時 評
谷川昌幸
ネパール協会HP同時掲載

  2005年c (→Index       Top  

050730 良心の囚人,ガガン・タパ氏
050728 独裁から専制へ
050727b やはり利権争いか?
050727a デウバ前首相ら,禁固2年
050719 モリアーティ大使記事
050712 皇族,日ネ協会に大歓迎される皇太子ご夫妻
050708 天皇との会見写真
050707 朝日ビックリ見出記事のバランス感覚
050705 目に余る天皇の政治的利用
050704 天皇,皇后両陛下と会見へ
050703 反国王的ウェッブサイト封鎖
050702 説明責任は?
050630 .「ODA停止要求」との関係は?
050626 頑張る「ネパールの空の下」/新華社の攻勢
050624b マオイスト連合軍,インド警察攻撃
050624a 国王,全大学の学長に
050622 ネパールは韓国支持
050618 中国軍事援助(続報)と,一部訂正
050617 皇太子殿下訪日の政治的意図
050616 ジャーナリスト,また大量逮捕
050612 ODA凍結要求と皇太子殿下歓迎会
050605 皇太子殿下来日と日ネ協会
050604 米軍事顧問団,国軍訓練再開へ
050607 地雷で死傷者100名以上
050601 自警団,地雷大量埋設
050530 英国,軍事援助再開
050531 ババ氏,歩道再開の快挙
050525 ババ氏,解任か?
050521 人治vs法治――信号の近代化論
050526 バブラム幹部,インドで交渉中
050524 欧米,軍事援助実施か?
050522 内政不干渉の限界
050525 ババ氏,解任か?
050521 人治vs法治――信号の近代化論
050514 迷走7政党と「史上最高の国王」
050511 軍事援助再開
050507 ポクレル氏殺害とマオイスト内紛
050506 気がかりな宗教問題
050505b クリスチャン教師夫妻,逮捕
050505a 覇権争奪競争下のネパール


050730 良心の囚人,ガガン・タパ氏

アムネスティは27日,ガガン・タパNSU前書記長を「良心の囚人」に指定し,無条件即時釈放を要求した。

タパ氏は,シンハダーバ勾留中の学生に面会した後,私服治安捜査官に拘束され,ハヌマンドカ警察署に勾留されれいる。

裁判は,「特別法廷」で行われる。これは憲法85条(2)により設置されているが,RCCC同様,実態がよく分からない。刑事事件なのだから,なぜ通常の法廷で裁かないのか? わが特高もそうだったが,こんな治安捜査や「特別」法廷で容疑者や被告人の権利が保障されるとは思えない。

密告制度,私服治安捜査官,特別法廷――薄気味悪い警察国家化が進行し,国際人権法で保障されている最も基本的な人権ですら危うくなってきている。

こうした消されそうな人々の安全を守るには,何よりもまず世界社会が「見ている」ことを知らしめることが肝要だ。このボードを見る人は多くはないだろうが,それでも記載すれば,「見ている」ことの意思表示にはなる。

これは日本政府にとっても大切なことだ。日本外交の目玉は「人間の安全保障」。つまり,このような危険にさらされている「個々人(=人間)の安全保障」を日本政府は全世界に向け公約しているのだ。金満スキャンダル王族との結託を外交方針にしているわけではない。

ここは格好よく,「人間の安全保障」の旗手=日本の面目にかけ,タパ氏の人権擁護を世界に向け訴えかけてみてはどうか?

(KOL,Jul30)


050728 独裁から専制へ

独裁(Diktatur)はそれ自体,悪いわけではない。民主主義が非常時に機能しないことは常識であり,そうした例外状況では独裁が求められる。

たとえば,共和制ローマでは平時は執政官統治だが,非常時には全権を委任されたDictatorが6ヶ月統治した。この委任独裁は,正統な憲法秩序回復のために一時的に認められるにすぎない。もしその目的を逸脱すると,それは悪しき専制となる。

ネパール国王は,いま委任独裁の限界を超え,専制に転化しつつある。今日のネットにもカトマンズ市内での学生と警官隊の衝突の写真が出ているが,どう見てもこれは専制支配の症状だ。

デウバ前首相の逮捕については,アメリカが,ADB調査報告を無視し特別法廷で裁くとはケシカラン,RCCCを解散し人権を回復せよ,とカンカンになって怒っている。大枚をはたき15%も出資しているのだから,怒るのは当然だが,同じく15%出資の日本は,天皇陛下の手前,怒りたくても怒れない。自縄自縛だ。

コングレス系学生組合NSUのガガン・タパ前書記長逮捕も,典型的な専制支配症状だ。特別法廷で,なんとseditionの罪で裁くらしい。ラトナパークで反王制スローガンを叫んだという理由で逮捕し,まともな裁判もやらず,seditionの大罪で処罰しようとしている。恐怖政治に近いといってよい。

(KOL,Jul27,28; Nepalnewscom,Jul28)


050727b やはり利権争いか?

少し補足するが,夏バテ頭ではいまいち分からない。この方面に詳しい方,誤りがあれば訂正してください。

●国王 → Harish C. Shah(国王の親戚)→ Hanil(韓国) Koneco(ネパール)
 2003.2契約,17ヶ月以内に完成の約束。が,工事遅延のため,2004年5月11%完成の段階で契約破棄。
 (支払い義務)保証金=1億4千万ルピー
         損害金=6千万ルピー
         追加工事費=5億ルピー

●デウバ内閣 →(新規契約)→ CCENC(中国)
 Prakash Man Singh(ガネッシュマン・シンの息子)

(webindia123, Apr23; eians, Jul22; ビンティ)


050727a デウバ前首相ら,禁固2年

夏バテで,重い事件は敬遠したいところだが,今日(7/26)はメラムチ汚職事件の判決日ということでネットを覗いているが,まだ報道はない。

日本でも,このところ官民談合汚職が指弾されているが,メラムチ事件を見ていると,ネパールははるかに根が深そうだ。いや,ひょっとすると,この種の汚職構造は,まさしくアジア的であり,日本ともどこかで結びついているのかもしれない。そんなことはないと思うが,もし仮にそうだとすると,これは他人事ではない。

検閲済ニュースだけではよく分からないが,事件の概要は次のようなことらしい。メラムチ給水事業は,期間2000- 2006年,総事業費$464m(そのうちアジア開発銀行$120m)の大事業であり,日本も大枚55億円(2001)の円借款を供与している(それ以後不明)。

こんな大事業だから,利権はわんさとあるはずであり,2002年4月には,担当のワグレ公共事業大臣がトンネル取付道路工事を最低価格で入札した企業に対し5千万ルピーの賄賂を要求したことを,建設業組合のアンパサン・ラマ氏が暴露した。落札企業は賄賂を断ったため,契約が半年延期され,別の企業が契約することになりそうだ,と 2002年4月には報道された。

この2002年4月の事件と,ほぼ同じ構図の今回の事件との関係は,夏バテ頭ではよく分からないが,報道によると,アクセス道路工事は,Hanil Koneko社がRs456mで落札したが,工事遅延を理由にこれがCCECC共同企業体に変更になり,工事費はRs970mに増額された。この変更にデウバ前首相やプラカシマン・シン前大臣らが絡んでいる,と王立汚職規正委員会(RCCC)は考え,2005年4月,両氏や担当政府高官らを逮捕勾留し,尋問してきたのだ。

(*王立汚職規正委員会Royal Commission for Coruption Control。2.1クーデター後,国王が設置。委員は国王任命であり,不正,汚職に関する捜査,訴追,裁決の強大な権限をもち,国王に対して責任を持つ。今回の審問担当者は,Bhakta B. Koirara(委員長),Raghu C.B. Singh(委員),Haribabu Chaudhary(委員)。)

これに対し,事業費の1/4を出すアジア開発銀行(ADB)は5月29日−6月2日調査団を送り,調査報告書を発表した。それによると,そうした不正は全くなかったという。しかし,RCCCはこの報告書を証拠採用せず,本日の判決のはこびとなった。

妙な構図だ。国王=RCCCは不正があったといい,被害者であるはずのADBはなかったという。さらにシン前大臣らは RCCCこそが腐敗しており,Hanil Komeko社の巨額違約金支払いを回避するために,彼らに罪を着せようとしているのだ,と非難している。何がなにやら,こんがらがってよく分からない。

一方,わが日本は,5月5日前首相らの逮捕に対し懸念を表明したものの,7月のパラス皇太子来日時に,天皇皇后,皇太子ら持ち駒を総動員し官民あげて国王支持を世界に宣言したのだから,当然RCCC支持だろう。不支持だと,なりふり構わず,こびへつらって,やっと手にした(はずの)常任理入り賛成1票を失ってしまう。55億円もだし,1度は抗議もして見せたのに,結局は日本国益優先となるのか? ADBの大株主なのに,身内のADB調査を信用せず,国王陛下調査を信用することになるのだろうか?

正直なところ,3年前のワグレ事件と同じ構図であり,起訴事実はあった可能性が高いが,だからといってRCCCの政治性や利権性も否定できない。ネパールには両者を内包するような大きな汚職構造があり,それを問題にすると危ないので,ADBも見ないことにしたのではないか? そこで困るのは日本政府。RCCCとADBのどちらにつくか? どちらにも味方できないのなら,お家芸の「見ザル聞かザル言わザル」の3ザルを決め込むに限る。

と,ここまで書いてきて,ネットを見ると,ついに判決が出た!

