憲法10周年と改憲論
谷川昌幸(日本ネパール協会『会報』第164号、2001年1月)
2000年11月9日はネパール憲法施行10周年に当たり、本来なら官民あげての祝賀となるはずだが、報道で見る限り、祝賀ムードはどこにもなく、むしろ逆に憲法記念日前後を転機に憲法批判の声が高まり、改憲論が一気に浮上してきた。10年前、民主憲法制定をあれほど歓迎し憲法擁護を誓った主要政党が、ここにきて改憲論へと大きく方向転換しようとしているのは、なぜであろうか。
改憲論のイニシアチブを取っているのは、統一共産党(UML)のネパール書記長である。もともと彼は起草委員として現行憲法の制定に深く関わり、いくつかの留保付きとはいえ護憲の立場をとってきた。その彼がいつ改憲論に変わったかは明らかでないが、11月3日付スポットライトに「人民が本当に改憲を望むなら、その要求には従わねばならない」という発言が引用されているので、秋のマオイスト大攻勢後、おそくとも10月には改憲意見を何らかの形で表明していたのだろう。
ネパール書記長は、改憲案を11月12〜15日開催のUML中央委員会に提案し、党の政策として正式に採択させた。改憲理由としては、腐敗阻止、土地改革、公正選挙、少数民族代表などがあげられているが、現時点で明らかになっている主な具体的提案は、@選挙は政党内閣ではなく諸政党代表からなる中立の政府の下で行う、A選挙区の見直しは選挙ごとではなく25年ごととする、の2つである。
この改憲提案については、UMLの党戦略と、党内事情とを併せて考えなければならない。ネパール書記長は、民族代表、地方分権を含む改憲論でマオイストを体制内に誘い込み、マオイスト問題解決とコングレス党(NC)打倒の一石二鳥をねらい、党内では最大のライバルで護憲派のカドガ・オーリを押さえ込もうとしている。また、25年間の選挙区固定は、人口増のタライに対するパルバテ(丘陵地)権益の防衛策であろう。もしそうだとすると、ネパール書記長の政治センスは鋭く、NCといえどもうかつに改憲反対はいえなくなる。
事実、NCはネパール書記長の戦略に押され、護憲から改憲に立場を変えはじめた。コイララ首相は、11月8日の憲法10周年記念集会(弁護士会主催)で「われわれは憲法の精神と規定を遵守すべきだ」と明言し、まだ護憲論だったが、11月17日には憲法問題の議論には応じると態度を軟化させた。そして12月6日、NCはUML提案の憲法調査合同委員会(JWG)の設立に同意、12日それぞれ3人の委員をだし、これを発足させた。このNCの大幅譲歩は、メインターゲットとされているNCのマオイスト対策の手詰まりにより余儀なくされたものだが、同時にコイララ首相にとってはUML接近によるKP・バタライ(護憲派)牽制の意図もあると思われる。
このように見てくると、憲法はNCとUMLの政争の具にされていると考えざるをえないが、そのような改憲論に対しては、当然ながら、KP・ウパダヤ最高裁長官、BN・ウパダヤ前最高裁長官、BB・カルキ法務長官、クスム・シュレスタなどの法曹やそれに近い人々は批判的である。ラナバート下院議長は、現行憲法を実現しようともしないで改憲を唱えるのは「道具が悪いと文句を言うへぼ職人のようなものだ」と痛烈に皮肉っているし、DN・ドゥンガーナ元下院議長は「政党は憲法をもっぱら権力獲得手段として利用し、いまや用済みとなったので捨て去ろうとしている。憲法はいま危機にある」と警鐘を鳴らしている。
法曹界の護憲論は憲法論そのものとしては正しいが、この憲法危機は背後にマオイスト問題があり、これが解決しない限り解消されない。スデール・シャルマの衝撃ルポ「マオ国への旅」(12月29日付ネパリタイムズ)によれば、マオイストは12月20日ルクム郡バンピコットで大集会を開き、「人民政府」設立を宣言した。これは容易ならざる事態で、このまま「根拠地」が拡大すれば、本格的な内戦になる。これに対し軍動員も特別武装警察隊の設置も当面難しいとすれば、残るはマオイストに譲歩して改憲ということになる。おそらくそう考えてであろうが、UMLは「人民政府」設立大会に地方レベルの党代表を出席させている。
しかし問題は、ネパール書記長のもくろみ通りマオイストを取り込むような形での改憲が実現するかどうかだ。憲法改正には両議院の3分の2の賛成と国王の同意が必要である。憲法改正ともなれば、NCもUMLも主流派と反主流派に分裂し、そこにマオイストが絡んできて、政治はいっそう混乱する。また、かりに改憲へのNC・UML合意ができても、共和主義のマオイストとの最終的和解は難しい。妥協が成立しても、せいぜい一時しのぎであろう。
憲法10周年は、ネパール政治の陥りつつある苦境を改憲論をもって宣言するという皮肉な結果になってしまった。
(文献)Kathmandu Post, Spotlight, Nepali
Times (Nov.-Dec. 2000).