三瓶清朝『ネパール紀行:文化人類学の旅』明石書店、1997年、2,500円 


 これは面白い本だ。ネパール関係の本はかなり出ているが、正直言って、体験告白本や細切れ情報本が少なくなかった。これは、その類の本ではない。この本も「個人的な調査経験の記録」であり、事実、著者の体験や感想が随所に語られているが、ここではそれらは共有可能な「経験」にまで高められている。読者は著者の経験を楽しく追体験しつつ、そこから多くを学ぶことができるのだ。

 1991年夏、著者はウパディヤ・ブラーマン家族の主婦シター(仮名)を相手に親族名称の聞き取り調査を行い、様々な興味深い事柄を観察した。たとえば、ママ(おじ)はバンジャ・バンジ(甥・姪)を実の子と同じように可愛がる習慣があり、シターの家にも実家が近くにあるにもかかわらず3人のバンジが長年住んでいたことがある。これは異様に思えるが、ネパールではバンジャ・バンジを敬うことが神を敬い功徳を積むことになると信じられているからだという。また、カトマンズに牛がいなくなり牛糞で床をふくことができなくなったため、月経中の女性や下位カーストの人を厳しく拒絶してきた神聖な台所が3階から玄関や便所のある2階に降されたが、シターの家では食事中は戸を閉め「けがれ」を避けようとしていたという。

 食事以上に規制が厳しく微妙な問題であるのが、結婚だ。著者は、シターのいとこ(ママのバンジ)の一人ミタ(仮名)が下位カーストの人と結婚していることを聞き出した。このミタの降嫁婚は親族の怒りを買い、ミタはママからさえも疎まれている。では、なぜ昇嫁婚は許され、降嫁婚は許されないのか。著者によれば、それは男性支配制と階層制を維持し強化するためだ。もし降嫁婚を認めると、この根本的な社会秩序が崩れてしまう。両親にとって花嫁は上位者への「処女のお布施」なのだ。このカースト制と婚姻制度との関係の分析は鮮やかである。

 著者の聞き取り相手のシターは、経済的に恵まれた特権的最上位カーストに属している。著者は、こうした調査が結果的に支配階級の側に立つことになるのではないか、この調査には弱者の視点が欠落しているのではないか、と危惧している。これは忘れてはならない重要な指摘だが、著者自身がそうしているように視点を明示した上で対象を対象に即して理解することは、学問的認識として許されるのではないだろうか。理解することは許すことにもなるが、批判の武器にもなるはずである。
                                 (谷川昌幸、『ネパール協会会報』147、1998.3)