紹介 青木 保『文化の否定性』 中央公論社 1988年(初版) \1500


●文化の否定性――反相対主義時代に見る
  1文化からの後退  2文化相対主義  3反文化相対主義  4文化の否定性
●文化とナショナリズム――「単一民族」国家から「文化多元主義」国家へ
  1南アフリカとオーストラリア  2単一民族神話の崩壊  3「国民国家」と「民族国家」  4国家と異文化
  5ナショナリズムと文化複合  ・むすびに――文化多元主義の方へ
●「中間社会」と「国際化」――現代日本社会の条件
  1異文化感覚  2世界の中心  3現実認識  4中間社会  5中間社会と外部  6文化システムと同化
  7国家理念の転換
●『暑い国』の行方――シバ・ナイポールの小説を中心に
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 十数年前の本だが、近代国家と文化の問題についての分析は明快であり、教えられるところが少なくない。
 かつて多文化・多民族の帝国的世界に共存していた人々は、近代になって、それぞれの過去と伝統を「忘却すること」(E・ルナン)により近代国家に統合された。近代国家は、「権力の中央集権化と支配的文化の確立、国民としての文化と社会の同一化の三点を強力に押し進める必要があった。」
 しかし、これは無理であり、特に多民族・多文化の第三世界の台頭とともに、その問題性が露わになってきた。
 そこで各文化の独自性を認める文化多元主義が出てくるが、今度は止めどもない民族紛争に見られるように「文化が人類を苦しめはじめた」。また逆説的だが、文化多元主義はナショナリズムをも刺激し、わが国においても「国際化」を叫びながら「自文化中心主義」を強化する動きが見られる。だからこそ「文化の否定性」をもっと強く認識しなければならないのだ。
 とはいえ、グローバル化が進んでいく現代においては、多文化社会化の問題は避けられない。
 「皆が同じ」の意識を植え付けられた「同質社会」を特徴とする日本社会―― <それは「異質なもの」を受け入れられないという外部に弱い「論理」となり、対外的なコミュニケーションをはかるためには大きな否定的役割を演ずる。この「論理」は「国際化」時代には通用しない面を多く露呈するようになっている。というのも、制度の「思想」に「異質なもの」 への対応がほとんど含まれていない。つまり外敵に対する対応策は堅固に組み立てられるが、内部における「異質なもの」との共存をはかろうとする配慮を基本的に欠いているのである。この点こそ、改革の必要が迫られている真の理由である。>(p.128)              (谷川/2001.1.24)