2006/08/30

新植民地主義とネパール

谷川昌幸(C)

民主化を広義の文明化と言い換えるとするなら,ネパール民主化は,ネパールがグローバル化時代の新植民地主義に組み込まれ始めていることを意味するだろう。

この問題を考えるのに参考になるのが,西川氏の新著である。

西川長夫『<新>植民地主義論:グローバル化時代の植民地主義を問う』平凡社,2006

1.文明化と植民地化
周知のように,「暗黒の中世社会」を克服した西洋文明にとって,次の目標は,他の非文明世界にもあまねく光明を及ぼし文明化することであった。これは善意であったかもしれないが,まさにこの「文明化の使命」(p.11)こそが植民地主義のイデオロギーにほかならなかった。

2.文明化=国民化と国内植民地化
この文明化は,西川氏によれば,対外的だけでなく,一国内でも働き,地方を「国内植民地」とする。

「植民地主義は,単に主権のおよぶ領土の拡大や支配下にある土地や住民からの収奪に止まることなく,植民地主義の内面化をはかり,また内面化された植民地主義によって支えられているのである。・・・・ 少なくとも国民化とは「文明化」と「同化」であったのだから。町から来た教師に「方言」を禁止されて「国語」を学ぶ地方の小学生と,他国から来た教師に「母国語」を禁止されて「日本語」を学ぶ植民地の小学生のあいだに,どれほどの違いがあるだろうか。女性は「最後の植民地」という言い方を借りるなら,国民は広大な「最初の植民地」であった。」(p・25-26)

これはキツイ批判だ。たとえば,ネパールで活動する日本人ボランティアは,教育支援でネパール国家全体の植民地化に加担するだけでなく,ネパール国内の植民地化にも力を貸し,ジェンダー問題に取り組むことで女性植民地化にさえ加担することになる。

3.第二の植民地主義としてのグローバル化
この文明化を第一の植民地化とすると,グローバル化は第二の植民地化だという。 

「植民地主義は「文明化の使命」という口実のもとに進められた。「文明化」は植民地主義のイデオロギーである。グローバリゼーションがもし第二の植民地主義を意味するものであれば,その新たな植民地はどのような形態をとるのであろうか。世界の周辺部の大半を占める旧植民地が再び搾取の対象となっていることは否定できない。だが新しい植民地主義は,特定の領土を限定して政治的軍事的に統治する必要はない。戦争がくりかえされた移民と難民の世紀のあとで,情報が一瞬にして世界の隅々にまで達し労働力の移動が日営的となったいま,植民地は世界の到る所に,旧宗主国や覇権国の内部においても形成されうるからである。新しい植民地の境界を示しているのは,もはや領土や国境ではなく,政治的経済的な構造の中での位置である。」(p.11)

この新しい植民地主義は,領土の占領や入植を必要とせず,組織やコミュニケーションを通して人々を植民地化する。それは「植民地なき植民地主義」(p.50)なのである。

4.多文化主義の欺瞞
同じく,グローバル化と並行して唱えられるようになった多文化主義についても,西川氏はその問題点を厳しく批判している。

「国是あるいは政策,したがって政治のレベルにおける多文化主義は,最初の多文化主義宣言とも言うべき,1971年の連邦議会におけるカナダの首相トルドーの演説や,オーストラリアの「多文化国家オーストラリアのための全国計画」(1989年)に明記されているように、広大な移民国家(旧大英帝国の植民地)の住民(国民)のアイデンティティ(ナショナル・アイデンティティ)の安定と活性化を図り,危機に瀕した国民統合の強化を図ることを主要な目標としていた。」(p.165)

「また多文化主義の対象であり多文化主義にとって最も気がかりな存在である先住民族は,多文化主義について最も批判的なまなざしをもっている。じっさい自分たちの土地を侵略し,生命を奪い生活を破壊してきた移民たちが,その罪を問われようとしているいまになって多文化主義と共生をとなえ,自己の存在を正当化しているのだ。」(p。167)

5.文明化の最終局面としてのグローバル化
そのような多文化主義の興隆をともないつつ進行しているグローバル化は,実は,文明化の最後の局面だという。

「文明化(=文明civilisation)とは,大航海時代以来の西欧的な最高の価値を示す用語であり,西欧の発展と植民地主義,すなわち西欧の膨張を支える最大のイデオロギーであった。文明化の「最終局面」という言葉で私が言おうとしていたのは,文明化のイデオロギーはこの段階に至って最も強い露骨な形をとるであろうが(・・・・),しかしそれは同時に支配的であった西欧的価値観が崩壊し,支配的な力を失って他の新しい価値観(それを非西欧的価値,ローカルなあるいはグローバルな価値と言うかは別として)にとって代わられる過程をも意味しており,そして現にその徴候は,世界のいたるところに(西欧をも含めて――西欧の脱西欧化)現われている,ということであった。したがってこの短い定義の試みには,グローバリゼーションが第二の植民地主義であると同時にその終焉に至るものであるという主張がこめられている。」(p.223-4)

ここでいわれている「他の新しい価値観」とは,具体的には,何だろうか?

ネパールはいままさに文明化,グローバル化に引き込まれ始めたところだ。その荒波に飲み込まれてしまうのではなく,この「他の新しい価値観」を探ることがネパールには出来ないであろうか? 

難しいことだが,後発者の優位ということもある,何とか「最終局面」に来てしまったグローバル化世界のために,知恵を貸してもらえないだろうか?