第2章 国土と民族



1 国土

 ネパールは、北の中国(チベット)と南のインドにサンドウィッチのように挟まれた東西に細長いヒマラヤの小王国である。東西は、東経80度4分から88度12分までの約885km、南北は北緯26度20分から30度27分までだが、左肩上がりに西側が北に傾いているので幅は西部約220km、中央部約150km、東部約170kmとなる。
 国土面積は14万7千kuであり、日本(37万8千ku)の三分の一強、北海道(7万8千ku)の約2倍である。緯度は日本との比較でいえば、沖縄本島から奄美大島を経てトカラ列島口之島付近までとなる。
            

 (1)地形
 ネパールの地形は、トニー・ハーゲンによれば、次の7つに区分される(ハーゲン『ネパール』39頁以下)。
        
(木崎、p.23)

 @タライ(テライ)平原 インド国境からチューリア(シワリク)丘陵の南端までの狭い帯状の低地平原地帯で、南北の幅は最大でも45kuくらい、ナラヤニ川東側では65kuほど途切れ、チューリア丘陵南端が国境になっている。
 かつてタライ平原はマラリヤが猛威を振るい、タルー族など少数の民族を除き、人は住まず、トラ、サイ、ゾウなど多くの野生動物の住むジャングル地帯であった。20世紀後半、丘陵地の人口増加とマラリヤ撲滅により入植が増え、いまではとくに東部タライはネパールの穀倉地帯となっている。
 Aチューリア(シワリク)丘陵 ヒマラヤ山系最南端の平均標高約1500mの山脈で、亜熱帯樹林帯。丘陵で囲まれた低地をインナータライと呼び、ラプティ、チトワンなどがある。
 Bマハバラート山脈 ネパールのほぼ全域を東西に走る標高3000m程度の山脈で、深い峡谷に刻まれ、鞍部にはタンセン、ダンクッタなどの町がある。
 C中部山地 マハバラート山脈と高ヒマラヤの間の幅60〜100km、東西900kmの帯状の山地。標高600〜2000mで耕作に適し、階段耕作が行われている。
 山地の間にカトマンズ盆地、ポカラ盆地などいくつかの盆地があり、古くから町が開けていた。
 Dヒマラヤ山脈主稜 7〜8千メートル級の山々が連なる高山帯。東からカンチェンジュンガ(8586m)、マカルー(8463m)、サガルマタ(8848m)、ランタン・リルン(7234m)、マナスル(8163m)、アンナプルナ(8091m)、ダウラギリ(8167m)、アピ(7132m)などの高峰が連なり、それらの間には深い峡谷が形成されている。アンナプルナとダウラギリの間はわずか35kmであり、その間を流れるカリガンダキ川沿いの村タトパニの標高はわずか1200mである。マナスルとアンナプルナ、サガルマタとマカルーの間も同じくらいだ。高度差は著しく大きく、峡谷は深くて鋭い。
 Eヒマラヤ山間奥地 ヒマラヤ山脈主稜の北側にある標高2400〜5000mの渓谷。フムラ、ムグ、キロン、クンブなどで、チベット系の人々が多く住んでいる。
 Fチベット周辺山脈 チベット高原の南縁で標高は6000〜7000m。ガンジス川上流部と、チベット側のヤルツァンポ川(下流はブラーマブートラ河)との主要な分水嶺となっている。
 ――このように、ネパールは嶮しいヒマラヤの国だが、このせまい地域に7、8千メートル級の山々が集中しているのはなぜだろうか。
 1960年代に確立された大陸移動説(プレートテクトニクス理論)によれば、もともと南方にあったインド亜大陸が徐々に北に移動し、約5000万年前ユーラシア大陸と衝突、その下に沈み込み、これを隆起させ、ヒマラヤを形成していったとされる。事実、ヒマラヤにはかつての海テーシス海のサンゴや貝の化石がある。ヒマラヤは、いまも上昇していると考えられている。
 

