女性の財産相続権と処女検査

                   谷川昌幸

 この夏以来、ネパールのマスコミでは女性の財産相
続権と、それにからむ処女検査が話題になっている。

 民法改正案 現行民法では、女性は未婚で35歳に
達したときはじめて両親の財産を相続することができ
る。これは明白な女性差別なので女性の間に民法改正
を求める声が高まり、改正案が議会に提出され、下院
人権委員会に回されたが、審議は一向に進まず、1年
近くもそこで棚上げ状態になっている。
 この民法改正案については反対意見も少なくない。
現行民法で既婚女性の相続権が否定されているのは、
親の財産と夫の財産の双方に対する請求権が生じると
混乱するからだ。「親の財産の分配方法については各
国ごとに伝統があり、ネパールも女性を平等に扱う独
特の制度をもっている」(ビピン・コイララ=NC議員)。
「女性にとっては財産より教育に対する権利の方が大
切だ。わが国のような多様な民族文化をもつ国では、
[女性の]財産権は問題をいっそう難しくするだろ
う。・・・・財産の兄妹分配は女性問題を解決しない。現
行法で娘に財産を与えるための規定がすでに定められ
ているではないか」(ラマ・シン=ネパールTVアナウ
ンサー)。「この法案は社会の調和を破壊するもので
あり、賛成できない」(H・トリパシ=NSP議員)。
 これに対し、都市エリート女性や左派政党の中には
法案支持を訴える人が多い。「女性に平等な権利を保
障するため法案を議会にかけるべきだ。・・・・政党は女
性の平等を支持せよ」(サシ・シュレスタ=女性活動
家)。「女性への平等な財産分配が保障されなければ、
社会は変わらない。今会期中に法案を通すためあらゆ
る努力をしたい」(S・プラダン=CPN−ML党首)。
 全体的にみて、法案推進派の方が国際世論の点でも
NGO等の多くの支持団体をもつ点でも有利だが、伝
統的勢力の抵抗は根強く、法案の成立は予断を許さな
い。

 処女検査違憲判決 この民法改正問題と符合する
かのように、部外者には信じられないようなショッキ
ングな事件が表面化した。マナチャマル(生活費)の
分与を求めた娘に対し、母親が未婚を証明するための
処女検査を要求したのである。
 アンナプルナ・ラナはカトマンズの名家出身で、イ
ンドで結婚し子供もあると噂されていた。その彼女が、
母アンビカと弟ゴラク(王女シュルティの夫)に対し
マナチャマルを要求し、これを拒否されると、2人を
カトマンズ郡裁判所に訴えた。前述のように現行民法
は35歳以上の未婚女性にのみ財産相続権を認めてい
るので、これを根拠に母と弟は裁判所に対しアンナプ
ルナがすでに処女でなく子供を生んでおり、したがっ
て結婚していることを証明するため、処女検査を受け
させることを要求した。郡裁判所はこの要求を認め、
アンナプルナの処女検査を命じた。これに対し、アン
ナプルナは判決を不服とし上訴裁判所に控訴したが、
控訴審でも彼女の訴えは退けられ、原判決が支持され
た。そこでアンナプルナは最高裁判所に上告し、最後
の判決を待っていた。
 最高裁判所の判決は、7月29日に言い渡された。
それは原判決を破棄し、アンナプルナ側の主張を認め
る画期的な判決であった。
 [判決要旨]処女か否かは本人のプライバシーに属
し、女性の法的身分とは無関係である。セックスをし
子供をつくり、それから結婚する女性もいれば、結婚
しているのにセックスのない夫婦もいる。あるいは、
セックスをし子供をつくっても結婚しない女性もいる。
性的関係は個人の私的問題である。法的な意味での結
婚は、「女性が伝統的な方法により、あるいは簡素な
儀式により、あるいは法に定める婚姻登録により結婚
したときに」成立する。したがって、結婚の証明とは
無関係であり、かつプライバシーの権利を侵害する処
女検査は、違憲である。
 この最高裁判決は、当然ながら激しい反発を招いた。
性道徳が乱れるという囂々たる非難が巻き起こり、ま
た「セックスをし共に住み子供をつくっても結婚して
いるとはいえないとすれば、男は無責任に女を捨てる
かもしれない」というもっともな批判も見られた。し
かし、教育学者S・B・ディクシットによれば、そう
した反論は女性の自立性を認めない前近代的な考え方
だ。女性は結婚前のセックスがいかに危険かをよく自
覚している。この判決は、性的関係の放縦を助長する
どころか、逆に女性に自己決定、自己責任の重要性を
再確認させ、むしろ性的関係を慎重にさせるものだ。
また、この判決は伝統的な家族関係の転換を迫るもの
であり、家族財産についていえば、同棲関係にある女
性等、より多くの女性に相続権を認める根拠になるこ
とが期待されるという。
 たしかに最高裁の処女検査違憲判決は近代的人権の
常識からいえば当然の結果であるが、途上国ネパール
で多文化主義と組み合わされると、先進諸国とは別の
効果を生み出す危険性があることも見落としてはなら
ない。ディクシットは肯定的に書いているが、性的関
係の多様性の承認はネパールでは容易に一夫多妻制や
一妻多夫制に結びつく。また性的関係における自己決
定、自己責任の強調は、男女の間に事実上大きな社会
的、経済的不平等があるところでは、女性の性的抑圧
を隠蔽する男性のための便利な正当化理論となってし
まう。ネパールの女性問題には、途上国特有の難しさ
があるといえよう。(使用文献)The Kathmandu Post,
 Jul.30; Spotlight, Jul.31; Himal, Sep.1998.
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  日本ネパール協会『会報』151(1998年11月)
   *『会報』所収の文章を一部修正した。