<紹介>

永原陽子「和解と正義――南アフリカ「真実和解委員会」を越えて」
      (内海・山脇編『グローバル時代の平和学3』法律文化社,2004,第6章)

一般に,開戦は比較的容易だが,終戦は難しく,戦後の和解はもっと難しい。戦争や内戦は暴力の極限形態であり,たとえ和平がなり戦闘は終わっても,当事者間の不信や憎しみは戦後も根深く残り,紛争再発の火種となり続ける。あるいはまた,戦後処理の見通しが和平の成否そのものを決める場合も多々ある。戦後処理をどう進め,どのような方法で和解を図るかは,和平実現のためにも,また和平後の平和再建・持続のためにも決定的に重要な課題といってよいだろう。

戦後処理は,戦争被害の回復が中心になる。戦争や内戦は精神的,身体的,物質的な甚大な被害を生み出す。それらのうち人道犯罪などの戦争犯罪については,一般に,戦後,事実関係を解明し,責任者を処罰し,損害を賠償させる。戦時に侵害された人権や正義を戦後回復することは,和解への第一歩といえる。

ところが,戦争や内戦の場合,一般の犯罪とは異なり,上位の共通の司法権による裁判は難しい。もしニュルンベルク裁判や東京裁判のような形で裁けば,勝者による一方的裁判と見られ,公平性を疑われ,真の和解はむしろ難しくなる。また戦時や紛争中の人道犯罪の場合,責任者を処罰すれば済むというものでもない。正義は回復されるべきだが,応報的正義を追求しすぎると,和解が困難になる場合が少なくない。

この戦後処理のジレンマを戦争犯罪の処罰とは別の形で解決しようとしたのが,南アフリカの「真実和解委員会Truth and Reconciliation Commission(TRC)」である。

南アフリカでは,周知のようにアパルトヘイト政策がとられ,国民党が政権をとった1948年以降,これが公式の制度となり拡大強化された。国連はこれを「人道に対する罪」と非難して様々な制裁を実施し,その結果,1991年アパルトヘイトは最終的に廃止された。

南アフリカにおける反アパルトヘイト運動は,大別するとアフリカ民族会議(ANC)とパン・アフリカニスト会議(PAC)の二派があり,ANCは全人種共存,PACは黒人本意を唱えていた。1990年,ネルソン・マンデラが釈放されると,政府との交渉はANC路線が中心となり,報復ではなく,和解による共存が目標となった。そして,1993年に暫定憲法が制定され,「国民の統一と和解」がそこに明記された。

1994年マンデラ政権が成立し,翌95年「真実和解委員会(TRC)」が設置された。委員長はツツ大司教,副委員長はA・ボーレーヌ。TRCは,1960年3月1日〜94年5月10日までの重大な人権侵害について調査し,事実を確定し,事実を述べた加害者の法的責任を免除し,被害者への保障を提案することを目的としていた。つまり,

・被害者からの被害の申し立て(被害申し立て=3万8千人,2万2千件)
 →TRC調査,事実確定
 →被害者には,補償を受ける権利認定(認定被害者=2万2千人)
 →加害者には,免責(免責申請7千件)

という手続きで和解が進められた。

この免責は,加害責任の単なる免責ではない。
「和解とは心地よくなることではないし,物事が実際にそうであったのとは違っていたかのように振る舞うことでもない。虚偽に基づいた和解,現実に立ち向かわない和解は真の和解ではなく,長続きしないだろう。」(TRC Report, vol.1, 1998, 本書156頁)

それは,「事実と引き換えの和解」である。
「「和解」の土台は人権侵害の歴史を国民が共有することであり、そのためにはまず具体的な事実を解明しなくてはならない。人権侵害に関与した者は、個人として名乗り出て、自らの加害行為について事実をすべて明らかにすればその法的責任を免除するとされた。それにより、被害者にとっては赦すことの代わりに最も知りたい事実、たとえば家族がどのような状況で誰によって殺されたのか、行方不明になっている者がどこへ行ったのかなどについて知る道が開かれる。「免責」は、加害者の処遇であると同時に被害者の救済も含意していた。」(162頁)

では,「事実」とは何か?
「TRCによれば、「真実」には、@事実としての、あるいは法廷の真実、A個人にとっての、また語りとしての真実、B社会的あるいは対話的真実、C癒し、修復する真実、の四つがある。」(166頁)

この「事実」と引き換えに,加害者は免責され,被害者は救済される。
「「世界入権宣言」以来の国際的な議論を踏まえた上で、TRCは補償・賠償の内容を次の五点にまとめている。@Redress(公正で十分な代償を得る権利)、ARestitution(可能な場合に、人権侵害以前の状況を回復する権利)、BRehabilitation(医学的・心理的治療、完全なリハビリテーションのために個人またはコミュニティレベルのサービスを受ける権利)、CRestoration(人権侵害の事実を認めさせる個人またはコミュニティの権利、みずからが価値ある存在であるとの意識を持っ権利)、DReassurance(立法および制度的介入・改革により人権侵害が繰り返されないとの保障を得る権利)。」(167頁)

これらの救済は,加害者は免責されるので国家が引き受ける。

以上が,「事実と引き換えの和解」の概略であるが,換言すれば,これは加害者の処罰を重視する応報的正義(罪と罰)ではなく,被害者の救済に重点を置く「修復的正義Restorative Justice」である。あるいは,これは加害者への「赦し」による被害者の救済といってよいかもしれない。マンデラのANCにはガンジー主義の影響が強いし,TRCのツツ委員長とボーレーヌ副委員長はともにキリスト教の重鎮である。この修復的正義には,こうしたガンジー主義やキリスト教の考え方が底流にあるようである。

もちろん,このような「和解」には批判もある。著者によれば,それは次のようなものだ。

第一に,TRCが「被害者」としたのは「重大な人権侵害」(殺人・拷問・誘拐など)の被害者であり,解放運動の上層部にほぼ限定され,一般庶民はほとんど入っていない。一方,加害者は,高位の命令権者ではなく,末端の実行者が大多数であった。つまり,救済される被害者からは庶民が除外され,加害者からはアパルトヘイトから利益を得ていた高官や企業家などが除外され責任を問われなかった。

第二に,TRCは,国家権力側の暴力と解放運動側の暴力を区別せず,その結果,後者の側の責任の方がはるかに多く問題にされた。

このように,「真実による和解」にはたしかに問題もあるが,戦争被害者の救済を考えるのに有効な方法であるし,また,この考え方は残虐な刑法犯罪の被害者の救済を考えるときにも有効である。

われわれは,応報的正義を求める一方,罪の告白と「赦し」による和解をも求めている。両者をどう関係づけるかは難しい課題だが,応報的正義だけでは心からの和解は得がたく,したがって真の平和を築くことも難しいことは確かであろう。

(谷川昌幸/2004.12.06)