報道に見るネパールの動き
谷川昌幸
不況・飢饉・マオイスト
ビクラム暦新年のコイララ政権発足により少しは人心が改まるかと期待したが、諸政党入り乱れての派閥抗争は収まる気配もなく、ネパール政局の混迷は深まるばかりだ。一方、巷では不況と飢饉が広がり、「宙づり議会」の空騒ぎに失望した人々がマオイスト運動に目を向け始めている。
ネパールのいまの不況はバブル崩壊の結果である。90年革命後の経済自由化は投資ブームを呼び、都市とその周辺にはカーペット工場や賃貸ビルが次々に建てられ、地価が急騰した。たとえばパタンの1アナの土地価格は88年にはまだ1万5千ルピーであったが、93年には10万ルピーにまで値上がりした。しかし十分な実需を伴わないこうした不動産投資は投機であり、バブルであった。94年をピークに土地取引は急減し、地価は暴落した。97年の地価は94年のピーク時から40%下がり、まだ下げ止まる気配はない。都市部では空室が目立ち、土木建築業や素材産業は不況に陥り、これが他産業にも波及してきた。都市部では不況により失業が増え、庶民の生活は一段と苦しくなってきている。
他方、丘陵農村地帯では人口増と生産力低下のため食料不足が慢性化している。たとえば、東北部のフムラは約4万の住民が牧畜とチベット交易で生活してきたが、牧畜の衰退による貧困化と2年続きの旱魃のため飢饉となり、そこに疫病が蔓延している。このフムラほどひどくはないが、他の丘陵農村地帯でも疲弊が進み、農民は食糧自給もままならないほど窮乏化しつつある。 このように都市住民や丘陵地農民の生活が苦しくなっているのに政府が彼らの救済に真剣に取り組まないとするなら、政党政治そのものを否定する急進的マオイスト運動が支持を集めるのは当然だ。マオイストは窮乏化の進行する北西部丘陵地帯を中心に勢力を拡大し、解放区のようなものをつくり始めた。マオイストの名をかたった襲撃も少なくないので正確には分からないが、彼らは月給と武器を支給され5人組で行動し、農業開発銀行の事務所を襲撃して農民の借用証書を焼いたり、地主を襲って現金や食料を調達しているようだ。最近ではNGOも攻撃対象になり、ゴルカの「セイブ・ザ・チルドレン」やバグルンの「アクション・エイド」も襲われた。そのためドイツのGTZは西部ゴルカからの、また「ケア・ネパ
ール」はジャジャルコットからの、撤退を決めた。すでにマオイストは全国の4分の1の地域にまで勢力を広げ、現状では24以上の選挙区で選挙ができない。これに対し、コイララ首相は5月中旬、西部地方を歴訪したが、暴力行為中止を訴えるだけで、具体的対策は何一つ示すことができなかった。
マオイストは都市部にも進出し始めた。マオイストの政治組織「統一人民戦線」が呼びかけた4月6日の全国バンダは、「人民の圧倒的な暗黙裡の支持を得た前例のないバンダ」であった。「マオイスト運動はコングレス党や共産党(UMLとML)や国民民主党両派や友愛党の腐敗政治家たちを怯えさせてきたであろう。成金はマオイストを恐れざるを得ないが、貧窮者は彼らの勢力拡大を恐れる必要はない。なぜならマオイストは貧窮者を苦しめてはいないからだ」(M・K・リマル)。
マオイスト運動の背後には人民の不満の鬱積がある。NCはマオイスト問題を「政治と経済の複合的問題」と正確に捉えているが、コイララ首相の西部歴訪に見られるように具体的な人民救済策を示すことはできない。またNCはT・R・トゥラダールなどを介してマオイストの指導者バブラム・バタライ統一人民戦線議長との交渉も試みているが、NC一掃を目指すバタライ議長は全く交渉に応じようとはしない。他方、人民を支持基盤にするUMLはマオイスト運動の原動力をNC以上によく知っているはずなのに、それを見ぬふりをし、マオイスト運動と外国との関係やUML支持者攻撃を非難し、マオイストは反人民的であり断固たる取り締まりが必要だ(ネパール書記長)、と主張する。しかし、UMLがNC内閣への党利党略的閣外協力を続けながらマオイスト攻撃を強化しても逆効果となるだけで、問題の解決にはつながらないだろう。
ネパールの政党政治はいま存続か否かの瀬戸際に立っている。90年革命以後の急激な自由化と資本主義化の矛盾の解決に真剣に取り組まなければ、その未来は暗いといわざるを得ない。(参考資料)4/1〜6/30の下記新聞・雑誌。Spotlight,
The Independent,The Rising Nepal, The Kathmandu Post 〔ネパール協会『会報』149、1998.7〕
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