●禁固2年,罰金9千万ルピー
 デウバ前首相,シン前公共事業大臣,チカダッタ・ニララ事業企画省次官,ドルバ・B.シュレスタ主任プロジェクトディレクター
●禁固1年,罰金4千5百万ルピー
 デパク・K.ジャー・ディレクター,ジイプ・C.ラマ氏(工事落札業者)

天皇陛下が支持される国王陛下が,自ら設置し指揮されているRCCCの判決だから,日本政府ももちろんこの判決を支持するにちがいない。高潔なパラス皇太子を大歓迎した日本ネパール協会も,もちろん全面支持をいずれ表明するだろう。支持しないと,みな不忠者になってしまう。

(KOL, Jul24,26; Nepalnewscom,Jul21,24,25; Rising Nepal,Jul24; ADB,Melamchi Water Supply Project, Dec21,2000; 国際協力銀行HP「ネパール王国向け円借款について」)


050719 モリアーティ大使記事

ジャパンタイムズ(7/17)が,かなり大きなネパール記事を載せている。日本発であり,結構なことだ。執筆者は,R. Halloran氏で,内容はモリアーティ大使がハワイ大学東西センターで語ったことの紹介。

モリアーティ大使によると,この12−14ヶ月で,ネパールの命運は決する。(1)国王と政党の和解がなり,マオイストと対決。(2)和解がならず,内戦激化。

もしマオイストが勝利すると,これは「人道上の惨事」。農業集団化,ヒンズー社会の転覆,大量の難民発生,革命の輸出・・・・。ネパールはゲリラとテロリストの天国になる。

そうならないように,モリアーティ大使は,(1)政党の和解・結集,(2)国際社会の圧力によりマオイストを交渉テーブルにつかせる,(3)マオイストに軍事的勝利の可能性のないことを知らしめる,という政策を提唱する。これは,従来の政策と同じであり,特に注目すべきものはない。

このハロラン氏の記事には,ディペンドラ前皇太子を王族殺害事件の犯人と決めつけるなど,分析の甘さ(ないし,イデオロギー性)があるが,少なくとも日本発という点は評価できる。

それにしても,マリアーティ大使の名を目にすると,もう一人の「モリアーティ」氏をつい連想してしまう。悪党一味の頭領,「犯罪のナポレオン」と称される例の教授のことだ。大使は品格高潔な方のはずだが,超大国の大使をされているので,つい教授を連想してしまう。申し訳ない。


050712 皇族,日ネ協会に大歓迎される皇太子ご夫妻

秋篠宮ご夫妻とパラス皇太子殿下ご夫妻
日本ネパール協会会長とパラス皇太子殿下

●ライジングネパール評。(7月10日付)
皇太子ご夫妻を橋本竜太郎元首相が終始案内。「これは,日本の長老政治家が皇太子殿下ご夫妻の訪問を大変重視しているということに他ならない。」
「日本人もネパール人も,公式訪問の催事が行われるたびごとに,皇太子殿下の側に集まり,ご夫妻と一緒に写真を撮った。」


050708 天皇との会見写真

ネパール皇太子殿下ご夫妻と天皇皇后両陛下との記念撮影が実現した。微妙な距離ながら,よく撮れている。いずれ,王室カレンダーや,日ネ友好行事で大量配布されるだろうから,もちろん買い求めるつもりだ。1年,5年,10年後にも王室=皇室友好記念写真として飾ることが出来ることを,切に祈っている。

それにしても,ネパール・メディアは奥ゆかしい。この決定的ショットを,ちょっと使っただけで,すぐ引っ込めてしまった。どこかから圧力でもあったのだろうか?

▼会見写真掲載ライジングネパール(2005.7.7)トップページ

▼天皇皇后陛下との会見写真(同紙)


050707 朝日ビックリ見出記事のバランス感覚

7日付朝日新聞が,大きなスペースを割き,大野記者(ニューデリー)のネパール記事を掲載している。見出しがあまりにも巨大なので,すわ「革命か!」と一瞬たじろいだ。

読んでみると,米印の軍事援助が結局は国王親政を支えているとの内容であり,特に目新しいところはない。分析としても,中国との関係が抜けており,ニューデリー発の弱点が露呈している。中国は,胡錦涛主席が自らパラス皇太子と会見し「ネパール国王、王室の両国関係発展における独特で、重要な役割を評価」(新華タイムズ)するなど,米印以上にネパール王室取り込みに躍起だ。金正日総書記と同じく,ネパール国王もパワーゲームの中で目下モテモテなのだ。胡錦涛主席が相手なら,天皇を出さねば勝負にならないだろう。朝日記事には,残念ながら,そんな全体的な目配りがない。

が,それはそれとして,今日7日に,こんなビックリ仰天見出しの大記事を掲載する意図は明白であり,さすが朝日,バランス感覚がある。小学校学級新聞並の中日新聞カトマンズ発(!)よいしょ記事と比較すると,格の差は歴然としている。

(新華タイムズ,m00118901=「21世紀の中国」2004.8.21;朝日新聞,2005.7.7;中日新聞,www.chunichi.or.jp/expo/news/20050618_006.html)


050705 目に余る天皇の政治的利用

このところ小泉ナショナリスト内閣による天皇の政治的利用が目に余る。王族殺害事件,2・1政変,2・1以前のパラス王子関連諸報道,反人権的・反民主主義的国王専政――どれ一つとっても,日本皇族は,ネパール皇太子殿下に会えないはずなのに,常任理入りの1票のために,無理矢理,天皇を引っ張り出し,会見させる。また,先のサイパン慰霊も,もっと大がかりな日米合作ではあるが,天皇利用という点では,同罪だ。S氏のような本物右翼なら,到底許せないような不敬,不忠といってよい。

(1)サイパン慰霊と御用マスコミ
マスコミや知識人は,そうした天皇の政治的利用を諫めるものであるはずなのに,天皇,国王となると,知識人も庶民もとたんに恐れ入り,一億総赤子となってしまう。そして,それに悪のりし煽り立てるのが,無責任御用マスコミだ。

天皇のサイパン慰霊(6/27-28)の際,TVは,日本女性が断崖から飛び降りる悲惨な記録映像と,まさにその現地で頭を垂れ慰霊される天皇,皇后両陛下の姿を交互に繰り返し繰り返し映し出した。NHKも古館氏も筑紫氏も,新聞各紙も,天皇と当の投身自殺との関係に一言も触れることなく,慰霊される両陛下を手放しで誉めたたえた。

しかし,それは話が違うだろう。かつて天皇は主権者であり,戦争の最高責任者だった。その天皇が,敗戦責任を回避し,「天皇陛下万歳!」を叫んで死んでいった人々への責任をとらなかった。それなのに,どうして天皇に戦争犠牲者への慰霊が出来るのか?

現天皇は聡明であり,その憲法遵守の断固たる姿勢を私は深く尊敬している。比類なく聡明な方であればこそ,現天皇は,昭和天皇が戦争責任をとらず,したがってその継承者であるご自身にもサイパン慰霊の資格がないことを,痛いほどよく自覚されているはずだ。おそらく,悩み苦しまれたあげく,天皇を政治的に利用しようとする日米政治家の圧力に屈し,慰霊に赴かれたのだろう。天皇サイパン慰霊の政治的責任は,象徴天皇にではなく,天皇を利用した小泉内閣にある。

今回の天皇サイパン慰霊の政治的目的は,明白だ。中韓の反日感情増大,小泉首相の靖国神社参拝,郵政改革強行による自民党支配体制の動揺――この内憂外患を封じ込め,小泉政権に有終の美を飾らせるため,最後の切り札にして最大の権威,天皇が敗戦60周年を口実に利用されたのだ。

その天皇の政治的利用に恐れ入り,一言も発しない日本マスコミは,いったい何なんだ。

(2)ネパール皇太子殿下との会見
同じことが,ネパール皇太子殿下訪日についてもいえる。象徴天皇と異なり,ネパール国王は主権者そのものであり,自らほぼすべての権力を行使している。皇太子殿下は,その国王の意を受けて訪日し,おそらく天皇会見により現国王政府の正統性を一気に高めることを目指しておられるのだと思う。日本天皇が正統性を認めた政府となるのだ。

これについて,ネパール関係者もマスコミも何もいわない。国王,王族については,ネパール国内でさえ,つい数ヶ月前までは自由な議論の対象であったし,現在でも抑制はされたが,それでも中にはかなり際どい報道もある。それなのに,日本では,王族=皇族の連想で,ヘビの前のカエル,自ら恐縮し,何もいえなくなる。

このような王族=皇族タブーは,ネパールのためにも日本のためにも,そして何よりもネパール国王と日本天皇のためにもならないだろう。国王や天皇は,もはや象徴ないし立憲君主としてしか生き残れないからである。


050704 天皇,皇后両陛下と会見へ

ライジングネパールによれば,ネパール皇太子殿下ご夫妻は,7月5−14日の訪日中に,日本の天皇・皇后両陛下,皇太子殿下と会見されるそうだ。

当初,韓国が先と報道されていたが,やはり日本が先となり,両国の華やかな王族・皇族外交が実現するはこびとなった。

(Rising Nepal, Jul3)


050703 反国王的ウェッブサイト封鎖

国王政府が,反国王,親マオイストを理由として,印米の2サイトをブロック(封鎖)した。ブロックしたのは情報省と国軍。「マオイストを助長するようなウェッブサイトは他のものもすべてブロックするかもしれない」(グルン大佐)。

このナマステボードも,こんな「反国王・親マオイスト的」投稿を載せていると,ブロックされるかもしれない。そして,ネパールでは,皇太子御夫妻が日本の善男善女に大歓迎され,皇族方や各界の名士・有力者と会食・歓談する「愛国的」写真・記事ばかりがメディアを埋め尽くすだろう。

それに花を添えるのが,たとえば中日新聞のよいしょ記事(www.chunichi.or.jp/expo/news/20050618_006.html)。ジャーナリズムだったら,ほんの数年前の,あの王族殺害事件を思い出すべきだ。もう忘れてしまったらしい。2月1日のことですら忘れたらしいから,それも仕方あるまい。

(KOL, Jul2; samudaya.org,2005/07; insn.org,Jul1)


050702 説明責任は?