       
(木崎、p.61)               (木崎、p.93)                            (木崎、p.4)

 (2)水系
 ネパールには、東からコシ川、ガンダキ(ナラヤニ)川、カルナリ川の三つの大河がある(以下、五百沢智也「風土」、『もっと知りたいネパール』参照)。
 @コシ川 カンチェンジェンガに源をもつタムール川、サガルマタに発するアルン川、そしてマカルーからカトマンズ北方の山々まで広い流域をもつスン・コシ川がネパール南部で合流してコシ川となり、下流のインドでガンジス川へと合流する大河。その流域はネパール国土の東側約三分の一を占めている。
 Aガンダキ(ナラヤニ)川 カトマンズ北方のランタン・ヒマールやチベットに源をもつトリスリ川、マナスルに発するブリ・ガンダキ川、アンナプルナに発するカリガンダキ川などがネパール南部で合流してナラヤニ川となり、チトワンからのラプティ川と合流してガンダキ川となり、インドでガンジス川と合流する。ネパール中部の大河。
 Bカルナリ川 チベットのナムナニ峰に源をもつ本流に、ドルポに発するムグー・カルナリ川、サイパルやナムパに発するセティ川、ダウラギリに発するベリ川などが合流し蛇行しながらガンジス川へと合流する。ネパール西部の大河。

 (3)気候と植生
 ネパールは亜熱帯モンスーン気候に属し、5月下旬から6月上旬に雨期が始まり、9月下旬まで続く。この間、モンスーンの影響を強く受ける東部を中心に大量の雨が降り、中部のカトマンズでも年間降雨量の大半がこの時期に集中する。
 しかし、雨期でも高山や北部山間奥地はモンスーンの影響が少なく、年間を通して降雨は少ない。ジョムソンのような北部山間地は、乾燥した大陸性気候である。
 気温は、タライ平原では年間平均気温が31度、雨期直前の5月には40度以上にもなることがあるが、カトマンズやポカラなどの中部盆地は温暖で、月平均気温の最低が2〜8度、最高が30度位と、過ごしやすい。高度が高くなると気温は下がり、ナムチェ・バザール(3440m)の年間平均気温は11度にしかならない。5500m以上は夏でも雪が降る氷雪地帯となる。
 このような気候と地形の多様性のゆえに、ネパールの植生はハーゲンの植生図に見られるように極めて多様である。
 しかし、そうした豊かな自然も近年の人口増により深刻な危機に瀕している。タライのジャングル地帯は入植により伐採開墾され、山地の森林は燃料採取や放牧のため急激に減少している。そのため雨期には洪水や山崩れが多発し、下流のバングラデッシュやインドにも大きな被害を引き起こしている。
(ハーゲン、p.49)


                                             (ハーゲン、p.59)

2 民族

 ネパールは、ちょうど地理的にインド亜大陸プレートとユーラシア大陸プレートとの接点であるのと同様、民族的にも南のインド・ヨーロッパ語族と北のチベット・ビルマ語族との接点である。そして、2大陸プレートの衝突がヒマラヤ山脈を生み出したように、南北諸民族の接触はネパールを世界有数の多民族社会とした。
 ネパールの民族分布は水平方向と垂直方向の2方向で特徴づけ区分することができる。石井溥の分類によれば、インド・ヨーロッパ語系諸民族は西部・南部の低地や山地底部、チベット・ビルマ語系諸民族は北部・東部の高地や山地高部に主として住んでいる(石井編『もっと知りたいネパール』  頁以下参照)。
 これらの民族は相互に入り交じり融合したものもあるが、ネパールの交通困難な嶮しい地形のせいもあり、いまなお独自の文化を維持している民族も少なくない。以下、言語民族区分に従い主要民族についてみていこう。
 なお、「民族」の定義は様々であり、とくにネパールの場合はカースト(ないしジャート)区分ともからみ一義的な定義は困難である。ここでは、独自の文化的伝統を共有する(と信じている)社会集団をとりあえず「民族」と考え、議論を進める。(「民族」の問題については、関根政美『多文化主義社会の到来』参照。)

