまりない東京高裁判決(高木俊夫裁判長)に全員一致でお墨付きを与えた最高裁第三小法廷の裁判官、藤田宙靖判事(裁判長)金谷利廣判事、濱田邦夫判事、上田豊三判事は、日本の司法の無能性と人種差別と官僚的硬直によって、日本社会そのものの不幸を立証した点で、特筆されるべき人々です。
 私たち一介の市民の集団である「無実のゴビンダさんを支える会」は、彼が故国ネパールに帰国し、ご家族と再会する日まで、今後もできうる限りの支援を続けることで、私たちの「故国」日本の不幸に、少しでもあがらい続けたいと考えています。
 ゴビンダさんの運命に心を寄せ、司法による暴力である冤罪、外国人への偏見と差別を憎むすべての皆さまに、これからもお力をお貸しいただけますよう、心からお願いいたします。

無実のゴビンダさんを支える会
連絡先:
〒160-0016 東京都新宿区信濃町20 佐藤ビル201
(株)現代人文社気付

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国民救援会声明(転載)
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【声明】
ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏に対する最高裁上告棄却決定に抗議する

10月20日、最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長)は、通称・東電OL殺人事件で一貫して無実を訴えていたネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の上告を、あろうことか決定で棄却した。そもそもこの事件では、ゴビンダ氏を「犯人」と断定する直接証拠は何一つない。状況証拠もまた極めて曖昧なもので、ゴビンダ氏と犯行を結びつけるものではない。当然のこととして、東京地裁が30余回もの公判で慎重な審理を行った結果、「疑わしきは被告人の利益」という刑事裁判の原則の上に立って、ゴビンダ氏に無罪を宣告したのである。控訴審において検察は一審の立証をなぞっただけで、意味のある新しい証拠はまったく提出できなかった。しかるに東京高裁は、一審判決がその証明力を一蹴した被害者の手帳メモを「つまみ食い」式に解釈してゴビンダ氏と犯行との結びつきを強弁するなど、証拠を恣意的に捻じ曲げて評価し、ゴビンダ氏に無期懲役を宣告した。

一、二審を通じて最大の争点となったのは、室内水洗トイレに捨てられたコンドーム内に残留していた、ゴビンダ氏の精液中の精子が、その形状から見て、殺害時期のものか、それ以前の時期のものかという問題であった。一審で、検察側鑑定人による鑑定の結果、この精子は、崩れた形状から、事件より20日も前のものであることが明らかになったが、この鑑定人は公判で、鑑定用実験は清水で行い、現物は汚水中にあったから、形状が急速に崩れるかもしれないので、事件当日のものと考えても矛盾しない、とまったく事実にもとづかない意見を述べ、一審判決では当然にその合理性・説得性を否定されたが、東京高裁は、この鑑定人の屁理屈を採用して逆転有罪の根拠としたのである。しかも、弁護側が求めた、この理屈の是非を問う鑑定の請求を採用しないままに、なんら合理的根拠も示さず、ゴビンダ氏を犯人とした。また、被害者の所有物であったJRの定期券などが、被告人が訪れたこともなく、日常生活とは全く無縁であった地域で発見された事実から、別の人物が真犯人ではないかと容易に推測された。これについても高裁は、「・・・未解明であるからといって、それ故被告人の犯人性が疑われるという結論にはならない」と、切り捨てたのである。その他、犯行現場に遺留されていた第三者の体毛の問題や、ゴビンダ氏がアパートの鍵をいつ家主に返還したかに関する問題、ゴビンダ氏が金銭窮状の状況にあったかどうかに関する問題など多くの疑問点について、それらを何ら解明することなく、説得力のない言辞で犯行をゴビンダ氏に結びつけて無期懲役を宣告した。

弁護団は上告にあたり、現場に残されていたコンドームの精液について、清水・汚水の別は精子の形状崩壊に影響しないことを明らかにし、東京高裁の誤った事実認定を科学的に批判する鑑定意見書を提出し、さらにこの10月1日も、その補充鑑定意見書を新たに提出したばかりであった。

最高裁には、東京高裁の事実と証拠に基づかない事実認定の是非が鋭く問われていた。にもかかわらず、これらに何一つ理由を示さずに上告を棄却したことは、著しく正義に反するものである。最高裁は、決定の中で「記録を精査しても重大な事実誤認はなかった」と判示しているが、記録を精査したとは到底言えるものではない。

今回の最高裁決定についてゴビンダ氏は、「なぜ私が有罪なのか最高裁は全く理由を示していない。こんな決定を3年も待ったのではない」と、最高裁決定に強く抗議している。この指摘は、至極当然のことであり、最高裁が人権の砦としての役割を放棄したものとして厳しく糾弾されるべきである。

日本国民救援会は、自ら新たな冤罪事件を完成させた最高裁の不当な決定に、怒りをもって抗議する。
2003年10月22日

最高裁判所第三小法廷
   藤田宙靖裁判長 殿 

日 本 国 民 救 援 会


(参考資料)
・佐野眞一『東電OL殺人事件』新潮社、2000



  【以下、準備中】