野崎さんの正義感,行動力には,つねづね感服しています。が,どうもいつものキレがない。何かに遠慮されているように見受けられる。すでに,こちらの仕掛けはお見通しなので,ストレートに論点整理をします。

(1)野崎さんらは,日本政府に対しODA凍結要求を出され,6団体,1000人以上の賛同を得られた。
(2)この運動はネパールでも報道され,庶民はODA凍結を耐え忍べば,人権・民主主義の回復が図られると期待した。あるいは,少なくとも,この運動をそのような趣旨と理解し信頼した。
(3)日本政府は,野崎さんらのODA凍結要求を無視し,逆に,人権・民主主義を抑圧している当の王族を招待・歓迎しようとしている。
(4)この事態に対し,野崎さんらの公式コメントはない。

――以上の整理が正しいとすると,
(5)野崎さんらのODA凍結要求は,公的行為である。
(6)野崎さんらは,ODA凍結要求を信頼しているネパール庶民や多くのNGOに対し,黙認の説明責任がある。
(7)野崎さんらが,この説明責任を果たさないと,今後,日本の運動はネパール庶民に信用されなくなる。

野崎さんはネパールでは屈指の著名日本人だし,凍結要求呼びかけ人の池澤夏樹氏,野口健氏も著名人です。アジア女性資料センターも有力人権NGOです。こんな名士,有力NGOが,ODA凍結要求をしつつ,専制支配者の招待・歓迎を黙認するのであれば,今後,日本の人権・平和・民主主義運動は,ネパールでは誰も信用しなくなるでしょう。

野崎さんらの声明はほんの3カ月前であり,誰も忘れていませんよ。人権・民主主義回復要求,ODA凍結要求を撤回されないのであれば,「外務省等による皇太子殿下招待・歓迎に断固反対する」と,もっとはっきり公式に宣言された方がよいと思いますが,いかがでしょうか?


050630. 「ODA停止要求」との関係は?

私も,王制は嫌いではないが,野崎さんにぜひお伺いしたいのは,個人的な好き嫌いの問題ではなく,

「ODA停止要求」と「皇太子殿下招待・歓迎」との関係

です。それとも,もう「ODA停止要求」は撤回されたのでしょうか?


050626 . 頑張る「ネパールの空の下」/新華社の攻勢

(1)頑張る「ネパールの空の下」
畏敬する「ビンティ」が,4月22日以来,停止しているので,「ネパールの空の下」を見たら,なかなか面白い。「ビンティ」とは,別の味わいがある。

「ビンティ」や「ネパールの空の下」に限らず,一般に現地発情報は貴重であり有り難いが,発信には様々な差し障りがあり,細心の注意とかなりの勇気が要るのではないかと思われる。私のような外国安全圏からの気楽な発言に対しても,「ネパール情報筋がチェックしているぞ」といった脅しが入る。おそらく本当だろう。国家とは本来そのようなものであり,特に在外邦人にとっては,日本大使館や現地政府情報局,あるいは近隣社会の監視は大変な重圧であろう。だから,現地発情報は,著者に敬意を払いつつ,慎重に行間を読む必要がある。

その点,日本にいて,しかもネパール語の「あいうえお」も分からない私の駄文は,幾重にもフィルターを通した生活感のない評論であるにすぎない。ときには,行間を読みすぎて,行を忘れることさえある。が,その一方,対象から距離を取ることは比較的容易であり,もし外部観察者に存在意義があるとすれば,おそらくそこであろう。

(2)中国発ネパール情報
そう思いつつ,英語のフィルター越しにネパール情報を眺めていたら,情勢のある変化に気づいた。新華社発情報が急増しているのだ。ネパールをめぐる情報戦に,中国も本格的に参戦するつもりのようだ。「事実」はつくられるものであり,中国もネパールに関する「事実」をつくる必要を感じ始めたのであろう。

これに対し,日本の戦略はおそまつだ。情報戦で惨敗した太平洋戦争以降も,情報軽視の姿勢は変わらない。日本発ネパール英語情報は皆無に近い。

中国は,文化的には日本よりも英米に近い。英米が数百年かけて英語帝国主義を築いてきた経験に学び,中国はアジア情報戦で主導権を握ろうとしているのではないか。

ネット上のネパール情報を中国系メディアが席巻するようになれば,日ネ関係も大きく変わらざるを得ないだろう。


050624b. マオイスト連合軍,インド警察攻撃

The Hindu (Jun24)によれば,6月23−24日,印ネ・マオイスト連合軍400名が,ビハール州マドバン村の警察署と国営銀行を攻撃した。死者は,ゲリラ17名,警官2名,準軍兵士1名,警備員1名。

攻撃には,約100名のネパール・マオイストが参加した模様。


050624a . 国王,全大学の学長に

準備中の「大学令2061」によれば,国王が国立・私立全大学の学長になるそうだ。

大学の政治化はすさまじく,抜本的改革が必要なことは認めるが,だからといって国王を学長にすることはあるまい。世銀が後押しするらしいが,本当だろうか?

日本ではかつてクリスチャンまでが学内の御真影(天皇のありがい写真)に頭を下げさせられたが,これはそれに勝るとも劣らぬ愚挙。

いまの国王は,「象徴」としての立憲君主ではない。「知は力なり」ではあっても,「力は知なり」ではないはずだ。

(KOL, Jun24)


050622. ネパールは韓国支持

韓国のパク特使は6月5日,R・N・パンデ外相と会談し,国連改革韓国案への支持を強く訴えた。これに対し,パンデ外相は「韓国政府の立場を支持」し,「公平に」対応すると答えた。

そして,パンデ外相は,韓国政府が皇太子殿下夫妻の訪問を心待ちにしている,とも語った。

外交用語ではっきりしないが,ネパールは,外相が韓国支持を明言したのだから,日本の常任理入りには,少なくとも賛成はしないのだろう。これで,たぶん1票減った。

(KTM-P,Jun5)


050618 中国軍事援助(続報)と,一部訂正

(1)中国軍事援助(続報)
やはり,最初の公然たる軍事援助は,中国だった。事は重大,ロイター(6/17)も大きく報じている。(No.3918,3928等参照)

援助は戦闘用車両5台で,6月16日カトマンズ着。対マオイスト用が表向きだが,もちろん本当の目的は,そこにはない。国王の大冒険政治。

(2)訂正
カワイ特使が1票を懇願したのは,国王と,ギリ,ビスタ両副首相。もちろん「現政府」の正統性を認めての上だ。


050617 皇太子殿下訪日の政治的意図

ネパール関係者の中には誤解している人が少なくないが,皇太子殿下の訪日は,日本皇族の外遊とはまったく異質の事柄である。

(1)
日本国憲法の下では,いくら雅子様が熱望しようと,「皇室外交」は厳禁,外遊は文字通り「あそび」であり,儀礼にすぎない。外交権は内閣にある(第73条2)。

これに対し,ネパール国王は,内閣の助言のもとに外交権を行使しうる。ただし,立憲君主制の原則通りであれば,王族外遊は日本皇族の外遊に近いものになり,内政如何に関わらず,儀礼であり,儀礼として応対すれば済む。

ところが,周知のように,ネパールでは2月1日政変で立憲君主制は完全に否定され,本来「例外状況下」に限定されるべき国王委任独裁が常態化し,国王はいまや「象徴」というよりは独裁的「政治家」,強権的「大統領」と呼ぶべき存在になっている。

(2)
ここに情緒的日本人の大いなる錯覚がある。むろん大統領にも「象徴」的側面はあるが,これは副次的であり,中心は政治的機能に他ならない。これは小学生でも知っている初歩的事実だ。ところが,ネパール関係者の中には,ネパール王室=日本皇室と錯覚している(ふりをしている)人が少なくない。

ロマンの自縛を解けば,ネパール皇太子殿下訪日が単なる儀礼ではなく,外交的効果を狙った政治的行為であることは明白であり,したがって他の外国政治家の訪日と同様に,政治的議論の対象にされてもよいし,当然,そうされるべきである。

(3)
今回の訪日のねらいは単純明快,王政の正統性の強化である。アジア随一の民主主義国とされている日本を訪問し,政府に歓迎され,日本ネパール協会のような民間団体に歓迎され,万博会場で庶民に取り囲まれ,そして――そんなことはまずないだろうが――日本皇族との歓談が実現すれば,しかも,日本のどこにもネパール「現政府」の非人権性・非民主性と関連づけた批判が見られないとすれば,日本は国民こぞって現行ネパール王政の正統性を承認したことになる。ネパールにおける日本の存在の大きさを考えれば,皇太子殿下歓迎映像や写真がネパールで報道されることの「政治的」意味は極めて大きい。