     
               
(石井溥、p.97)
   (ハーゲン、p.96)
      *民族(ethnic/caste)別人口の詳細については、別表1参照


 (1)パルバテ・ヒンズー
 パルバテ(山地の)・ヒンズーとは、ネパール語を母語とする山地のインド・アーリア系ヒンズー教徒で、全人口のほぼ半数を占めている。古くに西南部からネパールの地に入り、東へと勢力を拡大していき、18世紀にはゴルカのプリチビ・シャハ王がカトマンズを攻略して全国統一を達成、パルバテ・ヒンズー中心のゴルカ(ネパール)王国を樹立した。以後、王位はシャハ家が継承し、20世紀にはいるとヒンズー教が国教、ネパール語が国語にされるなど、パルバテ・ヒンズーの政治的優位が確立し、今日に至っている。
 パルバテ・ヒンズーはカースト制をもつヒンズー教徒(別表2「パルバテ・ヒンズーのカースト」参照)であり、その社会はバウン(ブラーマン)とチェットリ(クシャトリア)を中心とするカースト社会である。
 バウンは祭司カースト、チェットリは王族・軍人カーストで、それぞれパルバテ・ヒンズー全体の32%、44%を占める(1991年)。彼らは高位カーストであり、政府や軍隊の要職の多くを占めているが、全体としてみれば、彼らの大部分は地方で農業に従事する農民である。
 パルバテ・ヒンズー社会には、他のカースト社会に見られるような分厚い中間カーストは存在せず、残りはカミ(鍛冶屋、13%)、サルキ(皮革職人、4%)、ダマイ(仕立屋、5%)などの下位カーストである。
 パルバテ・ヒンズー社会にこれほど上位カーストが多いのはなぜか?一つには次のことが考えられる。D・B・ビスタによれば、西ネパールには早くからカス族が住み、大きな勢力を誇っていた。彼らはアーリア系だが正統ヒンズーとは認められておらず、『マヌ法典』ではシュードラと位置づけられていた。ところが、12世紀頃、ムスリムに追われインドから西ネパールには行って来たバラモンとラジプートが、おそらく政治的な計算もあったであろうが、有力な先住カス族の多くにクシャトリア(チェットリ)の地位を与えた。また、彼らとカス族女性との間に生まれた子供はカトリ・チェットリとされた。こうしてパルバテ・ヒンズー社会が出来たとするなら、そこにバフンやチェットリが多いのは不思議ではない。


 (2)チベット・ビルマ語系諸民族
 山地のほぼ800メートル以上の高地に住む諸民族で、高度により住み分ける場合が多い(ハーゲン『ネパール』 頁参照)。コメ、トウモロコシ、ソバの栽培、牧畜、チベット交易などを主な生業としている。以下、比較的大きな民族のみ紹介する。
 @リンブー(30万人) メチ県の800〜1500m付近に住み、稲作と雑穀畑作を行っている。
 Aライ(53万人) アルン川からドゥド・コシ川までの1000〜2000m付近に住む。
 Bタマン(102万人) カトマンズ周辺の1500〜2500mの山地に住むチベット仏教徒。パルバテ・ヒンズーからは低いカーストに位置づけられてきた。
 Cマガール(143万人) 中央ネパールのガンダキ川中流域に住み、宗教はヒンズー教。勇猛で知られ、ゴルカ兵として雇用されるものが多い。水稲、雑穀栽培を中心に農業を営み、鉱業も得意としている。
 Dグルン(45万人) アンナプルナ南麓を中心に1000〜1500m付近に住み、稲作、雑穀栽培と牧畜を営んでいる。
 Eタカリー(1万4千人) タク・コーラを中心に、インド―ネパール―チベットの中継貿易に携わってきた商業民族で、豊かな家族が多い。

