<紹介>

いま戦争を問う 平和学の安全保障論
グローバル時代の平和学2
磯村早苗・山田康博(編),法律文化社,2004年

  序論 平和学からの安全保障論
  第T部 21世紀の平和と安全保障
  第U部 予防外交と平和構築――国家・国際機構・市民社会
  第V部 軍縮と安全保障
  第W部 オールタナティヴ・リアリズムと可能性の地平――地域平和構想

第4章 人道的介入――“第二のルワンダ”にどう対応するのか(饗庭和彦)

「“第二のルワンダ”にどう対応するのか」。これは,切実で重い問いである。憲法で,「平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思う」と表明したわれわれにとって,この問いを避けて通ることはできない。

ルワンダでは,1994年,フツとツチの民族抗争が発生したが,国際社会はこれに対応できず傍観,その結果,3か月間に80万人が殺害された。このような場合,国際社会,そして日本は,何をなすべきなのだろうか?

著者は,次のような選択肢を考え,それぞれについて検討していく。
   A. 人道的介入を実行
   B. 人道的介入を実行しない
      理由(ア) かえって逆効果だから=反介入
      理由(イ) コストに見合う利益がないから=非介入
   C. 人道的介入の代替対応をする=「平和構築」の活動

B. 人道的介入否定論

(ア)反介入
 (1)構造主義論 新自由主義政治経済による中心と周縁の非対称構造を前提に,中心(普遍)のために介入するのは,周縁側にとっては,破壊的意味を持つ。北側の人道的介入は北側のマッチポンプ(武者小路公秀)。
   川  上         川  下
    Xが毒を流す・・・・・・・・・→Yが毒水をZに飲ませようとする
                     Xがそれを阻止するために介入し,Zを助ける
人道的介入とは,このXの行為のようなもの(最上敏樹)。 この考え方からすれば,人道的介入は,北側による新たな植民地主義似すぎない。

 (2)濫用警戒論  人道的介入は,介入に口実を与え,権力濫用となり,大国の覇権主義的武力行使をもたらすことになる。自衛権が濫用されているのと同じこと。

 (3)戦争のパラドックス論 他国の紛争に介入すると,かえって紛争を悪化させる。介入しなければ,いずれかの勢力の勝利か,両方の疲弊,妥協で,紛争は介入する場合よりも早く,犠牲も少なく終わる。ソマリアもの場合も,アメリカが介入したため悪化し,結局,アメリカは撤退した。現地の自律性に任せるのがよい。

 (4)錯誤認識論 人道危機の発生という認識自体が錯誤。ソマリアもコソボも,故意か錯誤により「人道危機」と伝えられた可能性がある。もし「人道危機」が錯誤か故意による「ウソ」なら,他の方法による解決の方が適切となる。

(イ)自己利益優先論
 国益の観点から介入の得失を計算し,引き合わなければ非介入。合理的選択による非介入。ソマリアの失敗以後,アメリカはこの傾向が強い。
 
以上の議論をまとめると,
 人道的介入による害悪=非対称的構造が強化され周縁にいる人々の苦境が深まる。濫用により武力行使の歯止めが利かなくなる。紛争が長期化する。
 不作為(非介入)による害悪=人道危機にある人々が見捨てられる。

著者によれば,(ア)の反介入論は,介入論の問題点を指摘し,匹夫の雄と短絡的正義による人道的介入論を戒めているとみるべきだ。眼前で人道的危機が発生したら,応急処置的な人道的介入には反対するものではない。(これに対し,(イ)の自己利益優先論は応急的対応もしないことがありうるので,これには別の議論が必要である。)

したがって,「第二のルワンダにどう対応するか」という問いは,介入の負の側面をいかに回避し,応急処置的人道的介入の実効性をいかに確保するか,という問題ということになる。

A. 人道的介入肯定論
この「応急処置的人道的介入」は,任務を最小限に限定した介入であり,人道危機の背景にある構造問題には関与しない。

ところが,人道的介入には,このように任務を限定しても困難が伴う。

 紛争処理と人道的介入のジレンマ
   ・人道的介入=紛争当事者に対し中立
   ・紛争処理=平和強制の面をもたざるをえない。中立ではない。

人道的危機の場合,その国は内紛や内戦状態にある。そこに介入するのだから,人道的介入と紛争処理のいずれを優先させるかがつねに問題になり,一般には,紛争処理の方が優先される傾向にある。紛争処理が優先されれば,人道援助は困難になる。

また,人道的介入には,物資配給と保護の2目的がある。紛争地で全当事者の同意を得ることは難しく,そうした地域に物資を配給するには軍による警護を受けざるをえないが,これは実質的には反対勢力の軍事力による排除であり,中立は維持できなくなる。軍の警護の下での物資配給は,反対勢力からみれば,敵対行為と同じである。逆にいえば,軍事力が投入されなければ,人道危機への効果的な人道的介入はできないということである。

最小限の人道的介入も,実効性を確保するのは,非常に困難である。

C. 代替対応
 (1)紛争予防 人道的介入に代わるものとしては,まず紛争予防がある。予防は,実行できれば効果は大きいが,人道危機発生以前には介入の意思形成が難しく,また紛争予防は状況を劇的に変えない(「成功の不可視性」)ので効果が見えにくい。

 (2)NGO活動 NGO活動は効果的である一方,問題もある。一つは,NGOの支援が,紛争を助長する面があること(戦争のパラドックスと同じ論理)。もう一つは,NGOの人道援助が,当事者の同意の下に被援助者に無差別に実施される中立的なもの(必要に基づく人道主義)から,政治状況を考慮して一定の人々に重点的に援助される非中立的なもの(権利に基づく人道主義)に重点を移してきたこと。非中立的になれば,強制的となり,軍事主義と結びつく。人道的軍事主義(Humanitarian Militarism)

このように,紛争予防やNGO活動のような平和構築にも限界と問題があり,人道的介入の完全な代替策とはなりえない。

<結論>
 結局,著者は,A(人道的介入)とC(代替対応,平和構築)を相互補完的に,漸進的に進めていくしかない,という結論にたどり着く。歯切れは悪いが,「第二のルワンダ」といった重い問題を考えるとき,勇ましい観念論を唱えてどうなるものでもない。現実をふまえ,具体的事例ごとに対応せざるをえないとすれば,著者がいうように,われわれは人道危機への対応策を「漸進的に具体化していくしかない」のであろう。

(谷川昌幸/2004.12.03)