皇太子殿下と一緒に写真を撮られる人は,その政治的意味や,歴史的批判にたえうるか否かをよく考えてから,撮られるべきだろう。

(4)
日本外務省が,皇太子殿下訪日の政治的意味を十分承知の上で,日本の外交目的のために,これを利用しようとしていることは,明白だ。もし外務省が,相当のリスクを覚悟して歓迎をセットしているとするなら,その最大の目的は,おそらく安保理常任理事国のための1票であろう。

周知のように,日本政府は常任理入りのための票集めに躍起となり,5月16日には大使を世界中から東京に集めて決起集会を開くというアナクロを露呈し,世界の失笑を買う一方,大金の無駄づかいに国民は涙した。
ネパールにも,もちろんカワイ特使を派遣し,6月12日国王陛下,両副大臣と会い,1票を懇願した(KOL,Jun13)。

しかし,アジアでは中国が日本の常任理入りに猛反対,お隣の韓国もアジア諸国に反対を訴え,ネパールにも強力に反対を働きかけている。

では,ネパールは中・韓をとるか,日本をとるか? 合理的に判断するなら,ネパールは中・韓をとる。日本に1票入れても,たいして得にならないからだ。

そのせいかどうか知らないが,6月17日中国による念願の対ネ軍事援助が開始されたし(KOL,Jun17),皇太子殿下夫妻の訪問も韓国が先で(日程詳細不明),日本は後回しだ。日本としては,チャイナ・カード,コリア・カードに対抗するには,少々無理しても大歓迎をセットせざるを得ないのだろう。

(5)
日本の常任理入りは,中韓の反対と米の消極姿勢で,もはや死に体。外務省は焦っているのだろうが,もっと哀れなのは,歓迎を煽られ,踊らされている人々だ。


050616 ジャーナリスト,また大量逮捕

ジャーナリスト数十人が6月13日,逮捕された。その中には,ネパール・ジャーナリスト連合(FNJ)のB・ニスツリ会長,M・ビスタ書記長,B・バニヤ書記なども含まれている。(囂々たる国際非難で,翌日,48人釈放)。

この日,数百人のジャーナリストがラトナパークに集まり,言論・表現の自由を抹殺する報道規制法の制定に反対する集会を開催していた。同様の抗議集会は,モラン,ダン,チトワン,ヘタウダ,カブレ,スルケト,ビルガンジ等でも開催された。(KOL, Jun13)。

ジャーナリズムは,社会の神経といってよい。痛いからといって神経を抜いていったら,社会の病変に気づかず,結局は手遅れとなる。ジャーナリズムの政治化は問題だが,弾圧の害悪は比較にならないほど大きい。

検閲弾圧下でも,これだけのニュースを送ってくるネパール・ジャーナリストの勇気に,万歳!!

それにつけても,平和日本における「皇太子殿下歓迎会」(7月7日)はめでたい。


050612 ODA凍結要求と皇太子殿下歓迎会

それでもやはり,日本ネパール協会は皇太子殿下訪日歓迎会の計画を進めているらしいが,これは多くのネパール関係者,NGOの人権・民主主義回復要求と矛盾するのではないか?

たとえば,ネパール・ピース・ネット(NPN)は,「ネパールにおける基本的人権の回復に関して日本政府の外交努力を求める申し入れ」(3月16日)を発表,このボードにも転載され多くの団体,個人の賛同署名を得た(No.3834,3873,署名者一覧あり)。
 (呼びかけ)NPN, アジア女性資料センター,池澤夏樹氏,野口健氏ほか。
 (賛同署名)6団体,1000人以上 

この声明の中には――
「(2)ネパールで基本的人権が回復され,開発プロセスへの住民参加が担保されるまで,人道支援を除き,現ネパール政府に対するODAの新規案件を凍結すること」
――という要求があり,これは特に大きな反響を呼んだ。ネパールの人々,日本のネパール関係者の多くが,この勇敢な声明をいまでも鮮明に記憶しているはずだ。

しかも,このODA凍結(経済制裁)要求は,ネパールの人権状況が非常事態宣言解除後も大きくは改善していないのだから,まだそのまま生きているはずである。「現ネパール政府」は,いまも「現ネパール政府」のままだ。

NPNと声明賛同者は,ネパール庶民への多大な打撃を覚悟してまでODA凍結を要求しているのであり,この勇敢な,決然たる立場からすれば,「現ネパール政府」の非民主的・非人権的体制の是認,歓迎に他ならない皇太子殿下歓迎会は容認できないはずである。

NPN,あるいは声明賛同団体・個人の皆さんは,この問題について,どう考えておられるのであろうか?


050605 皇太子殿下来日と日ネ協会

ネパール皇太子殿下が7月,来日されるそうだが,(社)日本ネパール協会はどう対応するのだろうか?

日本政府の場合,友好国の公人の来訪だから外交儀礼に則りお迎えすることになるのだろう。では,ネパール協会はどうするか?

平時であれば特に問題はないが,ネパールはいま激しい政治対立の真っ只中。しかも,非政治的象徴天皇とは全く対照的に,ネパール国王は議会を解散し,政党内閣も解任し,自ら組織した内閣の「議長」としてほぼ全権を握り,市民的・政治的自由を極端に制限した親政政治を行っている。

むろん,例外状況においては委任独裁的な統治が必要なときもあるし,そもそもどのような政治形態にするかはネパール自身の選択だから,それ自体は,ここでは問題ではない。

ネパール協会が考えるべきことは,いまのネパール国王は象徴君主ではなく,自ら政治の中心にあり,権力を行使し,外交を行っているということだ。そのため,国王は激しい政治闘争の一方の当事者となり,国論は真っ二つに分裂,国際世論は大半がいまの国王親政に極めて批判的だ。いつも慎重な日本政府でさえ,

「わが国は、ネパールが多党制民主主義および立憲君主制の基本にたち、早期に平和と安定を回復することを期待する。」「現在、複数の政治指導者が拘束されているのであれば、わが国はこれを大変に憂慮しており、これら政治指導者が釈放され、憲法で保障された自由が早急に回復されることを強く望む。」(2月2日付外務報道官談話,外務省HP)

という厳しい公式コメントを出している。

この政治状況を考えると,ネパール協会には慎重な行動が求められる。たとえば,外務省であればレセプションを開催しても国際儀礼で済むが,もしかりに社団法人・日本ネパール協会が開催すれば,それは明白な政治的意図を持つ政治運動となってしまう。

国家と国家の交際,国家間外交は政府に任せ,ネパール協会はその設立目的(定款第3条)である「両国国民」の友好・親善に徹するべきだ。ネパール庶民との連帯,この大原則は崩すべきではないであろう。


050604 米軍事顧問団,国軍訓練再開へ

KOL=Himalayan Timesによれば,米軍事顧問団が来週から王国軍の訓練を再開するらしい。

名目は,戦時国際法,国際人道法の教育だそうだが,そこは軍事機密,国際法はカモフラージュではないか。

そもそもアメリカは,国際法無視の張本人。アフガン,イラク,キューバ等々で数々の国際法違反を繰り返してきたことは周知の事実。対人地雷禁止条約にも京都議定書にも参加していない。そんな国際無法国家が,どうしてネパールに法を説けるのか。

M.P. Khanal(Scoop, 2 June)によれば,米印の対ネ政策は,必ずしも一致していない。米がネパールの破綻防止を最優先課題にするのに対し,インドはむしろネパールの不安定化によりネパール支配を強化しようとしているという。

カナル氏によれば,インドはすでにマオイストとの交渉を開始し,1年以上前から,直接的ではないにしても,マオイストに軍事訓練と武器を与えている。(これは疑わしいが,マオイストがインド領内を利用していることは明白な事実。インド28州の内,9州が極左勢力の影響下にある。)

そして,インドはマオイストのバブラム・バタライ派と交渉し,マオイストを分断する一方,バブラム派を政党勢力と結びつけ,これをテコにネパール政治を操縦しようとしているという。

 米=国王=国軍 vs マオイスト
 印=政党=バブラム派マオイスト vs 国王/プラチャンダ派マオイスト

この図式は,おそらく当たっているだろう。複雑かつ流動的だが,カナル氏のインド陰謀説が事実とすれば,米は国王=軍支援に傾かざるを得ない。

国際法無視の米国が,国際法教授を名目に軍事顧問団を送り込み,軍事訓練を再開するのは,そのためではないか。

(Madan P. Khanal, A Dangerous Delegation of American Diplomacy, Scoop, 2 June 2005; KOL, 3 June)


050607 地雷で死傷者100名以上

ついに地雷で大惨事。

6月6日午前8時頃,チトワンで乗客110名を乗せたバスが橋上敷設地雷にふれて大破,死者38名(市民35名,休暇中の治安要員3名),負傷者は70名以上に上る。

国軍,マオイスト,自警団が入り乱れて地雷敷設に向かいそうな気配。低コスト高効率の地雷作戦は,マオイストが劣勢になれば,ますますエスカレートする恐れがある。 (KOL, June 6)


050601 自警団,地雷大量埋設

ナワルパラシで,反マオイスト自警団が各村170個,合計1500個ほどの地雷を村周辺に埋設したという(KOL,May30)。

ネパールはまだ対人地雷禁止条約に加盟しておらず,国軍,マオイストとも地雷を使用しているが,それに加えて,とうとう自警団までがマオイストからの自衛のためと称して地雷を埋設し始めた。危険きわまりない動きだ。