 (3)ネワール(104万人)
 カトマンズ盆地に中世都市文明を築いたチベット・ビルマ語系民族で、カトマンズ盆地以外にもバザールを中心に各地に住んでいる。宗教は仏教とヒンズー教だが、混淆が進み、はっきり区別できない場合も少なくない。
 ネワール社会は、ヒンズー教徒だけでなく仏教徒の間にも多数のカーストが存在する(別表3「ネワールのカースト」参照)。
 有力なのはシュレスタ・カーストで、商業を手広く営み、政府役人も多い。所帯数は農民カーストのジャプが全体の4割を占めている。
 ネワールは、長年の高度なカースト分業により工芸技術を代々伝承し、カトマンズ盆地を中心に精緻なネワール建築や工芸品を多数生み出してきた。彼らのカースト規制は依然として厳しいが、都市部の急激な近代化により若年層の間では弛緩の傾向が見られる。

 (4)チベット系諸民族
 チベット語に近い言語をもつ諸民族で、3000m以上の高地に住み、チベット仏教を宗教とする。ネパール語でチベットを「ボート」というので、「ボテ」と呼ばれることもある。
 この分類に属する民族の中で最も有名なのは、シェルパ(11万人)であろう。彼らは、ソル・クーンブ地方を中心に住み、高所での農耕・牧畜と、チベット・インド交易を営んできたが、20世紀に入り登山ガイド・ポーターとしての名声が高まり、それらの仕事で高収入を得る人が増えてきた。
 チベット系諸民族は中西部の高地にも住んでいる。彼らは東部よりもチベット文化に近く、チベット仏教だけでなく、それ以前のボン教の信仰も維持している。

 (5)タライ諸民族
 インド国境沿いのタライ平原とチューリア丘陵の北側のインナータライは、先述のようにかつてはマラリア流行地であったためタルー族などわずかの民族しか住んでいなかったが、近代化とともにネパール政府は役人や軍人に恩賞としてタライの土地を与え、入植を促進した。ハルカ・グルンの表にみるとおり、丘陵地からタライへの移住はいまもなお継続している。
 タライ住民の大半は、稲作中心の農業に従事している。稲作の他にジュート、サトウキビ、タバコなども栽培され、それらの加工工場やマッチ工場などの小規模な製造業もタライでは経営されている。
 @ヒンズー教徒 タライのヒンズー教民族としては、マイティリ(19万人)、ボジュプリ(138万人)、アワディ(37万人)の3民族を挙げることができる。
 彼らの社会はカースト社会であり、パルバテ・ヒンズーとは対照的に、インドと同じく多くのカーストをもち、カースト規制も強い(別表4「タライ・北インド系ヒンズー教徒カースト」参照)。生活様式もインドに近い。
 Aムスリム(65万人) タライには、インドからの移住者を中心にムスリム(イスラム教徒)が約65万人住んでいる。このムスリムの間にも、カーストに近い分業があり、宗教儀式を除けば、ヒンズーとほとんど区別が付かない。
 Bタルー(119万人) タライの土着民族で、西部と東部、それに中央部の森林周辺に住んでいる。丘陵からの入植者により土地を奪われたものものが多い。


参考文献
・木崎甲子郎『ヒマラヤはどこから来たか』中公新書、1994年
・石井溥編『もっと知りたいネパール』弘文堂)1994年
・酒井治孝(編著)『ヒマラヤの自然誌』東海大学出版会、1997年
・トニー・ハーゲン(町田靖治訳)『ネパール』白水社、1989年
・D・B・ビスタ(田村真知子訳)『ネパールの人びと』古今書院、1993年
・ICIMOD, Districts of Nepal, Indicators of Development, Kathmandu: International Centre for Integrated Mountain Development, 1997
・Gurun, Harka, Nepal, Social Demography and Expressions, Kathmandu: New ERA, 1998
・Gautam, Rajesh & Asoke K. Thapa-Magar, Tribal Ethnography of Nepal, 2vols, Delhi: Book Faith India, 1994