国軍は,以前から地雷を使用しており,いまでは全国に埋設している。国軍報道官「地雷は効果的な武器であり,慎重に使用している。埋設場所はワイヤで囲んである。」国軍将校「治安部隊は輸入地雷を使用している。」

国軍は地雷工場を2つもち,インド,ロシア,中国からも輸入してきた(現在も輸入しているか否かは不明)。これら3国は(そして米国も)対人地雷禁止条約に加盟しておらず,国際法違反ではない。これに対し,マオイストは地雷を自作し埋設しているようだ。

正確な統計はないが,地雷被害者は少なくない。軍基地,訓練場,警察署,政府施設などで,草刈りに入った人や,不用意に立ち入った子供などが地雷で手足や視力を失っている。また,マオイスト地雷の犠牲者ももちろん少なくない。

あるいは,ラメチャプのように戦闘後も埋設地雷残留のため立ち入れなくなった地域,またラスワ郡のように地滑りで地雷が流失し,流域一帯が危険地域になってしまったところもある。

自警団までが地雷埋設を始めると,どこに地雷があるのか分からなくなり,民間人の犠牲者が増え,また危険地域の拡大で離村して難民化せざるを得ない人も増えるだろう。

これはネパール人自身の内紛である。残虐な非人道的兵器,対人地雷の使用は,なんとしても自制してほしい。そのためにも,ネパール政府には一刻も早く対人地雷禁止条約に加盟していただきたい。

(KOL, May 30; http://www.icbl.org/lm/2004/)


050530 英国,軍事援助再開

5月28日の報道によれば,印米につづき,英国も軍事援助の再開を決定した。「殺人用」でない軍用品を「人道の観点」から援助するそうだ。

人道的軍用品とは,ナイトビジョン付ヘリ,通信機器,ランドクルーザー,爆発物処理装置,車両など。

人道ヘリから人道爆弾が投下されたり,道なき道を行くランドクルーザーから人道機関銃弾が発射されないことを祈るのみ。

(KOL, May 28)


050531 ババ氏,歩道再開の快挙

ババ氏が5月29日,歩道再開の快挙を達成された。

DIG氏事件で盆地交通警察から交通指導停止を求められたババ氏だが,屈することなく庶民の声援に支えられ,任務を続けておられた。

今回は,治安のために有刺鉄線で閉鎖されていたマイチガールの歩道の再開を国軍盆地司令官D・カルキ氏に訴え,再開の同意を得ることに成功された。

KOL(5/30)は,こう評している。

“Thanks to Baba’s gigantic task of providing relief to the pedestrians in Nepal.”
“The Japanese Baba is in Kathmandu to teach the traffic police about traffic rules.”

この文意をどう理解するか? 記者は,この文章がネパール庶民にどう読まれると予想して(期待して)書いているのだろうか?


050525 ババ氏,解任か?

ネットでは詳細は不明だが,ボランティア交通指導員ババ・キヨシ氏は,カトマンズ地区交通警察(VTPO)から,交通指導停止の命令を受けたらしい。

庶民はケシカランと怒り,国王政府もその庶民感情を応援したいのだろうが,これは,そう単純な問題ではない。大げさかも知れないが,これは人治vs法治の「文明の衝突」なのだ。

一方的な正義・善と不正義・悪との対立ではなく,対等だが異質な2つの価値観の対立である。信号倫理に立つ先進国側には,信号にも,人治とは異質だが,それに勝とも劣らない害悪があることを自覚した上で,この問題に関与する慎重さが必要だろう。

(Kathmandu Post, May 24)


050521 人治vs法治――信号の近代化論

5月18日の新聞・TVは,ババ・キヨシ氏の話題でもちきりだったようだ。

●交通指導員ババ氏
カトマンズポスト(5/18)によると,ババ氏はボランティアの交通指導員で,この日,ニューバネスワ交差点で交通警察隊の指導をしていた。

●DIG氏の信号無視
そこに,泣く子も黙る武装警察隊DIG(偉い人,序列失念)ゴパルマン・シュレスタ氏運転の車がやってきて,赤信号を無視して通過しようとした。DIG氏は偉い人だから,これまでは警官の敬礼を受け,信号無視で通過していたのだろう。

●交通違反を許さないババ氏
ところが,ネパール文化になじみのない(と思われる)ババ氏は,この信号無視を見逃さず,停車を命じた。この無礼な命令に対し,お供の武装警官たちは血相を変えて怒り,ババ氏に詰め寄り,強引に通過させようとした。しかし,日本男児ババ氏は少しもひるまず,停車させた車に近寄り,免許証の提示を求めたが,DIG氏は所持していなかった。

●裏取引を拒否したババ氏
面目丸つぶれのDIG氏は,ババ氏に自分の車に同乗し,自分の役所に行って話しをすることを求めたが,ババ氏は任務を離れることを断固拒否した。そこで,仕方なくDIG氏は,ネパール交通警察隊の敬礼を受け,その場を立ち去った。

●ババ氏の快挙
この一部始終を多くの市民とジャーナリストたちが見ていて,写真に撮り,記事にした。その決定瞬間の写真がカンチプールHPに載っているが,これは庶民にとっても国王政府にとっても「快挙」と受け取られているに違いない。

●文明論的意味
しかし,この「快挙」には,単なる庶民の憂さ晴らしや,国王政府の人気取りにとどまらない文明論的な意味がある。DIG氏は前近代的な人治の原理を代表し,ババ氏は近代的な法治の原理を代表しているからだ。

●人治の文化的豊かさ
前近代的人治は,人による統治であり,きわめて人間的,文化的である。かつてわが寒村にも医者がいて,金持ちには高い治療費,わが家のような貧農には安い治療費を請求し,生活苦の家族からは治療費を一切受け取らなかった。人を見て扱いを変える。なんと人間的,文化的なことか! 

ネパールの前近代社会も人治であり,きわめて人間的,文化的であった。交差点でも,相手を見て譲るべきは譲る暗黙の交通慣行が出来ており,それなりに機能していた。もちろん,相手を見て自分の行動を変えるのだから,どうしても偉い人に好都合になりがちだったが,そこには捨てがたい人間味が感じられた。

●法治の効率と非人間性
これに対し,ババ氏に象徴される近代的法治は,客観的ルールによる合理的統治であり,非人間的であればあるほど,効率化し,称賛される。文化的豊かさも,人間的温かさも,法治にはない。冷厳な非人間的規則が,人を見ることなく,機械的に万人に適用される。

最も典型的な法治は,自動販売機である。自販機でたとえばジュースを買うには,誰であれ,100円玉を入れなければならない。自販機は,前に立っているのが,老若男女誰であれ,いや畏れ多くも天皇陛下であれ,一切区別しない。「1缶100円」の客観的ルールを万人に公平に適用する。ルールが人を支配しているのであり,無慈悲,非人間的なことこの上ない。

これに対し,ネパールの伝統的バザールは,全く逆だ。わが寒村の医者が人を見て治療費を請求したのと同じく,商人たちは客を見て商売をしている。人情に飢えた先進国の旅行者たちがネパールのバザールや伝統的社会に惹かれるのはもっともなことだ。

●法治の勝利
しかし悲しいことに,合理性,効率の点では,人治は法治には到底かなわない。M・ウェーバーが言うように,合理化(近代化)は宿命であり,いずれネパールも非人間的機械文明社会に移行して行くであろう。

●先兵としての交通信号
その機械文明社会の象徴が交通信号であり,これをカトマンズに大々的に導入したのが日本である。これまで,日本は様々な援助をしてきたが,伝統文化を破壊し近代化させるのに最も効果的なのは,ひょっとすると,この交通信号整備かも知れない。

交通信号は,とにかく理屈抜きで分かりやすい。人を全く見分けない交通信号は,守らなければ,畏れ多くも王族方でさえ,事故死させてしまう。交通信号の前では,先進国好みのカースト差別でさえ,一瞬にして解消されてしまう。人ではなく,客観的交通ルールが万人を公平に支配するのだ。

●非人間的法治社会
今回,ババ氏は,日本援助の交通信号の近代精神を体現され,DIG氏を断固ルールに従わせようとした。しかし,正確には,これはババ氏が命令したのではない。「赤は止まれ」の世界共通ルールが,ババ氏を通して,DIG氏に命令したのだ。

交通信号は,大きな教育効果を持つ。日本では,深夜の田舎の地方道で,全く車のくる気配がなくても,赤信号だと,たいてい車は青信号になるまで停車して待っている。法治が徹底すると,ルールが人を完全に支配する。

ネパールでも,時計の普及が時間観念を革命的に変えたように,交通信号が人々の行動様式を革命的に合理化,近代化,機械化する可能性がある。

(Kathmandu Post, May 18)


050526 バブラム幹部,インドで交渉中

Times of Indiaによれば,バブラム・バタライ幹部がインド情報局保護下でインド要人と交渉していることは,まず事実らしい。これは驚くに当たらないが,その交渉方程式は難解そのもの,解がどうなるやら見当もつかない。

(1)プラチャンダ議長+バブラム幹部
マオイスト2幹部が仲直りし,バブラム氏が党を代表して交渉している場合。7党+マオイスト+インドとなり,国王親政はおしまい。

ただし,王政を打倒しても,マオイストを体制内化することは至難の業で,大混乱の可能性大。インドが,テロリストと非難してきたマオイストと共存できるとも思えない。

ネパール7党にしても,10年弱の思想教育を受けゲリラ活動が生活となってしまった人民解放軍との共存は難しいだろう。

(2)プラチャンダ議長vsバブラム幹部
インドがねらっているのは,バブラム氏をプラチャンダ議長から切り離し,7党支持に回すことではないか? こうなれば,王政も倒せるし,対テロ(プラチャンダ派)戦争の大義名分も立つ。印ネ両国の軍隊も反対しないだろう。

――大局的に見ると,(2)の可能性の方が大だが,情報不足で,いまのところどうなるか全く分からない。今後の展開を注視していたい。

(Times of India & KOL, May 25)


050524 欧米,軍事援助実施か?

KOLがSamacharpatraの報道として伝えるところによると,アメリカとヨーロッパのある国が,先週から今週にかけて,すでに軍事援助物資をネパールに搬入したらしい。

軍事機密だからはっきり分からないが,おそらくインドからも武器類が搬入されているのだろう。

王国軍15万人体制が目標だから,武器売り込みのチャンスではある。

(KOL, May 24)


050522 内政不干渉の限界

外務省のマドラマン・アチャルヤ局長が5月21日,(反政府)7党協定への支持を表明したインドとイギリスの大使に対し,それは「内政干渉」だと激しく抗議した。「ネパールの政治問題はネパール人自身が取り組むべき事柄であると,わが政府は確信している。」

●内政不干渉の原則
内政不干渉は,国際法(たとえば国連憲章第2条7)の大原則だし,「平和5原則」の一つでもある。その意味では,ネパール政府の主張は正当である。

たとえば,ある国が日本共産党や社民党の護憲平和運動を直接応援し,もし自民党=公明党連立政府が違憲自衛隊の解体に応じなければ制裁措置をとると圧力をかけてきたら,日本人はどうするか? おそらく大部分の日本人は,それは日本人の問題だ,内政干渉するな,と反発し,激しく抵抗するだろう。

諸外国によるネパール7党の反政府運動支援や,多党制強要は,論理的には,上述の日本の例と同じであり,国王政府が言うとおり内政干渉である。

●NGOの内政干渉
これは,国家以外のNGO等が行っても同じことである。統治の一形態にすぎない多党制や選挙や参加民主主義を実現しなければ,これまで継続してきた開発援助を停止する,というのは,内政干渉である。多党制にするか否か,選挙をするか否か,参加型にするか否かは,ネパール人民自身が決めてよいことだからである。

●人間の安全保障
しかし,これは真理の一面にしかすぎない。内政不干渉は近代国際法の大原則だが,国際法の基盤となる国際社会は,冷戦終結後,急激に変化しており,それに応じて国際法も変化してきている。

加速度的に進むグローバル化は,国家主権を相対化し,世界社会を生長させ,グローバル・ガバナンスの兆しも見えてきた。その結果,世界社会は,従来であれば主権国家の排他的管轄であった国内の政治,経済,社会にも介入する権利・義務を主張し始めた。「人間の安全保障」は,その代表的な考え方である。

●介入の権利と義務
「人間の安全保障」の観点に立てば,もしネパール国内で「人間の尊厳(最も基本的な人権)」の重大な侵害が発生し,政府にその解決能力がなければ,国際機関や国家はいうに及ばず,NGOであれ他の団体であれ,そうした人道危機に対処するため,たとえネパール政府の同意がなくても,介入する権利と義務をもつことになる。近代国際法からすれば非合法だが,形成されつつある世界社会の国際人権法や人道法の理念からすれば,この介入は正当な介入となるのである。

●両刃の剣としての介入
この人道的介入は,途上国人民にとっては,両刃の剣である。介入を正当化する「自由」「人権」「民主主義」などの国際「正義」は,実際には,先進国のものである。それらを理由とした介入を安易に許せば,途上国は自決権を奪われ,先進国の政治的・経済的・文化的従属国にされてしまう。だから,途上国にとって,内政不干渉の原理は,そう簡単に放棄してしまってよいものではないのである。

他方,逆に内政不干渉を強調しすぎると,自国政府が人民の安全を守らない場合でも,人民は世界社会の保護を求めることが出来ず,非人間的状況のまま放置されることになる。

結局,介入,不介入は,この両義性を見据えて決めざるを得ないことになるが,これは実際には,多くの場合,難しい選択になる。

●ネパールの場合
現在のネパールの場合,世界社会,日本政府,NGO等は,どこまで介入する権利と義務があるのか? 他の場合と同じく,もしネパールにおいて「人間の尊厳」の維持にとって絶対に必要な最低限度の自由や権利が守られない場合には,それぞれの介入主体にとって合理的な範囲と手段で介入することは,権利であり義務であろう。

この観点からすると,いま問題になっている多党制,選挙,参加民主主義は,もしそれらだけであれば,介入の正当化理由にはならない,ということになるのではないだろうか。

(KOL, May 21)


050525 ババ氏,解任か?

ネットでは詳細は不明だが,ボランティア交通指導員ババ・キヨシ氏は,カトマンズ地区交通警察(VTPO)から,交通指導停止の命令を受けたらしい。

庶民はケシカランと怒り,国王政府もその庶民感情を応援したいのだろうが,これは,そう単純な問題ではない。大げさかもしれないが,これは人治vs法治の「文明の衝突」なのだ。

一方的な正義・善と不正義・悪との対立ではなく,対等だが異質な2つの価値観の対立である。信号倫理に立つ先進国側には,信号にも,人治とは異質だが,それに勝とも劣らない害悪があることを自覚した上で,この問題に関与する慎重さが必要だろう。

(Kathmandu Post, May 24)


050521 人治vs法治――信号の近代化論

5月18日の新聞・TVは,ババ・キヨシ氏の話題でもちきりだったようだ。

●交通指導員ババ氏
カトマンズポスト(5/18)によると,ババ氏はボランティアの交通指導員で,この日,ニューバネスワ交差点で交通警察隊の指導をしていた。

●DIG氏の信号無視
そこに,泣く子も黙る武装警察隊DIG(偉い人,序列失念)ゴパルマン・シュレスタ氏運転の車がやってきて,赤信号を無視して通過しようとした。DIG氏は偉い人だから,これまでは警官の敬礼を受け,信号無視で通過していたのだろう。

●交通違反を許さないババ氏
ところが,ネパール文化になじみのない(と思われる)ババ氏は,この信号無視を見逃さず,停車を命じた。この無礼な命令に対し,お供の武装警官たちは血相を変えて怒り,ババ氏に詰め寄り,強引に通過させようとした。しかし,日本男児ババ氏は少しもひるまず,停車させた車に近寄り,免許証の提示を求めたが,DIG氏は所持していなかった。

●裏取引を拒否したババ氏
面目丸つぶれのDIG氏は,ババ氏に自分の車に同乗し,自分の役所に行って話しをすることを求めたが,ババ氏は任務を離れることを断固拒否した。そこで,仕方なくDIG氏は,ネパール交通警察隊の敬礼を受け,その場を立ち去った。

●ババ氏の快挙
この一部始終を多くの市民とジャーナリストたちが見ていて,写真に撮り,記事にした。その決定瞬間の写真がカンチプールHPに載っているが,これは庶民にとっても国王政府にとっても「快挙」と受け取られているに違いない。

●文明論的意味
しかし,この「快挙」には,単なる庶民の憂さ晴らしや,国王政府の人気取りにとどまらない文明論的な意味がある。DIG氏は前近代的な人治の原理を代表し,ババ氏は近代的な法治の原理を代表しているからだ。

●人治の文化的豊かさ
前近代的人治は,人による統治であり,きわめて人間的,文化的である。かつてわが寒村にも医者がいて,金持ちには高い治療費,わが家のような貧農には安い治療費を請求し,生活苦の家族からは治療費を一切受け取らなかった。人を見て扱いを変える。なんと人間的,文化的なことか! 

ネパールの前近代社会も人治であり,きわめて人間的,文化的であった。交差点でも,相手を見て譲るべきは譲る暗黙の交通慣行が出来ており,それなりに機能していた。もちろん,相手を見て自分の行動を変えるのだから,どうしても偉い人に好都合になりがちだったが,そこには捨てがたい人間味が感じられた。

●法治の効率と非人間性
これに対し,ババ氏に象徴される近代的法治は,客観的ルールによる合理的統治であり,非人間的であればあるほど,効率化し,称賛される。文化的豊かさも,人間的温かさも,法治にはない。冷厳な非人間的規則が,人を見ることなく,機械的に万人に適用される。

最も典型的な法治は,自動販売機である。自販機でたとえばジュースを買うには,誰であれ,100円玉を入れなければならない。自販機は,前に立っているのが,老若男女誰であれ,いや畏れ多くも天皇陛下であれ,一切区別しない。「1缶100円」の客観的ルールを万人に公平に適用する。ルールが人を支配しているのであり,無慈悲,非人間的なことこの上ない。

これに対し,ネパールの伝統的バザールは,全く逆だ。わが寒村の医者が人を見て治療費を請求したのと同じく,商人たちは客を見て商売をしている。人情に飢えた先進国の旅行者たちがネパールのバザールや伝統的社会に惹かれるのはもっともなことだ。

●法治の勝利
しかし悲しいことに,合理性,効率の点では,人治は法治には到底かなわない。M・ウェーバーが言うように,合理化(近代化)は宿命であり,いずれネパールも非人間的機械文明社会に移行して行くであろう。