                                            (谷川昌幸、2000.6.6修正)


▼別表1 

民族別人口 1991

民族

人口

民族

人口

(1)Mountain

Ethnic

Bhote

Sherpa

Thakali

Others

 

(2)Hill

Caste

Badi

Bahun

Chhetri

Damai

Gaine

Kami

Sanyansi

Sarki

Thakuri

Ethnic

Chepang

Grung

Jirel

Lepcha

Limbu

Magar

Newar

Rai

Sunuwar

Tamang

Thami

Other

Churaute

Others

 

(3)Inner Tarai

Ethnic

Bote

Danuwar

Darai

Kumal

Majhi

Raji

Raute

138,293

 

12,463

110,358

13,731

1,741

 

12,420,157

7,457,170

7,082

2,388,455

2,968,082

367,989

4,484

963,655

181,726

276,224

299,473

4,776,993

36,656

449,189

4,889

4,826

297,186

1,339,308

1,041,090

525,551

40,943

1,018,252

19,103

185,994

1,778

184,216

 

206,068

 

 

6,718

50,754

10,759

76,635

55,050

3,274

2,878

0.7

 

0.1

0.6

0.1

0.0

 

67.2

40.3

0.0

12.9

16.1

2.0

0.0

5.2

1.0

1.5

1.6

25.8

0.2

2.4

0.0

0.0

1.6

7.2

5.6

2.8

0.2

5.5

0.1

1.0

0.0

1.0

 

1.1

 

 

0.0

0.3

0.1

0.4

0.3

0.0

0.0

(4)Tarai

Caste

Baniya

Brahmin

Chamar

Dhobi

Dusadh

Halwai

Kunu

Kayastha

Kewat

Khatwe

Kumahar

Kurmi

Kusawah

Mallah

Marwari

Musahar

Rajbhat

Rajput

Sudi/kalwar

Teli

Yadav

Ethnic

Dhanukh

Dhimal

Gangai

Rajbansi

Tharu

Other

Bengali

Muslim

Sikh

Others

 

(5)Oter/

Unstated

Foreigners

Not stated

 

5,718,770

2,968,348

101,868

162,886

203,919

76,594

93,242

44,417

70,634

53,545

101,482

66,612

72,008

166,718

205,797

110,413

29,173

141,980

33,433

55,712

162,046

250,732

765,137

1,452,652

136,944

16,781

22,526

82,177

1,194,224

1,297,770

7,909

653,055

9,292

627,514

 

7,809

 

2,951

4,858

 

30.9

16.1

0.6

0.9

1.1

0.5

0.5

0.2

0.4

0.3

0.5

0.4

0.4

0.9

1.1

0.6

0.2

0.8

0.2

0.4

0.9

1.4

4.1

7.9

0.7

0.1

0.1

0.4

6.5

7.0

0.0

3.5

0.1

3.4

 

0.0

 

0.0

0.0

 

 

Total

 

18,491,097

 

 

100.0

 

民族=Ethnic/Caste  出典:SBC,1991(H. Gurung, p.56)


▼別表2 

パルバテ・ヒンドゥーのカースト


バウン(ブラーマン)
 フルビヤ(東の)バウン・・・・ヒンドゥー教司祭(ウパッデャ・バウン)
 クマイ(クマオンの)バウン・・ヒンドゥー教司祭(ウパッデャ・バウン)
 ジャイシ〔正式な結婚を経ないバウンの男女の子孫:司祭役を行わない〕
チェットリ 軍人、官吏
 タクリ〔王族を含む〕
 ハマール〔バウン男性とタクリ女性の間の子孫〕
 チェットリ
 カトリ(カトリ・チェットリ) バウン男性とチェットリまたはチベット・ビルマ語系民族女性との間の子孫
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
マトワリ・チェットリ
 「飲酒するチェットリ」聖紐をつけない。西ネパールに多い。
ガルティ 解放奴隷の子孫
アジェル 解放奴隷の子孫
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
カミ
 スナール 金銀細工師
 カミ    鍛冶屋
サルキ  皮革職人、靴屋
ダマイ   仕立屋、楽師
ガイネ等  遊行の音楽師