●先兵としての交通信号
その機械文明社会の象徴が交通信号であり,これをカトマンズに大々的に導入したのが日本である。これまで,日本は様々な援助をしてきたが,伝統文化を破壊し近代化させるのに最も効果的なのは,ひょっとすると,この交通信号整備かも知れない。

交通信号は,とにかく理屈抜きで分かりやすい。人を全く見分けない交通信号は,守らなければ,畏れ多くも王族方でさえ,事故死させてしまう。交通信号の前では,先進国好みのカースト差別でさえ,一瞬にして解消されてしまう。人ではなく,客観的交通ルールが万人を公平に支配するのだ。

●非人間的法治社会
今回,ババ氏は,日本援助の交通信号の近代精神を体現され,DIG氏を断固ルールに従わせようとした。しかし,正確には,これはババ氏が命令したのではない。「赤は止まれ」の世界共通ルールが,ババ氏を通して,DIG氏に命令したのだ。

交通信号は,大きな教育効果を持つ。日本では,深夜の田舎の地方道で,全く車のくる気配がなくても,赤信号だと,たいてい車は青信号になるまで停車して待っている。法治が徹底すると,ルールが人を完全に支配する。

ネパールでも,時計の普及が時間観念を革命的に変えたように,交通信号が人々の行動様式を革命的に合理化,近代化,機械化する可能性がある。

(Kathmandu Post, May 18)


050514 迷走7政党と「史上最高の国王」

●選挙忌避の迷走7政党
最近,7政党が選挙を忌避し,解散議会の再開を要求し始めた。?!。議会は,議会自身(デウバ首相)が解散したのであり,5年の議員任期も1年前に満了している。つまり,かつての議員もいまではただの人にすぎない。どうして,その普通の市民が,選挙もなしに,特権的に議員に復活できるのか。そもそも選挙忌避の政治家は形容矛盾だ。

そんなていたらくだから,マオイストには7党支持声明(5/11)を出され,ギリ副首相には「政党は人民の支持を失ったので,選挙を恐れ,解散議会の復活を要求するのだ」と急所をつかれる羽目に陥るのである。

政党は,迷走,また迷走。多党制民主主義の復活を求めるアメリカも。困惑しているのではないか。

●史上最高の国王
これに対し,国王派は意気軒昂だ。ライジングネパールは,「国王陛下の歴史的決断により,ネパールは破綻国家を免れた」と自画自賛し,バングラデッシュからは「国王は世界史上最も偉大な君主の一人として記憶されることになろう」という称賛の声も寄せられている。

バングラデッシュのNews From Bangradesh(May19)に国王絶賛記事「平和にチャンスを与えよ」を寄稿したのは, Pralhad KC氏。アメリカ在住だが,彼自身が強調するところによれば,KC氏は全くのネパール人であり,決して故郷喪失(diaspora)ネパール人ではない。ネパールにも貿易の仕事で頻繁に出かけ,各層の人々と幅広く交際しているという。その彼の議論は,庶民王党派の心情を雄弁に代弁する一方,庶民ナショナリズムのもつ危険性も露呈させている。

(1)マオイストの反国家的・反人民的行為
マオイストは,道路,学校,ヘルスポスト,橋等々を破壊し,開発プロジェクトを妨害し,抵抗する人々を虐殺し,生徒を誘拐し,教師を虐待してきた。これはテロであり,国家と人民に対する反逆だ。

(2)無能な政党
このマオイスト・テロに対し,政党は無力だった。この15年間の民主的に選ばれた政府の腐敗と権力濫用は,目に余る。政治家たちは,身内の利害を法律より優先させ,国家を既得権益とし,官庁を党関係者の就職先としてしまった。

いまや歴史的・伝統的な共同体の調和は失われてしまった。多くの人が「以前はヒルのような搾取者は少数だったのに,いまはどこにでもいる」と嘆いている。

(3)人民代表としての国王
それでは,いま人民を代表しているのはだれか。多くの人が,ネパールの権力関係をマオイスト・政党・王室の三極構造として描くが,これは誤りである。無辜の人民を代表しているのは,マオイストでも政党でもなく,国王その人だけだ。

(4)憲法守護者としての国王
人民代表としての国王は,憲法の守護者であり,2004年10月の内閣解任も,諸政党の助言を受けたデウバ首相の正式な要請によるものであった。国王は憲法に従って行動してきた。

(5)国王をして平和を守らしめよ
その国王が国家の危機を見て,2月1日直接権力掌握の決断を行った。「国王は平和のために王位をかけた。国王非難は易しいが,では国王に他の選択肢があったとでもいうのか」。「平和にチャンスを与えよ」。

(6)民主主義か平和か
無責任な部外者や評論家ならいざ知らず,普通のネパール人なら,99%が民主主義よりも,平和と日々の食事を求める(1%は政党人とおしゃべり知識人)。いまのネパールでは,「まず平和,安全,日々の食事を与えよ。民主主義はその次だ」。「われわれは生きているのであり,まず必要なものは酸素だ」(Upendra Devkota)。

この平和第一主義は,タクシー運転手,農民から人権活動家,商業協会(NCC),商工会議所(FNCCI),旅行業協会(NATO)まで,幅広く支持され,インターネット世論調査でも,2.1政変支持63%,反対34%だった(Sajha.com)。

(7)対テロ戦争への国際的支援
国王は,テロと腐敗を根絶するために立ち上がったのであり,これには国際的支持がある。非難しているのは,外国かぶれの日和見詭弁家とその仲間たちだけだ。彼らはネパールを私物化し,ネパール・バッシングをし,外国の軍事援助,開発援助を停止させようとしている。

しかし,テロと腐敗を根絶し,ネパールとその人民を守る権利をネパール人は要求してよいのではないか。国際社会は,もっと真剣に現状を見るべきだ。これは,政党のゲームでも大道芸でもないのだ。もし国王の試みが失敗したなら,マオイスト支配か全面的な内戦になるだろう。無実の無数の庶民が苦しめられ,殺されるだろう。それなのに,政党は外国の軍事援助の停止を訴えている。

国際社会は,必ずや腐敗政治家の大口よりも,庶民の平和への叫びに耳を傾けるだろう。軍事援助停止は,テロリストを喜ばせるだけだ。それでももし国際社会が強要すれば,国王は中国の軍事援助を受け入れざるを得ない。インドも,このことには気づいているはずだ。

国王はこう語った。「家が火事になったら,消化にはある程度時間がかかる。あらゆるものを動員して火を消さねばならない」。

――以上のKC氏の議論は,よく理解できる。おそらくネパール庶民感情に近く,庶民ナショナリズム,庶民王党主義,庶民生活主義をよく代弁していると思う。

また,民主主義平和論(democratic peace)は,明らかにウソである。哲人カントには申し訳ないが,民主主義は戦争が大好きだ。

したがって,平和を棚上げにして,多党制民主主義を実現せよ,という要求は,政党人や部外者外国人以外にはあまり説得力はない。

しかし,だからといって,KC氏の平和第一主義が正しいわけではない。国王の強権発動,外国軍事援助が,平和を実現する保障はない。いやむしろ,それは軍事独裁に傾き,暴力を拡大し,人々の平和と安全(人間の安全)を侵害し,マオイストとの和平を困難にする可能性の方が大きい。ネパール危機は,グローバル化に伴う構造的暴力の拡大が根本原因だから,これを軍事力で解決することは無理である。KC論文は,その肝心の点に全くふれていない。

いまのネパール危機を一気に解決できる特効薬はない。国際社会は,忍耐強く事態改善に努力する以外に方法はないが,少なくとも次の2つは実行すべきだろう。

(1)武器輸出禁止
制裁としてではなく,武器輸出そのものが人道と平和に反するので,世界諸国は少なくともこの点では武器禁輸の日本モデルに従うべきだ。

(2)人道犯罪の防止
国内体制を民主主義にしようが王制にしようが,それはネパール人民の自由だ。国際社会が関与しなければならないのは,すべての人に保障されるべき最も基本的な人権をネパールの人々にも保障することだ。ネパールもすでにグローバル秩序に組み込まれてしまっているので,この最低限の一線で国際社会が意思統一すれば,国際世論の制裁力を背景に,そうした最低限の基本的人権の保障をネパール政府に約束させ実行させることは可能であろう。

(Nepali minister says “foreign powers” behind democracy drive, AFP, May 12; Pralhad KC, On Nepal: Let Us Give Peace A Chande, News From Bangladesh, May 12, www.bangladesh-web.com/)


050511 軍事援助再開

国王のいうとおりだった。非常事態宣言の名目的解除と引き換えに,インドは5月10日,武器供給を再開した。軍用トラック,ジープ,装甲車,防弾チョッキ,弾薬など,よい商売だ。ほどなく米,英なども武器商戦に参戦するだろう。

インドの武器供給再開は,もちろん米国の了解のもとに行われている。米国はもともと軍事援助停止措置をとっていなかった。そして,武器供給再開発表直前の9日午後,クリスチナ・ロッカ国務次官補が,ネパールに向かう途中でニューデリーに立ち寄り,インド高官とネパール情勢について意見交換をしている。ロッカ氏は,インドと最終的な意見調整をした上で,ネパールを訪問したのであり,インドの武器供給再開は米印合作と見るべきだろう。

ロッカ氏は,ネパール訪問中(5/9−11滞在)に国王,ビスタ,ギリ両副首相,パンデ外務大臣と会見し,ヤク&イエティでのアメリカンセンター開所式にも出席した。

米国は,人権・民主主義よりも,対テロ戦争を優先させ,国王―クーデターを追認したのである。

(KOL, May10-11; Rising Nepal, May9; The Hindu, May10)


050507 ポクレル氏殺害とマオイスト内紛

●ポクレル氏殺害の暴挙
BBCによれば,世界ヒンズー協会ネパールのポクレル議長を殺害したのは,マオイスト系のダリット解放戦線 (Dalit Mukti Morcha)だという。殺されたのは自宅ではなく,宗教行事のために滞在していたルパンデヒ郡のホテル。

ポクレル氏は,ゴルカ出身のカリスマ的宗教指導者で,妻2人,息子5人,娘3人。ダリットも宗教行事に招き,儀式に参加させていた。

この暴挙に対し,主要政党,右派諸団体,ヒンズー教諸団体は,マオイストを激しく非難している。 (Nepalnews.com, May6)

●内紛マオイストの冒険か?
それにしても,もしマオイストの犯行とすれば,彼らはなぜ,このような危険な冒険に走ったのか? 一つ考えられるのは,内紛激化である。

BBCによれば,マオイスト内紛はもはや決定的だ。

バブラム・バタライ幹部は,プラチャンダ議長への権力集中に反対し,当初の約束(党決定)と違うと,議長を非難している。そして,プラチャンダ議長の肖像をマルクス,エンゲルス,レーニン,スターリン,毛沢東の肖像と並べて掲げることをやめよ,と要求している。

これに対し,プラチャンダ議長は,バタライ幹部が自己の権力拡大を優先し,党と革命のことをないがしろにしている,と反論している。「プラチャンダの道」からすれば,そのとおりだろう。(BBC, May6)

――マオイスト2幹部の権力闘争は,子供っぽいといえばそうだが,これは左翼の主導権争いの典型であり,こうなると,もう大抵どうにもならない。

内紛は自業自得だが,警戒すべきは,体制維持のため,マオイストが危険な冒険に走ることだ。これまで幾度か指摘したように,マオイストは,この種の運動としては,よく統制がとれていた。その自己抑制が,内紛のためはずれてしまうと,恐ろしい。

もしポクレル氏の殺害がマオイストの犯行だとすると,これは憂慮すべき事態だ。


050506 気がかりな宗教問題

ネパールの宗教界の雲行きが怪しくなってきた。

●WHFネパール議長銃殺
世界ヒンズー教会ネパールのパンデ・ナラヤン・プラサド・ポクレル議長が,5月6日早朝,ブトワルの自宅で銃殺され,同僚のパンデ・カダク・イスワル氏も負傷した。

襲撃したのは,マオイスト集団らしいが,これは大変な事件だ。(KOL, May6)

●キリスト教系女性会議開催
キリスト教については,先述の通り(No.3929)改宗強要罪で教師夫妻が逮捕されたばかりだが,この5月21−23日には,カトマンズで2000人を集め,女性会議を開催するという。スポンサーはNew Directions International,主催はネパールのクリスチャン女性の会(名称不明)。

NDIは,アメリカに本拠を置き,途上国伝道を使命とする団体のようだ。HPによると,次のような活動をしている。

第三世界の指導者に働きかけ,福音への扉を開かせること,貧困者に食料とシェルターを与えること,ケニヤの孤児を養育すること,海外の「ホームレス会衆」のために教会を建設すること,インドの牧師に自転車やバイクを供与すること,ジンバブエの女性にミシンを与えること,ネパールの貧しい家族にヤギを与えること,ブータンの地下教会を援助すること,タンザニアの貧困者に保健医療を与えること,エベレスト山麓に教会をつくりつつある福音伝道者たちを支援すること,等々。

ネパール女性会議は,このような使命を持つNDIがスポンサーになって開催される。アメリカからは, Patt Williams, Hannah Thompsonといった人々が出席し話しをする予定とのこと。

「たった5ドルの寄付で1人のネパール女性を会議に出席させられます! このわずかのお金で,食事,交通費など必要なものはすべてまかなわれます。」「この会議は,何千人ものネパール女性に神を信じる機会と,キリスト者としてのリーダーシップ強化の機会を与えることになるでしょう。・・・・忘れないでください,ネパール女性1人当たり,たったの5ドルなのです。」(www.newdirections.org/)

キリスト教会の善意と熱意は分からぬではないが,クリスチャン教師夫妻が逮捕され,世界ヒンズー協会議長が銃殺されるなど,雲行き怪しい現状の下で,こんな大会を開いても大丈夫なのだろうか。難しく微妙な問題だが,気になるところだ。


050505b クリスチャン教師夫妻,逮捕

ビルガンジで私立グレース校を運営しているキリスト教徒のインド人夫妻が,生徒80人の大半をキリスト教に改宗させた疑いで逮捕された。

1990年憲法第19条は,信教の自由を認められているが,改宗させることは禁止している。改宗させること(proselytize)は犯罪であり,処罰される。

改宗強要罪による逮捕は,これまでにも少なくない。2003年には聖書を所持していた信者8人が逮捕された。2000年10月には,ノルウェー人宣教師T.ベルクが,インド人信者1名,ネパール人信者3名とともに東ネパールで逮捕された。ベルクの教会が,改宗すれば1000ドルあげる,といってネパール人に改宗を勧めた容疑だ。

信教の自由は最も基本的な人権であり,国連人権委員会ジュネーブ総会でもネパールにおける宗教的自由の侵害が問題にされた。

たしかに,信教の自由の制限は明白な人権侵害だし,proselytize禁止条項は,改宗強要の禁止と説明されていても,実際には宣教・伝道活動との区別は難しく,それ自体人権侵害の疑いが強い。

しかし,だからといって,proselytize禁止条項を撤廃し,宣教・伝道を含む信教の自由を完全に認めよとネパールに対して要求できるかというと,これには議論の余地がある。

ネパールの人々と話していると,キリスト教会は金銭や便宜供与で改宗を勧誘しているという非難をしばしば聞かされる。どこまで事実か分からないが,こうした危機感の背後には,ネパールにおけるキリスト教の急拡大がある。2000年度において,ネパールはキリスト教会の拡大が世界で最も速い国であり,いまでは5000の教会が出来ているという。

キリスト教からすれば,真の教えであるキリスト教が広まるのは当然だということになるのであろうが,「真」が富者・強者の側にあるとき,問題はそう簡単ではない。強者による信教の自由の要求が,ネパールの人々の信教の自由を奪うことになる可能性もあるのだ。

これは信教の自由だけでなく,他の自由や権利についてもいえる。自由,人権,民主主義のイデオロギー性は,押しつける側は無自覚であっても,押しつけられる側は,敏感に感じ取るものだ。人権・民主主義回復運動は,そのことをよく自覚して進められるべきだろう。

(Nepal Detains Christian Couple for “Proselytising” Orphans in India, Cristian Today, May 4)


050505a 覇権争奪競争下のネパール

Ranjit Devraj, Analysts: India’s Resumption of Arms to Nepal Not Due to China (Inter Press Service, Apr27)は,いま一つ歯切れが悪い。こんなことを言わなければならないのは,not due to Chinaではないからではないか。

元駐中国大使(1987−91)C. V. Ranganathan氏によれば,「印中はもはやネパールでもどこでも対立していない」。インドと近隣争奪戦をしないというのが「この数年の中国の政策であり,しばらくはこれは変わらないであろう」。

アジア・アフリカ会議(ジャカルタ)でのマンモハン・シン首相の対ネ軍事援助再開発言(4/23)は,閣外協力の2共産党(CPI-M,CPI)の強い反発を招いた。「インドの圧力はすでに効果を見せ,これを継続すれば,ネパール民主主義の回復は可能だ」(CPI)。

一方,軍関係者は,軍事援助停止を継続すれば,マオイストの権力奪取や,パ中の武器供与の危険性が増すと警告する。「インドは,王国軍近代化に協力してきたのであり,いま手を引くわけにはいかない」(A.Metha元少将)。

しかしながら,4月には温家宝中国首相とムシャラフ・パキスタン大統領が相次いで訪印し,両国とインドとの関係は大きく改善した。中国首相の友好的訪印は,中国にネパール介入の意思がないことの示唆であり,したがってインドは自らの判断で国王との交渉を進めることが出来る立場にある。

アジア人権センター(ニューデリー)S. Chakma所長によれば,「インドが最も恐れているのは,ネパールが破綻国家になることであり,建設的な方法で介入するのがインドの国益である」。

また,南アジア人権資料センターのRavi Nair所長によれば,「民主的多党制がなければ,ネパール・マオイストの権力奪取の可能性が大きくなるが,それはインドを含む国際社会が容認できないことだ」。

いかにも歯切れが悪い。要するに,対ネ交渉は,軍事援助再開も含め,インド国益の観点からやっている,中国の圧力に屈したわけではない,ということだろう。

しかし,5月1日には,カトマンズ−ラサ直通定期バスが運行を開始し,中ネはさらに接近した。また,WTO加盟で,中国製品流入阻止も難しくなった。インドは対中友好促進の一方で,中国の圧力をひしひしと感じているはずだ。

いかにも民衆無視の非民主的な話しだが,この論説は結局は地域覇権防衛を目指すインド国益の弁護論ではないだろうか。


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