出典=石井溥の表2(石井編『もっと知りたいネパール』p.102)より作成



▼別表3 

ネワールのカースト

  ヒンズー教の高位カースト         仏教徒の高位カースト
バルム(ブラーマン) ヒンズー教司祭     グバジュ(バジュラチャリア) 仏教司祭
  デオ・バジュ                    バレ(バンラ)    金銀細工師
  バッタ                        ウレ(ウダス)
  ジャー                           トゥラダル   商人
シェショ(シュレスタ) 官吏、商人           バニア     商人
  ツァタリア                         シカーミ     大工
  パンチタリア                       マリカーミ    菓子屋
                                 タムラカール  銅器職人
                                 ロハンカーミ  石工
                                 アワ        レンガ積工
                                 カンサカール  錫職人
===================================
ティニ(シバチャリア) 葬いの司祭
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
グワ、ハレ(グワラ)   牛飼い
ジャブ(マハルジャン) 農民
クマ(プラジャパティ)  壺作り
テウラ(ラージ・タラ)  こうじ作り
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ガトゥ(マリ)        庭師
ナウ(ナッピト)      床屋
カウ(ナカーミ)      鍛冶屋
サェミ(マナンダル)   油搾り
クサ〔ル〕(タンドゥカール) 精米、壁塗、織物
テペ             農民
プン(チトラカール)   絵師
カター(スッダカール)  ヘソの緒切り
チパ(ランジットカール)染物師
サンガ〔ット〕       洗濯屋
デサル           農業労働
プル             葬いの松明持ち
バー             葬いの供物受け
ドゥイン           穀物炒り、運搬役
バラミ            木こり
チピ             捺染職人
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ナェ(カサイン)      屠殺、肉売、葬いの楽士
ジュギ(クレス)     仕立屋、楽士
ドーン(バティカール) 太鼓奏者
クル            太鼓作り
ドビ(ラジャカ)      洗濯屋
ボデ(デョラ)       漁師、掃除人、儀礼の跡片付け、
チャメ、チャムカラ(クチカール) 掃除人、汚穢処理
ハラフル          掃除人、汚穢処理

出典: 石井溥の表4(石井編『もっと知りたいネパール』p.141)より作成



▼別表4 

タライ・北インド系ヒンズー教徒カースト

ブラーマン(バラモン)
  ブラーマン       ヒンドゥー教司祭
  パートラ        葬式の司祭
ブミハール        地主
 (ブイハール)     〔プラーマンを自称〕
ラージプート       軍人
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
カ−ヤスタ        書記
バート           系譜記録者
バニヤー(ヌニヤール) 商人
ダーヌック         ゴザ作り、従者
クルミー          農民
アヒール(グワーラー) 牛飼い
マーリー          花売り
コーイリー         野菜作り
バルブンジャ       穀物炒り
ハルワーイー       菓子屋
バラーイー         「パーン」作り
ダルジー          仕立屋
ローハール         鍛冶屋
バダイー          大工
クムハール        壷作り
マッラーハ         船頭、漁師
ケワット           船頭、漁師
ナーイー(ハザーム)  床屋
ド−ビー          洗濯屋
テーリー          油搾り
カルワール        酒作り
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チャマール        皮革・靴職人、楽師
ハルコール        汚穢処理人、楽師
ドーム           掃除人、汚穢処理人、死体処理人、寵作り、楽師
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ドゥシャード        死体処理人、籠作り
タトマー          婚儀のカゴかき、農業、土木労働者
カターヴェー       婚儀のカゴかき、農業、土木労働者
バンギー         掃除人、汚穢処理人


出典: 石井溥の表5(石井編『もっと知りたいネパール』p.162)より作成

                                      (谷川昌幸、2000.6.3修正)